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いくら暗くなっているとはいえ車二台分の長さのリムジンは目立ってしまう。車と運転手さんには開発部の駐車場で待機することになった。 タクシーに乗り込んで着いたのは小さな商店街の前。 「ここからは歩くぞ。」 メモを見ながら私の手を引っ張って目的の場所へ……ん? 手? 私の右手は彼の左手の中にすっぽりと包まれている。 どうしよう。 落ち着け私。そうよ、手を繋いだのは急ぐから。 行き先を知らない私がもたもたしていたら帰りが遅くなってしまうから。 彼は少しでも早く家に戻りたいから。 なぜなら奥様が待っているから。 これはそういう意味。 あ、そうか。 「お土産ですか?」 奥様への。 言葉にできない言葉が体中を駆け巡る。 「……ああ。」 当たりね。少し間を置いて返事をする彼の声が少し照れくさそうだもの。彼の手に包まれているというのに、指先が冷たい。 「ここだな。」 ひさしの下に掲げられた看板をメモとを見比べる彼につられて私も見上げる。 スポットに照らされた一枚板には『とみ田や』と書かれている。 とみたや……。なんだろう。何か今引っかかった。 「入るぞ。」 背中を軽く押される。苦笑を隠しながら店内に足を踏み入れる。 今日はよく促される日だ。 少し薄暗いと思ったらこういうことか。 高い梁天井から傘を被った裸電球が何本も垂らされている。 レトロな明かりで白い漆喰の壁に互いの傘を映しあっていた。ショーケースには日持ちしそうな白餅と、贈答用の詰め合わせ菓子が数箱並んでいるだけであとはお菓子の名前のみ書かれた札が並んでいるだけだ。 もう店じまいの時間なんだろうか。その割には課長は札を吟味しているようだけど。 「いらっしゃいませ。」 店の奥から小柄なおばあさんが暖簾をかき分けて出てきた。 「知り合いから教えて貰って来たんですが。」 「ああ、若間さんの?連絡頂いておりますよ。取り置きしてありますので少しお待ち下さいな。」 取り置き?部長にわざわざ頼んで?一体どんな代物が出てくる訳? 「こちらが当店の水戸の梅でございます。」 水戸の梅?ああ水戸銘菓のあれか。 だけど見た目がだいぶ違う。確かあれって白あんを求肥で包んで更に赤紫蘇で巻いたお菓子だったと思う。 これは赤紫蘇で巻いてない。その代わり求肥自体が赤い。 「名前は同じでも店によって色々工夫を凝らしてるんですよ、お嬢様。」 やだ、見透かされた? 「うちの店では赤紫蘇は色付けの為に使ってるんですよ。餡は紫芋、甘味料は梅シロップと青梅の甘露煮。小さいお子さんも召し上がりやすいようにしております。」 「香りも優しいですね。……あれ?」 「どうした?」 「いえ……なんでもありません。」 なんだろう。 初めて見たはずなのに、なんだか懐かしい気がする。 大切な人達がこれを食べてて、私にも一つくれて。そのあと…… ダメだ。 思い出せそうで思い出せない。 きっとあれ以前の出来事なんだろうけど。 「じゃあ、10個入を二箱と、20個入を二箱お願いします。」 「畏まりました。熨斗はどう致しましょう。」 気づけば既に課長が注文を入れている。 「内輪で頂くので必要ありま」 「あの!まだ残ってますか 、これ?」 叫んだ途端、口に手を当てる。 まずい。会話の途中で割り込んでしまった。 とんでもない失態を犯してしまった。 「ございますよ。まだ20個ほどございます。」 「買います20個!熨斗は不要でなんなら箱も要らな、ゲホッ」 「おい、大丈夫か千穂!」 手を差し伸べてきた課長に偉そうに手のひらで押し返す。 大丈夫、意気込みすぎてむせてしまっただけだから。 * 商店街入口まで戻ってくると目の前でリムジンが音も立てずに止まった。 人通りが多い時間帯だけに注目もひとしおだ。 課長自らがドアを開いて早く乗れと目で促してくる。 言われるまでもない、こんなところで目立ちたくない。 私が乗り込むと課長もさっさと乗り込んでドアを閉めた。手元の紙バックがガサゴソと音を立てる。 「申し訳ありません、荷物を持たせてしまって。」 町の人には一体どこのお嬢様かと思われたかもしれない。 会社の制服姿のオンナと、その後ろを高そうなスーツを着たイケメンが紙袋を三つも四つも提げてこそこそリムジンに乗り込む構図。 ……頭痛がしてきた。 「とりあえずひとつ食べてみないか。」 彼が試食用に別に取り分けてくれたお菓子の袋を私の前にかざした。 「あ、はい。今お茶を入れますね。」 そそくさと立ち上がってお茶の支度を始める。 気まずくて彼と目が合わせられない。 お店でまさかあんな醜態を晒してしまうなんて想定外だ。しかもあれからなぜか彼は上機嫌。 もしかして弱みを握ったとか思ってるんじゃないでしょうね? いや今はお茶の支度。 しかしこの食器棚にはほんとになんでも置いてある。 懐紙まであるなんて驚き以外の何物でもない。 漆器の菓子鉢に懐紙を敷いてお菓子を並べて楊枝を添える。 うーん、手で持って食べる方が楽かも。幸い不織布のおしぼりもある。 この茶器、素敵。白磁に銀と青の流線がまさに龍が絡まるように飲み口まで走っていてしかも指が軽く引っかかるようになっていて滑って落とすリスクも減らしている。 銘は……分からないな、どこの作家さんのものかしら、って別にいいか。 私には贅沢品。 うん、お湯がちょうどいい具合に冷めた。 「どうぞ。」 「ありがとう。」 彼がお菓子に手を伸ばす。