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3 店にて
「2年だぜ、2年!」
カウンターでクダを巻く俺を、憐れみの目で見ているマスターは40代前半のイケオジだ。因みに妻帯者、子あり、β。
20歳になって間も無い頃、その時のバイト仲間と何気なく入った時から、異様に話し易いマスターが気に入っちゃって常連化。というのは建前で、実はマスター、人の良さそうな優しい笑顔が少し死んだ父さんに似てる。だから何となく色々相談なんかも話してしまうんだけど、聞いちゃったマスターの方は娘さんと同年代の俺を何時もハラハラしどおしらしい。なんかスマン。
で、今夜も根気強く酔っ払いの話に耳を傾けてくれるマスター。
「2年って?」
「最初にαがクソだって知ってから2年って事!」
「あ~、なるほど。例の初カレか。」
店に来るようになって、マスターには一度、俺のクソみたいなサレ経験を話している。記憶力の良い人だから直ぐに思い出したらしい。
「まあ、最初にたちの悪いのに当たっちゃうと、誰でもねえ。」
とマスターが言った時、彼の後ろのキッチンとの目隠し暖簾が上がって、背の高い厨房スタッフが顔を出した。
「マスター、これ。」
「ん?おや…ありがと。」
マスターに皿を渡して、また引っ込んでいくバイト氏。いっつも直ぐ引っ込むから真面に顔が見えた事は無い。どういう生態の生き物?
マスターは俺のグラスの横に受け取った丸皿を置いてくれた。焼いたウインナーを卵焼きでとじたやつのケチャップ添え。俺が一番好きなやつ~!!
「ま、マスター…!」
「サービスな。空きっ腹に酒ばっかり入れちゃ毒だよ。」
コソッと口の横を隠しながらそう言ってくれるマスターに感激する俺。
「ありがとう~~~!!マスター好き!」
「はいはい。」
苦笑しながら俺の前に箸置きと箸を置いてくれるマスター。
さっき迄食欲なんか全然無かったのに、マスターの顔見て大好物を目の前に置かれたら俄然食べる気になってきた。これを食べると、『手抜き料理よ。』って笑ってた母さんを思い出す。
でも、子供の頃ってこれくらいの方が好きだったりするよな。
「いただきまーす!」
俺は箸を持って卵焼きを摘んだ。
「やっぱり1ヶ月そこそこで体の関係を持っちゃったのが良くなかったんじゃない?」
マスターの言葉に、うぐっとなる俺。
「…だって、あんまり勿体つけてもまた前みたいに浮気されるかもって思ってさあ。」
ウインナーを咀嚼しながら答えるけど、実は確かにマスター一理あるわ~って心境ではある。条件だけ見てまだ相手の性格も見極められない内にセックスに応じたのは、ちょっとタイミングが早かったと思う。
でも俺も2年前みたいに10代じゃないから、変に武装し過ぎても逃げられるかなあと思ったんだ。それが判断ミスだったかなあ。
あのクソと寝る迄、俺は処女だったから、くれてやったのが今更ながら惜しい気がしてきた。
まあ、セックスを盛り上げる為と番を意識させる為に妊娠妊娠って言ってたけど、実際は抑制ピルも飲んでるし、ヒート外で妊娠とかは殆ど無いって聞くから中出しされても大丈夫かなってた。
万が一デキたら番になりゃ良いなんて言われて、じゃあ次のヒートあたりで番になるのかな~なんて期待してたりした俺も、十分打算的ではあるけど…やっぱ他に相手がいるのを黙って浮気相手を引っ掛けるってのは駄目だろ…。
ベッドの上で繋がってた俺達を見て、顔が真っ白になるくらいショックを受けてたクソ野郎の相手らしき美人を思い出す。あの人も大変だよな、絶対今回が初めてじゃないだろうし。あのクソαはΩを口説くのに手馴れてたと思う。一見爽やかそうな好青年風で、優しくて。…セックスするようになってから少しおざなりになったのは、手に入れてしまったものには既にαの狩猟本能が働かないからだ。狩るだけ狩って食い散らかしたいだけのα、マスターの言う通りタチが悪い。先輩といい浮気相手になってた友人αといいクソ路といい、αには浮気しないまともな男はおらんのか。
(うん、やっぱ悪いのは全面的に彼奴だな。)
番になりたい、選ばれたい。そんなΩの切実な気持ちを弄ぶαが悪い。
大嫌いだ。でも、Ωの俺はαとじゃなきゃ子供は作れない。婆ちゃんに曾孫、見せてやれない。
だから俺は、少しでもマシな性格のαを探すしかない。
発情期を迎えたら直ぐ番婚、ってのはΩには珍しくないから、α、β、Ωの中でもΩは最も平均結婚年齢が早い。傾向、じゃなくてマジで早い。
ヒートを抑える抑制剤の質が昔よりも向上したとはいえ、結局100%じゃない。結果αとのセックスで妊娠する事が多いΩはまともな戦力とは看做されないから、殆どは就労する前に番になって家庭に入る。
あとどれくらい年月が経てばΩが好きなように人生の選択を出来る日が来るんだろう。
マスターの声に送られて、ほろ酔いで店を出たのは22時半。もう少し飲んでたいけど、明日も朝から仕事だ。今のバイトはコールセンターでのテレアポ。前の工場での仕分け作業よりは体力的にはラクだし家からもやや近くなった。Ωのスタッフも結構居て、それなりに働き易い職場だから出来れば長く働きたい。故に、遅刻とか……言語道断じゃん?
自宅の最寄り駅で電車を降りて、駅を出て歩き出す。少し肌寒くなってきた夜風が頬を撫でて、せっかくの酔いが徐々に冷めてきた。
そういえばクソ路と出会った3ヶ月前は暑い盛りで、一緒に海を見にドライブに連れてってくれたっけ、と思い出した。
あの時、助手席に座ってた俺を、良い遊び相手ゲットとか思いながら見てたんだろうな……。
考えたら、やるせなくなった。
俺は、多分路を少し好きになってた。αなんてろくでもないって考えを、此奴が変えてくれるかもしれないなんて、少し期待してた。
でも現実は、路は先輩以上の最悪なαで、俺は騙されて遊ばれて傷物にされただけの間抜けなΩになっただけだった。
状況悪化。
α不信のこんな状態で、番になるαなんか探せるとは思えなくなってる。
もう家が見えてきたところで、立ち止まった。キッチンの明かりがまだついてる。婆ちゃん、まだ起きて俺を待ってくれてるんだ。
俯いて、呟いた。
「……婆ちゃん、ごめん。俺、駄目かも。」
婆ちゃんを前にしては言えない弱音が漏れた。
静かな初秋の月が、間抜けで貧相な俺を見下ろしている。
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