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3.カレノオトウト
「お姉さん、ヒマなの?」
お店に通うようになって三週間ほどが過ぎた土曜日。混みあう店内ではショーケースの前にもなかなかたどり着けない。もう少し人が引くのを待とうかな、と焼き菓子の並ぶ棚へと足を向けた時だった。品物を補充している店員に声をかけられた。白いシャツに黒のベスト――このお店の制服を着ているから店員だよね? およそ接客とは程遠い言葉を投げられ困惑する。思わず辺りを見渡すが棚の前には私と店員の男の子しかいない。
「毎週来てるよね?」
答える前に言葉が続けられる。
「あ、はい」
明らかに年下と思われたけれど、戸惑いが抜けないのでうまく言葉が出てこない。対して彼は次から次へと滑らかに文字を並べていく。
「いや、いいんだけど。ウチとしてはいいことなんだけど。でもさ、毎週土曜日にひとりでケーキ買いに来るってどうなの? 買うのは決まってひとつだし。誰かと食べているわけでもないんでしょ? そういうの寂しくない?」
「……」
言葉を失うとはまさにこのこと。
一体何なのだ。毎週ケーキを買いに来て何が悪いのだ。ひとりだからって何? 寂しくないのって、余計なお世話以外の何ものでもない。失礼極まりない。若いからなんでも許されると思っているのだろうか。呆れと怒りが体内で渦巻く。このお店に通い始めてこんな気持ちになったのは初めてだ。言い返したいことは山ほど浮かぶが、どれから口にすればいいのかわからない。
「そもそもさあ。本当にケーキ好きなの?」
「え?」
問いかけられた言葉からも、向けられている疑念のまなざしからも、何を言いたいのかちっとも読み取れない。
「どうせお姉さんも兄貴の……」
「ハル!」
後ろから飛び込んできた声に、隣に立っている男の子の肩がビクリと揺れた。
振り返れば見慣れた白いコックコートの彼がいた。
「お前も中手伝えって言っただろ」
「はいはい。今行くよ」
明らかに納得していない空気を出しながらも、黒いベストの背中は遠ざかっていく。
「お待たせしてしまって申し訳ありません。あの、ハル……うちの弟が何か失礼なことでも……?」
――ウチノオトウト。
バグでも起きたかのように脳は変換を拒否した。
「い、いえ。大丈夫です」
答えてから間違えたことに気づく。「大丈夫」ってなんだ。明らかに何か言われたと認めたようなものではないか。彼は一瞬、目を丸くしてから申し訳なさを顔じゅうに広げて言った。
「本当にすみません。あの、よかったら何かサービスさせてください」
「え、あの、ほんとに何もないので。大丈夫です」
失礼極まりない発言は彼からもらったものではない。彼の――オトウト? が発したものだ。責任はあっちにある。彼にしてもらうことはないはずだ。たとえオトウト? であっても。
「そう、ですか。ホントに何かあったら言ってくださいね」
「……はい」
小さく頷けば「もう少しで落ち着くと思いますので」といつもの笑顔を残して、彼はまた厨房へと戻っていった。
オニイサンである彼にここまで言わせるなんて一体どんな奴なんだ? いや、とんでもなく失礼でイヤなヤツだということはわかったけど。たった数分の会話でここまで相手を不快にさせるなんて一種の才能では? カウンターへと視線を向ければ、さきほどまでの態度はどこに行ったのか、愛想のよい笑顔が目に入った。
夢でも見ていたのだろうかと思うほどの変わりように視線を動かせなくなる。
ふっとお客さんが途切れた瞬間、目が合った。視線が重なってすぐに向けられた表情に「やっぱり夢ではなかった」と思い直したが、『カレノオトウト』だという事実までは飲み込みきれなかった。
――その日、私の箱には頼んだケーキのほかに「試作品」とメモのついたシュークリームも入れられていた。
おそらく彼が気を遣ってくれたのだろう。完成されていないシュークリームの皮は膨らみが弱く、中のクリームには粉っぽさが残っている。お店で並べる段階ではないのが素人の私にもわかる。けれど、食べた後のすっきりとした甘さはとても心地よかった。これが商品として完成されたならきっととびきり美味しいシュークリームになるだろう。
「完成がとても楽しみです」
次にお店に訪れたときに私がそう彼に伝えると、彼は一瞬不思議そうな表情を見せてから「ありがとうございます」と言って笑った。
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