魔神-マルス-

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第一話 『愚鈍な王子』  カライ王国とルーデン王国の国境で土偶兵機、ロボット機兵ポーン同士の戦闘が起こった。 「な、なんだあの黒い機体は!」 「総員、ポーンに乗り込み迎撃体制を取れ!」  国境警備隊長のバルボは混乱する部下に命令をだすとみずからもポーンに乗り込み操縦桿を握った。森のなかから現れた漆黒の豹型土偶兵機は足を滑らせながら前進すると、腰のサーベルを抜き取り上段に構えて見せた。 「は、早い!」 「た、隊長!」 「う、うわぁぁぁぁっ!」  ルーデン王国軍のずんぐりとした形の凡庸ポーンに乗り込んだバルボは応戦する間も与えられず、敵国の豹型ポーンに切り捨てられてしまった。スピードで圧倒的に上回る黒いポーンは、逃げ惑うルーデン王国のポーンを次々に切り倒すと、あっというまに国境警備用ポーン四機を全て破壊してしまった。  その豹型ポーンの肩にはカライ王国の家紋を意味するウツギ、金色の雪見草の花が彫り込まれていた。 「う、うわわわ……。属国の反乱だ」  兵舎のなかで書類整理をしていた下っ端の兵隊は慌てて壁の電話に飛びつきダイヤルを回した。だがその兵士は兵舎を覆う巨大な影に目を丸くして動きを止めてしまった。 「え…………っ」  その頭の上を翼で全身を覆った超巨大土偶兵機クィーンが音を立て飛んで行った。電話の向こうで王都の通信係が叫んだ。 「どうした。何があった!」 「た、大変です。カライ王国の兵隊が反乱を起こしました!」  ルーデン王国の深い緑色の制服を着た下っ端の兵士はやっとのことで声を絞り出すことに成功した。  緑の森とミレーネ川に囲まれたルーデン王国の王都は四角い城壁のなかにあった。その奥に、特徴的な玉ねぎ形の屋根の見えるルーデン城がそびえていた。城には立派な空中庭園がつくられ、世界の富がそこに集まったと言ってもいいほどの豪華な建物になっていた。  その城内に作られた、作戦会議室のなかでは、怒号が飛びかっていた。 「カライのような小国に関所を破れられるとは、いったい何十年ぶりの失態ですかな?」  声の主は王国軍の軍事総司令官、将軍ビヤードだった。長い机の奥にある玉座に座った、長い銀髪姿の王子ブランシュは弱々しく視線を落とした。それもそのはずだ。この部屋に作戦参謀として集められた軍人、政治家は、皆大人ばかりで、ブランシュ一人だけがわずか十三歳の子供だったからだ。  四十男のビヤードは青い軍服に緑のマントをひらめかしながら、自慢のちょび髭を指で擦り上げた。 「先代ルグリ王の時代には、こんなことはありませんでしたよ。本当に愚鈍なお方だ」  その言葉に場内から笑い声があがった。  ……難しい案件ばかり私にゆだねているではないか。ブランシュは辱しめに耐えかねビヤードをにらみ返した。王子の傍らに立つブランシュの側近、王子の親衛隊長シュバリエがビヤードをいさめる。 「将軍、口が過ぎませんか。ブランシュ王子は先代ルグリ王が崩御されたばかりで気落ちされているのです。こういう時だからこそ、我々は一丸となってこの国を守らなければならないのですよ」 「だからこそ代理王にお伺いを立てているのではありませんか? 王が亡くなれば、全ての指揮権がブランシュ王子に受け継がれることは国の決まり。一分、一秒の決断の迷いがルーデン王国を破滅に追いやるのですよ。危機が迫るこおいう時だからこそ、王の器のあるところを家臣に見せ、我々を安心させてもらいたいのではありませんか?」 「やめろシュバリエ、私は私の力不足を認めなければならない」  言い争いの仲裁に入ったブランシュにビヤードが軽口を叩く。 「なんでしたら軍隊に全権委任をされますかな? 座して死を待つよりは兵を動かすほうが一応、対外的な格好はつきますが?」 「対外的な格好ですと? 将軍はかつて逆賊ピレスをほおむった英雄ではありませんか。過度の防衛がどのような事態を招くかは誰よりも知っておられるはずだ!」 「…………ピレス将軍か、懐かしい名前だ」  シュバリエはビヤードににやつかれ、嫌な過去を思い出した。乱暴に話題を変える。 「だいたい国境の警備を緩めろと言ったのは将軍、あなたの指示ではありませんか!」 「私はあくまで血税は市民に回すべきだと言っただけです。兵隊を減らせなどとは言ってはいませんよ。シュバリエ隊長殿」  ビヤードはひと回りも歳の離れたシュバリエの意見など歯芽にもかけず、ポケットのなかから金の懐中時計を取り出した。頭の留め金を押し、時計の蓋をあけると、時間は九時四十五分を指していた。 「そろそろ……」  シュバリエはビヤードの独り言よりも金時計に彫り込まれた雪見草の家紋が気になった。雪見草の花はカライ王家の家紋なのだ。 「それは……?」  清廉潔白を意味する白い制服をきたシュバリエの声がかき消されるほどの閃光が窓の外を横切った。時間差なく爆音が響くと、ガラス窓が吹き飛び、議場が混乱した。 「な、なんだ!」  額から出る血を抑えながらビヤードが割れた窓から身を乗り出した。城壁のそとに空飛ぶ超巨大土偶兵機クィーンの姿が見えた。  クィーンは身を包んだ大きな翼を優雅に開いて見せた。そのコクピットに乗り込んだ女は、王族を示す煌びやかな髪飾りをつけていた。なにやら病魔にでも襲われたのかその左目は美しい絹の布で覆い隠されていた。女は大声で話し始めた。 「我が名はミロク。カライ王家の女王である。私は属国の鎖を解く王とし、先王ルグリの悪行を成敗し、カライの民に誇りと希望を取り戻さんがために現れた。もしこの国の騎士が私と死合う覚悟があるならば、名乗りを挙げるがよい。私は場外で五日待つ。それまでに返事がなければ、武力開城に打って出る。戦うか、座して死ぬか、ルーデンの新しき王は好きなほうを選ぶが良い! でわ!」  ミロクは言い終わるとコクピットの操縦桿を握った。クィーンの額の宝石にエネルギーが充填されたかと思うと、二度目のレーザー光線が城下の街を圧倒的火力で切り裂いた。その凄まじい閃光は城壁をなぎ倒し、王都に深い溝を作りこむと、ルーデン城の右半分の建物を容赦なく破壊してしまった。 「うわぁっ、なんてこった!」  瓦解する作戦会議室のなかでビアードは大げさに頭を抱えて見せた。かっぷくだけが良い、その他、役立たずの年老いた政治家どもは、机の下で頭をおおって、ただただ震えているだけだった。王国の家来としては到底、何の役にもたちそうにはなかった。 「これは白旗ですな。国境警備のポーンもカライのポーンには、まるで歯がたたなかったと、知らせが届いていますからな」 「そんなことはできない。それはこの世界からルーデンの名が消えるということではないか? 我々は断固戦わなければならない!」 「凄まないで下さいよ、シュバリエ隊長。では他に策はありますか?」  ビヤードに言われるが返す言葉がなかった。シュバリエはブランシュに肩を借した。年の若い王子が唇を噛みしめ、悔しがる姿は胸に刺さるものがあった。かつての力なき日の思い出が頭をかすめる。 「知恵のない王を許してくれ……」  年長者のビヤードにとって若い王の苦しむ姿などは笑いの材料でしかなかった。わざとらしい台詞回しであざけてみせる。 「……あぁそうだ。いっそうのこと伝説にすがってみてはいかがですかな?」  ビヤードに言われ、ブランシュとシュバリエは顔を上げた。二人の背後にあるルーデン王家の朱雀のタペストリーの端には、伝説と言われた魔神の姿が書き込まれていた。  魔神マルス。古の古代戦争を終わらせたと言われている太古の戦闘兵機だ。ブランシュの胸のなかに、力に対する憧れが大きく膨れ上がって行った。  ブランシェは白いマントについた埃をはらった。そして、凛々しく顔を上げると会議室にいる部下たちに命令を出した。 「すがろう。もしそれが蜘蛛の糸程度の希望であったとしても、我々には魔神の力しか頼るものがないのだ。シュバリエ、旅の準備をしてくれ、私は今からマルスの郷へ向かう!」 「はっ!」  シュバリエは忠義心高く敬礼をしたが、ビヤードが髭をこすりあげながら水を差す。 「張り切りすぎても困りますな。もし向こうの村で魔神が暴れだしたらどうします? 王子の親衛隊だけでは手に負えないでしょう。ここは我々、軍人の仕事ではありませんかな?」 「私はビヤード将軍が信用に当たる人間には見えませんが?」 「軍人なんて粗野じゃないと務まりませんよ。それとも王子と親衛隊長が手をつないで逃げますかな? 城から王子と従者が連れ立って逃げ出したとなれば、おそらくルーデンの民は戦にならぬと決め込み、全員がミロクのもとにくだるでしょうな?」 「ぐっ」  シュバリエは言い負かされてしまった。それを見ていた親衛隊の副隊長ハズワーが手を上げた。 「では私が将軍の見張り役を努めましょう」  短髪で格闘に優れたハズワーは隊長シュバリエの信頼も厚かった。 「お前であれば十分に王子の護衛が務まるだろう」 「私は憂国の士です。どんなお目付け役がついても国家を恨みはしません」  ビヤードはハズワーに微笑みかけた。ハズワーもビヤードに微笑み返した。 「では旅の準備に取り掛かりましょう」  シュバリエはビヤードが部屋を出るのを見るとハズワーに耳打ちをした。 「将軍はカライ王家からの贈り物をもらっているようだ」 「私も見ていました」 「もし旅のなかでビヤード将軍が裏切るようなことがあれば、容赦なく撃ち殺し王子をお守りするように。私には王子を立派に育て上げるという王妃オワゾとの誓いがあるのだ。宜しく頼む」 「わかっております」  ハズワーは胸に手を当てシュバリエに敬礼すると部屋を出て行った。とたんにハズワーの顔が邪な男の顔に変わる。後ろを振り向かず歩き続けるビヤードは城の赤い絨毯に唾を吐いた。 「舐めるんじゃねぇ。若造がよぉ」  その顔もまた邪な男の顔を見せていた。  第二話 『マルスの郷』  静かな森と呼ばれる濃く深い森の奥に清めの滝があった。優しく流れ落ちる滝の受け皿でマルスの巫女、十三歳の乙女イシュチェルが一糸まとわぬ姿で水浴びをしていた。春先の水はまだ冷たいが、マルスの村では何かしらの儀式が行われる時、巫女は必ず体を清める習わしになっていた。  都から王子が村にやってくる。早馬の知らせでそのことを知ったマルスの村の若者は色めき立った。だが巫女を演じるイシュチェルには不安しかなかった。冷たい水をそっとすくい右手で体を洗いながすと傍らの少年に話しかけた。 「ねぇパージ、もし私が王子に見染められたらどうする?」  巫女の護衛係に手を挙げた少年パージは森に自生するラベンダーの花をちぎりながら清めの滝を覗き見た。 「もうえっち!」  イシュチェルは頬を膨らませると、パージのすけべ顔に水をかけた。パージはへこたれもせず軽口をたたいてみせる。 「へへへ、だからこそ俺は王子のために戦ってやるんだよ。戦できっちり戦功を立てれば立派な恩賞がもらえるだろ。俺は一番最初の恩賞でイシュチェルを嫁にもらうんだ。皆は巫女とは結婚できないって言うけど、俺にはそんなこと関係ないね。ほら九十三本目の花だ」  そう言うとパージは笑顔でラベンダーの花をイシュチェルに差し出した。イシュチェルは表情を変えなかった。百日参り。マルスの村の伝統的な風習だった。雨の日も、風の日も、一日も休まず百日続けて、恋人に花を送り続けると言う村の求婚の儀式だ。イシュチェルはパージから花を受け取った。イシュチェルはこの能天気な少年のことが好きだった。だが巫女には巫女たる仕事があった。  イシュチェルはパージのにやついた顔に気がついた。 「馬鹿!」  慌てて胸を隠し水をかけるとパージを遠くに追いやった。山の上から笛の音が聞こえた。パージが見上げると、崖のうえにできた柵の向こうにマルスの村の見張り台が見えていた。 「そろそろ到着のようだな」 「着替えを取って」  パージに声をかけるイシュチェルの顔はどこか強ばっているようにも見えた。  パージとイシュチェルは山道を歩きマルスの村に帰ってきた。高床式の木造家屋の並んだその郷はどこか牧歌的でもあった。村の広場の真んなかには、村の守り神の土偶兵機ポーンが立っていた。マルスの村のポーンはずんぐりとした旧式のデザインであまり強そうには見えなかった。  パージは村の横門をくぐるとイシュチェルの脇にひざまずいた。巫女は村では特別な存在なのだ。周りの大人たちもイシュチェルを見つけるとひざまずき拝礼をして見せた。巫女は表情を変えることはなかった。 「ではこちらへ」  巫女の帰りを待ちわびていた呪術者のオババがその手を引き、巫女のお社と呼ばれる大社造の建物の奥に消えて行った。 「兄ぃ、兄ぃ!」  見張り台の矢倉の上からパージを呼ぶ声が聞こえた。滝に向かって笛を吹いた十歳の少年、アルだった。 「どうしたアル」  パージは答えると矢倉のはしごを軽快に上り、頂上の見張り台の上にのぼり詰めた。そこにはチビのアルのほかに、ノッポのイーと、筋肉質のリンが待っていた。三人とも王子を出迎えるために、肩から正装用のマルスの魔神の刺繍の入った赤い帯をかけていた。 「見てみな結構な部隊だ」 「ポーンが四機もいるぜ。さすがは王子様の護衛だぜ」  イーが喋ったあとパージはリンから望遠鏡を受け取った。レンズの向こうに、天蓋付きの神輿に乗ったブランシュと、馬に乗ったビヤードの姿が見えた。それを総勢百を超える兵隊に、小型凡庸ポーン三機と、将校用の馬型ナイトポーン一機が付き従って歩いてくる。ナイトポーンに至っては巨大な土偶用の狙撃銃を背中に担いでいた。 「ほら、兄ぃも正装に」  一人だけ年の離れたアルがパージに帯を渡す。 「ありがとよ。へへへ、良く似合うか。王子が格好にうるさい奴だと出世に関わるからな」  パージは肩に掛けた帯を腰紐に通すと気取ったポーズを決めてみせた。その様子にリンが呆れて見せた。 「お前、まだ都で働ける気でいるのかよ?」 「そうそう。