魔神-マルス-

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 第十話 『ミリンダ渓谷の悪夢』  ラメールの国境付近にある森の朝は賑やかだった。ルーデン軍の炊き出し係が作ったスープをトレイを持った男たちが順番に並び皿によそってもらっていた。うつろな目をしたシュバリエが一人離れた場所に座り小さなパンをかじっていた。  地べたにすわり向き合って朝食を口に運ぶビヤードがピレスに言った。 「ずいぶん、大人しくなりましたね」 「あいつはもう女と一緒だ。後方で飯の番でもやらせておけばいい」 「いっそのこと、国へ追い返したらどうですか?」 「本当に世継ぎが生まれないとなれば、あいつはルーデンの王になる男だ。上手に育てて王や大臣の口添え係になってもらわなきゃならねぇ。そのほうが金儲けが楽だからな」 「馬鹿も力って奴ですか? 坊ちゃんがここになじみますかねぇ?」 「へへへへ……、馴染むさ。貴族様はプライドが高ぇんだ。戦場で上官に掘られましたなんて、親や王様に言えるか? 言えっこねぇよ。へへへへ……」 「……まぁそおいうことなら仲良くしますけどね」  ビヤードは立ち上がるとピレスに見えないようにスプーンを加えたまま顔を歪めた。ピレスは有能だが心服するほどの男ではない。それがビヤードの彼に対する評価だった。 「……ふん、男色野郎がよ」 「どうかしたか?」 「いぇ、今年の新人は腕がいいのでおかわりです」  ビヤードはそう言うと大きなトレイを手に兵隊の列に加わった。  シュバリエを後方に待機させるとピレスをリーダーに討伐隊が結成された。  ピレスは山のうえで腹ばいになると双眼鏡を使って渓谷の町を覗き込んだ。そこでは国王派と大臣派が、赤と青のターバンで顔を隠しあいマシンガンを手に小規模な撃ち合いをやっていた。名目上、戦闘の要所と言うことになっていたが、ルーデンの軍人にとっては子供の遊び場程度にしか見えなかった。ピレスは双眼鏡をしまうと首の骨を鳴らした。 「所詮は猿だな」 「じゃぁ行きやすか?」 「あぁ」  ピレスはビヤードに答えると立ち上がった。将校用ナイトポーン二機と凡庸小型ポーン四機、そして銃剣を装備した歩兵隊は渓谷にあるラメールの小さな町に突撃した。ピレスが叫び、ビヤードがそれに呼応する。 「弾薬はケチらずバンバン使いな! 弾を残して帰った奴はそいつを使って銃殺刑だ!」 「野郎ども! 派手に行こうぜ! ここをぶっちめてお国の金で兵舎ごと建て直しよ!」 「おぉっ!」  ミリンダ渓谷の戦闘は凄惨だった。ピレスはポーン用の大鎌を振り回してラメール兵の体を切り倒した。 「ぎゃぁっ!」 「おら、どこにも逃げ場はないぜ!」  ビヤードは笑いながらポーン用の大火力手投げ弾を使って屋敷を吹き飛ばした。 「うぎゃぁっ!」  突如現れたポーンの軍団にラメールの兵隊は敵、味方関係なく混乱をした。誰とも言わずラメールの兵隊が叫んだ。 「ポーンだ。まずはポーンを狙え」  命令に合わせ標的が人間から機械に代わる。ピレスのナイトポーンはマシンガンの一斉射撃を受けるが装甲が頑丈でびくともしなかった。 「ルーデン王国を相手にポーンもなしか? 王都防衛に土偶をまわしていても、そいつはただのじり貧ってもんだぜ」  ピレスはポーンの腰についた手投げ弾を抜くと国王派の兵隊に向かって投げつけた。爆炎とともに人間が吹き飛び地面に叩き付けられた。 「ぎゃぁっ!」 「撤退、撤退!」  赤いターバンを巻いた国王派のラメールの兵隊が大声を上げた。ビヤードがナイトポーンの斧を叫ぶ兵隊に投げつけた。 「ぐぁっ!」 「お前ら逃がすなよ!」 「おぉっ!」  生身の人間とは圧倒的な力の差がある小型ポーンが突撃すると、鋼鉄の棍棒を振り回しラメール兵を殴り殺した。青いターバンの大臣派の男が屋敷の影に逃げ込んだとしても、勢いをつけて突進し、建物ごと兵隊を押し潰してしまった。ルーデンのポーン操縦者は機械の肩の装甲がへしゃげたことに顔を歪める。 「あちゃぁ、さすがに家は硬いのか?」 「気にするな、全てぶっこわして買い換えるんだからよ! ねずみいっぴき逃がすなよ!」 「おぉっ!」  ピレスの怒号にルーデン王国の歩兵隊は銃剣を構えると国王派も大臣派も関係なく銃弾を撃ちまくった。武器の火力で圧倒的に劣るラメールの兵隊は次々に撃ち殺された。戦況は一瞬で変わり、胸を撃たれる兵士よりも逃げまどい背中を撃たれる兵士の数が増えて行った。勝敗は誰の目にも明らかだった。 「駄目だ、この戦はもう勝てない……」  岩陰に隠れていた国王派の隊長らしき男はターバンを剥ぎ取り髭面らをさらすと、その布を手持ちのライフルの柄に縛りつけた。隊長はターバンの白い裏地を高々と掲げながら街の中央部に歩み出た。 「降参、降参だ。大人しく投降をするので私の部下を助けて欲しい!」 「ちぇっ、もう終りかよ……」  ビヤードはポーンのなかで愚痴をこぼした。ピレスはその傍らにポーンを寄せるとニヤ付きながら命令を出した。 「へへ、武器を捨てて、全員集めろ」 「あぁ。もう敵も味方もない、全員、広場に出て来い!」  隊長は素直にライフルを地面に捨てると、ラメールの兵隊達は武器を捨て、降伏を意味するポーズ、顔を隠すターバンを外し物陰から出てきた。ラメール人は国王派も大臣派も関係なく両手をあげると街の中央広場に集まって来た。  ピレスは命令を続けた。 「歩兵隊!」 「はっ!」  声をあげた兵隊たちがラメールの投降兵の後ろ手を縛り上げた。 「ポーンを四機中央へ集めろ」 「ただちに」  膝立ちで後ろ手を縛られたラメール兵の背後に数機の凡庸ポーンが乗り捨てられた。ピレスはルーデン兵がコクピットから飛び降りるのを見るとビヤードに話しかけた。 「祝砲の名誉をお前にやろう」 「へへへ、ありがたき幸せに御座います……」  そう答えるとビヤードはポーンの腰についた持ち手の長い重爆撃用の手投げ弾を抜き取った。投降を呼びかけた王国派の隊長が目を丸くする。 「こ、これはなんの真似か!」 「お前らは勇敢に戦った山岳のゲリラだ。抵抗激しく我々は実に七機のポーンを破壊されてしまったってところだよ」 「なっ……」 「じゃぁな。アディオス、アミーゴ……」  ビヤードは笑顔を見せると、ポーンの左手でピンを抜き、言葉を失う隊長に向け手投げ弾をほおり投げた。爆音と爆炎があたりをつつんだ。ラメール人は焼け焦げたミンチになりルーデンの凡庸ポーンは炎の巻きつく残骸となった。  ビヤードはピレスに言った。 「ねぇ将軍、これから俺たちのチームは魔神(マルス)隊って名乗りませんか。ほらルーデン王家の紋章に乗っている戦の神様の名前ですよ。まぁ名前で怯まれちゃ商売になりませんけど、腰抜けを集めても軍隊にゃなりませんからね」 「へへへ、マルス隊か、悪くねぇな」  ミリンダ渓谷の虐殺事件は、歴史上ミリンダ渓谷の討伐戦と歪められルーデン王国軍の軍事力を改めて隣国にしらしめる形となった。  第十一話 『聖騎士税・前夜』  ラメールの内戦はルーデン王国の軍事介入によりあっさりと終結した。鉄鉱石の売買権利は暫定政権の名のもとに国王派のもとに帰った。正確には王都陥落の折、ピレスの援軍要請により集められたポーン部隊に圧倒的暴力で組み伏せられ、戦前より安値で鉄をルーデン王国に売ることになった。  ルーデンの王都は帰還した兵隊たちの歓待で盛り上がっていた。論功行賞で報奨金をもらった兵隊たちは羽振りがよく、飲み屋街を中心に景気が良くなった。街の人間は総じて歓迎ムード一色で、兵士の悪口を言うものは誰もいなかった。  ピレスは酒場の舞台に立つとジョッキ片手に兵士を煽った。 「我らが魔神隊の勝利に乾杯! 勝利の味だ、たらふく飲めよ野郎ども!」 「おぉ~っ!」  店の女をはべらせたルーデンの兵士たちは大いにはしゃぎ乱れて行った。  戦場で傷ついたシュバリエは乱痴気騒ぎに参加せず王宮のルグリの元へと向かった。城内の兵士に居場所を聞き王妃オワゾの部屋に入る。 「失礼致します。帰還の報告に参りました」 「シュバリエか。入れ」  六十を回り目じりに好々爺らしいシワをたくわえた総白髪のルグリが、オワゾの横たわるベッドの脇に座りその手を握っていた。 「良い話は続くな。初陣は圧勝だったそうじゃないか。これを見てくれついに我が国にも世継ぎとなる跡取りができたのだ」  ルグリと二十以上も歳の離れたオワゾは腹をさすり憂いを帯びた顔で微笑んでいた。シュバリエは胸に手を当て床にひざまずいた。恥を忍び戦場でのピレスの悪行を伝えようとする心があっさりと折れてしまった。 「これはオワゾ様、おめでとう御座います。普段から顔色が優れませんので、これからは食事に気を使われ、新王子のためお体を大切にしてください。……つきましてはお役ごめんとなる私は辺境の地へと旅立つことをお許し願えるでしょうか?」 「何を言うのですかシュバリエ。ピレス将軍からは将来有望な軍人になれると頼もしい報告を受けているのですよ」 「そうじゃ、もしお前が戦場に疲れたと言うのならば、生まれてくる王子のために、兄となり教育係をやってはくれまいか?」 「し、しかし、私にはそのような資格は……」 「……王様」 「あぁそうだな。シュバリエ、お前には王子を守る王子の親衛隊長の称号を与えよう。もし己の腕に不満があるなば、ピレス将軍のしたで武を学び直せばよいではないか? 妙案であろう?」  ピレスに先手を打たれたシュバリエは、王の命令にそむくことはできなかった。ルグリの前で膝を折ると静かに胸に手を当てて見せた。 「………はっ!ありがたき幸せ、光栄に思います!」  それから暫くの間、狂乱は続いた。戦勝国の将軍として発言権の大きくなったピレスは自分の思い描いた世界を作るために動き始めた。それは王宮で行われた軍事予算会議での一幕だった。ピレスは慎重派の財務大臣ビエイラから突き上げを受けることになった。はげた小太りのビエイラが予算書を手に話し始める。 「ピレス将軍が戦に明るいことは周知の事実ではございますが、新型のポーン及び兵隊たちの武器、弾薬を全て新調されたいとの提案ですが、これだけの買い物をするとなると実に五百億マルク以上は掛かると思われますが、それは本当に必要な武具なのでしょうか?」 「武器弾薬で敵国に先手を打つと言うことは我らが同胞の戦士、言うなればルーデン国民の生命を守ると言う絶対的な大義が御座います。我らルーデン軍は世界の聖騎士を期待され、危険地帯に乗り込む以上、兵士を待つご家族のためにも、最強最新鋭の装備で身を固めることは一軍の将として譲ることはできません」  ピレスは審問台の前で堂々と言い放った。ビエイラは中央席の一段高い玉座に座るルグリの傍らで質問を続けた。 「言い分はわかりますが王国の予算は軍隊だけに使うことはできません。医療や教育、はたまた地方の道路工事にも税は使われるのですよ。将軍は新兵器を製造する予算をどこから引き出すおつもりなのですか?」  ピレスは待っていましたとばかりに口を開いた。 「だからこそ聖騎士税を導入するのです」 「聖騎士税ですと?」 「我らルーデン軍は世界の聖騎士に御座います。ルーデンの庇護に加われば愚かなテロや内戦に巻き込まれずにすむのです。その絶対的な正義を名目に近隣の国から税を徴収するのです!」 「ピレス将軍、その様な税を他国が本当に払うと思いますかな?」 「払わぬならば、払うと言わせればよいではありませんか?」  ビエイラはピレスを睨みつけ、ピレスはビエイラに微笑み返した。年老いたビエイラは質問者を代えた。 「ルグリ王はどうお考えですか?」 「わしはその様な血なまぐさい考えは好まない。隣国は隣国であり、属国であってはならない。無き者に有るものが分け与えることが大国の使命だとわしは信じておる」 「しかしながら……」  ピレスが反論をしようとした刹那、議場にシュバリエが飛び込んできた。大臣席に座った男が怒鳴りつける。 「何事だ。大切な予算会議の最中だぞ!」 「申し訳、有りません。ルグリ様、オワゾ妃が産気づいたもようです!」 「なに!」  議場の入口で膝をつき敬礼するシュバリエをルグリは立ち上がって見下ろした。  その日、王宮の外は土砂降りの雨が降っていた。王妃の寝室では産気づいたオワゾが天上から伸びた紐にしがみつきながら、産婆に急き立てられ息んでいた。 「ほら踏ん張って」 「あぁっ……」 「あぁ、オワゾ頑張っておくれ」  ベッドの脇に駆けつけたルグリはオワゾの手を握り締めた。オワゾは息んだ。その顔は何かの病気に祟るられているのか、目のしたが黒ずみ重病人のようにも見えた。 「あぁ、産婆さま。私が死んでもこの子だけは助けてあげてください……」 「何を言っているのだ。オワゾ、そんなことを言ってはいけない」 「そうです王妃様、お気をたしかにしてください」 「もうすぐ生まれるよ。ほらひとふんばりだ!」  オワゾは王とシュバリエと産婆に励まされ最後の力を出し切った。 「あぁっ……!」 「おぎゃぁ、おぎゃぁ、おぎゃぁ!」 「あぁ立派な男の子だ」  産婆が赤ん坊を抱き上げると産湯につけた。その体を優しく手で洗うとタオルでくるみオワゾに抱かせた。その赤ん坊は薄い銀髪をなびかせた理知的な顔をしていた。 「王妃様、おめでとう御座います。頑張りましたね」 「えぇ、ありがとう。お産婆さん。王様見てください。この子がルーデン王国の世継ぎになるのですよ。なんて賢そう顔かしら、そうだはこの子にはブランシュと名付けましょう。ルーデン王国の言葉で、純白と言う意味の名前です。いずれ成長したあかつきにはきっと、清廉潔白な王になってくれることでしょう……」 「ブランシュか良い名前だ。ほれわしにも抱かせてくれ」  年老いたルグリは生まれたばかりのブランシュを抱き上げた。その喜びようはとうてい王の顔には見えなかった。 「ほらシュバリエ、わしの息子だ」 「はい王様、これが私の弟になるのですね」 「あぁ、この子は厳しく育てるぞ。なんと言っても偉大なるルーデン王国の王になる男だからな。ははは、ありがとう。オワゾ、本当にありがとう………」 「……お、お妃様!」 「……お妃様!」  シュバリエと産婆が同時に叫んだ。ベッドのうえのオワゾは優しい顔を見せると事切れて亡くなっていた。もともと病弱な体質だった王妃が子供の命を守りたいがために行った無理なお産が死の原因になってしまったのだ。 「オワゾ、オワゾ、オワゾ!」  ルグリ王は尋常ではない叫び声をあげた。だがついに王妃は目を開けることはなかった。  数日後、ルーデン王都の南門の外、鎮守の森奥深くに作られた王家の陵墓の前で、オワゾの葬式が厳かに行われた。黒い法衣に身を包んだ神父が祈りを捧げるなか、ただただオワゾの眠る棺に泣きすがるルグリの姿には、かつて博愛王と呼ばれた威厳はなかった。無理もなかったオワゾはルグリに取って二人目の王妃だったのだ。  第十二話 『オワゾとグリンダ』  ルグリの前妻グリンダは流行り病の肺病で亡くなった。享年四十歳だった。ルグリはその時も、今日と同じように棺の前で涙にくれていた。だがルーデンほどの大国になると、王に気休めの時間は与えられなかった。喪に服す期間が半年もすぎると、周りの小国から新たな王妃にと婚姻の申し出が山ほど届いたのだ。  ルグリは王の間の玉座に座り、机に積まれた見合い写真に目を通した。二十歳前後のうら若き小国の乙女がほとんどであったが、なかには十五や十四、はたまた十を下回る文字通りお姫様の写真も交じっていた。まだグリンダの死を受け入れられないルグリは鎮痛の表情を見せた。 「大国とは悲しいものだな。王ですら政治の道具になってしまう」 「しかしながら世継ぎが生まれませんと、ルーデン王の椅子を狙い家臣たちがいさかいを起こさないともかぎりません。ルーデン王国の治世の安定は、ルグリ様の一番の使命なので御座います」  この頃はまだ髪の毛が残っていた財務大臣のビエイラは言った。ルグリはビエイラを始め、諸大臣が国のために気を揉む気持ちは良く分かった。世継ぎ争いの混乱で、国が亡びることなど世界の歴史においてそう珍しいことではないからだ。ただそれをもってしてもルグリは新たな妻を取る気にはなれなかった。忌々しい王家の事情がグリンダの命を縮めたことを知っていたからだ。 「ルグリ王!」 「相手は誰でもよい。わしは子守りをすることが仕事ではない。このなかで一番、歳のいった女を王妃に選ぼう。見合いの写真を送って来た国の王には丁重な令状と懇意の品を送っておいて欲しい」  ビエイラにせっつかれたルグリは命令を出すと席を立った。ルグリはもう誰も愛しはしないと胸に決めながら、世継ぎのためだけに次の王妃を決めた。  その時に選ばれた王妃が砂漠の国の姫オワゾだった。    それから数か月後、婚姻衣装の孔雀の羽を模した七色のレヘンガを身にまとったオワゾがルグリの玉座の前に現れた。オワゾは三十を過ぎた女ではあったが、頭に被ったスカーフのしたに見えるその美貌は居並ぶルーデンの大臣たちが舌を巻くほどだった。オワゾはルグリの前で手を交差させると丁寧に王国式の挨拶をした。 「砂漠の国、ヤンデラからやって参りました。第一王女のオワゾというものです。この度、ルーデン王国のルグリ様の妻になれたことを心より感謝致します」 「あまり顔色が優れないな」 「慣れぬ長旅に疲れてしまいました。