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16.新商品
半分ほど開けられたシャッターから明かりが漏れていた。
お店は休業しているけれど中には人がいるのだろう。きっと彼だろうなと思いながらも、どうするべきか悩む。声をかけてもいいのだろうか。休んでいた理由は気になるけれど、個人的なことかもしれないし、そもそもただのお客でしかない私が聞いていいものかもわからない。踏み出しきれずに立ち止まっていると、「璃子さん?」と声が聞こえた。
振り返ると白のコックコートを着た彼が立っていた。
あまりにも見慣れた姿に力が抜け「……はあ」とわけのわからない返事をしてしまう。
ふっと息を吐き出すように小さく笑った彼は「よかったら中、入りません?」とあのときのように私をお店の中へと誘った。
通されたのは以前と同じ休憩スペース。出されたのはアイスティーだった。カラン、と氷がグラスと触れ合って音を鳴らす。棚や机に白い布がかけられているのはあのときと同じだったけれど、今日はお店中に甘い香りが広がっていて、すぐそばの厨房からは熱が流れてくる。何より「ちょっとお待ちくださいね」と言った彼の顔に滲むのは悲しさではなかった。息を吸うたび体の中にふわふわとした甘さが広がり、自然と頬が緩んでいく。
――食べなくてもわかるんだよ。
そう言ったハルの気持ちがとてもよくわかる。うん。食べなくてもわかる。食べているひとからだけじゃない。作っているひとからも感じられる。これはとても温かくて優しい、しあわせの空気だ。あのときの私たちは確かに「しあわせ」を感じていた。だからこそあんなにも美味しく感じられたのだ。
「よかったら、どうぞ」
出されたのはシュークリームだった。
白い皿の上に載せられた、まるまるとした姿。
「これは……?」
「明日から出そうと思っている新商品です」
「新商品、ですか」
臨時休業はそのためだったのだろうか? と一瞬思ったが、お盆休みすらとらないような彼だからそれはない気がする。彼が考えるのはケーキを楽しみにしているお客さんのことだろうから。たとえ新商品の開発でも『臨時休業』でお店を閉めるなんてことはしないだろう。
「ふ、ふふ……あ、すみません」
向かいの席に腰掛けた彼が私の顔を見て笑い出す。なぜ笑われたのかわからず戸惑っていると彼はまた小さく笑って言った。
「すみません。きっとお休みしていた理由を考えてくださっているのだろうな、と」
「え、あ、えっと」
「すみません、璃子さんの表情がわかりやすくて……ふふ」
すみません、と四回も謝った彼はまだ小さく声を震わせる。
――璃子、なんでも顔に出すぎ。
不意に甦ったハルの声に、思わず私も笑ってしまう。笑いの収まらない彼の表情はハルととてもよく似ていて、ふたりはやっぱり兄弟なんだなと今さらながらに思ってしまった。
「実は子どもが生まれたんです」
小さな笑い声を重ねたまま、彼はさらに顔を綻ばせて言った。
一度だけ見たことのある奥さんの姿を思い浮かべ「おめでとうございます」と私も笑い返す。
「ありがとうございます。予定日なんてあてにならないと聞いていたので、いつでも大丈夫なようにしておかないと、って思ってはいたのですが。いざその時になったら慌ててしまって。子どもの方が気を遣ったのか予定日を一日過ぎただけだったのですが」
「そうだったんですね。でも、もう明日から始めてしまってもいいのですか?」
新商品の発売日は明日だと彼は言っていた。本当はまだ奥さんと子どものそばにいたいのではないだろうか、そう思って問いかけると彼は眉を下げて笑った。
「大丈夫です。むしろ生まれてきてくれた子どものためにも働かないと、って思っちゃったので。それに――」
「それに?」
「あ、いえ、よかったら食べてみてください」
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