御神体の巫女よりもちゃっとした人間を好きになるべきだと思うぜ」  イーは矢倉の上から巫女のお社に着替えを届けるシャナンに手を振って見せた。巫女の手伝いシャナンはソバカスだらけで、決して美人ではないが気立ての良さそうな少女に見えた。 「ふん、なまこは百匹食っても肉にはならねぇよ!」 「そうですよ兄ぃ。男は夢をでっかくですよ。もし王子に気に入られたら、俺も都で働けるように推薦をして下さいね」 「おお、この村ではアルだけがまともだな」  啖呵を切って見せるパージを、イーとリンは呆れた顔で見つめた。村の広場から濃い髭を蓄えた村長のオグマが少年たちを怒鳴りつけた。 「いつまでそこにいるんだ。早く降りて来い。出迎えの時間だぞ」 「は~い」  四人は元気に答えると、ぞろぞろと順番にはしごを降りていった。  マルスの村にルーデン王国軍の兵士が整列した。総勢百名の兵隊と、ポーン四機がいかめしく村の広場を埋め尽くす。村人を代表して村長のオグマが王子ブランシュの前にひざまずくと挨拶を始めた。 「遠いところお疲れ様でした。ブランシュ王子さま」 「ひっそりとした良いところですね」  ブランシュは心底そう思い挨拶を返すと山や森を見渡した。巫女のお社の前で、矢倉の四人組が樫の木で作った長槍を手に巫女の警護兵の役についていた。皆が王子の前で緊張した顔を見せているが、パージだけは会心の笑顔を見せ、忠誠心のあることころを見せようとしていた。白いマントに白い上着を着込んだブランシュは緊張の糸が溶けたかのか、パージににこやかに微笑み返した。  王子の傍らに立ったビヤードは鼻毛を抜くと、村の守り神であるポーンを見上げた。 「これが伝説の魔神ですかな? 嫌に貧素ですな」 「もしかしたら外のカラが割れるのかもしれませんよ」  ハズワーが冗談を言うと、その後ろに整列した緑色の軍服を着た兵隊たちが一斉に笑った。オグマも笑い返した。 「まさか割れはしませんよ。まずは王子さまに浄めの滝に入っていただき、世俗のけがれを落として頂きます。その後、魔神のある場所に巫女が案内いたしますので」 「では我々どもが荷物をお持ちいたします」  出番を待っていたパージたちはブランシュの前にかしずき胸に手を当てると忠誠をあらわす挨拶をしてみせた。浄めの滝に案内する仕事があるのだ。 「待ちな」  パージがブランシュの剣に手を掛けた刹那、ビヤードが腰から抜いた拳銃の銃口がその額に向けられた。 「我々は有事であると手紙で伝えたはずだ。悠長な村の儀式に付き合っている暇などない」 「ビーヤドひかえろ。村には村の作法がある!」 「ひかえるのはお前のほうだ!」  ハズワーは低い声をだすと右手に持った銃剣の底でブランシェの頭を殴りつけた。ブランシェは親衛隊、副隊長の裏切りが理解できなかった。 「ハズワー……!」 「睨まれても困る」  ハズワーはブランシュの頭をもう一度、銃剣で殴りつけた。 「お、王子!」  パージと村の少年たちは同時に叫んだ。 「うるせぇ小僧どもだ!」  ビヤードは野心をあらわにすると手を上げ命令をだした。兵隊たちは一斉に武器を構えると、王国軍を迎え入れたマルスの村人たちに銃口を向けた。村人たちは武器の力の前に誰一人、動くことができなかった。  そんな中、巫女のお社の前で黒いローブを着込んだオババが、悠然とビヤードに忠告をした。 「余計な大望は持たぬほうがいい。お主には黒い霧が見えておる」 「黒い霧か。ははは正解だよ」  ビヤードはそう答えると手に持った拳銃でオババの頭を打ち抜いた。オババはバタリとその場に倒れた。 「オババ!」  パージの声が空にこだました。ビヤードはオグマに微笑んで見せた。 「村長、状況を考えて行動しろよ!」 「……ぐっ、無駄な抵抗はするな。死人は出したくない」  オグマは怒りを噛み殺すと村人に命令を出した。 「始めから大人しくしろよ」  ビヤードは泥のついたブーツで巫女のお社の階段を上ると目の前の簾を引きちぎった。その奥に椅子に鎮座したイシュチェルの姿があった。山岳の民の民族衣装に、金でできた太陽の冠をかぶった少女は、まさに巫女と呼ぶに相応しい神の化身のように見えた。 「ほう、こりゃぁなかなかの、べっぴんさんになる顔だ」  イシュチェルはビヤードに顎を掴まれるが決して叫び声を上げなかった。 「ふん。喋れぬのか。まぁいい、それなら喋りたくなるようにじっくりといたぶってやろうじゃねぇか……」  ビヤードはイシュチェルのお下げ髪を引っ張ると庭に引きずり下ろした。それから、兵隊たちに号令を出した。 「男どもは全員牢屋にぶち込め。女どもには宴の準備をさせろ!」 「おぉ!」  粗野な兵隊たちは下品な歓声を挙げると行動を起こした。 「イシュチェル!」  パージは連れ去られる巫女に大声を上げたが、兵隊に後ろ手を縛り上げられ、抵抗虚しく村の地下牢にぶち込まれてしまうことになった。   第三話 『巫女の救出』  ロウソクの灯った薄暗い小屋のなかでブランシュが椅子に縛り付けられていた。後ろ手を背もたれにくくりつけられているためブランシュは身動きをとることができなかった。その目の前で上半身裸になり、鍛え上げられた筋肉を見せつけたハズワーが、シャドーボクシングをしていた。 「ふふふ」  ハズワーは不敵に笑い首の骨を鳴らして見せると容赦なくブランシュの顔面を殴りつけた。 「おらよっと!」 「がっ!」  椅子ごと床に倒されたブランシュはハズワーを睨みつけた。 「………ハズワー貴様、親衛隊の肩書きが汚れるとは思わないのか!」 「へへへ、世のなか結局は金ですよ。勝ち馬に乗れない馬鹿は野垂れ死ぬだけですからね」  ハズワーは睨みつけるブランシュを鼻で笑うと髪の毛を掴みその体を強引に引き起こした。容赦ない攻撃がボディにめり込む。 「おら、二発目だ!」 「ぐえっ!」  王子は情けない声をあげると簡単に床に転がされてしまった。その様子を怯えた顔で見ていたイシュチェルは寸前のところで息を飲んだ。椅子の背もたれに抱きついた格好でハズワーの拷問を見ていたビヤードが口を開く。 「おい巫女さんよ。いつまでも嘘をついていると王子様が死んじまうぜ。一応、こっちも都でお勉強をしてきたんだ。魔神の復活の方法を知っているのは、マルスの巫女さんだけなんだろ? ……ひひひ、ハズワー続けろ」 「はいよ。おら、おきな坊ちゃん」  ハズワーは返事をするとブランシュの頭の毛を掴み乱暴に床に座り直させた。まだ少年と言っていいブランシュの顔は苦痛に歪んでいた。イシュチェルは居たたまれなくなり壁を叩いた。ビヤードとハズワーが巫女のほうを振り返る。イシュチェルは頭や頬を手で触り必死に何かを伝えようとした。 「手話か。面倒くせぇな。本当に喋れないんだったら筆談と行こうや」  ビヤードは机のうえの帳面にペンを走らせると、“魔神はどこにいる?”と書き込んだ。イシュチェルは手を素早く動かすと、また手話で話し始めた。その動きをブランシュが音訳して見せる。 「私は魔神の使いだ。下界の民とはふれ合わぬように文字は学んでいない。と言っている」 「本当か。ち、面倒くせぇ限りだぜ」  ビヤードが頭をかいた拍子に入口の扉がノックされた。 「入れ!」  ハズワーが号令すると兵隊の一人が部屋に入り敬礼をして見せた。 「将軍、宴会の準備が終わりました!」  ビヤードはハズワーの顔を覗き込んだ。 「……ま、英気を養うことも兵士の勤めだわな。王子はまだ役に立つ、明日の朝までは牢に入れておけ」 「は、わかりました!」 「あと小娘、喋れなくても酌ぐらいはできるだろう? 宴会では俺の隣に座らせてやる。ありがたく思いな」  ビヤードはそう言うとイシュチェルの背中に手を回し一緒に部屋を出て行った。 「おら、入りな」  後ろ手を縛られたブランシュがハズワーに背中を蹴られると太い木の柵で守られた牢のなかに押し込められた。固い石畳の感触がその頬にあたる。 「泣いても仕方がないぜ。お前みたいなガキの命令を大人が聞いてくれると思っていたら、そりゃぁ飛んだ甘ちゃんってもんだ。へへへ」  ハズワーは牢の鍵を閉めるとせせら笑って塔を出て行った。  ブランシュはマルスの村の外れにある独房塔のなかに捕まってしまった。明り取りの格子から青い月の光が漏れその体を包んだ。 「ぐぅ、これが王子たる人間に対する仕打ちか。なぜだ、なぜだ、なぜだ!」  ブランシュは怒りに震えながら床に頭を打ち付けた。後ろ手を縄で縛られた状態では、体を自由に動かすことはできなかった。 「……くそう。これほどの侮辱を受けながら、死ぬことすら許されないと言うのか」  ブランシュの瞳から自然と涙が溢れてきた。だが体は言うことを聞いてはくれない。表からは残酷にも兵士たちが乱痴気騒ぎをする宴会の声が聞こえ始めた。 「……情けない」  身動きのとれないブランシュは屈辱と怒りに身を歪めながらそこで震えることしかできなかった。  その頃、パージたちは少し離れた地下牢に、後ろ手を縛られた格好で押し込められていた。地下牢と言っても鍵のかかる穀物庫だ。そんな狭い部屋に村の男たち十数人が、じゃがいもや人参の入った木箱と一緒になって押し込められていた。パージは日頃訓練していた槍術が役に立たなかったことが悔しかった。 「ちくしょう。あいつら銃を使うなんて」 「やけを起こすな。相手はポーンまで持ち込んでいるんだ。迂闊なことをすればマルスの民が皆殺しになるんだぞ」  立派な髭をたくわえたオグマは村の長としてパージをたしなめた。ほんの十メートルほど離れたところで見張りの兵二人がふるまいの酒を飲みながら談笑をしていた。 「俺たちだけが損な役かと思ったけど、少しは酒が出るんだな」 「あぁありがてぇ、この干し肉、意外に美味ぇぞ」 「確かに山奥にしちゃぁいい味だ」 「はははは……」  パージは兵を横目で見ると少し声の調子を落とした。 「でも、オババはあいつらに殺されたんだぞ。それなのに、それなに……。くそう、俺に魔神が使えたら、あんな兵隊なんて、ひねり潰してやるのに……」  パージは涙もろい少年だった。 「兄ぃ、こういうのありますけど」  隣に座っていたチビのアルが後ろ手を器用に使い床の石畳を外して見せた。それに釣られ、イーとリンも後ろ手で石を外して見せる。 「へへへ」 「おうよ。マルスの民をなめるんじゃねぇ」 「お、お前ら」  ここは魔神を守るマルスの民の村だ。地下は複雑な迷路になっていた。パージはとっさに日頃の訓練を思い出した。手首を高速にこすり合わせ縄を切って見せる。オグマは横目でパージを見た。 「本当に行くのか」 「子供一人なら兵隊の目は誤魔化せるはずだから」 「マルスの民の使命を言ってみろ」 「命を賭して王の命を守ること」 「よし」  オグマと子供たち三人は体をくっつけ、見張りの兵に見えないように壁を作った。パージはその隙に地下道に身を潜めた。 「必ず助けにきてやるからな」 「もちろんだ」  イー、リン、アルの三人はウィンクを返すと、後ろ手を使って器用に床石を掴むともとあった場所にはめ直して見せた。  パージは地下通路を駆け抜けると村の隅にある井戸から顔を出した。 「あぶねぇ」  パージは首を引っ込めると両手両足を突っ張らせ井戸のなかで大の字になった。そのまま見回りの兵士をやり過ごすと、それからまたひょっこりと井戸の淵から顔を覗かせた。 「きゃっ」  兵隊たちの宴会場から出てきたシャナンは小さな声を出すと、盆に乗ったカラの酒壺を落としそうになった。パージは鼻に指をあて身振り手振りでシャナンに指示を出した。シャナンはマルスの民であり巫女の世話係だ。パージが伝えたい意味を直ぐに理解した。  シャナンは廊下の隅に酒壺ののったお盆を置くと宴会場に帰った。そこは数十人の兵士が飲めや歌えの大騒ぎをする下品な場所だった。仮にも王国の兵士を名乗った軍団にもかかわらず品性のかけらもなかった。  一番奥の席でイシュチェルの肩を抱いたビヤードがワインを片手に大演説を始めた。 「いいか貴様ら、俺様は決してルーデン王国の将軍ごとき器で終わる男ではない。魔神の討伐をしたあかつきにはもっと偉大な王であることを証明してみせる。貴様らも俺の才能を信じ、最後までついて来て欲しい。では改めて乾杯!」 「おぉ、かんぱ~い!」  兵士たちは杯をかかげ、ビヤードの言葉に呼応すると大いに酒を飲んだ。シャナンは隙をみてイシュチェルに視線を送った。巫女は視線に気づくと、もじもじと足をこすりあわせ始めた。シャナンは人ごみをかき分けるとその手を掴み立ち去ろうとした。 「何をしているんだ?」  ビヤードはイシュチェルを連れ出そうとするシャナンの姿を見とがめた。シャナンは膝を折るとビヤードにかしずき声を潜めた。 「巫女は魔神の使いゆえ人と喋ることはできません。ですが体の作りは人と同じに御座います。尿意には勝てません。私は長年、巫女の使いを勤めておりますので、顔色をうかがえばこそ………。将軍様には、なにか変わったご趣味でも御座いますか?」 「何を馬鹿な。小便が酒のつまみになるわけがなかろう」 「では酌のお相手は私がやらせていただきますので」  シャナンはビヤードの肩にしなだれかかると空いた杯に酒をそそいでみせた。 「巫女様」  シャナンに言われるとイシュチェルはビヤードの前で手を十字の形に組み、敬愛のポーズで頭を下げると宴会場を出て行った。イシュチェルは酒臭い中年から解放されるとほっと一息をついた。するとその体にどんぐりが投げつけられた。  イシュチェルはどんぐりが投げられたほうに引き寄せられるように歩いて行った。途端に井戸から手が伸びると、巫女は口をおおわれ、そのなかに引き込まれてしまった。 「驚かせてごめん」  パージは地下道の隠し武器庫から持ってきたランプの明かりを使い、イシュチェルに自分の顔を見せてやった。余った手には得意の槍と長い剣を持っていた。 「牢を抜け出してきたの?」 「あぁ、皆の力でね。ところで王子はどこにいるかわかるかな?」 