お恥ずかしい限りで御座います」 「今夜は早めに横になったほうが良いのではないか?」  ルグリはオワゾの無理をして微笑む姿にグリンダと重なる不幸を見ていた。傍らに居たビエイラが大声で要らぬ世話を焼いて見せた。 「では直ぐに寝室を用意致しましょう。女官は床に花を巻き、ヤンデラの従者の皆さんは広間で宴会を楽しみましょう。ほほほほ、良い話は続くものですよ」  ビエイラが品よく頬を染めるとそこにいた人々は、ルーデンの兵士もヤンデラの使いの者も意を察したようにそぞろに部屋を出て行った。  ルグリの寝室には天蓋付きのベッドが二つ並んで置いてあった。部屋の隅では香が炊かれ、絨毯のうえには色とりどりの花が舞い散り、遠くの離れでは楽団が優しい音色の曲を奏でていた。全ては王家の初夜を演出するものだった。  オワゾは婚姻衣装のまま腹に手を当て刺繍入りの布団のうえで目を瞑り横になっていた。ルーデンの婚姻の作法のなかに、初めての夜は王が王妃を迎えに行くというものがあった。ルグリは作法にのっとりオワゾの待つベッドに向かった。だが王妃の傍らに腰掛けるだけで一向に何も始めようとはしなかった。ルグリには目を瞑り天を見上げるオワゾの姿は女ではなく、魔物に食われることだけを待つ、ただの生贄のように見えていた。 「オワゾよ。気を悪くせずに聞いて欲しい。私の胸のなかではまだグリンダが生きておる。……わしは生涯をかして他の女を愛することはないだろう。許して欲しい」 「それは私が砂漠の国に帰ると言うことでしょうか?」 「お前は何か隠し事をしているのではないのか? 例えば国に好きな男がいるだとか……」 「そのようなことは決して」 「だがお前の顔色はグリンダの顔色によく似ているのだ。わしはお前をこの国の政争に巻き込みたくはないのだ……」  オワゾは始めて目を開けた。音楽に身をゆだねるように微笑んで見せる。 「……グリンダ様のお話をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか?」  良い思い出が多いのだろう。ルグリは顔を崩すとグリンダとの馴れ初めを、昨日のことのように話し始めた。オワゾはその瞳にルグリの優しさを感じ取っていた。 「……ふふ、わしとグリンダが出会ったのはもう二十年以上も前の話だ。先代王に勧められ宝石の国、エメラルダの姫と見合いをすることになった。わしも若くて多感だったからな。親の決めた結婚なんて嫌だった。わしは前王への当てつけに見合いの場に一時間も遅れて行ってやったのだ………」  そこは王宮の裏庭の池が見えるルーデン城の客間だった。赤い壁に赤い柱で東洋風に作られた部屋に、若き日のルグリと、先代王プレザンスと、先代王妃アムールが並んで座っていた。  ルグリは上下のない平等を意味する、東洋の回る食事台を指で回転させながら一人苛ついていた。 「エメラルダの国には時計と言うものがないのか?」 「あなたも一時間遅れてきたではないですか?」 「大国の王にでも思い通りにならないことがあるというここを知ることは、お前にとってもいい薬だよ、ルグリ」 「それは私に対する嫌味ですか?」 「痛てててて、足をつねるではない!」  ブレンザスとアムールは仲睦まじく、本を読みながら時間を潰すが、エメラルダの従者スェットは気が気ではなかった。額に汗を流しながら右往左往と廊下の奥を覗き込み姫が現れるのを待っていた。ルグリはこの日のために王があつらえた東方式のやけにヒラヒラする着物の袖を宙に泳がせながらついに席をたった。 「あぁもうアホらしい。こっちがいくら用意をしても嫁がこないじゃ、こりゃ破断だな!」 「あぁ、これはルグリ王子、今しばらくのご猶予を、ひらに、ひらにで御座います!」  スェットは恥も外聞もなくルグリの足もとにすがりついた。そこへ、遅ればせながら二人の女官に手を引かれたエメラルダが入ってきた。東方の国の柔らかな着物を着こんだ姫は美しくはあったが、頬を膨らませ唇を尖らせたその姿は、我がまま娘と言う言葉がぴったり当てはまるほど不貞腐れていた。スェットは姫の登場に必死に場を取り持った。 「あぁこれはグリンダ姫様。本日は特別な日ゆえ、特別、お化粧に時間がかかりましたな!」 「本物の姫は、化粧などしなくても美しい。エメラルダの人間が気安く、他国の王族にへつらうではない」  ルグリはエメラルダの態度に激怒した。 「貴様、従者とは言え目上の者に生意気な。だいたい小国の小娘が大国の王子を三時間も待たせるとは何事だ!」 「おっ、馬の置物が喋ったな?」 「う、馬の置物……?」 「そうだ、お前のことだ。いくら大国の王子と言えど、親の言いなりでしか動けない者など、タンスの奥で埃を被っただけの置物と同じではないか! この馬ずら野郎!」 「な、なんだと、口だけは達者な!」  ルグリはグリンダにまくしたてられ我慢の限界を向かえそうになった。しかし相手はか弱き女だ。わななく手を抑えそれを必死に我慢した。 「つ~ん!」  グリンダがすました拍子にその腹がぐぅ~と音を立てて鳴り響いた。ルグリは鬼の首を取ったかのように無遠慮に大笑いをした。 「はははは、なんだ、なんだ、人を置きものだと笑っておきながら、エメラルダのお姫様は箱入り過ぎて金の使い方も知らんのか? ルーデンの都は旨いものが沢山あるのに、……まさかお前、見合いをすっぽかしたのは都の煌びやかさに糞をもらして、動けなくなったことが原因ではないだろうな?」 「貴様っ!」  グリンダは顔を赤く染めると、ルグリの顔にビンタを入れ客間を出て行った。従者のスェットは頬を押さえポカンとなったルグリに頭を下げた。 「あぁ申し訳ありません。姫様は朝早く城を抜け出したようで、財布を持たずに街にでたのでしょう。それで一日何も食べていないので御座います。姫様をお許し下さいませ。どうか、ひらに、ひらに。ぶくぶくぶく……」 「スェット様!」  細身のスエットは婚姻の破断の恐怖で目を回すと女官に抱きかかえられる形で気絶をした。王妃のアムールはエメラルダから贈られた豪華な翡翠の首飾りを触ると呆れてため息をついた。 「全く女の扱いがなっていませんね。そんな態度しか取れないようだと、いずれどこの国のお姫様もお前のことを相手にしなくなりますよ」 「そんなことを言わないで下さい。母上は私の結婚よりもエメラルダの宝石に興味があるのでしょう? 顔にそう書いてありますよ」 「否定はしません。だがそれ以上の宝が早く見たいと思うのが親の願いだと思いませんか?」 「……あれは唯のじゃじゃ馬です!」 「丈夫な女から丈夫な子供が生まれるものだ。お前にはちょうどいい姫だとわしは思うぞ。痛たたたたた、何が気に入らないんだ!」  口を尖らせるルグリの前でブレンザスはまたアムールに足をつねられた。アムールは言った。 「私は全ての女を代表して側室を取ることは許しません。さぁ姫の客間に行ってご機嫌を取っていらっしゃい。私は座りすぎてお尻にあざができそうですよ」 「……ふん」  ルグリはため息をつくとグリンダの泊まる客間に向かった。孫の顔見たさに半日椅子に座り続けるブレンザスとアムールの気持ちもわからなくもなかった。時がたてば、煩い女とは言え他国の姫に恥をかかせたことは少しやりすぎだとも思えてきた。  ルグリは客間の外までくると扉をノックした。その手には王宮の料理長に作らさせた好物の大皿が握られていた。 「おいグリンダ、飯を持ってきたぞ。俺の好物、ラビオリの肉炒めだ。部屋の扉を開けてくれ」 「扉はあけない。食い物を置いたらとっとと失せろ」 「……やっぱり腹はへっているのか?」  食い意地のはったやつだな。そう思いながらルグリは扉に背を当てその場に座り込んだ。ここで尻尾をまくとまた母のアムールに笑われてしまう。女の扱いに文句を言われたことをルグリは癪に思っていた。だがだからと言って何を話そう。ルグリは手持ちぶさたなになると、皿に盛られたラビオリを指でつまんで食べ始めた。やはりルーデンのラビオリの肉炒めは天下一品だった。 「うん、美味い……」  そう思うとルグリは少し気が楽になった。遠慮なくラビオリを次々に口に運びながらグリンダに話しかけた。 「どうしてお前は見合いに遅れてきた? そんなに俺がぶ男か? それとも隣国に麗しの王子様でもいるのかな?」 「……顔も家柄も申し分ない。勿論、婚約者もいない……。ただ……」 「ただなんだ?」 「……ただ私は国のために物にはなりたくはないのだ」  グリンダもまた扉に背中をつけて膝を抱えていた。その言葉がルグリの胸に刺さった。そう結局は王も王妃も政治の道具なのだ。ルグリもそのことが気に入らなくて親の用意した見合いに反発していたのだ。ルグリは途端にグリンダのことが好きになっていた。ただどう機嫌を取っていいかわからない。グリンダは音もなく扉を開けると呟いた。 「食い物を置いたら帰ってくれないか?」 「すまない、ラビオリは全部食ってしまった」  ルグリは申し訳なさそうにそう言うと、開いた扉の隙間に大皿を差し入れた。するとグリンダはエメラルダの姫であるにもかかわらず、皿に残ったミートソースを指でなぞると、それをパクリとくわえて見せた。そして、優しくはにかんでみせる。 「さすがルーデンの料理長、良い腕をしている」  グリンダは小国エメラルダの姫だ。婚姻の破断がいかに国に不利益を与えるかわかっていた。それでも少しばかり我がままを言って見たかったのだろう。その姿が愛おしく可愛らしく見えた。ルグリはエメラルダの前にひざまずいた。ルグリは愚かしくも青臭い求婚をした。 「俺はお前に惚れた。グリンダ、俺の妻になってくれないか? 今は頼りない男だろうが、いずれ互いに、国の道具にならぬ王家を目指そうではないか」  ルグリは真剣だった。グリンダはそれが可笑しかった。 「信じていいのか?」 「信じて欲しい」  ルグリはそういうとグリンダと誓いのキスを交わした。その時、グリンダの腹はキューと音を立てた。グリンダは口を離すと赤くなった。 「ふふ、気にするな。これは二人だけの秘密だ。今夜は宴会になる。未来の王妃としてたらふく食えばいい」 「ふふ、遠慮はよそうか」  グリンダもまた武骨なルグリのことを好きになっていた。 「あの時の結婚式はなんと絢爛豪華だっただろうか。わしとグリンダは飾られた象の背中に乗り、千を超える楽団、従者を引き連れてルーデンの王都を練り歩いた。ルーデンの民もまた沢山の花を撒き、わしとグリンダの結婚を喜んでくれた。グリンダの従者のスェットなんぞ泣いてこの日のことを喜んでいたぞ。ふふふ……」 「どうかなさいましたか?」 「……あぁ、わしもあの頃は、若かったのだ。道具にならぬ王族など夢物語に過ぎなかった。盛大な婚姻の儀が終わったと思ったら、直ぐに世継ぎの話が頭をもたげたのだ……。勿論、わしはグリンダを守った。老練な大臣どもを一喝してやったのだ! ブレンザス王の時代が終われば、次はわしの時代だ。世継ぎの話はまだ早いとな。……それから、舟で遊び、詩を唄い、狩りを楽しむ、わしとグリンダの美しい十年は瞬く間に過ぎ去って行った。……だが、あれだけ丈夫そうに見えた父ブレンザスと母アムールも亡くなる日がやってきた。今際の際の言葉は今でも思い出さずにはいられない……」  ルグリは額のうえで手を組むとうつむきながら話しを続けた。  王妃の間でベッドに横になったアムールが傍らのルグリに手を握られていた。王妃の手は癌の病に生命を吸い取られているのだろう。人体の骨格標本と言っていいほどやせ衰えていた。オワゾは息子に震える声で語り掛けた。 「……あぁ、お前は本当に親不孝な息子でしたね。最後の最後まで、私に孫を抱かせてくれなかった」 「母上、そのような泣き言はおやめ下さい。気を確かに、生きることだけを信じるのです」 「よい、私はもう何も信じない。ただ千年先の世でも、万年先の世でも、ルーデンの民とルーデン王家の末裔に幸福であってもらいたいのです。……愚かなルグリよ。王宮に戦禍の種をまかぬよう終生、肝に銘じ、早く世継ぎを作るのですよ……」  年老いたアムールは目じりから涙を零すと静かにあの世に旅立って行った。 「母上っ!」  ルグリは叫んだ。ブレンザス王に続き二人目の肉親の死に涙が溢れた。だがアムールは二度と、目を開けることはなかった。  アムールの死から半年、喪に服す期間が終わるとルグリは直ちに王位に就いた。そうなると直ぐに世継ぎの話が再燃した。  王の間の玉座に座るルグリの前に、小太りのビエイラがやってきた。ビエイラは手にもった数冊の婚約写真を差し出すと神妙な面持ちで話し始めた。 「戴冠式も終わりましたので率直にお伝えします。家臣が邪な考えを起こす前に側室をお取り願えないでしょうか?」 「馬鹿はよせ、俺も王妃グリンダも毎夜、愛し合っておる。子供は時が作るものだ。余計な心配はしなくともよい」 「しかし、もう王妃と一緒になられ十年の時が流れました。健康なお体であればとうに子供ができていてもおかしくはないはずです!」  ビエイラは暗にグリンダを批判した。 「もし余の体に問題があったらどうするのだ?」 「だからこそそれを確かめるために側室を取ってもらいたいのです!」 「王妃は子供を産むことだけが仕事ではない!」 「しかしながら、私は大臣として余計な混乱をルーデンに持ち込みたくはないのです! それはアムール様の遺言では御座いませんか?」 「くどい!」  ルグリが怒鳴った刹那、隣の部屋からハープを奏でる音が聞こえた。さすがにビエイラの顔が汗にまみれる。 「どけっ!」  ルグリはビエイラを突き飛ばすと王の間の外にある大きなバルコニーに出て行った。  豪華な椅子に座ったグリンダが不良娘のようにバルコニーの手すりに足を掛けワインを飲んでいた。生まれながらの美貌だどんな格好でも絵になる。グリンダは空いた手でもういちど小ぶりのハープをかき鳴らすと、楽器は悲しそうな音色をあげた。  互いに遠慮をしないルグリとグリンダの夫婦関係は極めて良好だった。だがさすがにルグリは見とがめない訳にはいかなっかった。 「グリンダ、流石に昼間から酒に浸るのはよくないのではないか?」 「体を温めるほうが子ができると言うではないか。ルグリ王?」 「聞いていたのか?」 「私よりも母国のほうが泣いているのだ」  ワインボトルの置かれた机のうえにエメラルダからの手紙が置いてあった。ルグリは手紙に目を通すと怒り狂いその紙を破り捨ててしまった。 「なんだこれは大臣の仕業か! エメラルダの王は恥を知らんのか! みずからの娘に側室を取るようにわしに迫れだと! なんと愚かなわしの手で成敗してくれるわ!」  ルグリが腰の宝剣に手を掛けた瞬間、その腕をグリンダの手が押さえつけた。見えない内外の家臣らの突き上げが、気丈なはずのグリンダの心と体を蝕んでいたのだろう。着物の隙間から見えるその手はとてもやせ細っていた。ルグリの脳裏に病で死んで行った母アムールの姿が蘇ってきた。グリンダはそっと口を開いた。 「王様、むやみに家臣を斬ってはならない。民も臣も人はみな国の財産なのだ」  グリンダもまた十年で大人になっていた。受け入れなければならない王家の宿命がある。 「グルンダ……」 「少しは落ち着いたようだな。もうブレンザス王もアムール王妃もいないのだ。王の乱心は国を不幸にしてしまう。家臣の言葉には良く耳を傾けないとな。……ふふふ、私は疲れたので少し眠らせてもらおう」  グリンダは立ち上がった拍子にめまいを起こした。それをルグリが抱きかかえた。思いのほかその体は軽かった。 「グリンダお前もしかして、酒を痛み止め代わりに使っているのではないだろうな!」 「ふふふ、お国のために側室をお取りなさい……。私の体はルーデンの役に立つことはない」 「馬鹿な、あの日の約束を忘れたと言うのか!」 「ルグリ王……、私の我がままを聞いて欲しい。それがルーデンの民とエメラルダのためになるのだ」  酒にかまけた王妃の本音がルグリの胸を締め上げた。 「あぁ、グリンダっ! 俺はお前以外を愛さんぞ! 国のために心を捨てるなどはやめてくれ! これは王からの命令だ! 王からの絶対の命令なのだ!」  ルグリは叫ぶと王家の重圧に心と体を吸い取られたグリンダの細い体を抱きしめた。 「わしは泣いたよ。政治の道具にはならない。そんな若き日の思い出は叶うことはなかった。……それからグリンダは七年の闘病ののち肺を患い死んでいった。最後の言葉は、……ルグリ王、私を守ってくれてありがとうだった。……今でも時折考える。わしはグリンダを本当に愛していたのだろうか。もし側室を取っておればグリンダは少しは長生きができたのではないだろうか……」  五十を迎えようとするルグリの目に涙が溢れていた。オワゾはルグリの優しさに憂いを帯びた目じりに涙をためていた。 「だからこそわしはお前に、グリンダと同じ思いはさせたくはないのだ。……ルーデン王国の新しい王子には、近しい親類、サーペント家の嫡男を養子にもらおうと思っている。……世継ぎの話はそれで決着がつくだろう。……無論、ヤンデラの王を愚弄することはない。ただお前のことを好きになることもないだろう。わしのことが嫌になったら言ってくれ、隣国の若き王子をいつでも紹介させてもらおう。すまない、いたらぬわしを許して欲しい」  ルグリは言い終わるとオワゾの眠るベッドの脇を立ち上がった。