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〇
お盆を迎えて、親族一同が家長である伯父の家に集まることになった。親戚の集まり事にほとんど顔を見せないタカ叔父だったけど、法事と葬式には必ず出てくる。お彼岸には来ないけど、お盆には現れる。
タカ叔父は朝ぼくの家に来て、父母とぼくと四人で伯父の家に向かった。父の車をタカ叔父が運転した。ぼくは助手席に乗った。
タカ叔父は正装していた。父も母もスーツは着ているけど、正装とまではいかないラフな感じだ。夏だし、多分他の親戚だって正装はしていない。
それはいつもの事だ。お坊さんが忙しそうにやってきて、ちょっとお経をあげて帰っていくだけで、大きな法事なわけじゃないから、ぼくに至ってはほとんど普段着だった。でもタカ叔父は、こういう時は必ず黒いスーツに黒いネクタイを締めてやってくる。特に親戚に会う時はサングラスをかけるので、今日なんかは古風な殺し屋みたいな風体になっていた。
サングラスなんて普段はかけないのだけど、多分ここでかけてるのは、自分の目付きが思いがけず悪くなって、他の人たちに威圧感を与えないようにという配慮なのだと思う。
親族の結婚式にジーンズ姿でやってきてヒンシュクを買っても平気な顔をしているくせに、こういう時は真面目腐っているタカ叔父を、親戚は「葬式になると張り切る奴」とか「葬式好き」等と言って、それが彼の代名詞として使われることはよくあった。例えば「あいつは最近何をやってるんだ?あの、葬式になると張り切る男は」なんて具合に。
伯父の家に着くと、タカ叔父は一応みんなに顔を見せて無愛想に挨拶をした。それから庭に出て、植木の影に入ってタバコを吸う。ぼくは縁側に座ってそれを見ている。
セミが鳴いていた。一匹がタカ叔父が利用している影の本体に飛んできて、そこで煩く鳴き始めた。タカ叔父はそれを見上げて、それからぼくの方を振り向く。ぼくは微笑む。タカ叔父は苦笑いして歩いてくると、携帯灰皿をポケットから取り出しながら、ぼくの隣に腰を下ろした。タバコを揉み消し、灰皿をしまって、足を組む。
「暑っちいな」
「そんな格好してるからだよ。中、入れば?クーラーついてるよ」
もちろん本気で言ったんじゃない。
縁側の窓は庭に開け放してあるけど、ぼくらの背中にある閉められた障子の向こう側には仏壇のある涼しい和室が広がっている。そこで話をしている親戚たちのざわめきは、時々大きくなったり小さくなったりしながら、波のように繰り返されて、先刻からずっとぼくの耳に届いていた。
「お前は暑くないのかよ。こんなとこに座って」
「日陰だし、半袖だもん」
ぼくの返事なんか期待してなかったように、すぐに話を変える。
「坊主はまだかなあ」
ぼくは腕時計を見た。ぼくは腕時計を三つ持っている。一つは高校の入学祝に祖母からもらったやつ。一つは大学の入学祝に伯父からもらったやつ。そして今見ているのは、タカ叔父から高校卒業の時にもらったスウォッチだ。三つの中では一番安かったけど、一番気に入っている。特に文字盤の空色が好きだった。
「そろそろじゃない?十一時過ぎたから」
お坊さんは毎年お昼前にやってきて、さーっとお経をあげて、説教もそこそこにさーっと帰っていくのだった。稼ぎ時なので仕方ないのだろう。それが終わると親戚一同で昼食の宴会が始まる。よほどの事がなければ、タカ叔父はそれに参加せずに一人でとっとと帰ってしまう。
背中の障子の奥から、「そろそろ十三回忌だなあ」と言う声が聞こえてきた。十年前に死んだ祖父の話らしかった。それに続いて葬式好きの男の話題がのぼり、続いてどっと笑い声がおこった。ぼくはタカ叔父の顔を覗いてみたけど、気にした風もなく背伸びをする。
「暑いなあ」
そう言ってぼくを見た。
「お前、幾つだっけ?」
「十九だよ」
「はやく二十になれよ」
「どうして?」
「酒が飲みたい」
「今でも飲めるよ」
「ガキの内はやめといた方がいい。酒もタバコも」
「どうして?」
「精力が弱まる」
「ウソだよ。そんな話聞いたことない」