「村のはずれにある独房塔のなかよ」 「よっし、じゃぁ行こう」  パージはイシュチェルを先導し狭い地下道のなかを進んで行った。 「王子を助けるの?」 「あぁこれは立派なクーデターだ」 「それは魔神を使うと言うこと?」 「そうしなきゃ軍隊とは戦えないからな」  パージにそう言われるとイシュチェルは顔色を曇らせた。 「よし、ここだな」  パージはランプをイシュチェルに渡すと、盾と槍の印、マルスの民の紋章のついた天井の石を持ち上げた。ゴリッと音を立てた石は簡単に持ち上げることができた。  足元からの来訪者に驚いたのは王子ブランシュの方だった。ブランシュは太い木の格子の向こうに見張りの兵がいないか確認した。幸運にも見張りは一人もい。ハズワーは後ろ手を縛り、武器を取り上げられた王子は逃げ出すことはできないと思いこみ宴会に参加していた。ブランシュは独り言を呟いた。 「まだ私にも運が残っているのか」  パージは鼻に指をあてると、ブランシュを地下道に引きずり込んだ。 「お前は巫女のお社を守っていたやつだな」 「えぇパージって言うんですよ。ぜひお見知りおきを」  パージが天井の石をはめ直す間にイシュチェルは、ブランシュの縛らた手首の縄をほどいてやった。 「すまない。……だがこの地下道はいったいなんなのだ」 「魔神を悪用させないための秘密の抜け穴ですよ。今回みたいな事件が起こった時用のね」 「なるほど、地下が要塞になっていると言うことか」 「さすが王子さま、察しがいい」  パージはおだてるとランプの灯りをブランシュの顔に近づけた。 「ずいぶんハンサムになりましたね」 「気にするな、死ぬほどの怪我ではない」 「じゃぁこれからの作戦を説明させてもらいます。まず俺たちは二人で魔神を呼び起こしに碧の神殿に向かいます。その間に王子は都まで走って援軍を呼んできてくれませんか?」  パージは念のために持ってきた隠し武器庫の剣をブランシュに渡した。 「……残念だが援軍は来ない」 「えっ?」  パージはブランシュの答えに言葉を失った。 「どういうことですか?」 「今、ルーデンとカライ王国の国境で戦争が起こっている。だが我が王国のポーンよりも敵国カライのポーンのほうが遥かに性能で優っているのだ。だからこそ我々は伝説の魔神を必要としているのだ……」 「そんな大変な時に将軍に裏切られたと言うことですか……?」 「………すまない」  パージはブランシュが何かを隠している気がした。だからと言ってブランシュを牢に戻すこともできなかった。 「では王子も俺たちについて来てください」 「……宜しく頼む」  ブランシュは戦いの意思表示を見せるため、パージにもらった剣を腰に縛り付けて見せた。 「王子が逃げたぞ!」  独房塔のブランシュに夕食を運びに行った兵士が大声を上げた。宴会場の兵士たちが一斉に乱痴気騒ぎを止める。上座に座ったビヤードが声を荒らげた。 「全員で王子を捕まえろ! 捕まえた奴には金貨三枚だ!」 「おぉ!」  兵隊たちは気勢を上げると足もとに置いた銃剣を手に取り村の広場に飛び出して行った。  地下道を進み、裏山の洞穴から抜け出したパージたちは、兵隊にあっという間に見つかってしまった。 「見ろあそこだ。三人もいるぞ!」 「ち、もう見つかったか」  パージは首をすくめ銃弾をかわすとランプの灯りを吹き消した。そのままイシュチェルの手を引き、三人は必死になって山裾の道を駆け上る。 「追え、追え!」  たいまつを持った兵隊が草むらになった坂道を追いかけてくる。パージたちは大木の陰に隠れた。ブランシュは機転をきかせると足元の石を拾い、遠くの林に向けて投げ落とした。カサカサと枯れ葉の間を転がる音が響くと、暗闇の音に釣られ兵士たちが石のほうを振り向いた。 「右だ右だ。右の山の方を重点的に探せ!」  たいまつの明かりを持った兵隊たちはブランシュの陽動作戦に引っかかり林の方へ向かって進んで行った。 「しめた」  ブランシュが思った拍子に、一人の兵士が三人の前に現れ銃剣で襲いかかってきた。 「誰がかかるか!」 「危ない!」  パージは得意の槍術で兵士の顎を突き返した。 「ごわっ!」  兵士は悲鳴を上げると坂道を派手に転げ落ちていった。パージは木の槍を振り回すと華麗にポーズを決めた。 「ふん! 不意を突かれなきゃ簡単にはやらねぇよ!」 「頼もしいな」 「王子の機転もなかなか」  城には教育係や政治家は沢山いても年の近い友はいない。ブランシュはパージの笑顔に奇妙な友情を感じていた。 「では先を急ぎましょう。魔神は碧の神殿のなかにいますから」  そう言うとパージはブランシュとイシュチェルを先導して山道を走り始めた。  それから三人は夜の山道を数時間にわたり歩き続けた。 「そろそろ休もう。そこに湧水がありますから」  パージはブランシュとイシュチェルを泉に誘った。この先にある碧の神殿はマルスの村の信仰の対象になっていた。年に二度あるお祭りでは村の年寄りも山を登るのだ。休憩用の泉の近くには幾つかの金属製のコップが並んでいた。 「ぷはぁっ」  ここまでの疲れのせいかパージは無遠慮に泉の水で顔を洗った。水滴が王子の顔に飛び散る。 「あぁ、これは失礼」 「いや構わないでくれ」  ブランシュもパージの真似をして派手に顔を洗って見せた。それから三人は一息つくと洗ったコップに水をいれ。座席がわりの大きな石の上に並んで座った。マルスの山の標高は高かった。少し休むと冷気で体が寒くなってきた。 「どうぞ。巫女様」  ブランシュは気を聞かせたつもりで体にまとったマントをイシュチェルの肩に掛けてやった。ふわりとした香水の香りがイシュチェルの鼻をくすぐる。自然と感謝の気持ちが口をついて出た。 「あ、ありがとう……」 「喋れるのか? ……あ、いや、気にするな。私も王家の人間だ。地理や政治に食事のマナー、権威付けのための習い事は、嫌になるほどやらされているからな」  パージはブランシュのスマートな立ち振る舞いに口を尖らせた。 「王子さまこれはお返しいたします」  パージはイシュチェルの羽織った白いマントをたたむとブランシュに押し返した。そのままイシュチェルの肩を抱き寄せる。 「パージ、王子様が見てるわ」 「へっちゃらだよ。人肌は一番温かい毛布だって言うだろ。それより王子様、禄の話がしたいのですが宜しいでしょうか?」 「禄? 報奨金のことか」 「そうです。もし王子を助け、無事に都まで帰還させることができたなら、イシュチェルを俺の嫁にする許可を出してはくれませんか? 村の者は、人ではない巫女とは結婚できないと、俺のことを馬鹿にしてくるのですが、見てとの通りイシュチェルは立派な人間、自由になる権利を頂きたいのです」  パージは言い終わるとブランシュの前に膝まづき胸に手をあてると王国式の敬礼をして見せた。 「かしこまらなくてもいい。ルーデンの王子を助けたとなると、騎士の称号だってもらうことができるぞ」 「き、騎士の称号!」  パージは白馬に乗り街の聴衆に手を振る姿を想像してみた。途端に顔を赤くし照れて見せる。 「騎士は光栄ではありますが、私にとって巫女は、国よりも、城よりも、それに勝る姫で御座います。ぜひそのせつは……」 「ははは、欲がない。これがマルスの民と言うものか。出す。大いに許可を出す。私が生きて城に帰ることができたなら、パージの夢を叶えてやろう」  ブランシュは大声を出して笑った。パージは感激をした。 「本当ですか」 「あぁ、約束を守ろう。その代わり、私の友になってくれないか?」 「俺が王子の友達に?」 「あぁ、ブランと名を呼んでくれるだけでかまわない。あとは敬語もやめてもらえると嬉しいんだがな」 「勿論、お安い御用です。いや、仲良くやろうぜが正解かな?」 「あぁ仲良くやろう」  ブランシュはパージの右手を強く握った。パージもその手を強く握り返した。だがイシュチェルだけはその友情を快く思うことができなかった。  堪らない嘘が巫女の胸のなかに溢れていた。  第四話 『碧の神殿』  パージたちは一晩歩き通すと、碧の神殿の入口までやってきた。そこは高原地帯の大空中庭園と言っていい程、野花が咲き乱れ、まさに碧の神殿と言う名に相応しい緑の絶景を見せていた。ブランシュは正面に見える、苔むした石の巨大な扉にふれた。表面には立派な魔神の彫刻がほどこされていた。 「この扉の向こうに魔神がいるのか?」 「いやそれはただの壁だ。岩に彫刻が掘られているだけなんだ。ほらこっち」  パージはブランシュを手招きした。魔神の扉の左奥に地震で壊れてしまったのか、子供一人が体をねじ込めばやっと入れそうな、小さな横穴が空いていた。 「先に入るぜ」 「あぁ」  三人は順番に横穴をくぐった。なかにはだだっ広い空間があった。乱暴に蒔かれたような青く光る苔と、穏やかに鍾乳石の間を流れ、やがて水が一か所に集まり直したような地底湖が神秘的な姿を見せていた。 「なぜ苔が青く光るのだろうか?」 「きっと太陽のおかげよ」  ブランシュはイシュチェルに言われ馬鹿高い岩壁を見上げた。その先の割れ目から外の世界の光が降り注いでいた。おそらく苔が何かしらの化学反応をしているのだろが、博識なブランシュでも始めて見る光景だった。ブランシュは天を見上げると両手を広げ目をつむった。考えるよりも感じようと思ったからだ。  それから三人は歩き直すと神殿の奥へと歩みを進めて行った。 「さて御神体の登場だぜ」  パージは詩にひたるブランシュの肩を叩いた。 「あぁ…………」  目の前に魔神の像が現れた。それは通常のポーンよりも十倍以上は大きかった。背なかに盾と槍をしょい、太古の戦士を模して作られたのだろう。緑の苔にまみれ地面に突っ伏したその像は、猛るようにも見え、嘆いているようにも見える、異様と言う言葉がぴたりとあてはまる容姿をしていた。  ブランシュは声を失った。それと同時に体の奥の血がたぎるのを感じた。……魔神がいればミロクと戦える。ブランシュは吸い寄せられるように、突っ伏した魔神の腕に触れた。 「生きてる……」  ブランシュは手のひらに魔神の体温を感じた。その手のひらに魔神の鼓動が伝わってくる。パージはブランシュの傍らに立って話し始めた。 「魔神マルス、本当のことはわからないんだけど、大昔の神様が戦争を終わらせるために作ったって言われている太古の兵機だ」 「あぁ……」  ブランシュは返事を返した。だがその顔は理知的な王子の顔ではなく魔神の力に魅入られた者の顔をしていた。  キューン! 神殿の外で一発の銃声が聞こえた。 「なんだ!」  パージたちは慌てて入口の扉の割れ目まで走った。壁に身を隠し緑の原っぱのほうを覗き見る。 「あ、あいつら……」  パージの目の前に、手縄をしめられた、リン、イー、アルの三人の姿が見えた。おそらく暴力で碧の神殿の場所を聞き出したのだろう。三人とも無残に顔を腫らせた酷い姿をしていた。その後ろにはマルスの村の人々が、三人と同じように、顔を腫らし腕を縛られた格好で立っていた。銃声の正体はビヤードだった。将軍たちも兵隊に命令を出すと一晩をかけブランシュたちの後を追ってきたのだ。  ビヤードは四機のポーンと兵隊たちの前に立つと、拡声器を手に魔神の扉に向かって怒声を上げた。 「おぃ糞王子、お前にも民を愛する気持ちがあるのなら大人しく現れ、俺の軍門にくだれ。そうすれば村人やガキどもの命は助けてやろう!」 「うるせぇバカ。兄ぃやルーデンの王子様が、賊軍の言うことなんか聞くわけねぇだろ!」 「そうだ。そうだ。俺たちはマルスの戦士だ。王様の命令以外、聞く義務はねぇ!」 「おおよ。パージ、もしいるなら魔神の力でひと思いに兵隊どもを踏み潰してくれ!」  アルとイーとリンは、口々にビヤードを罵った。 「ふ~、時代の潮目も読めねぇ馬鹿を量産するたぁ、つくづく因習って奴は怖ぇな」  ビヤードは憤ると手を上げた。 「あいよ!」  馬面のナイトポーンに乗り込んだハズワーが、子供たちの頭の上に土偶兵機用の大斧を振り上げて見せた。ビヤードはアルたちに不敵に微笑む。 「言っとくが俺りゃぁ気が長くねぇ。一撃で三馬鹿の首が吹き飛ぶぜ!」  アルはナイトポーンの大斧に怯みながらも断固、啖呵を切り、その場にあぐらをかいて見せた。 「なんでぇ、俺ごときの首に王子と同等の価値があるかよ!」 「お、おおよ」 「矢でも鉄砲でも持ってこい!」  アルに続き、イーとリンも地べたにあぐらをかいて啖呵を切って見せた。 「あいつら、弱いくせに……。急ごう!」  パージはそう言うとイシュチェルの手を引き魔神の間に戻った。 「イシュチェル、魔神との契約の仕方を教えてくれないか?」  パージの言葉にイシュチェルは魔神を見上げた。その顔は泣き、人生を悲観しているようにも見えた。イシュチェルは胸の前で手を組むと魔人に祈りを捧げた。 「パージも魔神の伝説は知っているでしょう? 魔神は人を飲み込む兵機なの。一度なかに乗り込むと、魂を奪われ死ぬまで戦わなければならない悪魔の兵機だと言われているわ。それでも乗るの?」 「でも話し合いが通じる相手は暴力を使ったりはしないだろ?」 「でもそれはパージが……」  イシュチェルはパージの目を見つめた。イシュチェルはこの頭の悪い向こう見ずな少年のことを好きになっていた。死なせたくはない。  パージはイシュチェルの気持ちを汲んだのか足もとに咲いた名もない黄色い花を抜き取った。 「百日には少し足らないけど、俺が死んだらブランの嫁になればいい。これからはルーデンのお姫様だ。素敵じゃないか?」  遠くで爆薬の爆ぜる音が聞こえた。 「ダイナマイトだ。扉は長くはもたないぞ!」  入口を見張っていたブランシュは腰に持った剣を抜くと戦う決意を見せた。  神殿の入り口、魔神の壁には沢山の兵士が集まり二度目の爆薬を仕込む準備をしていた。傍らで指揮を取るビヤードは大あくびをした。 「ふぁ~ぁ、まどろっこしいことはやめな。ハズワー、雷神を用意しろ!」 「はっ!」  命令を受けたハズワーはナイトポーンの握った大鎌を地面に突きたてると背中に背負った対魔神殲滅用大型ライフル、雷神を構えた。 