いつ見ても綺麗な所作だ。 時々思う。彼は名家の出なんじゃないかと。 金持ちの子息とか、政治家の息子とかそういう類ではなく、育ちが良いという感じ。お茶を頂く姿勢ひとつとってもこんなに絵になる。 直接聞いてみようか。 そう思う側からもう一人の私が止めておけ、と言う。 彼は立ち入ったことを聞かれるのは好きじゃない。 それは普段の周囲に対する態度から解る。 それに。 私自身、この人に何も伝えていない。 私の身の上のことは何も。 うちの会社は履歴書は出すけど記載は本人の経歴のみだ。会社独自のフォーマットになっていて家族欄や趣味特技の記載は無い。職務経歴書に近い。 そして自己PRの代わりに専門分野の小論文を提出する。 だから私が居られる。自分で言わなければ、または事情をよく知る人間が漏らさない限りは、自宅の住所も家族構成も、家庭事情は誰にも分からないから。 余計なことを聞いて彼に嫌われたくない。それだったら何も知らない方がいい。 「食べないのか?」 「お茶が美味しくて。」 やんわりと断る。急に胸がいっぱいになってしまった。 * もう五分とかからずに会社に着くというところで彼のスーツの胸ポケットから微かな振動音が聞こえてきた。 あの振動はLINEだ。スマホを取り出し確認した途端苦笑する。 「買ったよ。」 ボソリと呟く。奥様かな? 「夕食はどうする?遅くなってしまったが近くの店で食べて帰るか?」 それは貴方と?それとも私だけ? どちらとも取れる言い方になんだかムカムカする。 「私のことは気にしないでください。帰る前に少し目を通したい書類があるんですよね。」 さりげなく残業アピールをしながらスマホを取り出しToDoリストを確認する。特に今日やらなきゃいけないことなんて当然入ってない。 「そうか。」 隣で浅いため息が聞こえる。 ほっとした?早く帰りたい? 気にしてないわ、構わない。 後片付けは私がやっておくから車が止まったらそのまま帰って。私のわがままで貴方の家庭を壊すようなことになってはいけないから。 「土日しっかり休みたいから今日明日は頑張らないと。」 だから明日も来ないで。奥様と過ごしてと、暗に伝える。 ねえ、私笑ってるでしょう?少しも未練なんて残してないでしょう? 貴方とは遊び、って雰囲気出てるでしょう? だから、気にしないで。 車が地下駐車場に止まった。 会社へのお土産と自分の荷物を持った途端、車のドアが開く。 絶妙なタイミングに盗聴してたのか?と思ったけど、どうやら別件があったようだ。 私が降りるのを手伝ってくれた後そのまま課長に何事が耳打ちをした。 深いため息とともに私を見る。 「社長から呼び出しが入った。」 社長から? 「リムジンの無断使用の件について説明しろだと。」 「無断使用?昼にお聞きした話と違いますが。」 「車庫係の連絡ミスだ。どっちにしろ車は社長宅に戻るから、このまま行ってくる。」 そういえばリムジンは普段は社長宅の駐車場に置いてあるんだった。その後社長との面談があって、帰宅は更にその後で下手すると夕食深夜になるかも。 課長には申し訳ないけどちょっとだけ……すっきりした。顔を見るとにやけてしまいそうだから絶対に目線は上げたらダメだ。 「お疲れ様でした。」 下を向いたまま挨拶をする。 車は静かに私の前を通り過ぎて行った。 右手に課へのお土産、左手に私の分と別れる際に受け取った彼のタブレット。右肩にショルダーバッグを提げてエレベーターを降りた。タブレット、紙袋に入れておけばよかった。落としそうで怖い。 ガラスドアが明るく廊下を照らしている。まだ誰か残っているようだ。ドアの前まで来て初めて気づいた。このドア、ちゃんと閉まらなくなってるみたい。明日にでも管財課に連絡しなきゃ。 左肩で閉まりきってなかったドアを押し開けて体を滑り込ませようとした途端。 バンッ! ドアが勢いよく開いた。 「きゃっ!」 タブレットを守ろうとしてバランスを崩す。まさかこれ床に顔面強打コース? とはならず。 転ぶ寸前に誰かが抱きとめてくれた。 「おかえりなさい、千穂さん!」 え?佐野さん? 見上げると、眼鏡男子がニコニコと笑っている。なんでまだ残っているの? 「あ、ただいま戻りました。」 あれ?手に持っていたタブレットが消えている。まさかコケた時にすっ飛ばしちゃった? 「こんなの持ったままドア開けようとするなんて危ないじゃないか。怪我は無い?」 肩に回された彼の手がタブレットをヒラヒラと振っている。 いやいや、貴方が先にドアを開けなきゃバランス崩すことはなかったわ。それとタブレット振り回さないで、それ課長のなんだから。 思うことは山盛りあるけど、とりあえず今早急にお願いしたいのは、さっさと離れて欲しいということだ。 「ありがとうございます。もう大丈夫ですから。」 やんわりと両の手のひらで彼の体を押してみる。 それなのに、気のせい?それともわざと? 背中と腰に回された腕が更にきつくなったような? 「こんなに遅くまで仕事してるの?課長って鬼だな。」 プンスカ怒るのはご自由ですけどね。 とにかく早く離せ! 「佐藤さんもまだ残ってらしたんですね。なにか分からないことでもありましたか?それとも緊急に仕上げないといけない仕事が?」 もうすぐ八時。教育係は既に帰宅しているみたいなのに。 「えへ、千穂さんを待っていたので、なーんて。」 近い近い近い!
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