傍らでオワゾが咳込んだ。何度も、何度も繰り返し咳をした。 「ごほっ、ごほっ。ごほっ、ごほっ……」 「オワゾ、お前、なにか病気を隠しているのか?」 「すみません。この世には政治の道具になれぬ女もいるのです」  オワゾはベッドを逃げ出そうとした。 「待て!」  ルグリはその手を掴んだ。オワゾをベッドに押し倒す形になった。 「お前まさか、肺の病ではないのか?」 「申し訳ありません。ヤンデラを恨まないで下さい。この歳の姫で御座います。何やらある者だと、始めから見合い写真もはじ弾かれるものだと思っておりました」  オワゾは三十を過ぎた女だった。美しくはあるが姫と言うには流石に歳を取りすぎていた。ルグリは考えなしの己の命令を恥じた。 「すまぬ。お前を選んだのは私の無知だ。許して欲しい」 「私は王に愛されとう御座います」 「……悲しくはないのか?」 「悲しくは御座いません」  ルグリは目を瞑り胸のうえで手を合わせたオワゾを見下ろすとキスをした。二人はその夜、契りを交わした。それは愛ではなく情であるものだとルグリは知っていた。  朝が来た。  小鳥は木の枝でさえずり、ルーデンの王都は早朝のもやのなかに霞んでいた。 「はっ!」  ルグリは天蓋付きのベッドのうえで目を覚ますと傍らにオワゾがいないことに気が付いた。ルグリは情にほだされ他国の姫を我がものしてしまったことを後悔した。好きにならぬと言われ、誰がルグリのことを愛するだろうか。オワゾはグリンダほど気の強い女ではなかった。ルーデンとヤンデラの婚姻が上手く行かないとわかれば気を病み最悪の事が起こるかもしれない。  ルグリはガウンだけを羽織ると寝室から飛び出した。廊下で出会った女官を怒鳴りつける。 「オワゾを見なかったか?」 「オワゾ様は朝のお勤めがしたいと、グリンダ様の陵墓に向かわれたようですが?」 「グリンダの陵墓だと? そのような場所でなにを?」  ルグリの頭にグリンダの陵墓の前で、ナイフを胸に突き立てるオワゾの姿が見えた気がした。  ルグリはルーデン城の南門の外、鎮守の森にあるグリンダの陵墓まで走った。グリンダの眠る十字架の前には真っ白い献花用の花輪が手向けられていた。その前で膝を立て、祈りを捧げるオワゾの姿があった。ルグリは咳払い、声を整えるとオワゾに話しかけた。 「何を祈っているのだ?」 「これはルグリ王様、おはよう御座います。私は新しいルーデンの王妃として、グリンダ様にこれからの生い立ちを守護して頂くため、ここにやって参りました」 「守護とはなんだ」 「グリンダ様に精霊として私の未来を守ってもらうのです」 「強いな。わしはてっきり死んだかと思ったよ」 「……私はルーデンの王妃に選ばれしもの。その大役は弱きものには務まりません」  オワゾは王妃ぜんとした憂いを見せると突然、咳込んだ。 「ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ……」 「オワゾ、大丈夫か……?」 「……ルグリ王様、グリンダ様の声が聞こえました」 「グリンダが? なんと言っておる?」 「ラビオリの食べすぎにはお気を付けになるようにと」 「ぷっ、なにを馬鹿な」  微笑むオワゾの言葉に王は噴き出した。そしてルグリは目じりを震わせると、その場にひざまずきオワゾの手を取った。素直な言葉が口をついて出てくる。 「わしはお前のことを愛してしまった。この弱き王を生涯をかして助けてはくれないか?」 「ありがたき幸せ。……私は生涯をかして、私にしかできない仕事を成し遂げて見せます」 「気を揉まなくともよい。お前にはグリンダと同じ苦しみは与えはしない」 「あぁ、王様、それでは私が……」 「よいのだ。わしのために、長く生きることのみを考えて欲しい。それだけでよいのだ」  そう言うとオワゾとルグリは永遠の愛を誓いその場で口づけをかわした。  その後、ルグリの意を汲んだサーペント家のシュバリエがルーデン王家の仮養子として迎えられることになった。オワゾはその日から、自分の子供のようにシュバリエを可愛がるのであった。  第十三話 『聖騎士税・後夜』  ルグリはあの日の誓いを思い出しながら棺に顔をつけ泣き続けた。老体には二人目の妻、オワゾの死は酷く堪えていた。  だがたとえどのようなことがあろうとも、疲れ果て老いぼれた老王ルグリの姿は黒い喪服に身を固めた家臣たちを特別不安にさせた。 「あぁ、オワゾ、オワゾよ。わしのもとに帰ってきておくれ、わしを一人にしないでおくれ……」  シュバリエは葬儀の聴衆のなかに交じり赤子のブランシュを抱いていた。王の背中が妙に小さく見えた。シュバリエは義弟を強く抱きしめると心に誓った。……この子は必ずや立派な王にしてみせる。それが例え仮養子とは言えど、ルーデン王と王妃に寵愛を受けた人間の生涯を賭けた仕事のように思えた。  春の寒空に喪章をつけたルーデン軍の兵隊の礼砲がこだました。その場に集まった人間は口数も少なくそぞろに解散を始めた。  ピレスの背後にビヤードがそっと近づいて来ると耳元で囁いた。 「まさか妊婦に毒を持ったわけじゃないでしょうね?」 「まさか王宮でそこまでのリスクをとるほどのバカじゃねぇよ。ただ、歴史が俺に微笑んでやがる。そこのところは否定しねぇよ」 「ふ~ん。小物には将軍の考えることは理解できませんな」  二人はともに含みのある笑いを見せると胸の前で十字を切った。  オワゾが死に喪に服した期間が終わると、軍事予算会議が再開された。審議の間で玉座に座り杖を持ったルグリの姿は誰の目にも、ただの弱々しい老人の姿に見えた。オワゾの死は老王の心を骨の髄まで痛めつけていた。  審議台の前に立ったピレスは王の傍らにたつビエイラに微笑みかけた。 「ビエイラ殿に質問いたしますが、北方の砂漠の国ヤンデラの王が、砂漠の盗賊団に頭を悩ませルーデン軍に助けを求めているようですが、我々はこの要請に応じるべきでありましょうか?」 「砂漠地帯に遠征となりますと装備品にまたお金が掛かりますな。ラメールの遠征の軍事費を計算し直してみましたが、いくら鉱石を安く買えたとしても結局は大幅な赤字、このままではいずれルーデンの国庫に穴があくことになるでしょうな」 「しかしながらヤンデラはオワゾ王妃の母国、助けを出すことは必然ではありませんか?」 「……うっ」  はげ頭のビエイラは失言に肝を冷やした。老王は枯れた声で呟く。 「オワゾ……」  ピレスは続けた。 「つきましては私は国を守るルーデン王国軍の将軍として改めて聖騎士税の導入を提案いたします」 「ば、馬鹿な、そのような強引な徴税をすれば隣国が怒り、新たに戦を生むやもしれませんぞ、将軍!」 「しかしながらビエイラ大臣。今はかろうじてルーデンの軍事予算が確保されていますが、この予算がブランシュ王子の時代に底をつくことがあればどう責任を取られますかな?」 「そ、それは……」 「兵のいない国ほど奪いやすい国はないのです。他国の侵略を許す前に我ら兵士が王の盾になりルーデン城を守らなければならないのです!」 「ル、ルグリ王……」 「ブランシュ王子が逞しい王になることこそがオワゾ王妃の切なる願いであることは間違いないでしょう! それまでに国を取られるようなことがあってはならないのです!」  ピレスは助けを求めるビエイラを一言で制した。  その場にいた大臣たちの視線がルグリの口元に集まった。ルグリは遠くを見た。若き日の気骨はどこにもなかった。だがその目と耳には王妃オワゾの声と姿がはっきり見えていたのだろう。 「ルグリ王、私の王子を守って下さい……」 「あぁオワゾ……」  老王は震える体で立ち上がると宙に手を伸ばした。その手がオワゾの手を強く握った。老王は薄く微笑むと声を発した。 「……税の導入を認める」 「おぉっ……」  議場はどよめいた。ビエイラは未来を予知したかのように頭を抱えた。ピレスは大きな勝利に口もとを緩めた。  すぐさま税の導入が諸国に発表された。隣国の小国は怒りを持って反発をした。それはカライ王国も例外ではなかった。  第十四話 『カライの惨劇』  東方にあるカライ王国の王都は精密機械をつくる大小の工場で溢れていた。金属加工を行う大型機械の蒸気が煙突から流れ出て、雑多な街にも活気があった。いつぞや女王の専属騎士シノにからんだみすぼらしい中年男もこの頃は真面目に働いていたのだろう。年季の入った家の玄関のまえで太った女房に怒鳴られていた。 「いつまでも深酒をやってるから朝起きられないんだろ!」 「毎月、金は入れてんだ。酒ぐらい飲ませろよ!」 「表で喧嘩はみっともねぇぞ!」 「うるせぇな。じゃぁ行ってくるぞ」 「頑張って稼いでくるんだよ」 「あいよ」  油の染み付いたエプロンをつけた仲間にやじられると男は弁当を手に工場に向かった。それを溜息混じりに女房が見送る。カライの国民は貧しいながら手持ちの金で慎ましやかな庶民の暮らしをやっていた。この時代にはまだ微かな幸せがあったのだ。  石垣に蔦が伸びたカライの城は小さいながらよく掃除の行き届いた美しいレンガ造りの建物だった。角ばった四角いデザインの古城の一室で若き騎士のクライフが怒鳴り声を上げた。 「聖騎士税とはいったいどぉいうことですか。それでなくても武力を盾にカライの機械部品を安く買い叩かれていると言うのに! いっそうのこと戦に討ってでカライの力をルーデンのやつらに見せ付けてやろうではありませんか!」 「おぉそうだ、そうだ!」  軍議用の円卓の間に集まった軍人や政治家は大いに盛り上がった。金の縁取りの入った黒い王衣を羽織ったカライの王マストレイヤはただ一人冷静だった。八十を過ぎ年輪と言う言葉が良く似合う深い顔のしわを動かしながら話し始めた。 「戦はいかん。それこそルーデンの思う壺になってしまう」 「それはルーデン王国が戦争をしたがっていると言うことですか!」 「その通りだ。カライの兵が迂闊に暴発すれば、それを合図にルーデンの大軍がこの土地を蹂躙するだろう」 「それはマストレイヤ王の推測にしかすぎません!」 「聖騎士税に苦しんでいるのはカライだけではない。全ての小国がルーデンの政策に不満を持っている。その不満を手っ取り早く取り除く方法はなんだと思う、クライフ……?」 「わかりません!」 「見せしめだよ……」  マストレイヤの静かな物言いに始終喧嘩腰でまくしたてていたクライフは大人しくなった。だがクライフは上げた拳を下ろすことができなかった。 「では小国同士が手を携えて戦うと言うのはどうでしょうか? 我々が中心となり連合国を作ることができればルーデンも話を聞かないわけには行かないでしょう!」 「同じだ。どのような形であれ兵を動かせば、ルーデンに戦の大儀を与えてしまう。我々はラメールの二の舞になってはいけない。全ての策は私に一任してくれないだろうか。このとおりだ……」 「マ、マストレイヤ様……」  クライフをふくめ全ての家臣はマストレイヤに頭を下げられると言葉を失ってしまった。  マストレイヤはその足でミロクの部屋に向かった。部屋のなかから楽し気に話す娘の声が聞こえてきた。十五歳の誕生日を迎えたばかりのミロクは大きな鏡の前で侍女のアザーレに髪をといてもらっていた。理知的なその顔には生まれながらの王家の品格があった。 「クライフに試合で負けたよ。女はかくも弱いものだな」 「クライフ様はずっと手を抜いて下さっていたのでは御座いませんか?」 「ふふ。王家のじゃじゃ馬に自信をつけさせるのも騎士の仕事か」 「……騎士様は姫様をお守りになりたいのですよ」 「……ふふ、お優しいことだ」  マストレイヤも大きな眼鏡を掛けたアザーレも、ミロクとクライフの二人が恋仲であることを知っていた。ミロクは年頃の憂いを見せると、アザーレの手を握りしめ少女であることを許してくれる侍女の優しさに敬意を示した。ミロクは言った。 「ルーデンの山奥の村には戦いの神、軍神マルスが祀られていると聞くが、王妃になればその力は私のものになるだろうか?」 「姫様、王妃は紅茶と焼き菓子のことだけを考えていれば宜しいのですよ」  アザーレもまたカライ王家に務める人間として知的な女性だった。感傷に浸りすぎれば新たな城での生活に支障をきたすことを知っていた。小国の生き残るすべは、押し黙り野心を捨てることしかなかった。アザーレはミロクの手を握った。 「かの国でも私は姫様の味方です。今夜はバラのアロマの効いたお風呂に入りましょう」 「アザーレ……」  ミロクは侍女の優しさに感謝をするしかなかった。 「……入るぞ」  一声出すとマストレイヤは娘の部屋に入った。 「代わろう」  マストレイヤはアザーレからブラシを受け取るとミロクの金色の長い髪をとき始めた。マストレイヤは娘にかける言葉を探した。国のために人柱になる子にかける言葉などなかった。ミロクは微笑を零した。娘の利巧が胸を締め上げる。 「……クライフのことを許して欲しい」 「所詮は女に守られる男。王家の姫にはふさわしくありません」 「すまない、もっと大きな国に生まれていれば……」 「父上、私はその黒のガウンがずっとお気に入りでした。嫁入り道具として私に持たしてはもらえないでしょうか?」  ミロクは涙を零すマストレイヤから強引に上着を取り上げた。ミロクは金の縁取りのついた黒い王衣を着ると恥ずかしげもなく裾をなびかせ踊って見せた。そのローブの背中には、長い冬を耐え忍ぶと言う意味の込められたカライ王家の紋章、金色の雪見草の刺繍が縫い付けられていた。  ミロクは踊り終わると手を交差させ王の前にひざまずいた。 「私はカライの民のため、ルーデン王の子を産みます。父上、もうこれ以上、泣かないで下さい……」 「すまないミロク。本当にすまない……」  ミロクは最後まで涙を見せず、震える父マストレイヤの肩を抱きしめ続けた。ミロクは父思いの娘でもあった。  カライからの婚姻の申し出の贈り物はすぐさまルーデン王国に届いた。オワゾの死以来、ひどく気落ちしてしまった老王ルグリは寝込み、代わりに国のかじ取りはビエイラに委ねられていた。  穏健派のビエイラはピレスを王宮の大臣室に呼びつけた。ピレスは机の上に並んだ金の首飾りや豪華な反物を見ながらマストレイヤの手紙に目を通した。傍らでビエイラが話し始める。 「まぁ詰まるところ、政略結婚の申し出ですな。カライのマストレイヤ王は赤貧の善政で有名な方だ。娘のミロク姫をルーデンに嫁がせることによって、民を戦から守ろうとされているのでしょう。カライは討伐の候補から外して宜しいですな?」 「それは十五の姫と一つの王子が一緒になるということですかな?」 「意外に上手くゆくかもしれませんよ。ブランシュ様には乳母も母君もいないのです。美貌と知性を兼ね備えたと聞くミロク姫が年上女房として愛を注いでくだされば、オワゾ様の時代のようにルーデン王国はきっと三十年後も安泰のはずです。いやぁマストレイヤ王の知見は噂以上ですな」  断固、戦争を嫌うビエイラは政略結婚の意義に目頭を押さえ感動して見せた。 「お言葉ですが政略結婚の申しではカライだけでありません。このままだと城のどこかに後宮を作ることになりますよ」 「平和の象徴が子供の数になるのならばそれも悪くはないでしょう?」 「ふむそれでは少し考えさせて下さい」  ピレスは部屋にならんだ各国からの金銀の贈り物の山を見ながら部屋を出た。そして背中に巻いたマントのしたに手を伸ばすと、腰にぶら下げた手榴弾のピンを抜いた。 「ビエイラどの?」 「なにか?」 「わずかな貢物よりも、やはり戦争のほうが儲かるかと思いますが?」 「ん?」  ビエイラの足もとに投げられた手榴弾が音を上げ破裂した。 「あぁ~~~~っ!」  爆風はピレスの体をも襲いその半身は酷い火傷に覆われることになった。ピレスは頭から流れる血を手で触ると白い歯を見せた。黒こげのビエイラ大臣は即死だった。ピレスは迫真の演技で大声を出した。 「テロだ。カライのテロだ!」 「な、何事ですか将軍!」  音を聞きつけ現れた二人の兵士は動かないビエイラと血を流すピレスの姿に言葉を失った。 「ルグリ王を狙ったテロだ! カライの求婚の品の詰まった箱に爆薬が仕掛けてあったのだ! このことをすぐに王に知らせろ! 我々は装備がそろい次第カライ討伐に出発するぞ! 俺は大丈夫だ、急げ!」 「はっ、ただちに!」  二人の兵はかかとを合わせて敬礼すると走ってその場を去っていった。ピレスは肩を押さえながらのっそり立ち上がるとビエイラの死体に蹴りを入れた。 「王女が十五で王子がひとつ? そんな腐れ小説みたいな物語に俺が付き合うわけねぇだろ。へへへへ……」  ピレスの強引なやり口によりカライ討伐戦の日どりが決まった。 「いちいち派手なことが好きな野郎だぜ」  王都のはずれにある兵舎の副官室のなかでビヤードが軍服に着替えていた。外から扉を叩く音が聞こえた。 「入れ」 「失礼致します」  部屋のなかに名前もない四人の兵士が入ってきた。 「なにようだ?」 「はい、ビヤード副官に我々義勇軍の隊長をやって頂けないかとお願いに伺いました!」 「義勇軍なんだそりゃぁ?」 「我々四人はピレス将軍の虐殺主義にはついてゆけません。あのような殺しを続ければいずれ小国は手を取り合いルーデンは火の海になるでしょう。そのようなことが起こる前に将軍を誅殺するべきではないでしょうか?」 「誅殺? 