「とっととどきな!」 「軍曹お待ちを!」  扉の前の兵隊たちは我先に逃げまどった。ハズワーはスペシャルチューンの得物を構えるとニヤけながら引き金を引いた。 「ファイヤーッ!」  文字通り神の怒りのような雷鳴を轟かせると、雷神はたったの一撃で魔神の扉に穴を開けて見せた。砕け散った石の厚みはゆうに一メートル以上はあっただろう。とてつもない破壊力だった。 「へへへ、軍縮時代にこの威力。最高だぜ」  ハズワーは軍隊に入った意味を改めて噛みしめていた。 「我ながらとんでもねぇ武器だなおぃ」  ビヤードはマントについた埃を手で払うと兵士に命令を出した。 「突撃だ! 魔神をあぶりだせ!」 「おぉっ!」  その言葉に銃剣を構えた兵士が我先に碧の神殿の奥になだれ込んで行った。  苔むした魔神の前でパージはイシュチェルを抱きしめた。 「間違った考え方かもしれないけど、俺、村の人たちよりもイシュチェルを守りたいんだ。復活の方法を教えてくれないか?」  下手くそな嘘。イシュチェルはパージが仲間思いの少年だと言うことを知っていた。だけど子供じみた義侠心は女であるイシュチェルには理解しがたいものがあった。イシュチェルは悲しくなった。だが軍隊は迫ってくる。時間はなかった。 「……手のひらに自らの血で盾と槍のマルスの紋章を書いたあと、魔神に触れ呪文を唱えるの」  パージはうなづくと腰に隠し持ったナイフを抜き取った。痛みに顔を歪めながら、手のひらに盾と槍の古代文字、マルスの民の紋章を刻み込んだ。それから、契約の呪文を読み上げる。 「待って、私も戦うわ!」 「い、いいのか?」 「……パージだけを死なせられないわ」  イシュチェルは都から手紙がやって来たときから、村長のオグマに決断を迫られていた。マルスの民がルーデン王国を助けるということは、魔神に乗る生贄を差し出すという事だ。巫女はその生贄を決めることが仕事なのだ。まだ年端のいかない少女が、思いを寄せる少年に、死ねなどと言えるわけがなかった。  イシュチェルはパージからナイフを取り上げると、自身の手のひらにも盾と槍の古代文字を刻み込んだ。それから二人は血に濡れた手のひらで魔神の腕に触れると呪文を唱えた。 「全知全能の神ゼウスと博愛の神ヘーラーの子。戦いの化身、火星の神、軍神マルスよ。我の命と引き換えに、この戦いに勝利をもたらすのだ!」  呪文を唱えると巫女と戦士の額から眩い光が噴き出した。二人の体は宙に舞った。次の瞬間、パージとイシュチェルは魔神の体内に取り込まれていた。 「うああああぁぁぁぁぁぁ~~~~~っ!」  パージの叫び声が碧の神殿のなかにこだましたかと思うと、魔神は体をおおった薄い泥の表皮をふるい落とした。硬いはずの岩壁を砕きながら立ち上がって見せる。 「……な、なんの声だ」  先発隊として現れた兵隊たちが魔神を見て足を止めた。小隊長らしき腹の座った兵隊が仲間を鼓舞する。 「怯むな撃て!」  兵隊たちは銃剣を構えると十人が束になって一斉射撃をした。だが魔神の体には傷一つつくことはなかった。 「ぐあぁぁぁぁぁ~~~~っ!」  魔神は魔獣のような声を出すと、兵隊のうえに腕を振り下ろした。その一撃は地も天井も揺るがし、一瞬で数名の命を奪った。小隊長は金切り声を上げた。 「撤退、直ちに撤退しろ!」 「う、うわぁぁぁ~~~~っ!」  その指示に従い、生き残った兵隊は神殿のそとに我先に走り去っていった。岩の陰に隠れていたブランシュは狼の化身のような魔神を見上げていた。 「これが、魔神の力……」  魔神は正面の壊れた彫刻の扉から頭を覗かせると、這いつくばりながら高原の芝生のうえに現れた。ビヤードはおおいかぶさってくる巨人に腰を抜かしそうになった。だがそこは将軍の名を国からもらった男である。 「ぐ、魔神など眉唾ものだと思っていたのに……。へん、歴戦の勇者は甘くねぇぜ。ハズワー、雷神を使え!」 「はっ! 行くぞ、こりゃぁ本来、お前を狩るためだけの特注なんだよ!」  ハズワーは声を上げるとナイトポーンの両腕で対魔神殲滅用大型ライフルを構えると、魔神のどてっ腹に向け特注五百五十ミリのマグナム弾を打ち出した。雷鳴のような轟がそこいらじゅうに響いた。兵隊たちが耳を押さえ苦しむ。次の瞬間、魔神の腹からへしゃげた銃弾がゴトリと音をたて地面に落ちた。 「なに? 発破が効かねぇ一メートルの岩盤よりも装甲が硬ぇって言うのか?」  ハズワーは魔神とにらみ合いになると雷神を背中に背負い、地面に刺さった大斧を抜き取った。雷神は威力はあるが連射ができないと言う弱点があった。ハズワーは一度、攻撃し距離を取ってからの狙撃を考えていた。 「おら、なにでできているか教えてくれよ!」  ナイトポーンは圧倒的に大きさの違う魔神の腕を大斧で切りつけた。 「がっ、なんて固さだ。この素材、金属じゃないのか?」  ハズワーは操縦桿越しにとてつもない衝撃を感じたが、魔神の体にはかすり傷すら負わせることができなかった。 「うあぁぁぁぁ~~~~っ!」  魔神はまた魔獣の遠吠えを吐いた。次の瞬間、魔神は固めた拳をナイトポーンの頭に振り下ろした。 「あ、あぁぁぁ~~~っ!」  ハズワーは目を丸くするとわずかな断末魔を残して戦死した。ナイトポーンは一撃のもとに鉄くずと化していたのだ。 「やった!」 「パージだ!」 「これで俺たちは助かるぞ!」  縛られたままのアルとイーとリンは口々に言った。形勢は一気に逆転しつつあった。 「ハズワー………。ぐぬぬ、怯むな! ポーン隊同時にかかれ!」 「はっ!」  ビヤードの命令でダルマのような小型土偶兵機が魔神に襲いかかった。しかし小型のポーンは士官、将校の兵機ではない。持っている武器もナイトポーンに遥かに劣る、か細い棍棒だけだった。 「隊長の敵ぃ!」  ポーン兵は息巻いて魔神に棍棒で殴りかかるが片手でその体を掴まれてしまった。魔神はそのまま立ち上がり全身の威容をそこにいた人々に敵に見せつけると、トマトを投げるがごとくその機体を地上に立ちすくむポーンに向けて投げつけた。力ずくで見方の土偶兵器をぶつけられた二機のポーンは戦う暇も与えられず一瞬で爆炎に包まれてしまった。 「ぎゃぁっ!」 「うおぁぁぁぁぁっ~~~~~!」  魔神は咆哮をあげた。ブランシュは神殿の壊れた扉から顔を覗かせた。 「ま、まさか、パージのやつ頭を魔神に乗っ取られたのか?」  ブランシュの推論は正しかった。暗闇の世界に二本の長い角だけが伸びた魔神のコクピットのなかでイシュチェルがパージを必死に押さえつけていた。 「駄目よパージ、これ以上は暴れては駄目!」  目線が定まらず口から涎をたらしパージは、イシュチェルの言うことが聞こえていないかのように操縦桿を前へと動かした。 「ああぁぁぁ~~~~~っ!」  魔神は錯乱したように背中にしょった槍を抜き取った。武器をたずさえた巨人の偉観は圧倒的だった。さすがのビヤードも逃げ出すしかなかった。 「退却だ! 総退却だ!」  ビヤードは大声を上げると従者がもった馬の綱をぶん取り、いの一番に山道を駆け逃げていった。総大将が逃亡するともう戦にはならない。 「ま、待って下さい! 将軍様!」 「皆、逃げるんだ!」 「うわぁぁぁぁっ~~~!」  ビヤードの尻を追って次々に兵隊たちが逃げ始めた。それでも魔神は攻撃の手を緩めなかった。手に持った槍を両手で振り上げると地面に振り下ろした。その衝撃で地震が起こり地割れがおきた。 「あぁ~っ!」 「ぎゃぁ~っ!」  凄惨な悲鳴が野原に響いたかと思うと、逃げ遅れた兵士が束になり、その割れ目に飲み込まれて行った。  だがなおも魔神は奇声をあげ敵兵たちを追撃しようと歩き続けた。 「なんか様子が変だ!」 「おい、俺たちもやられるんじゃ!」 「あ、兄ぃ、味方ですよ!」  イー、リン、アルの三人はドシン、ドシンと地面を震わせ進軍する魔神の姿に顔が青くなった。パージの目は怒りの炎で焦点を失い自制が利かない状態になっていた。イシュチェルは声をしぼりだした。 「パージ、お願いだから飲み込まれないで!」  ブランシュは咄嗟に走り出した。オグマに向かって話しかける。 「村長殿、歩けるなら上へ、神殿の向こうに村人を先導してください!」 「あ、あぁ、皆、丘の上に逃げるんだ!」  オグマに言われるとマルスの村人は正気を取り戻したように走り始めた。手は縄で縛られているが山道を歩いてきたのだ、足の自由を奪われているわけではなかった。 「止まれ、止まるんだ。この戦は我々の勝ちだ!」  ブランシュは体格差も考えず、魔神の足にしがみついた。だがその程度で、魔神は止まるわけがなかった。ブランシュは地面に倒れながらも、立ち上がり再び魔神の足にしがみつくと巨人の暴走を止めようと必死になった。 「パージ止まってくれ、俺とお前の間には禄を渡す約束があるではないか! その約束を守る前に魔神になるのはやめてくれっ!」 「あぁぁぁぁっっっっ!」  魔神は空に雄叫びを上げると動きを止めた。光の柱が魔神を包む。その様子は十キロ向こうからも見えた。そのまま光の柱が弾けると魔神は消えてしまった。そのあと魔神がたっていた場所に、パージとイシュチェルが倒れていた。村の人々が様子を見るために集まってくる。 「兄ぃ、死んだのか?」 「ま、まさか」 「そんなことはあるわけがないだろ」  アルとイーとリンは言葉を失った。オグマは異変に気づくと縛られた腕のまま、パージのねずみ色に変わってしまった左手を触った。 「……石化だ。おそらくは魔神の呪いだと思う」  一同はその衝撃に黙り込むことしかできなかった。イシュチェルの右足もまた灰色に変わり魔神の呪いに犯されているかのようだった。 「ここでは治療のほどこしようがない。皆で二人を担いでマルスの村へ帰ろう。全てのことはそれから考えるんだ」  オグマの言葉に一同は声を失った。  イシュチェルとパージの首もとでは、魔神マルスの呪いの産物なのだろうか。マルスの民の紋章が刻まれた金色のロザリオが太陽の光を浴び美しく輝いていた。  第五話 『密約と虐殺』  色とりどりの花に飾られた棺のなかに黒いローブで身を包んだオババが寝かされていた。ビヤードに撃たれた額の傷はシャナンの作った花の髪飾りで隠され、オババは心なしか穏やか顔に見えた。年老いたマルスの男が厳かに口を開く。 「では別れの祈りを……」  マルスの村の広場に集まった人々が手を合わせオババに別れの祈りを捧げた。年老いた男は無言のまま火葬用の薪に火をつけた。オババの入った棺はあっといまに炎に包まれてしまった。  夕日が沈みかける時刻、村に帰ってきた、イー、アル、リンの三人は遅ればせながらオババの葬儀に立ち会うこととなった。大人のなかにまじり否応なしに死について考えると不安だけが胸のなかを締め付けてきた。 「人間って呆気なく死ぬんだな」 「オババはいいさ。一人で百近く生きたんだから」 「バカ、兄ぃが簡単に死ぬわけないだろ。イシュチェルだって神の使いなんだ!」  イーとリンは、アルに怒鳴られるが石化したパージの手を見た手前、返す言葉が見つからなかった。そんななか気丈な声をあげたのはシャナンだった。 「だいの男が三人もそろって暗い顔をしないの。たいていの怪我や病気なんて精をつければ直るものでしょ。不安だったらお見舞いに行ってきなさいよ」 「……シャナン」  イーが照れ笑いを見せると、アルとリンは顔を見合わせ三人で何かを思いついたようだった。  パージとイシュチェルはオグマの家のベッドに並んで寝かされていた。パージが左腕の激痛に悲鳴をあげる。 「あぁぁっ!」 「大丈夫。大丈夫だ。パージ」  看病のため葬式に参加しなかったオグマはその口に痛み止めの薬を流し込んだ。パージは苦しみの声をあげながら口で小さく息をすると、やがて静かに眠りについた。オグマは頭を抱えながら、傍らのブランシュに声を掛けた。 「パージの左腕だけじゃなく。イシュチェルの右足も呪われているなんて……」 「二人は魔神に取り込まれずに済んだということでしょうか?」 「わかりません。私も随分、文献を読んだつもりですが、二人の人間が同時に魔神に乗り込んだと言う記述はどこにもありませんでした」 「……どうでしょう? 二人を都まで運んでも良いでしょうか?」 「都までですか?」 「そうです。王家の名を使えば、腕のいい呪術者を見つけることができるかもしれません」 「なるほど。オババが殺されてしまった以上、石化を解く方法はこの村にはないですからね。でもまずは一晩様子を見ましょう。少しでも体力を回復させないと、都まで旅をさせることはできない。それよりも王子の体のほうは大丈夫なのですか?」 「パージとイシュチェルに比べれば、私なんて怪我のうちには入りませんよ」 「だからと言って無理は行けません。部屋を用意させますので休んで下さい」 「いぇ、椅子があれば十分ですから」  ブランシュはオグマに笑顔を見せるとマントを羽織ったまま部屋の隅にある椅子に腰掛けた。窓の向こうに穏やかにきらめく星が見えていた。ふいに部屋の外から子供たちが喋る声が聞こえてきた。 「誰だ?」  オグマが扉をあけると、イー、アル、リンの三人組が部屋に倒れ込んできた。 「いててててて……」 「何をやっているんだ、お前たちは」 「兄ぃは、村を救った英雄だから」 「少しでも早く回復してもらいたいと思って」 「食い物を届けに来たんだ」 「酒に、肉に、刺身……。こんなもの重病の患者が食うわけがないだろう!」  オグマはアル、イー、リンの三人組にため息をついて見せた。 「で、でもさ」  食い下がるリンにブランシュは微笑みかけた。 「パージは友達が多いんだな」 「あんまり利口じゃないけど、良いやつですよ」 「もし怪我が治ったら都で雇ってやってください。憧れているんで」  イーとアルはブランシュに愛想笑いをしてみせた。ブランシュはその様子に目を細めた。 「わかった、わかった。