寛大な遺族

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 凄惨な事件が起こった。犯人はたった一人の男子大学生。彼の振りかざしたナイフと差別的な偏見は、ものの十五分で三人の命を奪った。  この所業に世間は怒り狂った。毎日メディアに釘付けになり、情報が更新されるたびに露わになる男子大学生の身勝手さに民衆は正義のコメントを垂れ流した。テレビでは物知り顔のコメンテーターが世論に迎合し、どこから生えてきたか知れぬ専門家がカラフルなパネルに唾を飛ばしていた。  大学生自身も鼻持ちならぬ態度でのらりくらりと犯行を認めず、謝罪の一つすら無かったのだ。当然死刑になるものと思われたが、一人だけ彼の味方をする者がいた。 「法が人を殺すなんてあってはなりません。彼はまだ社会でやり直せるはずです」  家族を奪われた被害者遺族の女だった。 「聞けば彼も家庭の事情で苦しんでいたそうです。今彼に必要なのは正義に見せかけた社会不満の留飲を下げるための鉄槌じゃない。適切な精神的ケアなのです」  最初こそ、彼も鼻で笑っていたのだ。だが毎日訪れては根気よく説得を続け、あまつさえ笑顔を見せる女に少しずつ彼は耳を傾けるようになっていった。 「わかります。あなたが本当に怒りをぶつけたかったのは、自分の家族ですね。いえ、それ以上に……あなた自身だったのかも」 「話してくれませんか? どうしてあなたがそれほどまで自分を嫌ってしまったのか」 「決して笑いません。あなたが否定したあなた全てを、私は肯定します」  ある日、彼は面会室のガラス越しに号泣した。その声は部屋の外まで届きかねないほどで、あわや被害者遺族の女は強制的に連れ出されるところだった。  それからというもの、彼は見違えたような模範囚になった。全面的に罪を認め、遺族全員に謝罪し、「どんな罪でも背負う」と裁判で明言した。  彼に下された判決は、懲役十五年だった。当初の予想とは大きく違った結果に世論は反発するかと思われたが、案外大きな反対も無く受け入れられた。遺族の女はメディアを通して、彼の更生を強く訴えていたからである。  こうして彼は刑務所の中で罪を償う日々を送ることになった。無論楽しい毎日ではない。けれどそんな彼の元に足繁く通う女の存在が、彼の心を慰めていた。彼は冷酷な実母に代わり、彼女に温かな母の偶像を重ねていたのである。 「ほら、やっぱり。あなたは必ず更生できると思っていた」 「過去は消せません。失ったものは戻りません。けれど償うことはできると思うんです」 「頑張ってここを出ましょう。何をしたいか、考えておいてくださいね」  ついに十五年の月日が経った。刑務官に深々と頭を下げ、彼は女の元へと向かった。女も十五年間変わらぬ笑みをたたえて、彼を迎えた。 「本当に良かった」  女はビー玉のような目に彼を映して、言った。 「お前が法なんかに殺されなくて」  その日以来、彼と女の消息は知れない。
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