俺はピレス将軍の右腕を務める男だぞ。お前らなんかを信じると思うのか」  ビヤードは腰の拳銃に手を掛けた。若き兵士は怯まなかった。 「ではこれでどうでしょうか?」  若き兵士はビヤードの机のうえに置かれたペンを手に取ると、ドンと音をたて自分の手の甲を突き刺して見せた。そこからおびただしい量の血が噴き出してくる。 「おぃおぃ、やめろやめろ。宗教染みた野郎だな、俺の一番嫌いなタイプだぜ! たくよう!」  ビヤードは愚痴ると救護箱を開け、なかの包帯を兵士に投げつけた。 「俺に何をして欲しいんだ?」 「カライ討伐戦の折、我々が将軍の注意を引きつけます。その隙に…………」 「……なるほど、凡庸ポーンの得物じゃ将校用のポーンを殺りきれねぇってところか?」  ビヤードはニヤついた。機を見る才能が目を覚ます。 「………へへへへ。将軍は天下の大悪人、それを誅殺すりゃぁ俺は正義の味方。策がはまりゃぁ、楽して将軍職が手に入るってことじゃねぇか。へへへへ……、面白ぇ。その作戦、乗ってやろうじゃねぇか! あとは俺に任せておきな!」 「はっ、ありがたき幸せ!」  名前もなき四人の義勇軍の面々は希望に満ちた顔で胸に手を当てるとビヤードに敬礼してみせた。  使われなくなったオワゾの寝室の天井でオルゴールのおもちゃが回っていた。ベビーベッドに寝かされたブランシュが宙に手を伸ばしきゃきゃと笑っていた。 「お前のことは私が守って見せる」  シュバリエはブランシュの頭を撫でると立ち上がった。騎士の清廉潔白を表す真っ白い軍服を着こんだ少年は、部屋の中央に飾られたオワゾの肖像画を見上げると、長い銀髪を後ろで縛り上げた。まだ幼き日の思い出がよみがえってくる。  七歳のシュバリエは仮養子としてより本物の親子に近づくため毎日、病弱なオワゾの寝室で昼食を共にすることを義務づけられていた。  シュバリエはまだ幼いながら、利発な少年だった。上手にフォークとナイフを使い小さく切った鴨肉を口に運んでいた。だがそこはまだ小さな少年だ。オワゾはそれを見逃さずナプキンを手に少年の頬に迫った。 「ほらシュバリエ、口もとにソースがついていますよ」 「母上、私を甘やかすようなことはおやめください!」 「甘やかされたくなかったら、隙を見せるのはおやめなさい」  コロコロ笑うオワゾは美しかった。少年の頬は赤くなる。幼きシュバリエはオワゾに対して淡い恋心を持っていたことを否定できなかった。 「母上、私のことをお守りください」  王妃オワゾの絵に敬礼すると、シュバリエはひときわ決意にあふれた顔を見せた。外から乱暴に扉をノックする音が聞こえた。 「入りますよ」  だみ声をあげるとビヤードが無遠慮に部屋に入ってきた。 「王妃の間ですよ」 「将軍の命令でね。討伐戦に加わるかどうか聞きに来たんだが、良い顔じゃないか? その顔は子守りがお似合いって言う顔じゃねぇな」  シュバリエの顔を見てビヤードは口角をあげた。 「ビエイラ大臣って言えば察しがつくかな?」 「私は将軍を裏切ることはありません。王妃のために出世がしたいのです」 「嘘が下手だな。目が笑っちゃいねぇよ。俺のところに仲間が集まっているんだがよ?」 「王子にふれるな」 「剣を下げろよ。俺は今日は軍人じゃなくて預言者としてあいさつに来たんだからよぉ。未来の王様に媚びさせてくれよ」  ビヤードは大げさに両手をあげると持って生まれた野心家の顔を見せた。 「長くは喋らねぇよ。だがこの部屋に預言書を置いていくぜ。カライの討伐戦が終わったら、俺が将軍で、お前が暫定王だ! 気が変わったら声を掛けてくれよな」  ビヤードは微笑むとシュバリエの肩を叩いて部屋を出て行った。シュバリエはビヤードを決して信じなかった。そして、その小さな拳を握り締めると呟いた。 「将軍は私が仕留める……」  シュバリエは貴族の母クロームに私兵三十人の護衛をつけ乳母を頼むと、赤子のブランシュを任せカライ討伐作戦に参加することになった。  カライの王都の城門の前にポーン二十機とルーデン王国の歩兵千人が並んでいた。土偶兵器の内訳は、将校用ナイトポーン三機と全身の装甲を厚くした重装甲型凡庸ポーン十七機だった。右肩に「将」の字の入ったナイトポーンの開いた操縦席の上に立ったピレスが、拡声器を片手に大声を出した。 「我々は求婚に見立てたカライの爆破テロに正義の鉄槌を食らわせるため、ルグリ王の命を受けやってきたルーデン王国軍である。大人しく城門を開け報復の裁きを受けてもらいたい。猶予の時間は十五分、それで決断のできぬ時は実力行使に入る。ルーデンの怒りを舐めぬように!」  将校用ナイトポーン三機はこの討伐専用に作らせた、厳めしい大きさの対重装甲用貫通弾の装填されたガトリングガンを天高く掲げて見せた。 「ふう~」  副官用のナイトポーンに乗り込んだビヤードは形式ばったピレスのやり口に顔を歪めた。だがまだ時ではない。同じく肩に剣の紋章の入ったナイトポーンに乗り込んだシュバリエが、背後からピレスを狙っているのが手に取るようにわかった。 「……撃てねぇよ。大人の世界は一人じゃ勝てねぇ」  ビヤードはシュバリエの甘さを知っていた。貴族出のエリート志向。不必要な頭の良さ。戦場での経験不足。ルーデン軍にはシュバリエの仲間は一人もいなかった。もしピレスを撃てたとして戦場からどう逃げる。ここにはピレスの仲間しかいない。仕留め損ねればブランシュの後継人は実質ゼロだ。ブランシュが傀儡王になるのは誰の目にも明らかだった。若い少年騎士には決定的に懐柔と言う才能が欠如していた。  シュバリエのポーンが持ったガトリングンガンの銃口が地面に向かって下がる。 「……だが今は正解だ」  ビヤードは横目でそれをみると誰に聞かせるでもなく大きな声を出した。 「リラックスして行こうぜぇ」  マストレイヤの城の前には手に手に武器を持ったカライの市民が大挙して集まっていた。人々は機械油で汚れたシャツを着ながら必死に王の名前を連呼していた。 「マストレイヤ様、我らは国のために戦います!」 「これ以上、ルーデンの横暴に耐えることはありません!」  城の円卓の間のなかで窓越しに聞こえる市民の叫びを聞きながらクライフは机を叩いた。 「王、この民の声が聞こえませか! これは全てマストレイヤ様の善政のたまもの。カライの民は王と戦うことを望んでおります!」 「あぁ民の声には心が震える思いだ。だが王は彼らの無知に気付かねばならない。見よ彼らの持つ武器を……」 「うっ……」 「そう彼らの持つ武器はこん棒にスパナ、対してルーデンは最新型のポーンに大型の武器を有している。この先にあるのは虐殺だけだ」  クライフは窓の外の市民を眺めながら涙を零しそうになった。 「我々は求婚の義を通したのにもかかわらず、逆賊に仕立てあげられたのですよ。これ以上耐えたところで、ルーデン王国どころか隣国の民や王も、カライの人間を信じることはないでしょう……。決闘を。そうルーデンの将軍との決闘を許可してください! 私、クライフ・ジョルディはカライのポーンの性能に絶対の自信を持っています。カライの誇りを賭けて一矢報いる許可をお許しください!」  クライフは胸に手を当てマストレイヤの前にひざまずいた。マストレイヤもまたクライフの前にひざまずく両手でその手を握り締めた。 「私は愚かな王だ。カライの全ての民よりも。一人娘を守りたいのだ。生涯をかしてミロクを守る騎士になってくれ。頼むぞ、クライフ」 「ま、マストレイヤ様……」  床に額をこすりつけ詫びを入れる王の姿にそこにいる誰もが涙を流しそうになった。  二機のサイ型ポーンに守られたマストレイヤが四人の兵士が担ぐ神輿に乗ってカライの城門をくぐり抜けると大通りを歩き始めた。そこに集まった機械工を中心とする市民が大きな歓声で王を迎える。 「カライ、カライ、カライ、カライ!」 「カライ、カライ、カライ、カライ!」  マストレイヤは縛り上げた両手を挙げると兵士をかしずかせ神輿を降りた。市民は歓声をピタリと止めた。マストレイヤは静かに言った。 「戦争はしない。皆の者、耐えてくれて……」 「お、王様……っ!」  集まった市民は絶望と不安のなかに取り込まれていった。  カライの城の姫の間からミロクとアザーレが表の様子を伺っていた。ミロクは自害用の短剣の入った錦の袋を強く握りしめた。 「ルーデンの将軍は信じるに値する人間だろうか?」 「いざという時は姫様の金糸のローブを私に下さいませ」 「くっ、王の決断を信じられぬとは。アザーレ、私を許してくれ」  まだ十九になったばかりのアザーレは優しく十五の姫の手を支えた。若きミロクはその手を強く握り返していた。 「開門!」  クライフの乗ったサイ型のポーンがカライの王都を守る西門のカンヌキを外した。部下のフェルスの乗る同型のポーンと一緒になって大型の門扉を開いた。そこにはガトリングンガンを天高く掲げたナイトポーンが立っていた。操縦席でピレスが顔を歪ませる。 「なんでぇ、戦わねぇのか」  マストレイヤは縛った手を高く上げると西門のまんなかに膝を折り座り込んだ。 「見ての通りカライの王マストレイヤはルーデンと戦をするつもりはない。わしがルグリ王の暗殺を企てたと言うならば責任を取りルーデンの都に連行されよう。ただしカライの民に向けられた刃は全ておろしてもらいたい。この通りだ」  マストレイヤは手を高く上げたまま地べたに頭を押し付けた。カライの民は王の姿に涙した。 「王様は命をかけて俺たちを守ろうとしているんだ……」  人々は手に持った武器を通りに投げ捨てると、王と一緒になってルーデンの兵に土下座をした。ルーデンの兵隊のなかにもカライの民に対する同情の空気が流れ始めた。 「立派な王だ……」 「あぁ力で負けているんだ。これ以上、無益な殺し合いは避けたほうがいい……」  大国の軍隊を王都に入れず押し返すことができたなら、マストレイヤは歴史に名前を残すことができたであろう。ビヤードはポーンのなかで顔を歪めた。 「……だけど世の中にはマルケー野郎って言うのがいるんだよな」 「マストレイヤ王……」  ビヤードに名指しされたピレスは人間の耐久力を考慮することなくカライ王の腹をナイトポーンの左手で殴り飛ばした。 「ぐわっ!」  マストレイヤは口から血を吐きながら大通りを転がった。 「王様!」 「駄目だ……」  マストレイヤは首を振り助けに走ろうとするクライフのポーンを制した。 「へへ、面白ぇな。浪花節は時間の無駄だぜ。ポーン隊、マストレイヤを捕まえろ!」 「はっ、はい!」  ピレスの命令で我に返ったルーデンの兵隊が重装甲ポーンで走り出した。マストレイヤを強引に引き起こすと腕の縄を引きちぎった。抵抗のできない老体が二体のポーンに支えられ、大の字の形で人間型の的になった。ピレスは発狂をした。 「ルーデン王に対する爆殺未遂事件の首謀者としてカライ王マストレイヤに死罪を申し付けぇぇぇぇぇる。処刑ぇぇぇぇ~~~~~~~~~~~~~~っ!」  ピレスは会心の笑みを見せると、対重装甲用貫通弾の装填されたガトリングガンを使いマストレイヤの体を打ち抜いた。ダダダダダダダッ~~~~~~~~! 「いやぁ~~~~~~~っ!」  悲惨な市民の叫び声が聞こえた。そこにいた全ての人間は敵も味方もなく声を失った。凄まじい機械音はあたりに内臓をまき散らし、大通りを血で赤黒く染めると、あっという間にカライ王をむごたらしい肉片に変えてしまった。  ピレスは味方の兵隊に怒号を飛ばした。世界の武器商人を目指すピレスにとってカライの王の些末な物語などはどうてもよかったのだ。 「兵隊は皆殺し、王子をかどあかしたミロクを捕まえろ、褒美は王女の操だ! 俺たちは、ルーデンの魔神(マルス)隊だ。七つ向こうの大陸まで恐怖を刷り込んでやりな! 折角の武具の一張羅を泣かすんじゃねぇぞ!」 「おぉっ!」  将軍の命令に銃剣の先を光らせた兵士と、ポーン十数機は目の色を変え城を目指して走り始めた。カライのポーンに乗ったクライフは怒りに震えながら仲間に指示を出した。 「王女を守れ! 市民であっても武器を持ち直しカライの王都を守るのだ!」 「おぉクライフ様に続け!」  カライの市民はこん棒を拾い直すとルーデン兵と戦い始めた。女も子供も石を拾い投げつけカライのために戦い始めた。だがそれは残酷なまでに無意味だった。 「蹴散らせ!」  ルーデンの兵が一言発すると、重装甲ポーンの持った小型マシンガンが次々とカライの市民を撃ち始めた。カライの男たちがレンガのかけらを投げつけるがそんなものは当然のごとくポーンに効くわけがなかった。二機、三機のポーンがマシンガンを構え脆弱な武器しか持たない市民を老若男女構わず撃ち殺して行く。 「むごい……」  凄惨な戦闘に一人出遅れていたシュバリエは王宮に向かってナイトポーンを走らせた。ルーデン王に寵愛をうけたシュバリエはカライ王家の滅亡を防ぎたいと思った。ミロクの死はいづれ訪れるブランシュの死のように思えた。  後方に控えるビヤードは一人冷静だった。 「……青ぇな」 「どうした? お前は城を目指さないのか?」 「俺にだって部下はいますよ。戦功をたてさせ、自信をつけさせなければならないんでね」 「殊勝なやつだ」 「お褒め頂き光栄です」  ビヤードはピレスと会話を交わしながら重装甲ポーンの数を数えた。王宮を目指すポーンは十三機、少し遅れ市街地にたたずむポーンは四機。すなわち残った四機は名もなき四人の義勇軍が乗り込んだポーンだった。  ピレスの乗ったナイトポーンに、背中のロングアックスを抜き取ったクライフのポーンが斬りかかる。 「王の仇!」 「おおなかなかの戦闘力だ。さすがは機械の国のポーンだな!」  ビヤードはその攻撃をナイトポーンの腕で受け飛ばし関心をした。そこへフェルスの乗った二機目のサイ型ポーンが現れロングアックスをピレスのポーンに振り下ろした。 「クライフ様、助太刀致します!」 「おおっと危ねぇ」  歴戦の戦士ピレスは余裕をもって背後からの攻撃を交わした。ピレスと二機のカライ騎士団のポーンは睨みあった。ピレスは戦闘を楽しんでいた。 「おいビヤード、この二体は俺が責任を持って首を取る。絶対に手を出すんじゃねぇぞ!」 「へいへい、将軍。期待をしておりますよ」  ビヤードの軽口の後ろで四機の重装甲ポーンがマシンガンを手に包囲網を狭めていた。  カライ城の城門のうえから五人の兵隊が一斉射撃をおこなった。ルーデン軍の先発隊、重装甲ポーンは弾丸にひるむことなく肩から突進し一撃で城門を破壊すると、庭を駆け抜け一階のエントランスに侵入した。そこに歩兵の群れが我先に侵入していく。 「突撃だ! 王女の部屋を見つけ出せ!」 「行かせるな! ミロク様のお逃げになる時間を稼ぐのだ!」  カライの兵隊は城内の二階からライフルで射撃し城に侵入したルーデン兵と撃ち合いになった。ルーデンの兵隊が叫ぶ。 「怯むな兵の数では勝っているんだぞ!」 「撃て、撃て!」 「うわぁっ!」 「ぎゃぁ!」  双方死傷者を出す打ち合いになったが数に勝るルーデン軍があっと言う間に優勢になった。そこへ加勢とばかりに現れたルーデンの重装甲歩兵が三機そろってマシンガンを乱射した。一瞬で壁や柱を破壊するポーンの圧倒的な火力の前に生身のカライ兵はどうすることもできなかった。 「退け、退くんだ。我々が盾になり姫様の部屋を固めるんだ!」  隊長らしき人間の命令にカライの兵隊たちは二階の部屋の奥に走って行った。そこへナイトポーンに乗ったシュバリエが遅ればせながら現れた。 「よし、あの奥がミロクの部屋だな。一番乗りのご褒美は山分けだぜ!」 「へへ、悪くねぇ!」  ピレスの士気に染まった下種なルーデン兵がポーン隊を先頭に階段を上り始めた。シュバリエは叫んだ。 「やめろ貴様ら!」 「うるせぇな、将軍の男娼婦の言うことなんて誰が聞くかよ!」 「兵隊なんていつ死ぬかわからねぇんだぞ。楽しむときに楽しむのが隊の流儀なんだよ!」 「貴族上がりだけが特技のガキが、いつかシメられねぇように気をつけな!」  歩兵隊はくだをまくと床に唾を吐いた。軍人が若輩者を侮ることはいつものことだ。シュバリエの胸を怒りの感情が埋めて行く。ナイトポーンはガトリグンガンの銃口をその背に向けた。シュバリエの善性がルーデン兵を撃つことを躊躇させる。 「……撃つのか。……味方だぞ。……構うものか!」  シュバリエは修羅を選んだ。ポーンの右手に握られた巨大な得物の先が火を吹く。対重装甲用貫通弾が階段を登り切ったポーンの背中を捉えた。それも三機全部だ。ポーンはバックパックから爆炎を上げるとエントランスに転げ落ちてきた。それにルーデンの兵隊が次々に巻き込まれて行った。  シュバリエは初めて人を殺した。操縦桿を握る手が小刻みに震えていた。一階にいたルーデン兵が叫んだ。 「乱心だ! シュバリエ公が味方を裏切ったぞ! 応援のポーンを城中に回せ!」 「暗殺隊も怯むな! 諸国への見せしめだ! ミロクの死体を用意しろ!」 「おぉっ!」  他のルーデン兵も叫ぶと銃剣を持った兵隊の群れが勢いを持って階段を上り始めた。 「行かせるか! どけ!」  シュバリエは操縦桿を握りなおすと、ガトリングガンの銃身でルーデン兵をなぎ倒しながら二階を目指した。  二階でも銃撃戦が行われていた。 「撃て!」  隊長の命令にカライの警備兵が廊下に倒した大机を盾に十人がかりで一斉射撃すると幾多のルーデン兵が撃ち倒された。 