お前らの気持ちは伝えておくから、今はゆっくりと休ませてやるんだ」  オグマは困った顔を見せながら、三人を部屋から追い出してしまった。 「代わりに頂きますね」 「えぇどうぞ」  ブランシュはわざと下品に肉の切り身を指でつまんだ。塩が効きすぎていて口には合わなかった。だがこれが友情の味かと思うと、おのずと笑みがこぼれてきた。  マルスの村のある山裾から少し離れた場所に、軍事用の大型テントが張られていた。左手を包帯でつったビヤードが、机のうえにならんだ食事を足もとになぎ落とした。必死に逃げ、落馬した恨みを部下にぶつける。 「畜生、王子の親衛隊からハズワーを引き抜いてまで行った、一世一代の賭けなのに、自分の詰めの甘さに反吐がでる!」 「ひぃっ!」  食事係の兵隊は怯えながら直立不動で震え上がった。ビヤードは怒りが治まらないのか、食事係の胸ぐらをつかむと、その体を机のうえに叩きつけた。 「貴様、俺があのガキ王子のしたで一生を終える男だと思っているのか!」 「い、いぇ滅相も御座いません!」  食事係はただただ腹から声を出すことしかできなかった。将軍は興奮気味に喋った。 「俺はカライの女王から密書をもらったとき、年甲斐もなく胸が高鳴ったよ! あの時の興奮は今もなお忘れることができない!」  怒るビヤードの脳裏に数ヶ月前のことが蘇ってきた。 「……はぁ、ピレス将軍、今更ながらあなたは正しい。兵士は暇な時代に飽きてしまうのですね」  起きもしない戦争のために、男臭い兵隊の訓練をしなければならない。ビヤードは平和な時代の将軍職に飽きていた。ビヤードはルーデン城の城壁のそとにある演習場で、目に見えないストレスを若い兵隊たちにぶつけうさを晴らした。 「おら、もっと腰を入れて銃剣を突けんのか! 弾薬一個ナイフ一本が国民様の血税なんだぞ!」 「はっ!」 「ふん!」 「はっ!」 「ふん!」  兵隊たちは真面目くさって藁でできた人形を銃の先についた刃物でついて見せた。だがビヤードの苛々は一向に治まらなかった。 「ち、戦が起きなきゃ、階級も給金も上がらねぇのによぉ……」  そこへ一人の兵士がやってくると、ビヤードの足もとにかしずいた。 「将軍、お手紙です!」 「なんだ、この汚ねぇ手紙はよぉ」  ビヤードは茶色い紙を乱暴に捲ると、なかから封蝋された真っ白い便箋が現れた。 「はん、こりゃぁ、カライ王家の印じゃねぇか……? ち、嫌な記憶を思い出すぜ」  ビヤードは雪見草の赤い紋章を確認すると左目を押さえ顔を歪めた。そのまま便箋の封をナイフで切ると手紙の内容を読み始めた。 「なになに……。我が名はカライ王国の女王ミロク。突然の手紙、お許し願いたい。我々カライの民は、ルーデン王国の圧政、横暴に長きあいだ苦しめられてきた。だがいつまでも下を向き隷属のそしりを受けるわけには行かない。我がカライの英知はルーデン王国の王都を焼き尽くす超巨大土偶兵機クィーンの開発に成功した。ついては後方の憂いとなりかねない、マルスの魔神を将軍の武を持って破壊してはくれないだろうか。  我らが光を無くしたカライ討伐戦のあの日。将軍以下、数名の騎士のみが我らカライの味方であった。果たして老いたルグリは貴公のような聖者が忠義を尽くすべき王であろうか。あの日の痛みを知る物として私の左目になって欲しい。  我らが聖戦が終結したあかつきには、親愛なるビヤード将軍に、ルーデン王国の真新しい玉座を送りたいと思う。我が同胞となり、力を合わせ戦ってはもらえないだろうか。よしなに願いたい。 カライ王国、女王ミロク」  ビヤードは手紙を読み上げるとニンマリと笑った。かしずく兵士の顔面にビンタをいれると大声で命令を出した。機を見る才能が顔を覗かせる。 「わっはっはっ、すぐに紙と筆を用意しろ。さすがだぜ、あの頃からわかってた。生まれながらの女王ってやつは、ほおっておいても人が集まるってもんだ。はははは、見てろよ田舎女王! 俺様の真の才能を見せてやるぜ!」  ビヤードはそれから何度もミロクと手紙を交換した。十七度の密書の交換と綿密な打ち合わせの後、ついにルーデン王国への裏切りの日取りを決めたのだ。  ビヤードはテントのなかで食事係の胸ぐらを掴んだまま己の浅はかさに震えたいた。 「貴様ごときに俺の気持ちが分かるか? 俺はできることなら、魔神を自分の手中に収めたかったのだ。あれだけの兵機が我が手にあれば、クソガキの王子どころか、田舎女王のミロクでさへ、俺の足もとにひざまずかせることができたのに! 伝説を信じきれなかった己の小才が嘆かわしいのだ……!」  ビヤードは少し落ち着いてきのたのか食事係の胸ぐらを掴む手を優しく放してやった。そして、穏やかに呟く。 「プランBだ」 「プランBで御座いますか……?」  ビヤードのこめかみに青筋が立った。 「俺は歴史に名を残す偉大な将軍だ! 残りの兵隊を全部蹴り起こせ! 俺の野望がこんなところで終わると思うなよ!」  ビヤードの宿営地にけたたましいサイレンの音が響き渡った。兵隊が軍用テントの前に一列に集まると、顔の横に手をあてた。 「将軍に敬礼!」  軍靴のかかとを合わせる音が夜の平野に響き渡った。  闇夜の丘のなかを銃剣を持った十数名の兵士が駆け上がって来た。ビヤードが手を下げると全員が草むらに伏せた。将軍はしたり顔を見せる。 「魔神は人を取り込む兵機だと聞くが、やはり連戦はできないようだな……」  あれだけの大きさの兵機をどこかに隠せば、すぐに分かりそうものだが、外から見る限りマルスの村のどこにも魔神を隠した気配はなかった。 「へへへ、お前ら、俺のとっておきを壊すんじゃねぇぞ!」 「はっ、将軍閣下!」  ビヤードの視線の先にはだいの男が四人で抱えて運ぶ大きな木箱が見えていた。  村の矢倉の上で見張りをやっていたアルが異変に気がついた。イーとリンがそれに答える。 「今何か動いたぜ」 「あぁ確かに動いたな」 「アル半鐘を鳴らせ、俺たちが大人たちを起こす!」 「がってんだ!」  アルは命令通り半鐘を打ち鳴らした。樫の木の槍を持ち矢倉を飛び降りたイーとリンが村の通りを駆けながら大声で仲間を集める。 「夜襲だ。夜襲だ。また将軍の兵隊がやってきたぞ!」 「起きろ! 皆な起きろ! 武器を持って応戦するんだ!」  三人はパージが呪いで眠るのを見て、なにか村の役にたちたいと思っていた。だからこそ喉が裂けるほどの大声で懸命になって応援を集めた。  オグマの家の二階の部屋の窓辺で椅子に座り、眠りかけていたブランシュは目を覚ました。あまりのやかましさに、ベッドで眠りについていたパージとイシュチェルも目を覚まし体を起こした。 「いったいなんの騒ぎだ……。うっ……」 「パージ、今は安静にするんだ」  石化した腕を押さえるパージをブランシュは気遣った。扉が開き部屋のなかにオグマが入ってきた。 「王子、大丈夫ですか?」 「私は無事です。そんなことよりも、ここに銃はないのですか?」 「めっそうもない。王子を危険な目に合わせるなんて、私がポーンで応戦します。王子はここで二人を見張っていてください!」 「し、しかし!」  ブランシュが止めるのも聞かないままオグマは部屋を出て行った。  ビヤードはマルスの村を囲う木の柵の外に立ちあがると全兵士に命令を出した。 「我らにはもう帰る城がない! マルスの民を皆殺しにし、魔神の封印に成功したことをミロク様にお伝えするのだ! すなわち、それのみが我々の生き残るすべだと思え! カライの栄光のために、全員、突撃っ!」 「おぉ!」  兵士はビヤードの鼓舞に呼応するとマルスの村の正門に殺到した。 「行くぞぉ、そぉ~れ!」  数人の兵が手に持った丸太を正面の門にぶつけた。正門はいとも簡単に左右に開いた。そこに待っていたのは鋤や鎌や棍棒で武装したマルスの村人たちだった。若い男だけではなく老人に女も混じっていた。  ビヤードは笑った。 「原始人のような武器でなにができるってんだ。撃てぇ!」 「へへへ、舐めるなよ!」  見張り台の三人組が道をあけると、村の守り神のずんぐりとしたポーンが現れた。操縦者は勿論、オグマだ。 「行くぞ、賊軍の蛆虫どもが!」 「うぉぉ、来いよ旧型!」  兵士の一人がマシンガンを乱射したがずんぐりとしたポーンには全く効かなかった。 「くたばれ!」  ポーンの長槍の一撃が兵士をなぎ倒した。 「ぎゃぁ!」 「よくも味方を!」  仲間がやられたのを見て別の兵士が銃剣の弾を乱射した。やはり通常の武器はポーンの装甲にかすり傷を与えることがやっとだった。 「どりゃぁ!」 「ぐわっ!」  オグマの乗ったポーンの二撃目が兵士の頭に炸裂した。 「やった。やった! 行けぇ!」  アル、イー、リンの掛け声に合わせマルスの民は武器を手に兵隊たちに向かっていった。  その時、拳銃の怒声がアルの頭を貫いた。一斉に音の方向に向かって村人の視線が集まる。狙撃手の正体は腕を包帯でつったビヤードだった。ビヤードは大声で命令を出し直した。 「馬鹿が、所詮、ポーンは一体だ! 散開して外から人間を狙うんだよ!」 「はっ、はい、ビヤード将軍!」  兵士はビヤードの指示を受けると全員が左右に散らばった。アルを抱き起こしていたイーとリンに兵士の銃口が向けられる。 「おっ、おいアル大丈夫か!」 「目を開けろよ、お前そんなに弱くはねぇだろ!」 「ガキが! ここは戦場だ!」 「くたばりやがれ!」 「あっ!」 「あぁ……っ!」  イーとリンは呆気なく胸と背中を撃たれ命を落とした。物陰に隠れていたソバカスのシャナンがイーのもとに駆け寄り泣き崩れた。 「イー。私、あなたのこと好きだったのに……」  だがそれは敵の良い標的になった。 「くらえ、マルスの女め!」 「あ~~~~っ」  シャナンは兵士に銃剣で背中を刺されイーに抱き着くような恰好で絶命をした。マルスの民は阿鼻叫喚の銃撃戦により一方的に押され始めた。オグマは必死にポーンで村人を守ろうとするが数人の兵に同時に逃げられては、ほとんどなすすべがなかった。 「く、くそう。的が絞れん……!」  そんななかビヤードが次なる命令を兵士に出した。 「家に火を放て、王子の首はミロク様へのいい手土産になるぞ!」 「皆、懸賞首だ! 俺たちが生き残るための唯一の道だぞ!」 「おぉ、探せ、探せ、王子を探し出すんだ!」  兵士は狂乱し家々に火炎瓶を投げつけながらブランシュを探し始めた。ポーンに乗り込んだオグマは腹をくくるしかなかった。 「どけぇ! かくなるうえは!」  オグマは操縦桿を握り締め、長槍を使って兵士一人をなぎ倒すと、ブラッシュの居る部屋の前を目指した。  ブランシュたちは部屋の窓から燃え盛る村の建物を眺めていた。 「村が無茶苦茶じゃないか」 「魔神の怒りだわ……」  パージは窓のさん殴り、イシュチェルは悲しみにくれた顔で炎に包まれる村を眺めていた。そこへ村の守り神のポーンが現れた。コクピットが開き、なかからオグマが顔を覗かせる。 「村長どの……」 「王子様、パージとイシュチェルと一緒にお逃げ下さい! 賊軍の狙いはあなたの首です!」 「し、しかし、村がこのありさまでは……」 「マルスの民の使命は王族とルーデンの民の命を守ること。そのための禄は国からもらっております! もし王子様が、我らが民のことを思うなら、将軍の手に魔神が渡らぬよう最善の策を考えて下さい」  ブランシュは心が痛んだ。この戦いに大義がないことを知っていた。この戦はカライの女王ミロクの言い分のほうが正しいのだ。 「嫌だ俺は村のために戦うぞ!」  パージは声を張り上げたが腕の痛みに耐えきれず膝をついた。 「パージ……」  イシュチェルはパージに寄り添うとその肩を抱いた。ブランシュはその姿に友を助けたいと思った。オグマはハッチを足場にして部屋に入ってきた。 「パージ、早く乗るんだ!」 「俺は逃げるなんてしたくない……!」 「その体で一体、何ができるって言うんだ!」  そう言うとオグマはパージを抱き抱え強引にポーンのなかへ押し込んだ。 「イシュチェル、王子も早く! 魔神の力を将軍に与えてはなりません!」 「すまない!」 「オグマ……」 「我らの敵を討ってくれ」  イシュチェルはオグマに抱きつくと別れの挨拶をかわした。オグマが敬礼をしてみせると、ブランシュは覚悟を決めハッチを閉めた。外の廊下から兵隊の足音が聞こえてきた。オグマがうなづくと、ブランシュはうなずき返しポーンを走らせた。  オグマはそれを確認すると椅子を武器に壁に背をつけ隠れた。 「この部屋に王子がいるぞ!」  兵士たちは部屋の扉を蹴破るとマシンガンを乱射した。 「待て、誰もいないぞ!」 「ここにいるわ!」  頭にちょんまげを結ったオグマは影から現れると兵士の頭を椅子で殴りつけた。二人目の兵士も椅子が壊れるほどの勢いで殴り倒した。 「マルスの民を舐めるなよ!」 「ぐぅ~~~……っ」  兵士の一人は気絶する刹那、腰につけた手榴弾のピンを抜いた。 「ビヤード将軍万歳!」 「な、なにぃ……!」  ブランシュの操縦するポーンの背後の屋敷で爆風が上がった。 「オグマっ!」  パージは叫ぶがブランシュは顔を歪め聞こえないふりをした。ポーンが膝の関節を軋ませると村の広場まで走った。 「あっ……」  パージはここでも言葉を失った。そこには村人の遺体と銃弾に撃ち抜かれた仲間たちの遺体が無残に転がっていた。 「イー、アル、リン、それにシャナンまで……。誰がいったい、こんなことを……!  パージの目の前にビヤードの姿が見えた。 「さっきのパイロットと声が違うな。は、は~ん。さてはなかに王子が乗り込んだな?」  ビヤードは兵士に運ばせた武器ケースのなかから、ロケットランチャーを取り出すとスコープを覗きこんだ。 「へへへ、だからなんだってんだ。こちとらプロの軍人よ。やすやすとガキを逃がすわけがねぇだろ! とっておきの餌食にしてやるぜ!」  パージは激高し、ブランシュの握る操縦桿を奪おうとした。 「どけブラン、俺があいつのことを殺してやる!」 「やめろ、何のために村の人が死んだか考えるんだ!」 「うるさい。