4. 木崎 聖子(きざき せいこ)

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2  店内に入ってからは驚きと緊張の連続だった。  まず、入り口ドアの横にある小さなカウンターで、聖子が「木崎です」と名乗ると、マネージャーと思しき30代後半に見える黒スーツの男性が目を瞠ったような気がして、付録でしかない市川もとても誇らしかった。  外観から想像していたより広いホールは、大きな山小屋のようなインテリアで、中央の奥には本物の煉瓦作りらしい暖炉まであった。  冬には火を入れるのかな、などと考えながらマネージャーの先導に従い、ほぼ満席の店内を横切って壁際のテーブルに近づき、椅子を引かれてタイミングが測れず、屈伸運動のようになりながら着席し、ガラスの器に入った蝋燭に火が灯されるのをぽけっと見ていると、向かい側の聖子がにやにや笑っているのに気がついた。軽く睨んで、メニュー選びは聖子にすべて任せた。  車を運転する聖子はもちろんだが、市川もアルコールは呑まないことにした。せっかくの料理をしっかりと味わいたい。  ところが、オードブルの盛りつけに感動し、ソースの色と味のギャップに言葉を失い、マナーに気を遣い、ウェイター、あるいはフレンチの場合はギャルソンと呼ぶべきか、の説明にわかったふりをしつづけているうちに、市川の、聖子に言わせるとカウントしてはいけない親戚の結婚式を除いて、初めてのコースフレンチはメインの肉料理に突入していた。 「これはわかりました。但馬牛のフィレです」 「よくできました」
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