「ちっ」  舌打ちしてT字路の壁際に避難したルーデンの兵隊が腰の手榴弾のピンを抜いた。その足元に別の手榴弾が飛んでくる。 「死ね、ルーデンの悪鬼め!」 「うわぁぁぁぁ~~~っ!」  カライの隊長の怒号のあと数人のルーデン兵が爆破に巻き込まれた。シュバリエの乗るナイトポーンの足もとにも焦げた死体が飛んできた。シュバリエのポーンは壁際に身を潜めた。恐らくこの奥の部屋にミロクがいるのだろう。 「……彼らは説得で姫を渡すだろか。まさか、ルーデンの兵の言うことなど聞くわけがない」  大義のない決断に若き騎士は苦悩した。歴史はシュバリエに考える時間を与えなかった。 「二階だ。二階に裏切り者がいるぞ!」 「くらえ貴族野郎!」  歩兵の隊長とともに表の守備から応援にまわった二機の重装甲ポーンがシュバリエのポーンをマシンガンで撃った。性能で勝るナイトポーンは弾丸の威力に耐えたが長期の戦闘はミロクの命を危険にさらすだけだった。シュバリエは二度目の引き金を引いた。 「うるさい黙ってろ!」  火力で圧倒する貫通弾が重装甲ポーンの腹に簡単に三つずつの穴を開けた。 「う、うわぁぁぁっ!」  二機のポーンは重なり合うように倒れた。シュバリエは目を吊り上げると踵を返し、カライの警備兵に特攻を仕掛けた。 「許せ!」 「う、うわぁぁぁっ!」 「マストレイヤさまぁ!」  ナイトポーンのガトリングガンの砲撃の前にカライの兵隊はなすすべもなく天国に向かった。シュバリエはポーンの足を滑らせ、机のバリケードを体当たりで破壊するとミロクの部屋を探し始めた。 「ミロク様、ミロク姫様はいらっしゃいますか?」  ミロクとアザーレは姫の間の大きな窓から燃え盛る王都の戦火を眺めていた。些末なこん棒を持ったカライの市民がルーデンの重装甲ポーンのマシンガンにより撃ち殺されていく。 「くらえ虫けらども! これがルーデンの力、魔神(マルス)の裁きだ!」 「なんとむごい光景だ。なぜ神の名を叫びながら人を殺せるのだ……」  錦の袋を握ったミロクの手が怒りに震えていた。魔神の名はルーデン王国の名前と一緒になり、ミロクの胸のなかに報復の対象として深く刻み込まれることとなった。アザーレはミロクの羽織った金糸のガウンに手を伸ばした。王衣を着、影武者になれば、わずかな時間であっても姫を遠くに逃がすことができるかもしれない。 「山里の我が家であれば食べるに困ることはないでしょう」 「やめてくれ私はカライの王女としてここで死ぬのだ」 「今は雌伏の時。死は生きることより楽なことです。この日のことは決してお忘れになってはなりませんよ」  アザーレはガウンから手を離すと本棚の図鑑を強く押した。ごりごりと音を立て壁に隠し通路が現れた。 「道は裏山の向こうまで続いています。城の裏にまわったルーデンの兵隊の目もごまかすことができるでしょう。さぁ早く!」 「……アザーレ、力のない王家ですまない!」  ミロクは微笑む侍女に泣きついた。侍女もまたその頭を優しくなでてやった。  その時、入り口の扉がポーンの弾丸によって破壊された。巨体を覗かせナイトポーンが部屋に入ってきた。肩に剣の紋章が見えた。サーペント家の紋章だった。シュバリエは高貴なものをあらわす金と黒の王衣に目を止めた。 「ミロク姫様、ここにおられましたか?」 「貴様、気安く姫様の名前を呼ぶんじゃない!」  アザーレは傍らの燭台を手に持つとミロクを守るようにポーンの前に立った。シュバリエは王族を守ろうとするアザーレの姿に感動を覚えた。 「……侍女がポーンと戦うのか。果たして今のルーデンに王のために盾となる人間がいったい何人いると言うのだ」 「さぁ姫様、早く!」 「待ってほしい!」  ブランシュは叫ぶと操縦席のコクピットを開け床に飛び降りるとひざまずいた。胸に手を当て一心にミロクの瞳を見つめた。 「私の名はシュバリエ・サーペント。ミロク姫様のことを私に守らせて下さい!」  その毅然とした態度はシュバリエが粗野な兵士でないことをすぐに証明した。 「……若いな。貴様、ルーデンの王子か? いやそれでは歳があわぬか?」 「私はルーデン王の寵愛を受けた王子の教育係で御座います。姫君が王都に来て下さるならば、この事件の首謀者を処刑し、ルグリ王の前でカライの名誉を取り戻して見せましょう!」 「……信じてよいのか?」 「私の目に濁りはあるでしょうか!」 「…………綺麗な目。ミロク様、若き騎士を信じましょう」  アザーレはミロクの手を持つとシュバリエの手のうえに導いた。 「ありがたき幸せ!」  シュバリエはそう言うとナイトポーンの操縦席にミロクを引き上げた。もともと一人用に作られたコクピットは二人が乗り込むとかなり手狭になった。 「詰めれば大丈夫、さぁあなたも!」  シュバリエは手を伸ばしたがアザーレは微笑んで首を振るだけだった。 「私が乗るとポーンが動かせなくなります」 「しかしルーデンの兵は私の言うことは聞いてはくれません!」 「王女の使いは兵の辱めは受けたりはいたしません。そこの隠し通路から裏山の向こうへ逃げられますので、ミロク様のことを宜しくお願いします」 「かたじけない!」  シュバリエは王家の隠し通路を確認すると操縦席の扉を閉めた。アザーレの逃げる時間を稼ぐためガトリングガンを構え外に出ると廊下の真んなかに陣取った。  ミロクは長い付き合いで侍女の癖を知っていた。アザーレは嘘をつくと表情が硬くなるのだ。 「……死ぬなよ」  ミロクは王家の人として歯をくいしばりながら、母代わり、姉代わり、友代わりであったアザーレの死を予感した。  アザーレは燭台を両手で握り締めるとその先を左胸に突き立てた。ドタンと音を立て絨毯の上に倒れた。アザーレは薄く微笑んだ。 「……私は王族ではありません。カライの民を残して逃げることはできないのです」  それが最後の言葉だった。 「うぉぉぉ~~~~~っ! 道を開けろ!」  シュバリエは正面に立つルーデン軍の歩兵に向かって突撃をした。兵士は銃剣の弾丸で応戦したがナイトポーンのガトリングガンの前では全くの無力だった。シュバリエはポーンの圧倒的な戦力差で兵士を蹴散らした。ミロクは聞いた。 「どういうことだ。なぜ味方が言うことを聞かない? ルーデンでは今何が起こっているのだ!」 「戦争をしたがっているのはルグリ王ではありません。将軍のピレスです。人殺しと武器の売り買いで私腹を肥やすことがピレス将軍の生きがいなのです!」 「……家臣の謀反だと。ルグリ王はそこまで老いたのか?」 「ぐっ……、決してそのようなことは」  シュバリエは言葉を濁すと二階の巨大な扉をポーンの肩で突き壊し中庭の砲門台に出た。そこからはだいぶ距離があるが、西門の前でクライフたちのポーンとにらみ合うピレスのポーンの姿を見つけることができた。  シュバリエは城壁のうえにガトリングガンを乗せるとスコープを覗き込んだ。 「ここから狙うのか?」 「賊の首は私が取ります!」 「……味方がいるのだぞ」  ミロクの言葉にシュバリエは引き金を引く指がとまった。ミロクの味方はカライの兵士だ。ミロクの目にはクライフの乗るポーンの左肩の紋章が見えていた。そこにはカライ王家の雪見草の紋章と、王女のための騎士を意味する、ハートとクィーンの頭文字が刻まれていた。  ピレスは二機のサイ型ポーンに笑いかけるとナイトポーンの背中にガトリングガンをしまった。 「おら、二匹まとめてかかってこい! どつきあいで倒してやるよ!」 「クライフ様、ここは一気に挟み撃ちで行きましょう!」 「あぁフェルス、カライの怒りを見せてやろうぜ!」  ロングアックスを高々と振り上げるとクライフたちはナイトポーンに襲い掛かった。その攻撃をピレスは両腕で受け止めた。ナイトポーンの腕の装甲に深い傷が入る。 「手応えあり!」  クライフの二撃目がナイトポーンの首筋に振り下ろされる。ピレスはポーンの手を伸ばすとロングアックスの持ち手を掴み攻撃を受け止めて見せた。 「一回目の攻撃はわざと受けてやったんだよ。しっかり壊さねぇと新しいのが買えねぇからな」  ピレスはクライフのポーンからロングアックスを奪い取ると叫んだ。 「全然、遅せぇんだよ!」  振り回されたロングアックスの刃が一瞬で、フェルスの乗るポーンの首をはねた。サイの首がゴトリと大通りに転がると、次の刹那、アックスの尖った柄がその腹に突き刺さっていた。 「あっ……」  操縦席のフェルスはほとんど声も出せずに死んでいた。ピレスは重いロングアックスを投げ捨てると薄ら笑みを浮かべた。 「悪い、悪い、どつきあいの約束だったな。さぁ続けようぜ」  ピレスは戦闘に酔いながらクライフのポーンを見下ろした。  一人後方から高みの見物を決め込んでいたビヤードはカライ城の砲門台に現れたシュバリエのナイトポーンの姿に気が付いていた。 「……あそこにいるってことはお姫様をみつけたってことか。でも本当にその距離から当たるのか? 将軍は背中を見せてござるが、頼むぜ。戦場ってやつは流れ弾が一番怖ぇんだからよぉ」  ビヤードは手を下に小さく動かすと義勇軍のポーンにまだ動くなの指示を出した。  クライフはポーンの腰に隠したナイフを抜き取るとピレスの腹を刺しに行った。 「舐めるな!」 「だから遅せぇんだよ!」  ピレスはその手首を掴むとクライフのポーンの腹に蹴りを入れた。サイ型ポーンの手からナイフが落ちる。ナイトポーンはクライフのポーンに喉輪をかけた。 「ケチなフェイントじゃ俺はやれねぇよ! おらっ!」  ピレスは西門の壁にクライフのポーンを押し付けその腹に拳を入れた。歌を歌いながら何度も何度もその腹に拳を打ち込んだ。 「ほら壊さなきゃ、壊さなきゃ。壊さなきゃったら、壊さなきゃ! 壊さなきゃったら、壊さなきゃ!」  残虐に、執拗に、クライフのポーンは痛めつけられた。多少の装甲の硬さはあっても、カライのポーンに性能で負けていた。兵としての練度でもピレスは圧倒的格上だった。 「動け、動けよ。王女のためのナイトだろ!」  クライフは操縦席であがいたが絶望の時間は待ってくれなかった。サイ型のポーンの腹の鉄板が徐々に形を変えて行く。ピレスはナイトポーンの拳を砕きながら繰り返し、繰り返し殴り続けた。狙いはクライフの圧死だった。 「ミロク姫ぇっ~~~っ!」  クライフの絶叫は城下に響いた。その瞳からは悔し涙が零れ落ちた。 「ちぇっ、恰好ばっかりで弱わっちいな……。でもまだ弾は残っているんだよな」  ピレスは手首のもげたポーンの右手を振って見せると、空いたほうの手でガトリングガンを構えた。 「おら、最後は王様待遇だぜ! ひゃひゃひゃひゃひゃ………!」  ピレスは狂ったように笑うと引き金を引いた。対重装甲用貫通弾がこと切れたクライフのポーンをハチの巣にして行く。その姿はカライ王マストレイヤの死と全く同じ姿だった。 「クライフっ!」  シュバリエの傍らでミロクが涙を流しながら叫んだ。シュバリエは悲痛な叫び声に決断をした。スコープを覗く目に力が入る。照準がピレスの乗ったナイトポーンの背中を捉えた。  その時だった。背後の壊れた扉からルーデンの重装甲ポーンが砲門台に入ってきた。 「貴様、将軍を殺す気か!」  パイロットは叫ぶと、腰についた重爆撃用手投げ弾をシュバリエたちの乗るナイトポーンの足もとに投げつけた。 「なに!」  虚を突かれたシュバリエの足もとで手投げ弾が爆発した。その勢いで老朽化した城壁は崩れ、一階の庭に向けナイトポーンは落下した。シュバリエのナイトポーンは石畳に落ちると、その衝撃で右足をもがれてしまった。その姿は戦闘不能と言ってもいい恰好だった。  西門の前に陣取るビヤードはポーンのなかで呟いた。 「あちゃぁ~、貴族様はもってねぇな……。折角、花を持たせてやろうと思ったのによぉ」 「へへ、向こうも派手にやっているじゃねぇか!」  ピレスは煙のあがるカライ城の砲門台を見上げた。それはビヤードに対して背中を見せる格好になった。 「……結局はてめぇの手を汚すのかよ」  ビヤードはニヤけると引き金に指を掛けた。ダダダダダ…………。数発の対重装甲用貫通弾は全てピレスの乗るナイトポーンの背中を捉えた。そのうちの一発はピレスの胸を背後から打ち抜いていた。ピレスは目を見開き口から血を吐いた。その後、ゆっくりと背後に目を向けた。 「ビ、ビヤード、貴様……」 「すみませんね。俺も野心家なもんで。あんたからセコい禄をもらうより。軍隊の王になりたかったんですよ」 「ち、ダセェ、死に方だぜ……」  ビヤードに一度向けられたガトリングガンの銃口は、そのまま天を打ち抜いた。操縦者の意思がなくなったナイトポンーンはそのまま大の字になって大通りに倒れこんだ。  ビヤードはポーンの腰についた手投げ弾を二つ取ると、無造作にピレスのポーンに投げつけた。二度の爆炎が小気味いい音を出した。ビヤードは目の前にある煤の塊になった鉄くずに丁重に手を合わせて見せた。 「ナンマンダ~。将軍、悪人として暴れてくれてありがとよ。おかげで後世の歴史家は俺のことを虐殺野郎をぶちのめした正義の味方として評価してくれるだろうよ。俺はあんたより利巧なんだ。これからはソフト路線の政治屋で行かせてもらうぜ。へへへへ……」  ビヤードは顔をあげると四人の名もなき義勇軍の部下に命令を出した。 「討伐戦は終わりだ。戦いの終結宣言をだせ! あとは打ち合わせ通りに動くように!」 「はっ、ビヤード将軍!」  ビヤードの命令を受けた三機のポーンは隠し持った「義」の文字の旗を背中にはためかせながら、大通りのルーデン兵に戦の終わりを告げていく。 「討伐戦はマストレイヤ王の死によって終了した。なおピレス将軍は過度な虐殺の罪によりビヤード副官に誅殺された!」 「これより先、ルーデン軍の指揮権は新将軍、ビヤード将軍のものになる。無益な殺戮を行うものは容赦なく撃ち殺す!」 「繰り返す! 討伐戦はマストレイヤ王の死によって終了した。なおピレス将軍は過度な虐殺の罪によりビヤード副官に誅殺された!」 「これより先、ルーデン軍の指揮権は新将軍、ビヤード将軍のものになる。無益な殺戮を行うものは容赦なく撃ち殺す!」 「ひ、ひぃ!」  マシンガンを持った義勇軍のポーンに睨まれたルーデンの兵隊たちは両手をあげすぐさま大人しくなって行った。  ビヤードはカライ城の城門をくぐりぬけ庭に入ると、ナイトポーンのコクピットから飛び降りた。サーペント家の紋章の入った足のもげたナイトポーンに近づくと、外部にある強制脱出ボタンを押した。操縦席の扉が開くとシュバリエは手を広げミロクのことを守ろうとした。落下のさいに腕の骨が折れたのかシュバリエは痛みに顔を歪めていた。 「怖い顔をすんなよ。撃ちはしねぇ。シュバリエ侯は虐殺者のポーンを五機もやったんだ立派な騎士の仲間入りさ」  ビヤードは笑いながら軽口を言うと胸に手を当てミロクの前にひざまずいた。 「ミロク姫様、新将軍のビヤードです。手狭には御座いますがルーデンのしきたりに沿っていただきます」 「あぁ、わかっている」  ミロクは大人しく両手を差し出した。 「将軍、姫に手錠をかけるのですか?」 「自害されたら困る。王族が生きるということは国民の暴発を防ぐと言う政治的意味があるのだ。ミロク姫にはカライのために、マストレイヤ王の意思を次いで頂きたいと思います」  ビヤードはシュバリエにそう言うと、腰に付けた手錠を取りミロクの手にかけた。 「ではこちらに」  ビヤードが進めると傍らに義の旗を背負ったポーンがやってきた。その手には巨大な鳥かごが握られていた。 「シュバリエ侯、私を救ってくれてありがとう」  ミロクは一つ頭を下げると鳥かごのなかに乗り込んだ。これからルーデン王国に帰るまで、手錠をかけられ、かごに乗せられ、往来の市民のさらし者になる。それが敗戦国の王家の定めなのだ。 「進め!」 「はっ!」  ビヤードの命令を受け、鳥かごを持った義勇軍のポーンは城門を出て行った。恐らくこの姿はカライの民の尊厳をひどく傷つけるものだろう。シュバリエはやるせない感情に涙があふれた。操縦席を力いっぱい殴りつけると腹のそこから声を出した。 「ミロク姫、我々の時代は美しい国をつくりましょうぞ!」 「良き言葉だ。胸に刻んでおこう」  後ろを振り向かず凛と透き通るその声は王家の品格に溢れていた。  シュバリエはその場に泣き崩れた。 「どうしてもっと早くピレスを殺せなかったのですか?」 「この戦場はピレスの仲間のほうが多いんだぜ。図に乗って戦えばこっちがやられる可能性だって十分にあったんだよ。仮にお前がピレスを撃てていたとして、どうやってここから逃げるつもりだったんだ? お前の腕じゃまだまだ一騎当千の化け物にはなれないんだぜ。へへへ、二度目の友情だ。仲良くやろうぜ。おい救護班、三角巾を持ってこい!」  ビヤードは手を伸ばしたがシュバリエは決してその手を握ろうとしなかった。ビヤードにはその青臭さがおかしくて仕方がなかった。  第十五話 『老害王』  ルーデン軍、数百の兵隊が王都を目指し帰還の行軍を行っていた。その先頭を義勇軍の旗を掲げた重装甲ポーンが、巨大な鳥かごを手に先導していた。かごのなかのミロクは手を合わせ、一心に国の未来を祈っていた。ミロクはルーデン王に逆らわないことがカライの国へ帰る一番の近道だと信じていた。  