「本当だぜ。まあ、そういう奴は四十過ぎたらもうアウトだな」
「ウソでしょう?聞いたことないよ」
「信じるものは救われるってね」
タカ叔父はそこで話をやめた。台所の方から、祖母が廊下を歩いてきたからだ。ぼくらがその方へ顔を向けると、祖母はにっこり笑って、持っていた盆を少し上に上げた。タカ叔父は革靴を脱いで廊下に上がった。盆の上には五百ミリリットルの缶ビールが一つとグラスが二つ乗っていた。タカ叔父はそれを受け取りながら言う。
「なに?中に運ぶの」
「んにゃ。お前達によ」
祖母はぼくの隣に座りながらそう言った。タカ叔父はその隣に胡坐をかく。盆を床に置く。
「俺たち?まだ坊主も来てないのに」
「高志はすぐ帰るやろ」
「まあね」
タカ叔父はサングラスを外してポケットに差し込む。眩しそうに庭に一度目をやり、祖母を見た。七六才になる祖母は元気なおばあちゃんだ。今まで大きな病気にかかったことも、入院もしたことがない。小柄だけどふくよかな体に着物を着ている。祖母は普段からよく着物を着る方だった。
「でも忠成はまだ十九だよ」
「元服は済んでるやろう」
ぼくは祖母の冗談に笑った。でもタカ叔父は頑固な返事をする。
「ダメ。まだ月代がない」
「自分だって剃ってないじゃん」
タカ叔父は無視してプルタブを開ける。祖母はふぉっふぉっと笑った。
「母ちゃん飲みなよ。ビール好きだろう」
そう言って、タカ叔父はグラスにビールを注いで祖母に渡した。さすがにプロだけあって、きめ細かな泡がちょうど良い感じに入った。自分にも注いで、タカ叔父と祖母は軽く乾杯をしてビールを飲んだ。
「美味しいねえ」
祖母は満足げに言った。
「高志がいれるビールは美味しいねえ」
繰り返す祖母に、タカ叔父は照れ臭そうに微笑む。
タカ叔父は三六になるから、ちょうど祖母が四十の時の子供と言うことになる。長男であるこの家の伯父さんは五七才で、兄弟は全部で七人だ。ぼくは一人っ子だから、七人兄弟の家族なんてちょっと想像を絶するものがあった。
祖母にとって末っ子のタカ叔父は、今でも可愛い子供なのだろう。祖母がタカ叔父を悪く言うことはなかった。
「元気にしてるの?」
「見て判るやろう」
「うん。元気そう」
タカ叔父は自分におかわりを注ぐ。
「親父の十三回忌は寺でするの?」
「そうねえ、そうなるやろうねえ」
「その方が良いね。自宅だといろいろ面倒だろう」
「そうやねえ。高志は元気ね」
「うん」
「あんまり飲み過ぎんようにせんとねえ」
「飲ませといて何言ってんの」
祖母はまたふぉっふぉっと笑った。
お坊さんが来てからは早かった。ぼくが飲み終わったビールの片付けをしたり、タカ叔父の靴を玄関に持って行ったりしてから仏間にそっと入ると、母が数珠を手渡してくれた。それを手にかけてタカ叔父の隣に正座する。お経はあっという間に終わってしまった。いつもより早かったような気がしたけど、ぼくが席をしばらく外していたせいかもしれない。気のせいだろうけど、なんとなく「じゃあ、有り難い所だけ」という雰囲気があって、少し面白かった。
みんなでぞろぞろとお坊さんを見送って、また広間にぞろぞろと戻っていく。その中でタカ叔父は玄関にとどまって、祖母に話しかける。
「じゃあ、帰るよ」
「そうね。気を付けてね」
「うん」
「たまには顔見せに来てくれんとね」
「……うん。母ちゃんも気が向いたら遊びに来いよ」
「お前が結婚したらね」
タカ叔父は苦笑いをして靴を履いた。祖母は靴べらをタカ叔父に渡す。
ぼくは言った。
「ぼくも帰ろうかな」
「お前はいいよ。そうでなくても俺と同類に見られ始めてるのに」
「だって、ここにいたら無理やり飲まされるもん。ね、ばあちゃん」
「忠成は酒は好きやないん?」
「楽しみはもう少し将来まで取っておきたいんだ」
「おかしな子やね。高志はこれから墓に行くん?」
祖母は当たり前のように聞いた。タカ叔父は少しぼくを意識しながら答える。
「うん」
「じゃあ、忠成も連れて行きなさい」
「えー、面倒くせえなあ、ガキ連れて行くなんて」
「タカ叔父、お墓にも行くの?」
