155  ガルアシアの王子

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155  ガルアシアの王子

ぼくはいくつもの通りを歩いた 本屋やおしゃれなカフェをいくつも見た 歩道にはいっつも鳩が群がっていて まるでぼくをからかうようだ 衝動はそんな時起きた その路地裏に、なにか裂け目が見えるからだ その裂け目はぼくをじっと睨んでいた 「聞いている?」 「あ、ああ、ちゃんと聞いてます」 何だろう?ぼくの意識に誰かがアクセスしようとしている。それはとても抗えない力。だがそれを許してしまったら、ぼくはもう死ぬしかない…。 「じゃあわたしの名前は?」 「えーと、エリミーア?」 「わたしの名はエミリーナ!まったくもう、あんた真面目にやんなさいよっ」 仮面を被ったエミリーナの前に、ちょこんと椅子に座らされたデルフィがいる。ふざけたり、ふてくされた様子ではない。本当に困惑しているようなのだ。 「ですから、ぼくが何したって言うんですか?」 「はあ?何したかって?あのね、あんたね、密入国、身分詐称、不法侵入、王族に対する不敬罪、器物損壊、暴行未遂、誘拐未遂、防諜法そして公式行事での騒乱罪および破壊防止法違反。きりがないわ」 「それだけ聞いてるとぼくは超国家的な大物テロリストですね」 「ふざけないで」 「ふざけてなんかいません。ぼくの国、ガルアシアはこのウインデルとは国交がありません。だから当然外交ルートなどないわけで、入国するには無断で入るしかなかったんです」 北方三国であるガルアシア、アグレイシア、ルムンフントは、ガリア山脈に隔てられ大ガイア大陸中央および南部の国々との国交はほとんどない。ただ、唯一メリルリアのみがルムンフントとの交易を行っていた。 「それでルムンフントの貴公商人に交じって?」 「ええ。あとはルメール川をひとりで下って」 「呆っれた。あんたいい度胸してるわねー」 「いやあ、それほどでも」 「褒めてない」 「はあ」 デルフィは本当に申し訳なさそうにしている。エミリーナの方が困惑しているのだ。 「それであんたの本名は?」 「だからデルフィ・ライトリオン」 「まあ嘘はついていない。それがルムンフントでのあんたの名。そうでしょ?デルフィ・グリフォニス・ガルアシア」 「う…」 「ここに来てごまかしはダメ。わかってるでしょ?王子さま」 すべて調べがついているのだろう。デルフィはウインデルという国の諜報力を少し侮っていた。そうして改めて知った。これこそが諜報だと。相手に知られることなくあらゆることを探られる。それがまったく気がつかぬうちに。 「で、密入国の目的は?いい?ここが肝心よ。嘘言ってもすぐばれる。あんたも気がついているでしょうけど、ドアの向こうにとんでもないのがいるんだからね。わかる?」 デルフィは無言でコクコクと首を縦に振った。先刻から得体のしれない何かがいる。それは悪魔より強力で、しかも静かだ。正直デルフィはビビっているのだ。ここは正直に話すしかない。死は恐くない。だが不本意な死に方はしたくない。それはガルアシアの第三王子としてのプライド、というわけではなく、ぼくの深淵にまつわる過去の記憶がそうさせている。 「会いに来たんです」 「はあ?誰に」 「王女さまです」 「王女って、舞美?」 「そうです。舞美さんです。名前の通り美しく舞う姿を、ぼくはあの舞踏会で初めて見て一発で心奪われちゃって、それ以来もうそればっかり考えちゃって」 「それって王の婚約のときの?」 「そうです。一目見て、そして一緒に踊って。もうまだ夢のようだ。だからダンスパーティーにはどんなことをしても潜り込もうと」 「あんた、バカね」 「はあ」 恋する少年なんだ、こいつはただの。でも、だからってキリスさまの定めた法を破っていいということにはならない。 「という具合だけど、マミ、なにか判る?」 エミリーナが声をかけるとドアが開いて、同じような真っ白な仮面を被った女騎士が入ってくる。対面するエミリーナという魔導師は仮面に魔宝石が四つ。入ってきたのはデルフィも知っている、仮面に魔宝石が七つのこの国の国王、キリスの婚約者でマミという異常なほど強いと言われる白魔導騎士だ。 「ひいっ」 思わずデルフィはその白魔導騎士のオーラに圧倒されてしまった。いや、強いて言えば、巨大な深く暗く底の見えない大穴を覗き込んだような気分だった。引きずり込まれる恐怖しか感じられない。 「どうだマミ?わたしはこいつが嘘をついているようには感じられないが」 「エミリーナ先生がそう言うならきっとそうなんだろうが、あたしにはこいつの深淵が見えない」 「マミほどでもか?」 「ああ。こいつは厄介だな」 デルフィは危機を感じた。いや恐怖だ。マミという白魔導騎士は自分の深淵を覗こうとした。だがそれは暴かれてはならない。それは死を意味するからだ。 「や、やめてもらえませんか?お願いです」 「古今東西、そう言われてやめた事例をお前は知っているか?」 「はい。交換条件、あるいは司法取引、という言葉をご存じですか?」 「交換条件、だと?」 「ええ。ぼくの持っている情報、つまり北国三国の情報。それは手が出るほど欲しいはずです。人口、産業、宗教、そして軍事に内政。すでにあなた方の暗部の者たちが何千人とわれわれの国に入り込み、ついにその目的を達せられなかった、そういう情報ですよ」 「ほう、そんな貴重な情報をわれわれに教えると?」 「そうです。身の安全を保障し、この国での行動の自由を与えていただけるなら」 ぼくは必死になった。ぼくの深淵。誰にも知られてはいけない事実。それはぼくが…。
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