第1話 茉優花

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

第1話 茉優花

 遠ざかって行く。  君の姿が消えてなくなる。  僕の隣りにずっといた君はもうそばにはいない。  僕の心から、君の心が遠くなって君はもう僕の元には戻らなかった。   ✦✦✦✦✦♢♢♢✦✦✦✦✦  先月、君と買いに行ったハリネズミのクッションを撫でると、いつもどおり柔らかかった。  とげとげだって見かけは痛そうでもグニャリとしてる。  彼女はこのハリネズミが僕に似ていると笑った。 『わあっ。(けん)ちゃんにそっくり〜。これ、買いたい』 『似てるかな?』 『うんっ、似てる。笑ったとこ』  僕は彼女の笑顔を思い出しては、切なさに胸が押しつぶされそうになるのをじっと耐えた。  いつだって僕には眩しい彼女。  付き合って五年にもなるのに、未だに僕は彼女の心をきちんと捕まえていられているのかが分からない。  僕はじっと雨の音を聞きながら、買いたての大きなソファベッドに一人で座っていた。  茉優花(まゆか)が来るって約束した時間はとうに過ぎていた。  彼女はいつまで経ってもやって来ない。  ハリネズミのクッションを(いじ)るのも飽きて来て、僕は立ち上がり重い足取りで窓に向かう。  足の裏にひんやりとフローリングの冷たさが伝わって来る。  嵐が幾度か過ぎたら急に冬めいてきて、僕は寒がりの茉優花(まゆか)のために慌てて炬燵(こたつ)を出したのにな。  肝心の茉優花は来ない。  茉優花なら僕が炬燵を出したことをきっと褒めてくれる。  いつだって彼女は僕の味方で、ちょっとしたことだって「健ちゃん凄いよ!」って大喜びしてくれるんだ。  僕はいつも茉優花のころころ変わる表情が大好きで、ちょっと気分屋さんなところが昔っから可愛いなと思ってる。  青と白のアパートの壁に横から激しく叩きつける雨が見える。  やっぱり茉優花を迎えに行こうか?  僕は彼女に電話をしようとキッチンに置きっぱなしの携帯電話に向かいかけたところで、耳にバイクの大きな音が届いた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!