街道の農夫や行商人たちがその姿を眺め口々に陰口を叩いた。 「カライの王様がルーデン王を殺そうとしたんだとよ」 「それで捕まって護送か。王族の没落たぁ情けねぇ話だな」 「やめぬか!」 「へ、へぇ……」  馬に乗って軍隊の隊列に加わっていたシュバリエが農夫を叱りつけた。その傍らを同じように馬に乗って歩くビヤードがシュバリエに話しかけた。 「よせよ。王女は全て受け入れているんだからよ」 「しかし不必要な侮辱は新たな争いを産むだけです」 「へへん、惚れたか。ミロク姫は三国一のべっぴんだもんな。俺たちは戦勝国の指揮官様だ。ルグリ王に頼めば、直ぐにだってお姫様の婿になれるかもしれないぜ。向こうに行って一生守ってやったらどうだ?。へへへ、今のは駄洒落じゃないぜ」 「やめてください。私にはブランシュ王子の親衛隊長たる責務がありますので!」 「固いな。勝利の美酒も飲めんとなると、部下がついてきてくれないぜ」  ビヤードの心は晴れやかだった。虐殺者のピレスを葬り、正義の将軍として凱旋する。他国に恨まれることもなく将軍職も手に入るだろう。今のビヤードにないものと言えば王家とのコネぐらいのものだ。平和な時代の金儲けと言えば上手に政治に参加することだろう。ビヤードはぜひにでもルグリのお気に入りであるシュバリエと仲良くしたかった。 「なぁシュバリエ侯もう少し話をしようぜ」  ルーデン軍の帰還にはどこか牧歌的な空気が流れていた。  ルーデン王国の王の寝室のベッドの上でルグリが昼食のスープを飲んでいた。ルグリの腕は骨が浮き上がるほど痩せ細っていた。震える手で持たれたスプーンは皿の中身を上手にすくうことができないほど弱っていた。傍らの椅子に座り幼いブランシュを玩具のガラガラであやしていたクロームは王の持つスプーンに手を伸ばした。 「王様、お手伝い致します」  クロームはサーペント家の貴族であり、息子シュバリエの願いで乳母を買って出た優しい女性だった。だが老いさらばえ気弱になったルグリは、怒りで気分を誤魔化すだけの仕様もないただの老害王に成り下がっていた。 「さわるな。自分でできるわ!」 「きゃぁ!」  ルグリが手で皿を払うとそのスープがクロームのスカートにかかってしまった。年老いた王のために作られたスープは熱いものではなかったが、驚いたクロームはバランスを崩し尻もちをついてしまった。そのことが更にルグリの怒りの油に火を注いだ。 「クローム、貴様、わしのブランシュが頭でも打ったらどう責任を取るつもりなのだ!」  ルグリはベッドわきの杖を手に取り、おぼつかない足で布団から這い出すと、掴んだ得物で容赦なくクロームの体を殴打した。クロームはブランシュの盾になりただただ王の怒りが収まるのをまった。 「貴様のような女が城に入り込むとは、謝れ! ブランシュに謝れ!」 「すみません、すみません、私のことを許して下さいませ、ルグリ王様!」  老害王の暴挙は異常と言っても良かった。そこに一人の兵士がやってきた。ノックをし部屋に入ってくる。 「失礼致します。ルーデン軍の早馬が手紙をもって参りました。恐らく戦況報告かと思われます!」 「よこせ!」  ルグリは兵士の手紙を奪い取り目を通すと、怒りが怒りを呼んだように手を震わせた。 「ピレス将軍が誅殺されただと!」 「はい、報告ではあまりにもむごいやりかたでマストレイヤ王を殺したと言うことで、カライの民の怒りを買わぬため、殺害に至ったと聞いております!」 「何を手ぬるいことを言っているのか。王と家畜の違いを教え込むのが戦ではないか! カライの家の者は誰か捕まえたのか!」 「はい、王女のミロク姫がこちらに護送されているとのことです!」 「その小娘が王都にやってきたら直ぐに王の間に連れてこい! 誰が大陸の覇者か世界の小人どもに教えてやる!」  マストレイヤは兵士に怒声を浴びせると目を血走らせながら胸を押さえた。  ルーデン軍を引き連れ王都に凱旋したビヤードは街の景色に驚いた。通りにはほとんど人がいなかった。ビヤードは馬を歩かせながら呟く。 「祝賀ムードってやつじゃねぇな」  そこへ一人の兵士が走ってきた。ルグリの部屋に手紙を届けた兵士だ。兵士は言った。 「ビアード将軍。ルグリ王が大変、お怒りになっております。帰還されたら直ちに王の間にカライの姫を連れてこいとの命令です!」 「明らかによくねぇ空気が流れてやがるよ……」  ビヤードはそう言うと傍らで馬に乗るシュバリエの顔を見つめた。  ビヤードとシュバリエはルーデン城の王の間に入ると胸に手を当てルグリの前にひざまずいた。王の間は明らかに異様な場所になっていた。原因は部屋の真ん中に燃え盛る炭の敷き詰められた炉が置かれていたせいだった。 「凱旋の報告に参りました」  さすがのビヤードも長い背もたれの玉座に座るルグリの顔には怯んでしまった。わずか十日ほどの遠征でしかなかったにもかかわらず病気が進行したせいか、目をくぼませたルグリは魔王と言う言葉が良く似合う風貌になっていた。  王衣をまとったルグリは左腕にブランシュを抱いたまま、杖を頼りに玉座に続く階段からよろよろと降りてきた。 「ビヤード、ずいぶん勇ましく振舞ったらしいな。この国賊が!」 「め、滅相もございません。そのようなことは」  ビヤードはルグリに足蹴にされた。シュバリエはすぐさまルグリを止めにはいった。 「ルグリ様、ピレスの横暴は目に余るものが御座いました。この度の誅殺は諸国から恨まれぬようルーデンの体裁を考えると、仕方がないものだったので御座います!」 「うるさい! 小国のたわごとを聞きながら大国の政治ができるか!」 「がっ!」  老いたとは言え体格で大きく勝るルグリの拳がシュバリエの顔面を捉えた。ルグリは床に手をつくシュバリエの姿を顧みることな吠え続けた。 「カライのドブ女をここに呼べ、兵士はすぐにその女を押さえつけろ!」 「は、ただちに!」  よだれを垂らし荒れ狂う権力の化身、ルーデンの老害王を誰も止めることはできなかった。ルグリの命令にしたがい鳥かごをもった重装甲ポーンが王の間に入ってきた。ミロクは部屋の中央に置かれたかごのなかから出てくると、手錠で拘束された手を胸に当て王の前にひざまずいた。 「お初にお目にかかれて光栄です、ルグリ王様。カライの王としてこの度の戦の罪を謝罪させて頂きたく馳せ参じました。カライを代表しこの度の罪、お許し願いたく存じます」 「おぉっ……」  圧倒的な王家の気品にそこにいた守備兵や大臣たちからため息の声があがった。ルグリにはその声が気に入らなかった。老王はミロクの美しさを際立たせる金色の雪見草の刺繍された黒いローブに手をかけた。 「貴様、敗戦国の女の分際で、まだ王衣を着られると思っているのか。脱げ、今すぐに脱がぬか!」  だが脱げるわけはなかった。ミロクは両手を拘束されているのだ。ルグリはそれにもかかわらず上着の首元を引っ張った。ついには手が滑り年老いた老害王はその場に倒れてしまった。醜態だった。床に背中を打ち付けられたブランシュは泣き始めた。 「おぎゃぁ、おぎゃぁ、おぎゃぁ……」 「おぉ、おぉ、泣くな、泣くな。お前のことはわしが守る。オワゾとの約束だ。わしが守ってやるからな……」  その姿にはもう王の威厳はなかった。オワゾやグリンダを愛した若き日の姿はどこにもなかったのだ。明らかに精神が壊れていた。引退の時だ。だが誰もこの老人を止めることができなかった。ルグリはよろよろ立ち上がると兵士に言った。 「カライの奴隷を押さえつけろ!」 「はっ!」  二人の兵士は命令にしたがい両脇からミロクの体を押さえつけた。そこにいた人間はみな息をのんだ。ルグリは焼けただれる炉のなかから真っ赤に染まった焼き鏝を抜き取った。その先には「賊」の文字が刻まれていた。 「ブランシュよ、よく見ておれ。これが王の力だ!」 「王様、次の戦が起こります!」 「おさえろ!」  ルグリにとびかかろうとしたシュバリエをビヤードが抱きとめた。 「ルーデンに仇なす者は全て武により排除する。その身に罰を刻み込むがいい!」  ルグリはミロクの左目に焼き鏝を押し当てた。 「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~っ」  ミロクは悲痛な叫び声をあげた。部屋に皮膚が焼ける嫌な匂いが広がった。シュバリエもビヤードすらも目を背けたくなる光景だった。ルグリは焼き鏝を投げ捨てた。まだ熱を帯びた鉄の棒は絨毯を燃やした。  罪もなく礼節をつくしたマストレイ王の娘、カライの女王ミロクの左目に賊の文字が焼き付けられた。生き残った右目は怒りに震えていた。勝利を確信したルグリは狂ったように笑い始めた。 「ひゃひゃひゃひゃひゃ、この女をすぐに国に送り帰せ! 税は他国の三倍を取れ! 諸侯に対する見せしめだ! ルーデン王国に逆らうことはこのわしが許さん! ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、げほっ………」 「お、王様……」  ルグリは血を吐いた。シュバリエは声をかけることしかできなかった。傍らでビヤードが叫んだ。 「ぼやぼやするな、誰か医者を呼ばぬか!」 「はっ、直ちに!」  兵士が青い顔で王の間を駆け出ていった。この日を境にルグリは一線を退くことになった。  数日後、ミロクはポーンの持つ鳥かごに乗せられると、数少ない従者とともにカライに送り帰された。左目の焼けたその顔は沿道の民のさらし者になった。その醜い姿は小国の王や軍隊を震え上がらせるには十分な材料になった。  その後、軍事力を誇示したいルーデン王国は、大臣の命令のもとビヤードは正式に将軍になり、シュバリエは動けなくなったルグリの代わりにブランシュの後継人として王子の親衛隊長の職を続けることになった。ビヤードの予言は当たらずしも遠くない答えを導きだす結果になった。  それから十数年、病床からほぼ出られない日々を過ごしたルグリは、病に祟られるかのように苦しみぬくと、最終的には大量の血を吐き、呪われるようにその一生を終えていった。  第十六話 『盗まれたロザリオ』 「それじゃぁ、戦争の大義はカライのほうにあると言うことじゃないか……」  薄暗いルーデン王国の王の間でパージは絶句した。シュバリエは話しを続けた。 「ですが力を誇示する政治は功を奏しました。諸国の反乱はピタリと止まったのです。少なくともルグリ王の政治は十年間、大陸、全ての争いを止めて見せたのです」 「……でもだからって」 「パージそのルーデン王国の庇護のなかにマルスの村も入っているのよ」 「うっ……」  パージは言葉を失った。イシュチェルはシュバリエに聞いた。 「ルーデンとカライの間に和平の道はなかったのですか?」 「日頃から、カライの動向は気にしてはいましたが、……戦をする余力がないという思い上がりに、ビヤード将軍の裏切りも重なり、カライの先制攻撃に気づくことができませんでした」 「じゃぁ今からだって話しあいをすればいいじゃないか!」  怒鳴るパージにペイスが言った。 「相手は軍事力で優っている。もし話し合いに応じるとすれば、ブランシュ王子のお命が必要になるでしょう。状況は十年前のカライ討伐のときとは真逆なのです」 「それじゃぁ始めから俺たちを戦わせるつもりで城に呼んだのかよ!」 「違う!」  パージに怒鳴り返したブランシュは、めまいを起こした。 「王子、大丈夫ですか?」  その体をイシュチェルが支えた。心労は確実にブランシュの体を蝕んでいた。揺れる魔神マルスのロザリオが王子の頬に当たった。ブランシュは力の象徴に嫉妬しながらも、必死に拳を握りしめ欲望を抑えた。 「違う。それだけは断じて違う。私はパージを死なせたくはなかったのだ。それだけは信じてくれ……」 「王子、お気を確かに、少し仮眠を取りましょう。ミロクの指定した時間まではまだ猶予がございますから」 「……はなせ、少し一人にして欲しい」  ブランシュはシュバリエの手を弾くと、よろけながら部屋を出て行った。涙に汚れたその顔には大国の王子の面影はなかった。パージは心苦しくなった。どう答えていいかわからなかった。独り言のように言葉をつむいだ。 「……ルーデンの王子様はもっと立派な人間だと思っていたのに」  イシュチェルは悲しげな顔を見せると魔神のロザリオを握り締めた。そして、毅然とした顔でペイスに言った。 「このお城に体を清められる場所はあるでしょうか?」  ブランシュは数日ぶりに自分の部屋に帰ってきた。広い部屋、大きな机、書棚にならんだ歴史書、壁に飾られた数々の宝剣、天蓋付きのベッド。ブランシュは己の満たされた全てが許せなかった。 「うぉおぉぉぉ、こんなもの!」  ブランシュは机のうえの本を床にばらまくと、腰の剣を抜きベッドの天涯を切り刻んだ。 「なぜ私はこんな時代に生まれてきたんだ。王家になんか生まれなければこんな思いをすることもなかったのに!」  ブランシュは暴れまわり書棚を切りつけた。木の硬さに剣が食い込み、手がすっぽ抜けた。ブランシュは、その場に突っ伏した。パージにミロクと戦わせることを考えると胸が掻き毟られる思いがした。  それでなくともパージの体の石化は進んでいるのだ。そんな体で出撃命令を出せばどうなるか誰にだってわかる。ブランシュの命令は、すなわち死ねと言う命令になるのだ。 「……そんな命令は出せるわけがない」  ブランシュは強く拳を握り締めた。再び気持ちを抑えられなくなった。 「うわぁぁぁぁっ! 力が欲しい。力が欲しい。力が欲しい。誰にも負けない力があればこんな思いをすることはないんだ!」  ブランシュは床を殴りつけた。何度も、何度も殴りつけた。あまりの勢いに、こぶしの血が足もとをおおう絨毯を汚した。ふいに碧の神殿で見た、パージたちと魔神の契約の姿が、脳裏に浮かんでき。魔神がブランシュの耳元で低く笑い声をあげた気がした。 「貴様の血を生贄にこの国を救おうではないか……」 「そうだ……」  ブランシュは書棚の剣を力ずくで抜くと刃を鞘のなかに収めた。そのまま、ふらりとした足取りで部屋を出て行った。  二階の廊下の前にシュバリエは立っていた。大きなガラス窓の向こうに瓦解してしまったルーデンの王都が見えた。兵士たちは必死に民を助けようと工事に精をだしていた。ただミロクに送った和議の手紙の返事が返ってこないことがシュバリエを深く落ち込ませていた。……我々の時代は美しい国を作りましょうぞ。 「………私はあの日から退化してしまったのだろうか」  ミロクに送ったあの言葉が酷く薄っぺらいもののように感じた。そして、守ると決めたブランシュでさえも今、城内で孤立を深めていた。 「……私にできる最善の策はなんだろうか」  シュバリエの頭のなかに暗殺の二文字が浮かんだ。ミロクの暗殺に成功すれば全ての過去が清算できる。まさに最上の策のように思えた。 「二人はどこへ」  振り向くと足もとのおぼつかないブランシュが立っていた。 「今、地下のお風呂に入られております。おそらく潔めの儀式かと」 「そうか。丁度良い」  ブランシュはそう言うと風呂場に向かった。シュバリエはその背中に王子の親衛隊長としての決意を固めた。  風呂場の脱衣所には、二人の着替えが置いてあった。綺麗に畳んだイシュチェルの服に、乱暴に脱がれたパージの服。服の脱ぎ方にも二人の性格がよく出ていた。ただ共通するのは服の上に、二つに割れた黄金色の魔神のロザリオが置かれていることだった。ブランシュはロザリオに手を伸ばした。聞く気はなかったが、風呂場のなかの会話が聞こえてきた。  パージとイシュチェルは二人で湯船につかっていた。さすがはルーデン城の大浴場だ。本来は王族の専用施設なのだろう。プールほどの広さがある湯船のなかに誰の気づかいかはわからないが沢山のバラの花が浮いていた。イシュチェルは花びらまじりのお湯を手ですくうと珍しく笑顔を見せた。 「凄いお風呂、まるで新婚旅行ね」 「無理にはしゃぐな。俺は怒っているんだ」 「ふふ、パージは亭主関白なのね」  イシュチェルはお湯のなかでふんぞり返るパージに目を細めると言葉を続けた。 「……私、王子を助けたいの」 「惚れたのか? まぁ認めるよ、良い男だもんな」  ブランシュは脱衣所で動きを止めた。イシュチェルはパージの嫉妬を笑顔で否定する。 「私には王子の気持ちのがわかるの」 「気持ちってなにさ」 「う~ん……」  イシュチェルは胸を隠しもせず体を伸ばした。パージは両手で顔を覆い目のやり場に困ってしまった。 「い、イシュチェルちょっと」  イシュチェルはパージをからかうと昔話を始めた。 「私、巫女の修行をしながら、いつもパージたちを見ていた。川で泳いだり、広場でチャンバラをやってみたり、相撲をとったり、とっても楽しそうに見えたわ。  ある時、パージは私にお花をくれたわね。黄色い水仙の花だった。私は驚いた。でもオババには喋ることを止められていたから、手話で話せないって言った。そうしたら、パージは手話でこう返してきたの。誰よりも綺麗な巫女様のことを好きになってしまった。今日から、百日参りを始めるよって……。  私が迷惑よって手話で返したら、あなたは口を使って私に行ったわ。巫女様がお社のなかの大鏡に向かって、オババが口うるさいって愚痴を言っているのを聞いちゃったんだって。  