水族館の、鈴木くん

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水族館の、鈴木くん

 梅雨明けの暑い夏。  屋外の観覧席で、水槽内を自由に泳ぎまわるイルカ達を眺めていた。楽しそうにしていて、私とは大違いだ。とても羨ましい。 「さあ、ここからクライマックス! イルカ達の大ジャンプです! 前の席の方はタオル、カッパなど準備してくださいねっ」  飼育員さんのマイクの音声が響くと、観客達が興奮でざわめく。 「やべぇ〜! (はな)ちゃん、こっちまで水飛んでくっかもよ?」 「えっ〜! ウソ!? それヤバいかもですっ!」  はぁ〜……、そんなわけないし。  イルカが泳いでいる水槽からだいぶ離れてる私たちの席。周りの人たちはすごい余裕な顔で楽しくおしゃべりしている。 「華ちゃん、はい。俺の上着」  突然、つまらない男子(体育会系の部活してる、種目はなんだっけ? まあ良いや、思い出すの無駄だし)が、得意げに白の半袖シャツを渡してきた。  うわぁ〜……、なになに? 俺は濡れても平気だけど、私が濡れるのは、的な?  「ふえっ? 急にどうしたんですかぁ??」  でも私は何も気づかないふりで、先輩の顔を見つめる。すると、 「いや〜なに? 華ちゃんが濡れたりしないように、って思ってさ」  そう言って、満面の笑みを向けてくる。俺優しいだろ? アピかぁ……、超メンドイ。てかさ、あんた後ろの席をそそくさととったじゃん? ここなら濡れないって分かってたでしょ。はぁ〜……、自分のシャツ濡れたくないのも計算のうちに入ってるんだろうなぁ。だって、デート中、水槽のガラスでちまちま隠れて服装直してたし。それと髪型とか。魚見ろ、魚。水族館来てんだぞ。  でも私は嫌な顔をせず、心配げに首を小さく傾げる。 「えぇ!? そ、そんなぁ。黒川(くろかわ)センパイが濡れちゃいますよぉ?」 「俺は大丈夫! 濡れても全然平気だからさ!」 「そ、そうは言ってもぉ……」 「良いって、良いって!」 「わあっ!! ふふっ、ありがとうございますっ。すごく優しいんですねっ、黒川先輩っ」 「えぇっ? いや〜、そんなことないって」  そんなことあるだろ。なにその嬉しそうなニヤけ顔? イケメンで見てて絵にはなるけど、欲が見え見え。嫌な気分になるっての。 「あっそうそう。華ちゃん、俺のこと名前で呼んで良いよ? 先輩とかさ。堅苦しいじゃんん? もう3回目だしさ」  はあっ? なに? 3回目だから、って? 最悪。つまんない男の名前呼びとか嫌だし。てか初日から私のこと名前で馴れ馴れしく呼ぶなっての。彼氏気取りになるなっての。 「あっ、えへへっ。あ、ありがとうございますぅ。でも、まだ恥ずかしくって……。だから、まだ先輩はダメですか? セ・ン・パ・イっ??」  少し下から目線で可愛らしく言うと、 「つっ!? そっ、そっか! いや、むしろ今のままで良いかなぁやっぱ。あははっ!」  ふっ、ちょろい。 「いやぁ〜、華ちゃんはほんと可愛いよなっ」 「えぇ!? そ、そんなことないですよぉ」 「いやいや、あるって! だから俺みたいな男がさ、デートに誘うわけじゃん?」  そう言って、爽やかに笑む黒川先輩。  うわっ、自分がイケメンとでも言いたいのか……。確かに顔は良い。だから私もデートの誘いを受けた。そして、それ以外の何かを期待した。でも、それだけだった。あっ、あと部活動の成績? が良いんだっけ? でも、それだけのこと。私にはつまらない、モブ男だった。これで何人目だろ。 「華ちゃん」 「はい?」  なんだろ、急にかしこまって……、はっ!? や、ヤバい!! これってもしかして!?!? 「俺のさ、彼女になっーーー」 「あーっ!! 先輩!! もうすぐイルカがジャンプしますよぉ!! あっち見て見て!!」 「ええっ!?」  慌ててイルカの泳いでる水槽を見る黒川先輩。あ、危なかった!! 危険を見事に回避!!  私もイルカ達が泳ぐ屋外水槽をながめる。  イルカ達が水槽の底へ潜り、準備を整える。  それに合わせるように、前列の観客が、雨具やタオルを思い思いに構える。  その様子はとてもワクワクしていて、表情はニコニコしていて、すごく、楽しそうで。    良いなぁ……。私もあんなことしたかった。  特にあの人みたいに。  全身を透明の雨ガッパに包み、さらに自作なのか、透明のフェイスシールドまで装着している。透明な格好なのに、一際めだっていた。  ぷふっ、なにあの人。すごいんだけど。ふふっ、ベテラン感あるなぁ。良いなぁ、私も一緒に見てみたい。  そう思ったときだった。  ん? あれ……? あの人……、いや、あの男子、もしかして、鈴木(すずき)くん?  そう思ったと瞬間だった。  大歓声。  一斉に水面からジャンプするイルカ達。  弾ける水飛沫。大歓声。空にイルカ達がとても凛々しく舞い、着水。大きな打ち付ける音が私の鼓膜を振るわす。  水槽からは、海水が盛大に溢れ、大量に飛び出して、前席の観客に降り注ぐ。もちろん、鈴木くんにも。  大歓声。大歓声。大歓声。水浸しになった観客が、すっごく楽しそうに笑っている。もちろん、鈴木くんも。  ……、良いなぁ。鈴木くん。 「うわぁ〜! やべっ! すごい水しぶきだったな! 華ちゃん!」 「えっ!? あ、そ、そうですねっ!」 「いや〜、後ろの方取ってて良かった。だろ、華ちゃん」 「あっ! そ、そうですねっ!! あははっ! 黒川先輩に感謝ですっ」 「いやいや、そんな固いって」  嬉しそうに笑う黒川先輩。私も同じように笑う、ただそれだけ。 『えぇ〜、以上を持ちましてイルカショーは終わりです。ご観覧ありがとうございました!!』  職員のアナウンスが響き、そして、大きな拍手がまきおこる。 「じゃあ華ちゃん、次いこっか」 「えっ! あっ、は、はい! そうですねっ」  黒川先輩はさっさと立ち上がる。私も慌ててそれにならう。  黒川先輩が出入り口に向かって歩いて行く。  背を向けた先輩の隙を突き、私は前席を見た。  前席の観客達はまだ座ったまま。水槽を悠々と泳ぐイルカ達に手を振ったり、拍手をしている。ショーのイルカ達にエールを送ってるみたい。もちろん、鈴木くんも。すごく優しくて、すごく楽しげに、両手を振っていて。  「……、ぷふっ」  鈴木くんの、あんなはしゃいでる姿を初めて見た。だって鈴木くんは、私のクラスではいつも地味な、モブ男子だから。 「華ちゃーん」 「つっ!? あっ、す、すみません! 今行きます!」  私は慌てて駆け出す。  ……、鈴木くんって、あんな風に笑うんだ。普段は、ぼや〜っとしていて、穏やかで。だから、ギャップがすごくて。まるで、遠足にはしゃぐ小学生の男の子みたいだったから。高校1年生なのにね。 「ふふっ」  私はちょっとだけ、楽しい気持ちを感じていた。これが、私が鈴木くんを気になり出したきっかけ。  この後の私は、黒川先輩とのつまらないデートをなんとか無事に終わらせたのだった。    
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