敵を取らせろ!」 「馬鹿! マルスの戦士が情けないところを見せないで!」  イシュチェルは涙を零しながらパージの頬をぶった。巫女の唯一の友、シャナンも死んでいるのだ、イシュチェルだって悲しくないわけがなかった。  ビヤードは口角を上げると、ロケットランチャーの引き金を引いた。 「所詮は旧式のポーン、この一撃に耐えられるわけがねぇ!」 「駄目だ!」  ブランシュはポーンの腕を交差させロケット弾を防ごうとした。ボゴンと嫌な音が響き、爆炎が機体を包む。だが強度だけは折り紙つきだった。守り神のポーンは左肘の先を吹き飛ばされていたが、その他はまだ動きそうだった。ビヤードは舌打ちをした。 「ち、意外に強ぇじゃねぇか……」  ポーンとビヤードは睨み合った。ブランシュは逃げるを選択した。ここでビヤードにとどめを刺すことはできたが、兵隊を全て倒すとマルスの村の遺体と向き合わなければならない。ブランシュは操縦桿を右に切った。ポーンは走り出すと、村を囲う太い丸太の柵を肩でぶち破った。その衝撃で足元をとられたポーンは坂道を転がって行った。その姿に、ビヤードの追いすがる気力は折れてしまった。  ビヤードは作戦に参加した兵隊たちとともに深夜の森を駆け出すポーンを見つめた。 「逃げられたな。こりゃぁプランCを使うしかねぇようだ」  そう呟くと腰にさした拳銃を抜き取って見せた。   第六話 『カライの女王』  超巨大土偶兵機クィーンはルーデン王国の王都から十数キロ離れた北の森まで後退していた。カライ王国の女王ミロクは簡易のテントのなかに設けられた祭壇の前にひざまずくと厳かに祈りを捧げた。そこには先代王マストレイヤの肖像画とカライの民の命を意味する数十本のロウソクが燃え盛っていた。生前、善政王と呼ばれた絵のなかの老王マストレイヤは、目じりにしわを集め柔らかな憂いをもった優しい顔を見せていた。 「……天上の父よ。我と我が民をお守りください」  ミロクは祈りを終わらせると、金糸で縫い付けられた雪見草の刺繍の入った黒い王衣をはためかせ玉座に座った。肖像画を除けば極めて簡素なテントのしたで、警護に当たっていた女王専属騎士のシノがミロクの前にひざまずいた。 「ルーデン王国のシュバリエ様から親書が届いております」 「読まなくともよい。和議などするつもりはない。我々はいつまでも子供ではないのだ……」  ミロクは受け取った手紙を祭壇脇の香炉に投げ捨てた。手紙はあっという間に赤い炎に包まれた。絹に覆われていない右目はどこか悲しげに見えた。シノは膝をついたまま話し始めた。 「失礼ながら、なぜ魔神の討伐を待つのですか。我らがクィーンの火力があればルーデンの城を焼き落とすことなど、たやすいことのように思われますが?」 「カライの民はいかなる時も高潔でなければならない。もし本当に魔神が存在するのならば、私はカライの技術の粋を集めたポーンで、それを超えて行きたのだ。カライの血は卑劣にあらず。伝説を凌駕する力こそが、名も無き民へのレクイエムだと私は信じている……」  カライの兵隊がテントの入口で敬礼すると声をあげた。 「ビヤード将軍の到着です!」 「通せ!」  ミロクに言われ、左手を包帯でつったビヤードが泥のついたブーツをはいたまま無遠慮にテントのなかへ入ってきた。玉座の前で敬礼すると女王の前にひざまずいて見せた。シノは一つ頭を下げると壁際まで下がった。ビヤードはうやうやしく話し始めた。 「戦果の報告に参りました!」 「伝えろ」 「申しわけ御座いません。伝説と高をくくり、少数の兵でマルスの村の攻略を目指しましたが愚民の抵抗厳しく魔神の操縦者を取り逃がしてしまいました……」 「それは魔神が存在するという事か?」 「はい、ですがもうすでに手はうっております。その名はプランCで御座います」  ビヤードはそう言うとミロクに向け、腰のホルダーにしまわれた拳銃を抜いて見せた。次の瞬間、ビヤードの首に一筋の血線が走った。 「将軍、戦地と言え、ここは王の間ですよ……」 「……ぬかった。親衛隊か」 「いかにも私の名はシノ、女王を守る専属騎士だ」  ビヤードは目を血走らせると銃口をシノに向けた。だが運命は将軍を守ることはなかった。 「……ち、人生なんてこんなもんかよ!」  シノに向けられた銃口はそのまま天幕を撃ち抜いた。ビヤードはその場でこと切れた。流れ出す血が赤い絨毯を汚した。ミロクを殺し、超大型土偶兵器クィーンを奪い、魔神を葬る。そのあかつきにはこの世界の正当なる王にまで昇り詰める。小才なるビヤード将軍の野望は永遠に叶うことはなくなった。 「下賎な」  シノはサーベルを振り血を払うと鞘に刃をしまった。顔色も変えずあらためてミロクの前にひざまずく。 「遠征地とはゆえ王の間を汚した無礼をお許し下さい」 「構わね。始めから使い捨ての犬など信用はしてはいない。それより私と賭けをしようではないか」 「賭けで御座いますか?」 「将軍が浅知恵を働かせ、姑息な手を打ったことは見張りの報告で知っている。果たして王子は城に帰りつくことができるだろうか?」  シノはミロクに微笑みかけられるが表情を崩すことはなかった。 「相変わらず固ない。では一つ、汚れ仕事を受けてくれ。その犬の首、ルーデンの城門まで届けてはくれまいか? 私はここでルーデン王の天運を祈らせてもらおうと思う」 「御意!」  シノは黒い軍服の胸に刻まれたカライ王家の家紋、金色の雪見草に手を添えると、ミロクの右手にキスをした。  シノは漆黒の豹型ポーンに乗り込むとルーデン王国の王都を目指した。まだ若輩だった頃、ミロクに声を掛けられた日の思い出が蘇ってくる。  シノの父、ビオーレは、カライの乱、先代マストレイヤ王の銃殺事件の混乱に乗じて、機械部品の製造で財をなした成金だった。滑稽な守銭奴のビオーレと、騎士道を愛し日々厳しい鍛錬を繰り返すシノとは、同じ親子でありながら日頃から折り合いが悪かった。  シノは屋敷の書斎に乗り込むと、机のうえに一枚の紙を叩きつけた。 「ルーデンからの見積書はおかしくはありませんか? 通常の値より半値も安く部品を作れと書いてありますが!」 「シノ。お前は金儲けが理解できていないのだ。大国に媚び保護を受ければ、楽をして金儲けができるではないか? 世界はいまやルーデンとその他なのだぞ。この世界にルーデンと戦をして勝てる国があるか? もしあれば教えて欲しいものだ?」 「そのために同胞を泣かせるのですか。精巧な軍用部品を安く売れば、ルーデンの軍事力は今より強大になり、金の無いカライの民は益々属国の地位に甘んじなければならないのですよ?」 「ルーデン王は優秀なのだよ。愚かな支配者から金を取り上げれば危険な兵器を作れなくなる。ひいては戦の起こらない平和な世界をつくることができるのだぞ? お前はカライの乱の折に何人の罪なき民が死んだかわかっているのか? マストレイヤの失政のおかげで実に八千を超える市民がたった一日で死んでしまったのだぞ?」  シノはビオーレが事実を歪めて話していることが解っていた。 「……せめて時計だけでも機械部品の輸出規制を緩める交渉をルーデン王国とすることはできないでしょうか? それだけで市民の生活は少し楽になります」 「くどい! たとえ小さな時計とは言え、なかの精密部品をポーンに組み込まれてしまえば凶悪な兵器が作れないと誰が保障できる?」 「しかし、ルーデンはカライから買った部品を高値でよその国に売りさばいているではないですか!」 「知恵を持て、私は間抜けなマストレイヤの一族よりも、ルーデン王の足を舐める人生を選んだのだ。いくらお前が文句を言ったところで、これだけの屋敷に住めるのも、全て私の商才のおかげなのだぞ。跳ね返る暇があれば、ブランシュ王子様の嫁にでもなる修行をしておくのだな。そのほうがよっぽどお前の幸せにつながる。わかったな!」  生まれた国の王家を侮辱し、金満だけが取り柄の戦勝国の王子の嫁になれとは……。父、ビオーレの暴利主義を、シノは受け入れることができなかった。  シノは怒りを稽古で発散させるため剣と武具を手に屋敷を出た。カライの国の人間は街のどこを歩いても、皆うつむき、暗い顔をしていた。全てはルーデン王国に難癖をつけられ、戦争に負けたせいだ。奪われた金の分だけ、カライの尊厳が奪われて行く。  嘆くシノの足もとに酒瓶が投げつけられた。振り向くと昼間から地べたに座り、安いつまみで酒盛りをする中年の集団が喧嘩を売ってきた。 「へへへ、お姫様、今日も優雅にお稽古ですか?」 「剣は振るより、しまう練習のほうが大切ですよ」 「おぉおぉ、睨まない睨まない。あなた様にはルーデン王国の第十七王妃になる大切な仕事があるんでしょう」 「お綺麗で、お金持ちで、狡猾とくりゃぁ。ルーデンの若君を垂らしこむのもおてのものでしょうぜ?」 「げへへへへ……」  シノは真剣の納まった鞘を握り締めた。刃を使えばこの程度の粗野な男どもを切り刻むのは造作もない。だが破れたニット帽に、薄汚れた上着、汚い髭面に、光のない目玉。こんな大人どもは斬る価値も無かった。 「へへへ、腰のサーベルは飾りかよ!」 「こけおどしなんか怖かねぇ!」 「お前も俺らもおんなじ奴隷なんだよ。お高くとまっても一緒なんだよ!」  ……これが敗戦国の悲哀。劣情。情けない。シノは怒りを噛み殺すと柄を握る手に力を込め、酔っ払いどもの傍らを素通りして行った。怒りをぶつける術はもう剣術に汗を流すことしか残っていなかった。  シノは幸運にも生まれながらの武術の才があった。小国カライとは言え、剣術大会で七連覇をした。敵は男しかいなかったが、一度も負けることはなかった。それゆえにカライ王国に対する憎しみは治まることなく、大きさを増して行った。 「……なぜこの国の男は誰も戦わないのだ」  そんなある日、シノは大会の褒美に城の晩餐会に呼ばれることになった。日々の不満を新女王にぶつけることができる。燃え盛る怒りを内に秘めシノは煉瓦作りのカライの城のなかへ入った。  城内の廊下はどこも薄暗かった。兵士の数も極めて少ない。やはりこの国には戦う余力など残っていないのだ。うら若い心が貧しさに折れそうになる。シノは大広間にある長机の前に通された。そこには金の髪飾りをつけカライの正装で客を迎えるミロクの姿があった。 「……美しい」  シノはミロクを一目見ると頬が熱くなった。ミロクはシノより十ばかり年上だった。美貌、知性、立ち振る舞い、そして、天が与えた王なる才。先代王マストレイヤの娘、女王ミロクにシノは瞬く間に引きつけられてしまった。  無言のまま、二人だけの会食の時間が進んでいく。ナイフやフォークが皿にあたる小さな音だけが部屋に響いた。ミロクは決して笑おうとしないシノに微笑み掛けた。 「強いらしいな」 「この国の男はふぬけしかおりません」 「それが怒りの理由か」  ミロクは優しく笑った。生まれながらの気品にシノは恋に似た感覚を覚えていた。おかしいほどの胸の高鳴りを感じる。その分、女王の左目を覆う美しい絹の意味が気になった。ミロクは続けた。 「どうだ。私の専属騎士にならぬか?」 「剣では銃には勝てません」 「専用のポーンをお前に与えてやる」 「ご冗談を……」  ミロクはシノの目が誰にでも解る疲弊しきった部屋の壁に泳いだことを見逃さなかった。そこには戦禍でつけられた隠し切れない大きなひび割れが入っていた。 「気になっているのだろ? だがおかげで私は怒りを忘れたことはない」  ミロクは左目を覆った絹のをするりと抜き取って見せた。そこに深く刻まれた刻印にシノは口をつぐんでしまった。 「裁縫道具を持ってこい」  その声に、年老いた執事がハサミや針の詰まった裁縫箱を持ってきた。ミロクは続けた。 「上着を脱げ」 「上着をですか……?」 「少し隙を見せたな」  ミロクは恥じらう乙女に微笑んだ。シノは黙って上着を脱いだ。ミロクは竹製の丸い刺繍枠をシャツにつけると金色の糸を使い縫い物を始めた。シノは静かに聞いた。 「何を縫われているのですか」 「カライ王家の家紋。冬を耐えやがて春に咲くウツギの花。一族では代々、金色の雪見草と呼んでいる。私がお前に贈ることのできる最初の禄だ。大望を笑うな、私がルーデンを倒し、この国の民を開放してやる」  ミロクが呟くと、シノは自然にその場へとひざまずいていた。 「女王陛下、我が命、カライの礎の為にお使いください!」  女王はシノの希望となった。疲弊した民は武により道を救われるものだとシノは信じていた。  そして、シノは屋敷に帰ると、ビオーレの書斎に入り込み腰のサーベルを抜き取った。 「シノ、なんの真似だ。その刀を収めるんだ!」 「黙れ俗物、私にはお前の血など一滴も流れてはいない!」  シノは容赦無く父ビオーレを切り殺した。シノは一切呼吸を乱すことなく、床に転がる父の遺体を見下ろした。一振りのもとに命を奪ったのはせめてもの愛情だったのかもしれない。  その後、シノはビオーレの財産を全てミロクに献上した。その金をもとに超巨大土偶兵機クィーンは建造されたのだった。  第七話 『王子の暗殺』  マルスの村から逃げ出した三人は朝霧に包まれた森のなかにいた。左腕の壊されたポーンのコクピットのなかで、パージは膝を抱えて泣いていた。ブランシュはポーンのエンジンルームを開け、なかを覗き込んだ。ただれるような熱気が噴き出してくる。 「駄目だラジエターが割れている。もうここでは修理ができない。都まではまだだいぶ距離があるが、歩くしか方法がないようだ」 「パージ、聞いてたでしょ降りてきて」  イシュチェルはコクピットのなかのパージに声を掛けると枯れ枝を集めポーンの機体を隠し始めた。 「イシュチェルはなんで平気なんだよ。アルもイーのリンも殺されたんだぞ。オババだって、お前の身のまわりの世話をしてくれていたシャナンだって、村の爺さんも婆さんたちも、みんなみんな髭の将軍に殺されたんだぞ! 葬式だってやってやれていないのに、動く気になんてなれやしないよ!」  イシュチェルはパージの気持ちがわかった。