2 昔俺が、本命だった頃

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2 昔俺が、本命だった頃

俺は以前、浮気された側だった事がある。 その時俺は、柄にも無く何も言えずに浮気現場から去って、連絡も断った。 大学の先輩だった彼の事は、本当に好きだった。奥手な俺に初めて出来た恋人だったし、優しくされて大切にされてると思ってた。でも先輩の方は本当は違って、なかなか抱けない俺に痺れを切らしてたみたいだ。 あの日は突発的に先輩の部屋に寄ったんだ。先輩の一人暮らしのマンション。大学の帰りにバイト先に行こうとしたら、バイトの同僚から連絡が入ったんだ。今日と休みを交換してくれないか、明日どうしても休みたいから、って。だから、何時でもおいでよ、って渡されたカードキーを初めて使ってみようと思って、ドキドキしながら先輩んちのマンションに向かった。 よくあるサプライズのつもりで。先輩は俺のスケジュールを全部把握してるから、きっと驚くだろうなって、想像したら楽しかった。思いがけない日に俺が来て、喜んでくれるかも。そしたら今日こそはもっと……。 だけど、あれだな。こういうサプライズってあんまり、良い結果にならないのな。 オートロックを突破して、玄関をそっと解錠して。 入ったら男物の靴とスニーカーが並んでて、先輩こんなスニーカー履くんだ、って少し不思議に思った時に止めときゃ良かったんだ。 『初心なとこが可愛いんだけど、疲れるんだよな。お前くらいが気楽だわ。』 『相変わらず酷い男だね、お前。』 『だってやっぱり先を考えるとさぁ。恋人から番にするなら誰の手もついてない処女が良いだろ。』 『…マジでほんっと、お前サイテーだわ。ん…。』 きちんと閉じきれていなかったリビングのドアの向こうから漏れ聞こえてきたのは、そんな遣り取り。そしてその後の不穏な水音。嫌でも気づく。そこから察するに、浮気相手は俺よりも長い付き合いのようだった。何だろな、セフレってとこか。でも、彼の事を誰よりも知ってそうな、その口振り。吐き気がした。 恋人にするなら汚れてないのが良くて、でもそれでは満足出来ないから気心の知れたセフレで解消。最低。 でも、もっと最低なのは… そんな人間の本性を見抜けずにまんまと好きになってしまった俺。何も知らずにあの手に触れられてあの唇でキスされてた俺。 俺はバタンとドアを開けて、ぎっと先輩を睨み付けた。音に気づいて俺を見た先輩はソファに座って足を広げてて、その間に見覚えのある男が床に座ってた。何と先輩は、浮気相手にお口で御奉仕されてる真っ最中だったのだ。うげ。 『な、何で…だって今日、バイトだって…。』 あたふたしながらセフレを退かしてズボンの前をジッパーを上げようとする先輩と、あ~あ、と呆れたような表情のセフレ。声に聞き覚えあると思ったら、やっぱり何時も先輩と居る友達の一人だった。 俺は涙目になっていた筈だ。でも、こいつらの前では泣くもんかと涙を我慢。馬鹿にしやがって、って思いながらカードキーを投げて、踵を返し足早に部屋を出た。 そして、駅まで走って、自分の部屋の布団に潜ってから、やっと泣いた。婆ちゃんはまだパートから帰ってなかったから、一時間くらいは泣きじゃくってたと思う。 超絶ガキで初心だったものの、交際は半年に及んでいた為にキス迄はされてた俺は、彼と連絡を断った後、失恋のショックで一時摂食障害を患ってしまった。何かベタベタ触られてた自分が汚く思えて気持ち悪かったってのもある。 大学にも行かなくなり、ものも食えずガリガリに痩せ細って、気がついたら病院のベッドにいて、点滴の管が腕に刺さっていた。 俺が目を覚ましたって連絡が行ったらしくて、婆ちゃんはパート先から飛んできてくれて、泣かれた。 俺んち、俺が小学校のころに親二人共事故で死んでるんだ。爺ちゃんは俺が産まれる少し前に病気で。母さんは施設育ちだったみたいで身寄りも無くて、だから俺は婆ちゃんに育てられた。それなのに、俺は自分の失恋くらいで自分の命を危うくして…。父さん達だけじゃなくて孫の俺まで婆ちゃん不幸するとこだったって気づいた。 俺が居なくなったら、婆ちゃんは一人ぼっちだ。 目が覚めた俺は、それから必死に立ち直った。 大学は辞めた。 中学で少しやんちゃしてた俺が、高校で覚醒して頑張って入った大学だったから喜んでくれてた婆ちゃんには申し訳なかったけど、休学で置いといても多分、もう行かないだろうと思ったからだ。それに、大学には会いたくない人達がいる。恋人だった先輩と浮気してたのも、先輩と同じ学部の人だったからだ。あの人はαだった筈だけど、α同士でもセフレって成立するんだな。まあ、性欲処理だけなんだから竿と穴がありゃ出来るか。 ……まあ、そんな人達にはもう関わりたくなかったから大学に未練は無かった。 辞めて治療に専念して、治ったら何か働き口を探そうと思った。勉強は好きだったけど、どうせ大学を出たって、ヒートなんて厄介なものが定期的に来るΩの就職率はβの女子学生よりも低いんだ。政府が働きかけても、福利厚生の充実してる大企業が形ばかり数人受け入れる程度で、中小には敬遠されがち。よしんば就職出来ても大きな仕事は任されず、妊娠したら育休じゃなく退職を~、みたいな流れも多いって聞く。 なら最初から一般の社員じゃなくて、辞めても次を探し易いバイトくらいで良い。バイトなら、Ωだって探すのにそこ迄苦労しないもんな。 退院した俺は、ゆっくりと日常に戻っていった。俺が家に戻った時、数少ない大学の友人が見舞いに訪ねてきてくれた。 『お婆さんに聞いてたんだけど、病院には遠慮してくれって言われてさ。』 友人・日置はそう言って困り顔をした。日置はβで、一言で言って普通の大学生って感じの男だ。だからこそ気楽に話せるんだけど、その彼から思わぬ事を聞いた。 先輩が俺を探し回ってて、俺の友人知人達に所在を聞き回っているらしい。一時期は日置も後を尾けられていたと。多分、俺と接触しないか順番に張ってたんだろう。入院してて良かったぜ。 先輩に家の正確な場所を教える前だったのも幸いした。 先輩が俺を探し回ってるなんて聞いても、もう俺の心は何も感じなかった。 二度と顔を見たくないとも思わなくて、只もう先輩は俺にとって、どうでも良い人になっていた。 只、浮気するような奴は万死に値するな、と思っただけだ。 あれから浮気するような人間はクソだと忌避していた筈なのに、俺はまた何の因果で、よりによって浮気相手なんかになっちまったんだろうな。 ……というような事を、馴染みの店のマスターに話している俺。 進歩ねえなあ。
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