侵入の心得

4/4
23人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
「美咲こそ、今日仕事じゃなかったのか?」 「今日は午後休。それより、話の腰を折らないで!」 「違うんだ。えーと……」  なにが違うんだろう。不在のときに部屋を覗き見た後ろめたさから、言葉が舌の上で絡まっている。 「もう! 会えるのどれだけ楽しみにしてたと思ってるのっ」  その言葉に、ああ、敵わないな、と諦めに似た温かさが胸に広がった。 「……ごめん。今から行くから待ってて」  通話を切り、白い店内へ舞い戻った。  サプライズは失敗だ。  洗いざらい白状させられ、明日に予定していたプロポーズの言葉まで吐かされることになるだろう。  だけど、久々に会えることに胸が弾まないはずがない。  彼女の転勤によって遠距離恋愛になって以来、予定がすれ違い続けて会いに行くことができなかった。日課になっているビデオ通話で、さまざまな理由にかこつけて合い鍵を郵送してもらったのだ。 「お待たせいたしました」  店員がやってきて、こちらでお間違いないですか、と見せられた指輪には、本物のダイヤモンドがキラリと光っている。  高校生の頃に、雑貨屋で彼女が気に入って気まぐれでプレゼントした千五百円の指輪とは、格が違う。  だけど、十年間も僕と彼女の恋人の証になってくれた安物の指輪に感謝して、ポケットの上から、愛しい気持ちでその硬さを指で確かめた。  支払いを済ませ、上品な白い紙袋に入った指輪を手に店を出て、先ほど逃げ出してきた彼女のアパートへと歩き出す。  見上げると青空がどこまでも広がっていた。この先、雷が落ちても雨が降っても、この晴れわたる空に繋がるのだと、僕は信じている。 〜おわり〜
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!