それでもここにいる限りビヤードの追っ手がいつ現れるかわからない。三人はまだ将軍が殺されたことを知らないのだ。 「行きましょう」  イシュチェルは石になった重い足を引きづりながら歩き始めた。 「痛っ……」  まだ十メートルも歩かないのにイシュチェルは転んでしまった。右足が石化しているのだ。歩きづらいのは無理もない。ブランシュは駆け寄り手を貸そうとした。イシュチェルはその手を無下に払った。 「さわらないで、自分で歩けるわ」  イシュチェルはそう言うと傍らに転がった棒きれを松葉杖代わりに脇に挟むと自力で歩き始めた。パージはその様子を顔をあげて眺めていた。文句も言わず歩き続けるイシュチェルの姿を見ていると、情けない気持ちになってきた。 「わかったよ。歩けばいいんだろ!」  パージはイシュチェルに駆け寄ると肩を貸してやった。二人は互いの体を支え合いながら歩き始めた。ブランシュにはその姿を見つめると、微笑まずにはいられなかった。 「仲が良いな」  三人は森を抜けると王都を目指した。だがブランシュはともかく、パージは左腕を、イシュチェルは右の足を魔神の呪いで石に変えられていた。気持ちほどスピードが出るわけもなく、進むよりも休む時間が多くなっていった。  パージは脂汗を吹かせながら街道の杉の木に背をあずけた。 「大丈夫か?」 「あぁ俺は、髭野郎をぶちのめすまで死にはしないよ」  パージはブランシュの言葉に啖呵を切った。だがそれは気休めのはったりだった。弱音をはかないイシュチェルの前で格好をつけているだけなのだ。そのイシュチェルですら、顔色は悪くなり多量の汗をかいていた。  だがそれは巫女がなせる力なのだろうか。イシュチェルは足もとに落ちた大きな石をいくつか集めると杉の木の影に重ねて見せた。パージは聞いた。 「何を作っているんだよ?」 「慰霊碑よ」  イシュチェルは小さな石塔の前に、名もない野の花を千切ってたむけると手を合わせた。 「パージも王子様も祈って下さい。もういつマルスの村に帰れるかわからないから。時間がある時に、村の人の死を慈しみましょう」 「あぁ」 「巫女は強いな」  パージとブランシュは口々に呟くとイシュチェルと一緒に並び慰霊碑に手を合わせて見せた。 「イー、リン、アル、それにオグマにオババにシャナン、マルスの村の皆、敵はきっと俺が討ってやるから。俺のことを見守っていてくれよな……」  パージの言葉にブランシュは胸が痛んだ。パージは祈りの力で決意を新たにしたが、石化の呪いが確実にその体を蝕んでいた。笑顔に無理が見てとれる。 「さぁブラン、先を急ごうぜ」 「もう少し休んだほうがいいだろう?」 「へっちゃらさ、皆のために戦いたいんだ」 「ははは、さすがはマルスの戦士だな」  ブランシュは作り笑いを見せると森の先に町を見つけた。あまり大きな町ではないが二人に寝床を与えることができるかもしれない。 「頑張ろう。あそこに町がある。きっとうまいものが食えるはずだ」  ブランシュは二人を励ますと、もうひと頑張りさせ町まで歩いた。  入口にトライゾンと書かれた看板があった。ブランシュは頭のなかで記憶を探ってみた。確か都まであと二十キロほどの離れたところにそんな町があった気がする。 「城まではあと少しだ。今日はこの街で休もう」  ブランシュは明るい声をパージとイシュチェルに掛けた。だがすぐに、その顔は暗い顔に変わってしまった。王都に近いと言うことはブランシュに勇気を与えた。それと同時に王都に近いがために、超巨大土偶兵機クィーンの攻撃にあったと思われる戦災難民が、町に流れ込んでいたのだ。難民に混じった一人の老婆が震えながら娘の手を握っていた。 「あぁ先代ルグリ王の時代には、カライなどの小国に攻撃されることなんてことは一度もなかったのに……」 「おばあちゃん、ブランシュ王子だってきっと私たちのことを守ってくれますよ。何かが上手く行かないとき、誰かの悪口を言うのはよくないわ」 「そんなことあるもんかい。ルーデンの王子は命惜しさに自分だけが、どこかの村へ逃げたって言うじゃないか!」 「そんなのただの噂よ。皆が不安になるようなことを言うのはやめて」 「噂なもんか。じゃぁなんで軍隊は一切やり返さないのさ。教えておくれよ!」  ブランシュはマントのローブをかぶると老婆の怒りが聞こえないふりをした。イシュチェルとパージの背を押すと、足早にその場を離れて行った。老婆の会話は、聞きたくもなければ、聞かれたくもない事実が混じっていたのだ。  ブランシュはそのまま町の薬屋に入った。薬屋のカウンターで店主に注文を入れる。 「すまない。痛み止めの薬と、睡眠薬をくれないか」 「……は、はい」 「どうかしたか?」 「い、いぇ。だいぶ、お疲れのようなので。もしよろしければ二階の奥の部屋が宿になっておりますが、お泊りになりませんか?」 「そうか。泊まれるのか。では頼む」  疲れていたブランシュは上手く頭が回っていなかった。金を払い薬をもらうと直ぐに二階へと向かった。白髪混じりの小柄な店主はその背中を目で追うと、カウンターの内側に貼られた手配書の顔を確認した。ビヤードはミロクに合流する前に、三人を亡き者にしようとたくらんでいた。  わずか数日でブランシュは立派な賞金首になっていた。  二階の突き当たりの部屋は狭いがこざっぱりとした部屋だった。ブランシュはベッドに座ったパージとイシュチェルに痛み止めの薬を飲ませた。パージは薬の苦味に顔を歪めた。 「うぇっ……」 「それでも少しは良くなるさ」  ブランシュはパージに肩を貸すとベッドに寝かせた。そっとその首元を見つめると、腕から肩に向かい石化の範囲が広がっていた。 「巫女様?」 「大丈夫、一人でできるわ」  イシュチェルはブランシュに笑顔を見せると薬を飲みベッドに横になった。足取りが重い。おそらくはイシュチェルの右足も石化が更に進んでいるのだろう。  ブランシュは笑顔を返すと窓のそとを眺めた。戦争難民たちはくたびれ、店の壁に寄りかかり座り込んでいた。人々の顔や服は埃にまみれ王都の人間の清潔さは感じられなかった。 「眩しいだろう。窓は閉めておくから」 「いいわ窓は開けておいて、そのほうが少しは気持ちが晴れるから。それよりも王子様には何か食べるものを探してきて欲しいの」 「あ、あぁ。この町になにか名物があるといいな」  ブランシュはイシュチェルに答えると部屋の外に出た。  ブランシュは二階の突き当たりに置き忘れられた椅子に座り込むと頭を抱えた。……最低な人間だな。自己嫌悪に陥いる。 「私はなんて卑怯な人間なんだ……。民衆の罵りが聞こえないように窓をしめようとするとは……。だいたい私は何がやりたいと言うのか。このまま城に二人を招いていも、ミロクと戦う意外に選択肢はありはしないのに……」  どうすればいいんだ……。ブランシュは髪を鷲掴みにして悩むが良い答えは出なかった。そんな時、階段の下から上に登ってくる男たちの足音が聞こえた。男たちはブランシュの真っ白いマントに目を向けると話しかけてきた。 「その出で立ち。ルーデン王国のブランシュ王子様で宜しいすか?」  ブランシュが顔をあげると、三人のチンピラが立っていた。三人とも手にナイフや棍棒を持ち武装をしていた。 「ビヤードの手下か?」 「さぁ、どうかな。俺たちは金にしか興味がないもんでね」  ブランシュは二階の手すりから下を覗いた。店主は密告がばれてしまったと、そそくさとカウンターの影に身を隠してしまった。 「くっ、店主のやつか……」  ブランシュは腰の剣を抜くと構えて見せた。三対一だ。分が悪い。だがイシュチェルとパージの二人だけは守りたいと思った。ブランシュは空いた手で後ろの椅子をつかむとリーダー格の男に投げつけた。 「ガキの非力だ。効きゃぁしねぇ」  男が手で攻撃をなぎ払うと床に落ちた椅子が大きな音をあげた。 「なんの音?」  イシュチェルはベッドの上に体を起こした。ブランシュが声をあげる。 「鍵を閉めろ。ビヤードの手下どもだ!」 「なに?」  その台詞にパージもベッドを飛び起き武器を探す。狭い部屋に手頃な武器はなかった。 「くそう。何も武器がない。………あ、あれは王国の兵隊じゃ?」  パージが窓の外を眺めると白馬に乗った兵士の一隊を見つけた。従者の一人が長い棒の先にルーデン王国の朱雀の紋章が刻まれた国旗をかかげて歩いていた。イシュチェルも石化した足を引きずりながら窓の外を眺めた。とっさにポケットのスカーフを取り出すと、激しく手を振ってみせた。 「きっと王子の近衛兵の人たちよ。兵隊様、ここの宿屋にブランシュ王子が泊まっています。すぐに私たちを助けて下さい!」  白馬に乗った小隊長のペイスはイシュチェルのスカーフに気がついた。 「あの盾と槍の旗印はマルスの村の紋章じゃないか。全員、私に続け、王子はまだ生きているぞ!」  髪を短く刈り込んだ金髪のペイスは白馬から飛び降りると、馬の背に射した小銃を抜き取り、先頭をきって薬屋の一階に駆け込んだ。 「俺の名は王国親衛隊所属、聖騎士ペイス。死にたい奴は俺の前に立ってみな!」  血気盛んな若武者の登場にチンピラたちは虚を突かれた。 「な、なんだテメエわっ!」 「賊軍だ! 容赦なく撃て!」  ペイスは命令を出すと仲間の兵士たちと一緒になり、ナイフを持ったチンピラたちをライフルを使って撃ち殺した。 「うわぁっ!」  二人はその場で倒れ、一人のチンピラは手すりに体をぶつけたあと一回転して階下の床に全身をうちつけた。  ペイスは階段を駆け上ってくるとブランシュの前にひざまずいた。 「シュバリエ隊長の命令でやって参りました」  ブランシュは激昂すると手に持った剣でペイスに切り掛かった。 「信じられものか! 私は副長ハズワーに裏切られたのだぞ!」  ペイスは腰の剣を半ぶん抜くとブランシュの攻撃を受けきった。それから一歩さがると手のひらを向け大仰に謝罪を始めた。 「物見の者から魔神が暴走した件を聞き、親衛隊も慌てて出動して来ました。ですので我々は天地神明にかけ、王子を裏切ることはいたしません!」 「本当だな!」 「はい」  ブランシュはペイスを睨みつけると、肩で息をしながら剣を鞘に収めた。ブランシュは疲弊し涙が出そうになった。必死に冷静さを装い命令を出す。 「怒鳴ってすまない。その部屋に魔神のパイロットがいる。城まで丁重に運んで欲しい」  ペイスが扉を開けるとなかからパージとイシュチェルが顔を出した。ペイスは怒りを引きずらない男なのだろう。二人に爽やかに挨拶をした。 「マルスの旗のおかげで王子を助けることができました。改めて感謝致します」 「お役に立てて光栄です」  イシュチェルはスカートをたくしあげると可愛らしく返事をしてみせた。  第八話 『王都の首』  薬屋の親父が店の前で手首を縛られルーデンの兵隊に連行されて行く。王子暗殺の手引きをしたのだ。当然、縛り首になるだろう。  ペイスは部下に命じて幌馬車を用意させた。その前後を三機のナイトポーンに守らせてブランシュたちは王都を目指すことになった。幌馬車はブランシュのリクエストだった。国民にくたびれた姿を見られたくはなかったのだ。幌馬車の荷台に座ったパージが口を開いた。 「なんだかんだでブランは王子様だな。勇敢な部下がこんなにもついているんだ。王都についたら髭野郎をぶちのめしてやろうぜ」 「あぁ、城にはわずかながらポーンも残っている。ビヤードなんかは敵ではないさ」  ブランシュは揺れる荷台で膝を抱えると小さくなった。真の敵は将軍ではないのだ。パージは聞いた。 「どうしたのさ?」 「疲れているのよ。王子はもう何日もまともに寝ていないのよ」 「そうか。でもこれだけ警備を固めれば安心さ」  ブランシュは交互に言われ、愛想笑いを見せるのが精一杯だった。ブランシュはパージとイシュチェルの胸で揺れる黄金色の魔神のロザリオを眺めた。魔神の飾りは力の象徴だった。欲しい。力が欲しい。特別な力があれば、もう誰も死ななくてすむのだ。ブランシュの全身に睡魔が襲ってきた。  ……このまま朝がこなければいいのに。それは偽らざるブランシュの気持ちだった。  それから数時間がたった。 「止まれ!」  白馬に乗り警備隊長の任についていたペイスが大声で幌馬車の運転手に声を掛けた。三機のナイトポーンがすぐさま守備を固める。荷台に座っていた三人が大きな揺れに目を覚ました。パージは眠い目をこすって見せた。 「もうついたのか?」 「いや、静かに?」  ブランシュは警戒し、鼻に指を当ててみせた。幌の明かり取りの隙間から、ルーデン王国の都に入る巨大な城門が見えた。そこに真っ黒い豹型のポーンが立っていた。ルーデン王国のポーンよりはるかに洗練されたデザインだった。何より機体の左肩に、金色の雪見草の家紋が彫りこまれていた。 「あれはどこの家紋だよ?」 「東方のカライ王家の紋章よ。あっ……!」  パージは質問のあとイシュチェルと一緒に絶句した。カライのポーンは長槍の先にビヤードの首を刺した格好で立っていた。豹型のポーンの操縦者はミロクの部下シノだった。シノはポーンから降りもせず大声でペイスに言った。 「私はカライ王国の女王ミロクの命を受けやってきた女王専属騎士シノだ。単刀直入に言わせてもらおう。女王ミロクは属国からの独立を賭け、魔神との一対一の血戦を望んでおられる。無益な血を民に流させたくなければ、こちらの案を受け入れてもらいたい。我々は先刻の通達通り明日の明朝、日の出とともに進軍を始める。異論は全てビヤード将軍の首に聞かれるがよかろう! これは行きがけの駄賃だ!」  シノは槍を城門の真んなかに突き刺すと、腰のサーベルを抜き取った。豹型ポーンはそのまま流れるような太刀筋で刃を振るうと、ルーデンのナイトポーン三機をあっさりと切り捨ててしまった。 「なに?」 「あっ……」 「早いっ……」  死傷者こそ出なかったがルーデンのポーンは一瞬で戦闘不能になった。ブランシュは改めてカライのポーンの機動性を見せつけられる格好になった。 