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 初めて会った瞬間に、美しい男だ、と思った。  しかし、最も強く(たく)()の心に焼き付いたのは、彼の美しさよりも、拓海を見つめる瞳に浮かぶ深い闇のような孤独の色だった。  その日、勤め先である出張ホストの店舗で、拓海はお茶を挽いていた。得意客が指名してくれるタイミングでないのは分かっていた。店に詰めていなくても、指名は付かないかもしれない。だが、何となく店でぶらぶらしていた。普段電話対応やシフト管理をしている店長が席を外している間に、店の電話が鳴る。拓海は少し気取った声で電話を取った。今店にいて、すぐに動けるキャストは自分だけだ。自分を今夜の退屈から救い出してくれるお客様を捕まえられるかもしれない。 「はい、ボーイズクラブ『花屋(はなや)』でございます」  一瞬、客が話し出すまで間があった。背景の音から想像するに、街中を走っている車の中から掛けているようだ。電話の向こうの男が、ためらいがちに口を開く。 「……サトシはいるかな? 指名したいんだけど」  拓海は内心の苛立ちを抑え、平静を装って答えた。 「申し訳ございません。サトシは辞めました」  客が驚いているのは、更に返ってきた沈黙で分かった。 「……辞めたって、いつの話だ?」 「もう一年近く前ですかね。以前、彼を贔屓(ひいき)にして下さったお客様ですか? 申し訳ございません」 (またサトシか……。未だに連絡してくる客がいるって、どんな接客してたんだよ? 勘弁してくれよな)  彼が店を辞めてから、何度も同じようなやり取りが他の客との間でも繰り返されてきた。そして一様に馴染みの客を残念がらせている。  サトシが売り上げ上位常連ホストだったのは、後輩の拓海も知っていた。しかし、その人気を辞めた後にまで思い知らされるのは、人気商売としてあまり気持ちの良いものではない。自分だってホストなのに、電話の向こうの客は拓海には見向きもしない。夢中にサトシのことを話す客に、拓海は、優秀な姉と兄のことばかり持ち上げる両親の姿を重ね、まるで自分が透明人間になったような屈辱感を味わっていた。拓海は思わず自分のシャツの胸元を握り締める。 「辞めた理由は何だ?」  なおも電話の向こうの相手は食い下がる。拓海は溜め息をこらえる。これは営業チャンスかも知れないんだぞと自分に言い聞かせ、必死に愛想の良い声を作る。 「辞めた理由も含めてホストの個人情報ですので。お話しすることはできないんです」 「じゃあ、あいつの今の連絡先を教えてもらうわけにもいかないのか?」 「すみません。……随分サトシを贔屓にしてくださったお客様のようですので、ひとつだけお伝えしますと、そもそも彼は今、日本におりません」  だから、もう追ってくれるなと釘を刺したつもりだった。しかし、結果は火に油を注ぐだけになってしまった。 「……日本にいない? そりゃ、どういうことだ。詳しい話を聞かせてもらえないか? ……あんた、店長じゃないよな? 昔と声が違う。それとも、今の店長なのか?」  少し声が据わり始めている。拓海は本能的な判断でカードを切る。 「僕は店長じゃありません。店舗にいたホストで、サトシの後輩です。彼が勤めてた時は可愛がってもらいましたが」 「ふぅん。おたく、ホストか。じゃあ、これから少しあんたを指名させてもらおうかな? サトシの話を聞かせてくれるなら、チップは弾むよ」  獲物は針に掛かった。拓海はほくそ笑み、甘い声を出す。 「……実は今、他のお客様のアポの直前でして。たまたま店舗にいたから電話を取ったんですが、アポが終わるまでお待ちいただけますか?」  アポの開始時間を遅らせれば、泊まりなどに持ち込めるかもしれない。それに、時間を置けば、相手は悶々とサトシについて悪い妄想を繰り広げ、拓海の話をありがたがるに違いない。良さそうな客なら自分のものにしても良い。  そんな思惑に気づく余裕もないのか、男はすぐさま了承した。  夕方五時半。拓海は、龍司(りゅうじ)と名乗る男との待ち合わせ場所の最寄り駅にやって来た。念のために店に電話を入れる。 「もしもし、拓海です」 「ああ、拓海。お前、龍司さんの予約入ってるんだって?」  ワンコールで店長が出る。やはり古い客だというのは事実だったようで、店長は龍司を知っている口ぶりだ。 「……うん、そう。六時から」 「さっき龍司さんから電話あってさ。クルマでお前をピックアップするって言ってた。うちの昔からのお客さんだから、乗ってもらって大丈夫だから。今それを連絡しようと思ってたんだよ。ホブソンズの前に行ってくれる?」 「了解」  手短に答え、拓海は店長との電話を切る。  ホブソンズに着くと、ショーウィンドウに映る自分の姿をチェックする。ピンクがかったベージュに染めた髪は、素直で柔らかい手触りだ。厚く下ろした前髪を軽く整える。丸くて大きい瞳に濃い睫毛、ほっそりした顎。薄紅色の柔らかそうな唇を軽く突き出して、乾燥しないようリップクリームを塗る。今日着てきたシャツはラベンダー色の花柄で、髪の色と同系色のグラデーションが気に入っている。拓海の性的な好みは本来ネコ寄りだが、お客様からタチを求められることも多く、どちらもこなすユーティリティープレイヤーとして店で重宝されている。程なくして、黒塗りの輸入車が音も立てずに止まった。スモーク張りの後部ドアが開く。おずおずと覗き込むと、ダークスーツに身を包んだ男と目が合う。 「拓海か?」 「……はい」 「龍司だ。乗ってくれ」  これが、目に孤独な色を宿す龍司との出会いだった。
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