私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。だからあなたのことをぶっちゃったの。そうしたらパージは性懲りもなく言ったわ。怒った。やっぱり巫女様は人間なんだって。私は不貞腐れてお社の奥に隠れてしまった。  それから、パージは本当に、毎日、毎日、私のもとへお花を送ってくれたわ。雨の日も、雪の日も、………やっぱり飽きっちゃったんだわって思った星が見える村祭りの夜にも、私のもとに花を届けに来てくれた。私、いつの頃からか、パージがお社に来ることが楽しみになっていたわ。  だけど私はマルスの巫女、村の人の前では口をつぐみ、特別を演じなければならなかった。  ある時、マルスの村でお年寄りが倒れたの。パージも知っているジーナお婆さんよ。オババがジーナは今夜までだから、最後に手を握ってあげなさいって言ってきたわ。私は言われるままにジーナお婆さんの手を握った。そうしたら、ジーナお婆さんは私の手を握り返してこう言うの。ありがとうございます。私は巫女様の力で神の庭へと旅立てますって。私は知っている。私はマルスの皆をだましてる。巫女にそんな力がないことを誰よりも知っていたから……。  だから私はパージを好きにならない努力をしたの。だって巫女が行う仕事は、魔神に生贄を乗せることだから。それがマルスの巫女の使命だから。だから私は人を好きにならないって決めたの。………でもそんな残酷な役回り本当にこの世界に必要だと思う?  だから私には王子の気持ちがわかるの。戦争をするかしないか、そんな決断を、子供ができると思う? 私にはできない。……きっと王子も、パージに命令をだすことはできないわ。……それは大切な友達だからよ」 「……だからって」  パージは湯船で鼻を隠すと水をぶくぶく言わせ黙ることしかできなかった。イシュチェルは両手を広げると、お湯のうえに浮いた色とりどりのバラの花を集めて見せた。 「九十五本目はバラの花束。百日参りは今日で終わりにしましょう」  そう言うとイシュチェルはパージに抱きついた。ブランシュはそれをただ黙って聞いていた。イシュチェルは体を離すとパージの石化した左腕に触れた。パージの石化はもう首のほうまで進んでいた。イシュチェルの石化も腹のほうまで進んでいた。イシュチェルは石化の速度が左胸の心臓に近い分だけ、パージのほうが先に時間を使い切ることを知っていた。 「私たちはもう助からないわ。何もしなくても明日の今頃は呪いのせいで心臓が石になり死んでいるはずよ。だからこそマルスの民の使命を果たしましょう」 「イシュチェル……」  パージはもう一度、イシュチェルを抱きしめた。ブランシュは涙を零し立ちつくしてしまった。何かを伝えないと行けない。ブランシュは二つの魔神のロザリオを握り締めると風呂場を仕切るステンドグラスの向こうの二人に言った。 「パージ………。城の裏門は開けておく……。一日でも長く生きてくれ……」  ブランシュは言葉を搾り出すとそこから立ち去って行った。 「ブラン!」  パージは大声を出すと慌てて風呂を飛び出した。そして脱衣所の異変に気がついた。 「無い。俺たちのロザリオが盗まれている!」  シュバリエはペイスを呼び出すと王の間に続く広い廊下の影で密談を始めた。 「どうだろうか。私が今夜、一人でミロクのもとに出向き、和議の話し合いをしたいと思う。それで決着がつかない時は、銃による暗殺を考えているが可能だと思うか?」 「カライが一度目の手紙を無視したと言うことは、直接出向いたとしてもミロクはシュバリエ様にお会いにならないのではないでしょうか?」 「では対重装甲歩兵用の貫通弾を使い遠距離から宿営地を狙撃するのはどうだろう?」 「恐らくカライの女王ほどの知恵者であれば決戦に向け、物見の者を各所に配置しているはずです。例え遠距離射撃と言えど、城門からポーンが出撃すればすぐさま閃光弾を打ち上げられ、直ちにクィーンの進軍が始まることでしょう。そうなれば戦う間もなくルーデンの王都は火の海になるかと思われます」 「ならば歩兵となり狙撃銃を片手に森を駆け抜けるのはどうだろうか?」 「それもまた。もうすぐ夜になります。夜の森を明かりもなく走破することは不可能に近いかと思われますが?」 「……つまりミロクの暗殺は無理と言うことか」 「だからこそここはマルスの民に賭けるのではありませんか?」 「……しかし、それは」  シュバリエはブランシュの表情からパージたちに特別な感情があることを感じ取っていた。シュバリエもまたブランシュがマルスの民に出撃命令を出せないことがわかっていたのだ。  シュバリエとペイスは妙案がないまま王の間に入った。  そこにブランシュが居た。ブランシュは二つの魔神のロザリオを手首に巻き、長い階段の先にある玉座の背に掲げられた先代ルグリ王の肖像画を取り外していた。ペイスが口を開き、シュバリエがそれに続く。 「王子、お体はよろしいのですか?」 「いやそれより、いったい何の真似で御座いましょうか?」 「気にするな。死に支度だ」  ブランシュはシュバリエの言葉を一蹴すると、王の間からバルコニーに出た。そこはルーデン王国の城下が一望できる広々とした場所だった。手入れの行き届いた花壇の向こうに怒号をあげる民衆が見えた。 「戦争反対! 戦争反対!」 「ブランシュ退任! ブランシュ退任!」 「ビヤード将軍が殺されたんだぞ。無駄な戦はやめろ!」 「それとも丸腰の市民に巨大なポーンと戦えと言うのか!」  王国の国民たちは手に手にプラカードを持ち勝手なことを叫んでいた。 「彼らは無知なのだ。戦争に負ければカライの奴隷にされるやもしれぬことを考えたりはしない」  ブランシュは冷笑すると、タイルデッキのうえにルグリの肖像画を投げた。マッチをすり巨大な王の絵に火をつけた。油絵は少しの火で勢いよく燃え始めた。その様子を眺めていたシュバリエとペイスは言葉を失った。 「お、王子……!」  そこへ上着を羽織ったパージとイシュチェルが現れた。急いできたのだろう。まだ髪の毛の先から雫が落ちていた。パージは聞いた。 「ブラン、いったいこれはなんの真似だ?」 「なぜ逃げない。折角、時間をやったのに……」 「この状況でどこに逃げられるって言うんだ!」  城の前ではなおも城下の民が叫び続けていた。  ブランシュは微笑むと腰の剣を抜いた。 「王子、早まらないで下さい。王子が死んだら誰がこの国を守るのですか!」 「そんなことは誰にだってできる仕事だ! 私がいなくたってお前は充分、この国の舵取りをやってみせたではないか!」  シュバリエは黙り込んだ。沈黙の時間の間も国民の怒号がそこにいる全てのものたちの耳を痛めた。 「私はただ彼らに尊敬されたいのだ。ミロクを倒し、この国の英雄になりたいのだ!」  ブランシュは激昂すると剣を抜き刃を素手で握り締めた。ほとばしる血を気にすることなくその刃の先で、手のひらに槍と盾の紋章、マルスの印を彫り込んだ。そして、黄金色の二つの魔神のロザリオを握り締めると、腹のそこから声を上げた。 「全知全能の神ゼウスと博愛の神ヘーラーの子。戦いの化身、火星の神、軍神マルスよ。我の命と引き換えに、この戦いに勝利をもたらすのだ!」  特攻による自死は少年の最上級の選択のように思えた。だが魔神は現れることはなかった。 「……なぜだ? なぜ魔神は現れない? なぜ魔神は現れないんだぁぁぁっ!」  ブランシュはその場にひざまずくと喉が裂けるような絶叫を上げた。  第十七話 『二つの約束』  ブランシュはバルコニーのタイルのうえで鮮血に染まった手のひらを見つめた。 「私は魔神からも見放されたのか……」 「契約のせいよ」 「契約?」 「魔神は取り込まれた人間が死んでしまうまでは、次のパイロットを乗せないと言われているわ。私は村ではそう教わったの」  マルスの巫女イシュチェルはブランシュにそう言った。 「情けない……」  ブランシュは言葉をもらすと涙を零した。その顔は知性に優しさの残った彼本来の顔だった。パージは決断をした。シュバリエに声を掛ける。 「出撃の時間を教えてください」 「最短で明日の明朝五時」 「じゃぁそれでまにこの城にある一番高い酒をもってきて欲しいんだけど」 「……本当に、宜しいのですか?」  シュバリエは聞いた。戦の決着を年端の行かない少年少女に任せるのだ。その他のカードが残されていないとしても心苦しさを拭い去ることはできなかった。パージは笑顔を見せた。 「あぁ、俺たちはマルスの戦士だ。決断は揺るがないよ」  シュバリエの瞳は憂いをもって震えた。パージは微笑んだままだった。シュバリエは少年の目の奥に温もりを感じ取ると、額に手を当て最上級の敬礼を見せた。 「は、直ちにご用意致します!」  パージはシュバリエがいなくなるとブランシュの肩に手を置き、その手に握られた二つのロザリオを取り上げた。 「これは返してもらうぜ」 「子供にウィスキーは強すぎませんか。どこかにシードルがあるはずですが?」  ルーデン王国の酒蔵のなかでペイスは低アルコールの林檎酒を探しながらシュバリエに話しかけた。シュバリエは琥珀色のウィスキーの瓶を手に口を開いた。 「ペイス、お前に友と呼べる人間は何人いる?」 「はは、私もこう見えて聖騎士試験は十七で合格をもらいましたので、小さいころから大抵のことは腕力で黙らせて来ました。過去の学友は私のことを友だと思ってはいないでしょう」 「ふふ、私もそうだ。幼き日よりルグリ王の庇護を受けてきた。利巧ではあっただろうが友と呼べる人間は一人もいない。特別であると言うことは孤独であると言うことなのだよ」  煉瓦造りの薄暗い部屋のなかでくたびれた顔を見せるシュバリエに、ペイスは意を察したように棚の奥にしまわれたウィスキーの古酒を取り出して見せた。 「……ではこの辺りのものが特にアルコール度数が高いはずですよ?」  ペイスは馬鹿な記憶ほど友情の味だと知っていたのだ。 「不良ごっこだ」  城内の明かりのこぼれるバルコーに、パージとブランシュが並んで座っていた。地べたに直接すわるその格好は悪友同士と言って良かった。目の前にはリクエスト通り高級ウィスキーとつまみの料理が並んでいた。パージは二つのグラスに酒をついだ。その首には二つのロザリオが踊っていた。 「マルスの村にいるときには蔵の酒を盗んでイーたちと酒盛りをやったことがあるんだ。そのあとオグマに見つかって、ひどく怒られたんだけどな。ははは、乾杯!」  パージとブランシュはグラスを合わせると酒を飲んだ。ウィスキーのアルコール度数の高さにブランシュの顔色が変わる。 「ぷはっ」 「美味くないだろ。なんで大人がこんなものを飲んでいるのか意味不明だ」  パージは笑うと手づかみでハムをつまんだ。 「うんさすがは王宮、こっちはなかなかだ」  ブランシュはパージが友として、思い出を作ってくれていることが嬉しかった。パージはブランシュに微笑み返すと揉み手をして見せた。 「こんな時になんだけど、改めて禄の話をしていいかな?」 「ふふ、禄か。カライに勝っても街の修理に金がかかるんだがな」 「大丈夫。約束はたった二つさ。一つはマルスの丘に俺たちの碑を作って欲しい。もう一つは、そこに花をたむけて村の皆をともらって欲しいんだ」 「最後まで村のことか、パージは欲がないな」 「へへ、でも約束だぜ」 「あぁ約束だ。忘れないよ」  そう言うと二人はどこかのゲルマン民族のように手を交差させ残りの酒を飲み干した。  パージはふいに夜空を見上げた。ホロ酔いの赤い頬を見せながら、ポツリと呟いた。 「なんで古(いにしえ)の神様は魔神なんて作ったんだろうな? ……いや、死ぬのが怖いってわけじゃないんだ。ただちょっと残酷だなって……。別に人間を取り込む必要はないのにって。……でも俺のバカな頭じゃ考えても答えはでてこないんだよな。ははは。……ま、ブランは王様になるんだから、一生をかけてこの問題の答えを探してくれよ。へへへへ、宿題だぜ」 「………宿題か。難問だな」  微笑みを返したブランシュの胸に、その言葉が深く刻みつけれた。  ルーデン王都の城壁の遥か外。北の森のなかで少数のカライ兵は野営をしていた。まだ空には星が見える時間、ミロクは簡易の小屋のなかで身を切るような冷たさの水を全身に浴び決戦にそなえ身を清めていた。頭に巻いたシルクの巻きものを外したミロクの左目には醜く賊の文字が刻み込まれていた。  ミロクは桶の水を二度、三度、肩にかけると小屋の外で片膝をつき王を警護するシノに語りかけた。 「なぁ、シノよ。決戦の前に先代マストレイヤの笑い話を聞いてはくれないか?」 「宜しければ!」  ミロクは生真面目なシノを可笑しく思いながら昔話を始めた。 「私は幼き日、父についてカライの学校に慰問に行ったことがあるのだ……」  そこはカライのどこにでもある小さな小学校の教室だった。マストレイヤ王を中心に子供たちが車座になって椅子に座り和やかな空気が流れていた。マストレイヤは極めて優しく子供たちに話しかけた。 「では王に質問があるものはいるかな?」 「はい!」 「ではそこの少年」 「なんで王様はハゲているんですか!」 「こ、こらっ……」  まだわんぱく盛りの十二歳のクライフの質問に教師と王の従者のアザーレは青い顔になった。教室の一番後ろでその様子を眺めていた幼き日のミロクは父がどう答えるか興味津々だった。マストレイヤは目じりにシワを寄せると穏やかに笑い飛ばした。 「ははは、よいよい。なぜわしがハゲているかと言うと、簡潔に、わしには良い家来がおらぬからじゃよ」 「どうして良い家来がいないと王様がハゲるのですか?」 「民のこと、国のことを考えるたびに心労でな。一本、また一本と髪の毛が抜け落ちてしまうのじゃよ」 「じゃぁ良い家来がいっぱいいると王様の髪の毛はまた生えてくるのですか?」 「ははは、一度抜けた髪はもう生えてはこんよ。だが良き家来に囲まれた王の頭は恐らくハゲることはないだろうな。それは良き家来が良き知恵をたんと出してくれるからじゃよ。少年よ、大いに学び次の世の王様を守ってやってはくれないか? 勿論、少年が選んだ王が悪しき王であり家来の頭の毛をむしり取るようなことがあれば、責任を持って叱りつけることも忘れぬようにな。はははは……」 「おぉ~!」  そこにいた者全てがマストレイヤの言葉に感心していた。マストレイヤに微笑みかけれたクライフは照れ臭そうに頭を下げた。 「ありがとうございました」  幼きクライフの顔にはこんな人間のしたで働きたいと書いてあるかのようだった。  沐浴用の小部屋から出てきたミロクは一糸まとわぬ姿でシノに笑い掛けた。 「どうだ面白い話だろ?」 「私にはわかりません」  シノは手に持ったタオルでミロクの体を拭き始めた。 「シノ、私はこの戦が終わったあかつきにはミロクの名を捨てようと思っている」 「……と、言いわれますと?」 「憎きルーデン王の化身、魔神マルスを仕留めたのち。私は生涯の名を、善政王マストレイヤに改めようと思っている。敬愛する父の名のもとカライの復権に全精力を注ぎたいのだ……」  ミロクは瞼の裏にカライ討伐の折、死んでいったマストレイヤ、アザーレ、クライフ、フェルス、そてし民に思いをはせると、優しくシノの手にふれた。 「私は眷属の死に慣れることはない。いつまでもそばにいて王のことを支えて欲しい」  シノはその手を両手で包むと改めて忠誠を誓った。 「……はい、ありがたき幸せ」  そして、ミロクの顔が引き締まる。 「王衣を用意しろ!」 「はっ!」  シノは声を上げると黒い軍服を着こんだミロクの背に、マストレイヤの忘れ形見、雪見草の刺繍の折り込まれた金糸のローブを羽織らせた。ミロクの顔は復讐に燃える女帝のものになっていた。  暗闇のなか時間が迫っていた。遠くの山の稜線に朝を知らせる朱色の水平線が走った。そこに浮遊する機体が見えた。ミロクの操縦する超巨大土偶兵機クィーンだった。膝を抱え翼で体を覆った姿は誰の目にも神々しく見えた。  ルーデン城の大きなバルコニーの上で、王国の正装、即ち婚姻衣装に着替えさせれたパージとイシュチェルがブランシュの前にひざまずいていた。シュバリエとペイスが傍らに立ち厳かな空気が流れていた。ブランシュはひと晩かけて書き上げた誓約書を二人の前で読みあげ始めた。 「マルスの民、パージそしてイシュチェル。両名にルーデン王国の王子として命令をだす。直ちに魔神で出撃し、カライ王国の女王ミロクの首を討ち取って欲しい。……この戦いに勝利したあかつきには両名に、三つの褒章を与えることを約束する。一つ、マルスの村に英雄の牌をたてること。二つ、英雄には神である巫女との婚約を認めること。そして、三つ、ミロク討伐のあかつきには両名に………、王子の騎士としての称号を与える」  イシュチェルとパージは驚きの顔を見せた。ブランシュは笑顔で続ける。 「以上、三つの褒章を王子の名に置いて約束する。 ルーデン王国王子 ブランシュ・ルーデン」  ブランシュは手紙の文字に思いを馳せた。王子の騎士は最上級の友情の証だった。だが王子はいずれ王にならなければならない。ブランシュは宣言書をパージに渡した。パージは手紙を受け取とると拝礼し胸にしまった。 「つつしんで」  なんと声を掛けよう。……王だ。私は王なのだ。……生きて帰ってこい。そう、私のために。だがそれは叶わぬ願いなのだ。