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彼女の左半分はぼくの右半分を必要としていない
森へ続く小径をゆっくり歩く。
もっと奥に入るとぜんぜん雰囲気が違うし、森にしかない花や木もあるんだけどきょうはここまでね、岳人くんいつか自分で奥まで行ってみて。
「いつか? 自分で?」
「そう、いつかね」
白川さんは名残惜しそうに向きを変えた。
帰る道でもいろんな草花や木の名前を教えてくれたが、ぼくは上の空だった。
「岳人くんも七十五年生きてごらんなさい、なんでも知ってる人間になってるわよ。子どもや孫に教えられることがいっぱいになって、訊かれもしないのに蘊蓄を披露して嫌われたりしてるかもよ、わたしみたいにね」
「桃枝さんは嫌われないよ、だれにも」
白川さんのひとことひとことがぼくを哀しくさせた。ぼくは七十五になっても桃枝さんとおなじで、子どもも孫もいないきっと。
やるせない思いで白川さんの左側を歩く。
もう彼女の左半分はぼくの右半分を必要としていない。
僕らはぼくらは立ち止まったりしゃがんだりしてゆっくり歩いたから、二十分ぐらいかかった。
「ほーら歩けたじゃない。もう大丈夫」
白川さんはそれをぼくに見せたかったのかもしれない。ぼくは複雑な気持ちだった。
せせらぎが澄んだ音を立てていた。
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