「……それでは」  シノは笑いもせず漆黒の豹型ポーンの足を滑らせると幌馬車の脇を通り抜けて行った。パージはその機体を横目で見送ると呟いた。 「……ブラン、これは一体どおいうことなんだよ?」 「すまない。今は取り敢えず城に入ってくれ、全てはそこで話そう……」  ブランシュは両手で顔をおおうと、膝に額をつけ黙り込んでしまった。  パージたちは幌馬車に揺られ城門をくぐった。城下の右半分は超巨大土偶兵機クィーンのレーザー攻撃により数百メートルの直線上に街が破壊しつくされていた。街の復旧にあたる王国の兵士が、男に胸ぐらを掴まれていた。 「俺たちはなんのために税金を取られているんだ。戦争をする金があるなら、俺の家を一番最初に直せよ!」 「状況を見ろ、お前ごときを特別扱いできるか。兵隊も寝ずに人命救助をしているんだ。文句があるなら隊に加わり復旧を手伝え。貴様は五体満足な男だろうが!」 「なんだその言いぐさは」 「上等だ。かかってこい!」   大人同士の罵り合いは見るに堪えないものがあった。パージは膝を抱え顔をあげないブランシュを見つめながら、無言のままルーデン城のなかに通されることになった。  平和な時代にはダンスフロアにでも使われていたのだろう。そこはだだっ広い多目的ホールと呼んでもいい場所だった。ただ全てのカーテンが閉め切られ、ロウソクの灯りのともされたその部屋には澱んだ空気が溜まっていた。  先頭をきってペイスが親衛隊長のシュバリエに敬礼をした。シュバリエも敬礼を返すと、膝を折りブランシュたちを迎えた。 「ルーデン城へのご帰還お疲れ様でした、ブランシュ王子。マルスの民の皆様も王子の護衛ご苦労さまでした」 「いえ」  イシュチェるは胸の前で手を交差させ敬意を見せるが、パージはシュバリエを睨みつけることしかできなかった。ブランシュはシュバリエに声を掛けた。 「やつれたな」 「民は平和に慣れております」 「大臣たちは?」 「難癖をつけ遠くへと疎開をしてしまいました」  シュバリエは指揮官代理としての能力不足を認めるしかなかった。パージは牧歌的だったマルスの村と違い、団結力のない都の大人たちに怒りを覚えた。 「どういうことなんだ。なんで、みんなよってたかって王子を裏切っているんだよ!」 「パージ、王子の忠臣に恥をかかせては駄目よ」 「これが黙っていられるかよ。俺たちはマルスの村で、王様のために働き、王様のために死ねって教えられて訓練を受けてきたんだぞ。それなのにこの城じゃ、大人が一番最初に逃げ出しているじゃないか!」 「興奮しないで、それぞれの人に守るべき家族がいるわ」  悲しみの表情を見せるイシュチェルに、パージはただただ怒りを噛み殺すことしかできなかった。イシュチェルはブランシュに聞いた。 「……どうしてカライ王国が戦を仕掛けてきたか教えて頂けますか?」 「……私の父、ルグリによる失政のためだ」 「失政? それはつまり、政治的な失敗と言うことでしょうか?」  イシュチェルの疑問にシュバリエがルーデン王国の歴史を語り始めた。全ては十数年前、山岳国家ラメールで起こった内戦がきっかけだった。  第九話 『ラメールの内戦』  ラメールはルーデン王国の北西に位置する小さな山岳国家だった。おもな産業は山からでる鉄鉱石だった。良質な鉱石からつくる金属は強度が高くポーンを始め銃火器用の加工材として高値で売ることができた。  だが金のあるところに利権が集まる。小国に集まった金の分配をめぐり、ラメールの国王派と大臣派が内戦を始めてしまったのだ。国王派は赤の、大臣派は青のターバンを頭に巻きそれぞれの主張を叫びながら狭い国土のなかで武器を手に殺し合いを始めた。 「国王は鉄で集めた金を一族だけに分け与え肥太っている! もうこの国に王政は必要ないのだ!」 「何を大臣こそは国賊だ! 下劣な商人に踊らされ、この国を我がものにしようとやっきになっているではないか!」  弱ったのは力をもたない民だった。山道や集落で散発的に起こる銃撃戦に中年女や年寄りたちはなす術がなかった。 「私たちは鉱石で食っているわけじゃないのに……」 「あぁそうじゃ、王が乱心されたらわしらはもう山には住めない。皆でこの国を捨てどこかへ逃げようじゃないか」 「あぁ、そうだ。そうだ!」  ラメールの一部の人間は命惜しさに極小の家財道具を荷車に乗せ、隣国アンテリューの国を目指した。その数はゆうに五千人はいただろう。  大挙する戦災難民に頭を抱えたのは海洋国家のアンテリューの王だった。人口四百人ほどの小さな国境の漁村に五千人を越える難民が集まってしまったのだ。無理もない。アンテリューの王も始めのうちは戦災難民としてラメール人を丁重に扱ったがあっという間に村の食い物は底をついてしまった。アンテリューも漁業を中心に国を支える小国だ。難民を助けようにも金も物にも限界があった。  そんな時、ラメールの戦災難民の一部が暴徒化し、十五歳ほどの少年を集団で襲い、食い物を盗むという事件が起こってしまった。弱いものが更に弱いものをいたぶる。それは見るに耐えない光景だった。 「貴様ら何をやっているんだ!」 「うるせぇ、食い物がねぇんだったら、奪えば良いんだよ!」 「何を! ここはアンテリューの村だ。貴様らラメール人の土地ではない!」 「うわぁっ、目が、目がぁっ!」 「ほら下がれ、下がらんと撃つぞ!」  国の命令で派兵されたアンテリュー軍の警備隊長ノアは催涙弾を使い暴徒を鎮圧した。それから仲間の兵士に命令を出しライフルを空にむけ威嚇射撃すると、漁村の国境を意味する金網のそとに老若男女とわず全てのラメール人を追い出してしまった。 「てめぇらいつかぶっ殺してやるからな!」 「勝手に言ってろ。こっちにゃ兵隊様がついているんだよ!」 「やめろ。むやみに金網に近づくな。相手は五千だ。無闇に喧嘩をふっかけると抑えが効かなくなる!」  アンテリューの警備隊長ノアは内心、恐怖に震えながら漁民とラメール難民の罵りあいを止めに入った。アンテリューの兵は二十人もいなかった。戦災難民が石でも棒でも手にし集団で金網を乗り越えてくれば、ここにいる全ての人間が皆殺しにされる情況ができ上がっていた。  漁村にいるノアの電報を受けたアンテリュー王のすがれる人間は、もうルーデン王国の先代王ルグリしか残っていなかった。  アンテリューの王から親書を受け取ったルグリは、ルーデン城の玉座の間に大臣たちを呼びつけた。長い机のまえに一癖も二癖もありそうな政治屋たちがずらりと座っていた。大きな背もたれの付いた玉座に深く腰掛けたルグリは白くて長い顎髭を手のひらでしごくとゆっくりと喋り始めた。 「アンテリューの王から隣国ラメールの内戦を治めて欲しいとの手紙が届いておるが、誰かこの戦をとめられるものはおるか?」 「はっ、戦争終結はやはり我らが軍人の務め。私めが直ちに戦地に赴き内戦を治めて見せましょう!」 「おぉピレス将軍か」 「極小の米粒を取り合うラメールの山岳猿のために腰の剣を抜いて見せるとはさすが我が国の英雄だ」 「大国にぶらさがることしか知らない小人どもに誠の武を教えてやって下され!」  顎に一本線のような特徴的な髭をたくわえた大男に列強の大臣たちが賛辞を送った。黄金を意味するルーデン王国は、この時代もうすでに大陸の覇者になっていた。  だがルグリの脇に立ちまだ十四の若輩ながら、王の刀持ちをやっていた貴族出身のシュバリエは、おごり高ぶる男たちを快く思ってはいなかった。青い正義を胸に宿した少年騎士は、武に頼る政治が正しいことのようには到底思えなかった。  ピレスは照れもせず格闘技のチャンピオンのように腰に手をあてるとルグリに言った。 「つきましてはラメールに行くにあたり十機のポーンをお与え下さい。一月もあれば醜い椅子取りゲームを終わらせて見せましょう」 「ふむそれではポーンを使う許可を出そうではないか」 「ありがたき光栄」  快く作戦を了承するルグリにピレスは胸に手を当て敬礼をして見せた。 三機の将校用ナイトポーンの前後を七機の小型軍用ポーンが守りラメールに続く山道を行軍していた。その周りを銃剣を携えた緑の軍服を着たルーデン王国の歩兵達、数十人が必死に走りついて行く。まだちょび髭の生えていない若き日のビヤードが副官用の蒼いナイトポーンのなかで口を尖らせていた。 「ピレス将軍、山猿相手にこれだけの重装備は本当に必要なのでしょうか?」 「俺はお前がデキる男だと思って副官に指名したんだが見間違いではなかろおな。軍隊の拳闘大会で蛮勇を馳せたところで兵の階級があがることはないんだぞ」  左肩に「将」の文字が刻まれた濃い蒼のナイトポーンに乗り込んだピレスが無線越しにビヤードに声を掛けた。ビヤードは傍らを歩く肩に剣の紋章、サーペント家の家紋が描かれたもう一機のナイトポーンを盗み見た。嫌味ったらしく機内のカフをいじると、ナイトポーンの操縦者に会話が聞こえるように細工をほどこした。叩きあげの軍人のビヤードは若い貴族と言うだけでシュバリエのことが嫌いだった。 「と言われますと、ピレス将軍。女も知らぬような貴公子様のオシメの交換にもなにやら狙いがあると言うことですかな?」 「彼はルグリ王のお気に入りだ。将来、世継ぎが生まれなければ、この国の舵を取る人間になるやもしれないのだぞ。初陣で花を持たせても損はない」 「たらればで味方が殺さたとなりますと心が痛みますな」 「ならばここで貴族殿の男を試してみるか?」  ピレスは機内の通信ランプを見ながら会話が剣の紋章のナイトポーンの操縦者、シュバリエに筒抜けであることは解っていた。それと同時に、粗野な人間の喧嘩に首を突っ込もうとしない気高さと利口さが可笑しくてたまらなかった。だからこそ苛めたくもなるものだ。  ピレスはナイトポーンの右手をあげると命令を出した。 「全体、止まれ!」  まだルメールの領内にほんのわずかだけ入り込んだ、こんもりとした森のなかでルーデン軍は歩みを止めた。 「おぃ、シュバリエ、お前の持っている立派な銃で二、三機ほどポーンを撃ってみないか?」 「はっ、なにを? 味方の機体を撃つことなどできるわけないではありませんか!」  ピレスは始めて口を開いたシュバリエの声が可笑しくて仕方がなかった。 「ふふふ、可愛いものだな。ではビヤードお前はどうだ?」 「……へへへ。そういうことですかい。おぃお前ら、なるべく上手に逃げろよ! 俺は拳だけじゃなく、ポーンの狙撃も一流だぜ!」  ビヤードはいずれ将軍に登りつめる男だ。機微を読む才能はほかのものよりもたけていた。ナイトポーンの背中から、対土偶兵器用中距離ライフルを抜き取ると容赦なく味方ポーンのどってぱらを撃ち抜いた。ポーンは膝を折って倒れる。 「ぐわぁっ………」 「へっへへ、あったりぃ! 次々行くぜ!」 「ぐ、軍曹、ご乱心ですか!」 「我々は味方に御座います!」 「うるせぇ、俺が興味があるのは出世と金だけだ! おら、おら!」  斧しか持たない小型ポーンは火力に勝るビヤードのナイトポーンに追い回され、ドシンドシンと鈍重な足音を響かせながら森のなかを逃げ惑うことしかできなかった。 「つまんねぇ狩りだな! もっと楽しませろよ! おらおら!」 「うわぁっ!」 「ぎゃぁっ!」  ルーデンの小型ポーン二機は背中からビヤードのライフルに打ち抜かれ、瞬く間に爆炎をあげると、二度と動くことのない鉄くずと煤の塊りになってしまった。味方の惨殺に冷静さをかいたシュバリエは、若すぎる過ちを犯してしまった。自身を守るポーンを飛び降り、ピレスの前に直談判に走った。怒りにまかせ腰の剣に手を掛ける。 「将軍、これはどぉいうことですか!」 「青いな……。シュバリエくん、ここは戦場なのだよ!」 「貴様、将軍に刃をむけるのか!」  よく訓練されたピレスの手下が銃剣の尻でシュバリエの頭を殴りつけた。 「がっ!」  文字通り大人と子供の喧嘩だった。体のでき上がらない十四のシュバリエはいとも簡単に鍛え上げられた二人の兵隊に組み伏せられてしまった。ピレスはナイトポーンのハッチを開けると顔を覗かせた。 「玉座の脇にいた頃から目つきが悪いガキだと思っていたが、お前はもっと利口にならなきゃならねぇな。えぇそうだろビヤード」 「えぇそうですな、将軍閣下!」  ビヤードは副官のナイトポーンを旋回させるとシュバリエにむけ巨大なライフルの銃口を向けた。ビヤードは一つ笑むと大演説を始めた。 「いいかい僕ちゃん。軍隊って奴はな、結局のところ武器の売り買いで儲けているわけだ。つまるところいざこざの度に武器やポーンをぶっ壊して、新しいものをこさえるほうが楽に金を稼げるってことだなんだよ。わかるかな?」 「そんなことのために味方を平気で殺すと言うのか!」 「やつらは立派な英霊だ。ゲリラによって殺されたんだよ。国に帰りゃ晴れて二階級特進、ガキや女房にゃ死ぬまで王国が恩給を払ってくれるんだぜ。出世のできそうにねぇやつにはありがてぇ死に方じゃねぇか? ねぇ将軍?」 「あぁ、ビヤード、さすがに俺が見込んだ男だ」 「貴様らがやっていることは、ルーデンを転覆させる闇商人ではないか!」 「はは面白ぇな。だがいずれ、しかも近い将来。お前の嫌う闇商人がルーデンをこの世界で一番の軍事国家に押し上げるんだよ」  ピレスはポーンの操縦席のなかから正義を語る若き騎士を見下ろすと歩兵たちに号令を出した。 「今日はここにテントを張るぞ。攻撃開始は明日の明朝、裏切り者は例外無く皆殺しだ! わかったな!」 「はっ、ピレス将軍に敬礼!」  歩兵隊長は靴のかかとを音を出して合わせると、一分の隙もない敬礼をして見せた。そして、ピレスは続ける。 「おい、あとその貴族様は縛り上げて俺のテントに運んどけ。たっぷりと軍隊を教育してやるからよぉ」  その夜、シュバリエはテントの奥で将軍により屈辱的な辱めを受けた。美しい顔の少年は男色家の餌食になったのだ。 〓続く〓
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