ブランシュは上手に嘘をつくことができなかった。パージとイシュチェルの手をつかむと二人の前に膝を折った。 「……私のために死んでくれ」 「命令、感謝致します」  パージは胸に手をあてブランシュに敬礼をすると、イシュチェルの手を取りバルコニーの前方に歩みを進めた。空中庭園の花壇のなかには色とりどりの春の花が咲いていた。パージはそのなかに咲いた黄色い二輪の野草を見つけた。 「たんぽぽだ、どこから来たんだろう」  ブランシュの心遣いでもらった柔らかな布地の晴れ着、パージの蒼い婚姻衣装とイシュチェルの桃色の婚姻衣装は季節の冠を求めているかのようだった。 「お花を頂きます」  パージは明るく言うと、たんぽぽの花をふたつちぎって、一つをイシュチェルの耳に差した。花飾りはマルスの村の結婚式の慣わしだった。 「小さいけど花冠」 「マルスの戦士の妻になれたことを光栄に思います」  イシュチェルの言葉にパージは微笑むと、自分の耳にも黄色いたんぽぽを差し込んだ。 「おそろい」  そう言うと首のロザリオの半分をイシュチェルに渡した。それから二人は腰の短剣を抜くと手のひらに盾と槍の印を彫り込み、黄金色の魔神のロザリオにふれた。パージとイシュチェルは見詰め合うと互いに笑顔で決意を固めた。 「全知全能の神ゼウスと博愛の神ヘーラーの子。戦いの化身、火星の神、軍神マルスよ。我の命と引き換えに、この戦いに勝利をもたらすのだ!」  パージとイシュチェルの額からおびただしい光が飛び出した。マルスの戦士は輝く柱のなかに包まれた。次の瞬間、二人は魔神の体内に飛ばされていた。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~っ!」  パージの目が闇の獣に乗っ取られたかのように赤く血走った。魔神が若き心を取り込もうと少年の脳に干渉してきたのだ。  第十八話 『血戦!』  魔神のコクピットのなかでイシュチェルはパージの体を抱きしめた。 「パージ駄目よ!」 「……大丈夫、同じミスはしないさ」  パージはそお言うと耳に挟んだタンポポを口のなかにほおり込んだ。 「……苦い。でも神殿の時よりはましだ」  パージは魔神の闇に取り込む力と戦いながらルーデン王国の城下に降り立った。  ブランシュはその姿を確認するとバルコニーのうえでシュバリエとペイスに命令を出した。 「城に残ったポーンを至急用意しろ! 全力で市民の安全を守るのだ!」 「はっ!」  シュバリエとペイスは敬礼すると、ポーンのしまわれた格納庫に走った。  ミロクはクィーンの操縦席のなかで叫んだ。 「現れたなマルスの魔神よ。神の与えたこのめぐり合わせに私は感謝する。来い、カライの苦き血の詰まったこのクィーンの機体で貴様の首をとってやる!」  超巨大土偶兵機クィーンは体を包みこんだ翼を広げると、地響きをたて城下に舞い降りた。機体の重さの分だけおびただしい量の砂煙が舞い上がる。風が砂塵を受け流すと二体の巨人は突如として動き出した。 「行くぞ!」 「来い!」  魔神とクィーン、パージとミロクは街の中央で手を合わせると力比べの格好になった。 「ふん、これが伝説の力か。噂ほど強くはないな!」  クィーンが力を込めると魔神は簡単に膝をおった。 「くぅ……」  パージは操縦席で歯ぎしりをした。必死に龍の角に似た長い操縦桿を掴むが、石化が進んで行く体では満足に魔神を動かすことができなかった。そのまま魔神はクィーンに押し倒された。家が壊れ、城下の街に住むルーデンの人々は我先に逃げ惑った。 「うわぁぁぁ、殺される!」  そこへ三機のポーンがやってきた。僧侶を模したビショップ型のポーン二機と塔をモチーフにした重装甲のルーク型ポーン一機だ。全てのポーンの肩にはルーデン王国の朱雀の紋章が刻まれていた。ルークのポーンに乗ったブランシュが言った。 「二手に分かれて民を避難させろ。手が空いたら魔神を援護するんだ」 「はい!」 「仰せのままに!」  ビショップのポーンに乗ったシュバリエとペイスが指示に従い誘導を始めた。 「ルーデンの民は西の門から外に向かって逃げろ!」 「男は、女、子供、老人の安全を守れ。全員が助け合って逃げるのだ!」  ブランシュは二人が離れるのを見ると、ルークの腕に持った大型ロケットランチャーを構えた。クィーンとはポーンのサイズが違いすぎるが当たれば魔神を立て直すチャンスを与えることができるはずだ。その時、建物の影から、漆黒の豹型ポーンが飛び出してきた。ブランシュはサーベルを振り下ろされた。ルークは肩口を深く傷つけられたが、厚い装甲のお陰でなんとか攻撃を耐えきった。豹型ポーンの操縦者、シノは叫んだ。 「卑怯な。我が王は一騎打ちの最中だぞ!」 「卑怯で結構、汚れずに作られた国などこの世界のどこにもないのだ! まずこの戦いに勝ったあと、私が新しい世界を作ってやる!」  ブランシュはロケットランチャーの銃口を豹型ポーンに向け直した。 「………声が若い! 貴様、ルーデンの王子か!」 「だったらなんだと言うんだ!」  酔っ払いに酒瓶を投げつけられ王子の嫁になれと蔑まれたシノの記憶が蘇ってきた。シノはは腰のサーベルを握りなおすと上段に構え、ルークの機体に猛然と迫った。 「お前さえ生まれてこなければ、カライの堕落は始まらなかったのだ!」 「早い! だからって、パージたちだけを戦わせるわけには行かないんだ!」  ブランシュはロケットランチャーを持ったまま諸手狩りの恰好で豹型ポーンの足元に組み付いた。ポーンでの乱戦を知らないシノは虚を突かれその場に倒されてしまった。同じく実戦経験の乏しいブランシュのがむしゃらが功を奏した。一瞬の猶予ができる。 「ぐ、野蛮な戦闘を!」 「しめた!」  ブランシュはいち早くルークを立て直すと、ロケットランチャーを構え直し、炸薬弾入りの弾頭をクィーンの機体に向けて打ち出した。その弾は見事に超大型土偶兵機の顔面をとらえた。ダメージはほぼないに等しいがミロクの視線が魔神から外れた。 「無粋な!」 「どこを見ているんだ!」  パージはそう言うと、クィーンの腹に蹴りを入れ魔神を立ち上がらせた。 「ぐっ……!」  パージは頭を押さえた。気を抜くと魔神が体を乗っ取ろうと迫ってくる。イシュチェルはその肩に抱きついた。 「パージ、しっかりして!」 「大丈夫、たんぽぽが効いていてるから」 「小癪な、カライの民の怒りを貴様らに教えてくれるわ!」  ミロクは痩せ我慢を見せるパージの機体を掴むと投げ飛ばした。イシュチェルが悲鳴をあげる。 「きゃぁっ!」  クィーンはそのまま距離を取ると両手を広げた。額と翼についた三つの宝石が怪しく光りエネルギーを充填して行く。 「喰らえ、これがカライの怒りだ!」  魔神が立ち上がると同時に、クィーンは超高圧縮レーザーを三点の宝石から照射した。攻撃は魔神に直撃する。 「あぁぁぁっっ!」  パージは叫び声を上げた。石化した左腕にヒビが入る。圧倒的な熱量で金属とも粘土ともいえない魔神の体が溶け始めた。ミロクは修羅の形相で言い放った。 「武力で論を曲げられた小国の気持ちを思い知れ!」 「うわぁぁぁぁぁっ」  バキン。嫌な音が響くとパージの石化した腕が弾け飛んだ。ぺっと唾を吐くように口からたんぽぽの花がこぼれ落ちた。イシュチェルはコクピットで膝を折るパージに叫んだ。 「パージ!」 「戦うんだイシュチェル……、俺のことを支えて欲しいんだ」  パージは右腕一本で操縦桿を握った。 「……わかったわ」  それを聞くとイシュチェルは覚悟を決めた。二本の腕で操縦桿を握りしめた。 「盾を!」 「はい」  イシュチェルはパージに答えると背中の丸い盾をとり高圧縮レーザー、カライの怒りを受け止めた。 「あぁぁぁぁっ!」  パージの頭を魔神の洗脳が襲う。目を血走らせ気絶しそうになるが、寸前のところで気持ちをつなぎ止めた。 「前進だ。ただひたすら進め!」 「行くわ、ただひたすら前へ!」  イシュチェルは叫ぶと盾をたよりに魔神の歩みを進めた。 「いいぞ」  呟きながらパージは口を使って首のスカーフを抜き取った。それを器用に輪にすると、手首を回転させ残った右手を操縦桿に縛り付けた。ミロクの顔に狼狽が走る。 「な、なに、この火力を耐えきるだと……」  パージはこめかみに走る激痛に耐えながら、背中の槍を手にした。魔神は盾と己の身を炎で溶かしながら間合いを詰めて行く。パージは苦悶に顔を歪めながら歩みを進めると、怯むことなくミロクに語り掛けた。 「………汚名を着せられ殺されたマストレイヤ王の恨みも、………カライの民の誇りを取り戻したいお前の気持ちも、全て十分に理解できる。………だけど俺たちは、ルーデンの庇護を受けたマルスの民に生まれたんだ。たとえそれが悪だとしても、俺はブランとこの国を守らなきゃならないんだ! うぉぉぉぉぉぉぉっ!」 「あぁぁぁぁぁぁっ!」  パージとイシュチェルが叫ぶと、魔神は地響きを立てて突撃した。 「来い! カライ王家はルーデンの前に二度も膝を折りはしない!」  ミロクはレーザー攻撃を止めるとクィーンの腰に秘めた王家の剣を抜き取った。二つの巨人が王都の真ん中で交錯した。クィーンは王家の剣を振り下ろすと一刀のもとに魔神の持つ巨大な丸い盾を切り倒した。音を立てマルスの盾が地面に転がった。 「さぁカライの民たちよ。これが奴隷の鎖を断ち切る瞬間だ!」  ミロクは叫ぶと返す刀で、王家の剣を下から上へと振りあげた。次の瞬間、クィーンの背中が爆炎を上げた。 「な、なに……」  ミロクが視線を落とすとクィーンの左脇腹にマルスの槍が突き刺さっていた。パージは魔神のコクピットのなかで鬼神の表情を見せると雄たけびを上げた。 「カライの女王ミロク! 恨むんだったら俺のことを恨め! 俺の名はパージ・ゲール! ルーデン王に選ばれたマルスの戦士だっ!」  魔神は勝どきを上げると片腕でマルスの槍を抜き取り、次の一閃でクィーンの首を刎ね落とした。とどめの一撃が超巨大土偶兵器の左胸に突き刺さる。  ミロクの頬に悲しみの涙がつたった。 「またしてもカライは、ルーデンの下にくだるのか……」  超巨大土偶兵機クィーンはそこにはない首で空を見上げると、そのまま音を立て城下に膝から崩れ落ちた。  朝焼けのなか、黒いシルエットのなかに沈む、胸に槍の刺さったカライの巨人は、もう二度と動くことはなかった。戦いの決着はついたのだ。  第十九話 『魔神』 「勝った……」 「やった勝ちましたよ」  市民をポーンで誘導していたシュバリエとペイスは口々に言った。 「ミ、ミロク様!」  ブランシュとにらみ合っていたシノは戦いをやめ、豹型のポーンの足を滑らせると女王のもとへ馳せて行った。ブランシュはルークのポーンに乗ったまま光の柱に包まれた魔神を見上げた。魔神は北風により、その体を金の砂に変え始めた。ブランシュもまた魔神のもとへと走り始めた。  魔神のコクピットのなかでイシュチェルがパージを支えていた。 「大丈夫……?」 「ごめんな……」 「いいの……」  旅立ちの時間がやってきた。二人は笑みを交わすと抱きあったまま眠るように目を閉じた。どこからか讃美歌が聞こえてきた。朝焼けの雲の割れ間から二人を包む温かな光が差し込んできた。そこから天使の姿の、イー、リン、アルとシャナンが現れた。  背に羽の生えた四人のマルスの友は地上に舞い降りると、パージとイシュチェルの肩に触れた。その体から緩やかに無垢な魂を引き抜いた。  パージとイシュチェルは眠そうに目をこすると足もとが宙に浮いていることに気がついた。 「……あぁ私たちも神の庭に旅立つ時が来たのね」 「……本当だ。もうどこも痛くないや」  イシュチェルとパージは穏やかな顔を見せると呪いが解け再生された互いの手足を見つめた。二人は微笑みながら、遠くの山を指さす天使たちに手を掴まれると、大空の旅を始めた。イシュチェルはすぐにブランシュの姿を見つけた。 「見てあそこ」  ブランシュも二人の魂に気がついた。ポーンを止め空を見上げる。パージとイシュチェルは目を細めると、ルークの機体をすり抜けコクピットのなかに入ってきた。 「……パージ」  英霊となった二人の魂はもうブランシュの問いに答えることはなかった。ただ体に寄り添うと、その首に黄金色の魔神のロザリオをぶら下げた。 「……お別れの遺産だ」 「……ルーデンの民を正しき方向にお導きください」  そう言って二人の魂はブランシュの右手にキスをすると、またコクピットをすり抜け大空の旅に出た。ブランシュは虚空に手を伸ばし叫んだ。 「パージ……! イシュチェル……!」 「……さよなら、ブラン」  パージとイシュチェルは大空のうえから、悲しみに暮れるブランシュに手を振って見せると、仲間に導かれるようにマルスの村のほうへ向かって飛び去って行った。仲良く手を繋ぎ流れ星のように尾を伸ばし光り輝く二人の姿はどこもまでも美しかった。  ブランシュは魔神のロザリオを手に涙をこぼしそうになった。だが涙は見せなかった。力強くロザリオを握り締めると引き締まった顔を見せた。  まだやるべき王の仕事が残っているのだ。 「ミロク様!」  シノは倒されたクィーンのもとにやってくると豹型ポーンのコクピットを開け地上に飛び降りた。超巨大土偶兵機の強制脱出装置のボタンを押し、ハッチを開くと操縦席のなかを覗き込んだ。頭から血を出したミロクが笑顔を見せた。 「シノ、私を介錯してくれ」 「しかし、私のポーンは無傷です」 「生きろ、そしてカライの民に詫びてくれ………。アザーレ、クライフ、シノ、フェルス、そしてマストレイヤ王。みんな、すまない……」  ミロクは首をもたげると手を合わせ祈りを始めた。シノは女王の専属騎士として主君の生き様を聞き入れた。腰のサーベルを抜き高く構える。ブランシュが大声で叫んだ。 「ミロクを助けろ!」 「はっ!」  ビショップのポーンで駆けつけたシュバリエはコクピットを開けた。 「御免!」  シノがサーベルを振り下ろした刹那、その刃が弾丸によって折られた。腰の小銃で刃を撃ち落としたのはシュバリエだった。その傍らに近づいたペイスがポーンのコクピットを開け、笑って見せた。 「隊長、お見事です」  遅れてやってきたブランシュがルークのなかから飛び降りてきた。そして、ミロクの前にひざまずくと喋り始めた。 「カライの女王よ。私に侘びを入れさせてくれないか」  その様子を見ていたルーデン王国の避難民たちが怒声を浴びせた。 「なぜ王子が謝る! そいつらは俺たちを殺そうとしたんだぞ!」 「そうだ。そうだ。そんな奴らは生かしておいても、必ず仕返しにくるぞ!」 「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ! 殺せ、殺せ、殺せ、殺せ!」  シノはルーデン国民の合唱を聞きながら、ブランシュに折れたサーベルを突きつけた。 「貴様、まだミロク様に恥をかかせるのか!」 「黙れ!」  ブランシュが一喝すると、ルーデン王国の国民は皆黙り込んでしまった。ブランシュは改めて話し始めた。 「私はこの戦をここで終わらせたいと思っている。例えここで私がミロクを切ったとしても、また別の小国から自由を求める戦士が現れるだろう。報復の連鎖はここで終わらせなければならないのだ!」 「ふん、むしのいい話だな。魔神がいれば戦に負けることはないだろうに……」  ミロクは震える体で笑って見せた。ブランシュはひるまなかった。 「だが私は魔神によって、二人の友をなくしてしまった。私はその友に聞かれたのだ……。なぜこの世界に人を飲み込む魔神がいるのかと。私はその答えに今、気づくことができた。古(いにしえ)の神は笑っているのだ。……戦いのやめられぬ人間どもに! 誰もいなくなるまで戦えばいい! このわしが皆殺しの手伝いをしてやろうとな! ………私は私の代で魔神を捨てる。だからこそ、カライの王よ。ルーデン王ルグリと、この国の民を許してくれないだろうか……。これが私の侘びの印だ!」  ブランシュはそう言うと腰の剣を抜き、自身の左腕を切り落として見せた。そこにいた全ての人間が息を飲んだ。ブランシュは武器を持つ不浄の腕を切り落としたのだ。これではもう二度と、戦場に出ることはできない。ブランシュは剣を投げ捨てると、毅然とした態度でミロクを見つめた。 「私は一生をかけて王になる。女王ミロク、そしてカライの民とルーデンの国民よ。私の無知を許して欲しい……」  ブランシュはミロクに、国民に、部下たちに、そしてマルスの村に向かって、頭を下げた。ミロクの目尻から涙が零れ落ちた。 「……腕一本か。ふ、カライの民も少しは報われるだろうか。ご家来がた、王子に手を貸してやってくれ」 「は、感謝致します!」  シュバリエとペイスはミロクの前にひざまずき敬意を見せると、上着を使ってブランシュの腕の止血を始めた。シュバリエは言った。 「王子、直ぐに医者を用意させますので」 「あぁ、頼む………」  声を出した刹那、首に掛けた魔神のロザリオが風に溶け砂へと帰り始めた。傷が癒えたらまずパージとの約束を守ろう。ブランシュは朝焼けの空のしたで、マルスの丘に思いを馳せるのだった。                                    ~おしまい~
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