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車の中で彼は殆ど口を利かなかった。無口な彼に合わせ、拓海も神妙に黙る。横目でさり気なく彼を観察した。肩幅が広く、手足も長い。きっと百七十八センチの自分より十センチ近く背が高いだろう。ゆっくり話がしたいと、龍司は、隠れ家的なレストランに拓海を案内した。どうやら馴染みの店らしく、店員がすぐさま寄ってきて、名前も聞かず顔パスで個室に案内してくれる。
「何でも好きなもの食べてくれ」
手渡されたメニューには金額が書いていない。明らかに高級そうなフレンチの料理名が並んでいるが、彼の行きつけのようだから遠慮しなくて良いのだろうか? 答えあぐねていると、龍司がそっとメニューを指差した。
「夕飯まだなんだろう? 好き嫌いがなくて、もし迷ってるなら、おまかせコースがお勧めだ。一応ここに書いてるような料理が出てくるが、腹の空き具合で量や皿数も変えてくれる」
「じゃあ、そちらでお願いして良いですか?」
龍司は頷き、ウェイターに、おまかせコースを二人分、と静かに伝える。その横顔を拓海は盗み見た。最初に見た瞬間から美男子だとは思ったが、改めて良い男だと惚れ惚れする。たぶん歳の頃は三十歳少し手前だろうか。濡羽色の髪はそれほど長くなく、精悍な印象が男らしい体格に良く似合っている。はっきりした眉、すっと通っている鼻梁に、甘い二重の目元と柔らかそうな唇で、モデルか俳優のように整った顔立ちだ。一方、肩や胸は厚く、アスリートのように鍛えた身体つきをしている。しなやかな筋肉を包み込むスーツは、ミッドナイトブルーのシャドーストライプで高級そうな艶がある。ネクタイも無地の鉄紺色で、まるでマフィアかSPみたいな出で立ちだ。
(まぁ、きっと堅気じゃないよなぁ)
内心つぶやいた瞬間、彼は拓海を射抜くような眼差しで見つめる。
「……早速、本題に入って悪いんだが。サトシが日本にいないって、どういうことなんだ?」
拓海は我に返った。指名してくれたとは言っても、彼のお目当ては決して拓海ではない。まずは相手の望む情報を与えるしかない。
「元お客様からプロポーズされて、その方のアメリカ転勤について行ったんです」
拓海が答えると、龍司は舌打ちした。自分の思い通りにことが進まないことに対する僅かな苛立ちが、その目元と口元に浮かんでいる。
「だから携帯通じねえのか……。SNSのアカウントもごっそり無くなってるし。
……どんな奴なんだ? サトシの旦那は。アメリカ転勤ってことは、エリートサラリーマンか」
不機嫌を隠そうとしてか、龍司はぶっきらぼうに問う。
「〇〇で働いてる技術者だそうです」
「世界的な大手メーカーじゃねえか。じゃ、そいつアレか。大卒か」
「それどころか、アメリカの大学院出てるって」
「インテリだな。サトシと話合うのか? バカにしたりとか、してねえだろうな」
矢継ぎ早に追及してくる龍司の口ぶりは、単なる馴染みのホストについてというより、まるで可愛い妹か弟、はたまた大好きだった元カレを案じるかのようだ。
「『サトシは、これまでチャンスに恵まれなかっただけ。やればできるよ』って励ましてくれるんだって」
拓海は肩を竦めて、元同僚の惚気を伝える。もし龍司がサトシを本当に好きならば、間違いなく致命傷になりうる会話の流れだと思いながら。しかし、龍司は気に掛ける余裕もないようだ。
「……随分と余裕あるんだな。年は幾つなんだ」
「サトシよりひと回り上だそうです」
「包容力のある大人の男ってことか。ちなみに、見た目はどうなんだ」
「写真見せてもらった限り、イケメンでシュッとしてました。サトシよりも背が高くて、見た目に気を遣ってる意識高い系のゲイって感じの」
「イケメンで高学歴で高収入って。そんな良い男で、浮気とか大丈夫だろうな?」
その口ぶりも、浮気されて自分の元へ帰ってくるのを期待するというより、純粋にサトシの身を案じているように聞こえる。もしかして彼は、サトシを妹か弟のように可愛がっていただけなのだろうか? 拓海は少し混乱していた。
「……その人、前の彼氏と八年付き合ってて、振られたショックで買ったホストがサトシだったそうです。そのまんまサトシにハマったくらいだから、真面目な人なんじゃないかな、と」
拓海は手持無沙汰で、サーブされた食前酒を口に含んだ。龍司の懸念はなおも続く。
「親は何も言わねえのか?」
「ご両親はもう亡くなってて、肉親のいない孤独な人だって聞きました」
そこまで詳らかにしてしまうと、龍司はハアと大きく溜め息をついて、頭を抱え俯いた。
「ちっ。サトシの奴、面食いだし家庭的だからなぁ。そいつにも優しくしてやったんだろうな……。あんな優しい笑顔でそばにいられたら、孤独で傷心な男なんてイチコロだろ……」
最後は独り言のようだった。妹の結婚を受け入れざるを得ないと悟ったシスコンの兄のような複雑な表情を浮かべ、目の前の食前酒のグラスを睨みつけている。
「……アイツ、幸せにしてくれる人を見つけたんだな。しかも相手は堅い勤め人で優しくて、ちゃんと結婚してくれる誠実な人だなんて。本当に良かった」
丸々一分以上黙り込んだ龍司は、直面した現実をどうにか受け入れようとするかのように、傷ついた表情を目に浮かべている。だが、口元には戸惑いながらも笑みを浮かべ、何よりも第一にサトシの幸せを願う健気な言葉を口にする。
拓海は複雑な気持ちだった。認めるのは悔しいが、誰もが羨む玉の輿に乗って店を辞めたサトシは同じホストから見ても良い男だった。見た目が可愛らしくて性的なテクニックに長けているだけではない。情に厚く、お客様の悩み相談に乗ってやっているのを見かけたのは一度や二度ではない。義理堅く、店を辞める時は自分の得意客にきちんと連絡を入れていた。サトシから辞めると聞かされ、良い大人が何人も泣き、結婚祝いをくれた人までいたらしい。
『サトシのように誰からも愛されたい』などと贅沢は言わない。
世界で誰か一人で良い。心から大切に思い合える相手が欲しい。
拓海がこの世界に飛び込んだ最大の理由は、それだった。
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