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「ミャー」
僕の膝が突然温くなった。視線を下に移すと、猫のクロがいつの間にか膝の上に来て、僕を見上げていたのだ。
僕はクロの頭をゆっくり撫でてやった。元野良にしては毛並みが綺麗で、つやつやしている。
「お前は裏切ってくれるなよ」
自由な動物である猫が人を裏切るのか分からないが、今は味方が欲しい気分だった。
クロは最後の一人から欠席の連絡をもらった日に、近所の神社で拾った黒猫だ。その日は家でまったりする気分にもなれなくて、ふらふらと散歩に出たのだ。
黒猫を見かけると不吉になると言うけど、飼ってしまった僕はどうなるのかな。僕はクロを撫でながら、またもや未来に不安を覚えていた。
「ミャー」
せっかくふわふわの毛並みを堪能していたのに、クロは膝の上を降りてしまった。まったく、猫は気まぐれだ。
僕は何となく壁の時計を見た。もうすぐ昼の三時だ。本来なら、普段泊まれないような豪華なホテルの宴会場を借りて、あの約束を果たしていたはずだったのに。せっかく忘れかけていた寂しさがまたぶり返した。
あ、そういえば。
ぼっーとしていると、また別の約束を思い出した。今日は荷物が届くのだ。しかも、時間指定した。何かはっきりした予定を入れたかったのだ。
でも、どうせ来ない。僕の約束は忘れられる運命なのだ。
僕は近くの壁に寄り掛かった。クロは玄関近くで、前足を舐めていた。
そのときだった。
ピンポーン。
インターフォンが鳴った。それに連動して、台所横に設置してあるモニターが点いた。
僕は立ち上がって、モニターのマイクをオンにした。
「はい」
『宅配便です』
ピンポンダッシュかもしれないと思った。しかし、モニターを見ると、キャップを被った配達員さんが段ボールの荷物を抱えて待っていた。
僕はペン立てに入っている印鑑を持った。
「今開けます」
僕はマイクを切って、玄関に行ってドアを開けた。
「宅配便です。松久透真様のお宅で間違いないですか?」
配達員さんは伝票を僕に向けた。
「はい、間違いないです」
「それでは印鑑かサインをお願いします」
僕は指定の欄に印鑑を押すと、荷物を受け取った。品名の欄にはペット用品と書かれている。間違いはない。
「ちゃんと来てくれたんですね」
思わず心の声が漏れた。ふと正面を見ると、配達員さんは目を丸くしていた。
「指定のお時間、間違っていましたか?」
「いいえ、合っています」
「それなら良かったです! 我々は『荷物は丁寧に、お客様に誠実に』がモットーですから」
配達員さんは笑って胸を張った。
「そうですか。ありがとうございました」
「いいえ」
配達員さんはウエストポーチにさっき僕が印鑑を押した紙を入れた。
「あれ?」
その途中で、配達員さんの動きが止まった。どこかを見ているようだった。
僕はその人の視線の先を追った。顔を後ろに向けてみると、その先にはカレンダーがあった。
「今日、何かご予定が?」
配達員さんが訊いてきた。僕は向き直った。
「失礼なことを申し上げました。すみません」
「いいえ。はい、実は小学校の同窓会がある日だったんです」
「そうだったんですね。このあとですか?」
「いいえ、なくなっちゃいました。声はかけたんですけど、全員から欠席するって言われてしまって」
そう答えると、配達員さんはいけないことを言った、というような顔になった。
「これまた無神経なことを」
「みんな、忙しいですから。それに、約束したのは十年も前ですし」
「そんな前から!」
「まあ、あのときはノリと勢いで決めちゃったから、覚えてなかったのは当然なんですけどね」
僕は自嘲気味に笑った。
「それは、約束を破ったみなさんは可哀想ですね」
「え?」
「お客様が酷いと申し上げているわけではありません」
僕の怪訝な顔に、配達員さんは平然と答えた。
「わたくし、ネット通販で購入された商品をお届けすることが多いのですが、その中にはお客様のように時間指定してくださる方もいらっしゃいます。ですが、ときどき、お客様がでてこないときがあります。たまたま急に外出することになってしまったとかなら良いんですが、寝ていらっしゃったり、忘れられたりすることもあります。わたくしは勤めてそこまで長くないですが、一度だけお昼の十二時にお時間を指定されたお客様のところにお届けしたとき、『人が気持ち良く寝ているところを起こしやがって! 何時だと思っている!』と怒鳴られたことがあります」
「それは理不尽ですね」
「流石に傷付きました」
配達員さんは笑った。
「こういうとき、わたくしは思います。お客様が可哀想だと」
「どうして? 約束を破ったのはお客さん本人ですよね?」
「だからこそです。荷物のほとんどはネット通販で購入された商品ですから、お客様は楽しみに待っていらっしゃるはずで、お時間通りに受け取れば一番早く開封できます。しかし、お約束を破られてしまうと、お客様にとっては楽しみにしていた商品の開封を延ばすことになってしまいます。それって、自分が自分に可哀想なことをしているというふうに思えませんか?」
確かに一理ある、と僕は思った。今回、僕は約束を破られてしまったけれど、破った彼らにとっては旧友たちと会う絶好の機会を自ら奪ったと捉えることもできる。そう考えると、確かに約束を破ったみなさんは可哀想だ。
「あの、配達員さん」
「はい」
「また頼んでもいいですか?」
「ええ、もちろん! 丁寧にお届けします」
「ありがとうございます。じゃあ、また」
「はい、またのご利用お待ちしております」
配達員さんは丁寧に頭を下げ、階段を降りて行った。
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