「知らんかったね?高志は墓好きじゃけえねえ。彼岸にも墓には行きよるんよ。家には寄らんと」
「そうなの?知らなかった」
それにしても、墓好きだったり葬式好きだったり、変なの。
「ぼくも行くよ」
「クソ暑いのに、うっとうしいなあ」
「行きなさい。ほら、お花買ってねえ」
祖母は懐からがま口を取り出して、五千円をタカ叔父に渡す。
「そんなに沢山花買わないよ」
タカ叔父は言いながら受け取り、自分の財布にそれを入れる。
「残ったら二人で何か食べなさい」
「判った」
タカ叔父はそれと代わりに三万円を財布から引き抜いた。それを祖母に渡す。
「母ちゃんも何か好きなもん買いなよ」
「あら、あら。儲かった」
祖母はふぉっふぉっと笑って受け取った。
ぼくは靴を履く。
「ばあちゃん、ごちそうさま」
「気を付けてね」
「うん」
ぼくとタカ叔父は家を出た。
伯父宅の最寄りの駅から電車に乗って、四つ目の駅で降りた。芹沢の墓はそこから歩いて行ける場所にある。伯父の家も郊外にあるが、ここまで来ると田舎と言っていいくらい、のどかな風景が広がっていた。駅前の人通りの少ない道を左に進む。田んぼや畑や商店や住宅が、微妙なバランスで並んでいる。途中のスーパーで花を買う。しばらく行くと丘の上に中学校が見えてきて、その学校の裏が墓地になっていた。丘の上に続く道は通学路と墓地用とあるけれど、結局上では繋がっている。ぼくらは一応墓地の表示のある坂道を上った。
「暑っちいなあ」
タカ叔父は言いながら、少しだけネクタイを緩めた。風は吹いているし、多分街中に比べればそれほど不快な暑さではない筈だった。ただ、坂道を登っていると確かに暑い。
「上着脱げばいいのに」
タカ叔父は菊の大きな花束を肩に担いで歩いている。眩しいのでサングラスもかけている。
真夏の日差しの下、坂道を青空に向かって歩いているその姿は、何だかとってもファンキーな死神みたいだった。
「手に持つのが面倒だ」
墓地の入口にはコンクリートで囲われたゴミ置き場と、その横に簡単な水道がついた水汲み場があった。傍には自由に使っていいアルミ製のバケツがいくつか置いてある。ぼくがバケツに水を汲んで、タカ叔父はさっさと墓に向かった。ぼくが少し遅れて行くと、タカ叔父は砂利敷きの隙間から出てきた雑草を引っこ抜いて、菊の包装紙でそれと古くなった花とを包みこんでいた。ぼくは花を活ける部分にバケツの水を注いで、中に溜まった古い水を押し流す。水が綺麗になったところに、タカ叔父は菊を活けた。そしてタバコを取り出し、火をつけ、本来線香を置く場所に代わりにそれを置いた。しゃがんで手を合わせる。ぼくもならって手を合わせた。
目を開けると、タカ叔父はもう立ち上がっていた。ぼくはしゃがんだまま聞いた。
「お彼岸も来てたんだ」
「ああ」
面倒臭そうに答える。
「律儀だね」
「別に。ただの墓好き」
「何それ」
ぼくは笑って立ち上がる。
「暑っちいなあ。何か食って帰ろうぜ」
「うん」
墓地の上にはさえぎるものが何もなかった。周りは林みたいになっているけど、もちろん昼の太陽は影をつくらない。タカ叔父は墓に置いたタバコを取り上げて、自分の灰皿に押し込む。ぼくはバケツに包装紙のゴミを入れた。
「なに食いたい?」
歩きながらタカ叔父が聞く。
「カキ氷」
「それ昼飯かよ」
「だって、何か今、無性に食べたくなった」
「さっぱりしたもんでも食うかな」
「ざる蕎麦とか」
「よし、ウナギだな」
「なんだよ、全然違うじゃん」
「いいんだよ。夏といえばウナギだ。よし行くぞ」
ぼくはゴミをゴミ捨て場に置き、バケツを元に戻してタカ叔父の後を追う。
駅で調べると、次の駅から近い場所に鰻屋を見つけて、ぼくらはその店へ行った。
なかなか立派な門構えの和風な店で、お座敷に通されると小振りながらに綺麗な日本庭園が外に広がっていた。でもクーラーを効かせてあるので窓は閉められていた。広いお座敷に幾つかの席が充分な間隔を空けて配置されている。お客さんは他にもいたけど、満員ではなかった。ぼくらのすぐ近くには誰もいなかった。年齢層は高くて一番子供なのはぼくだった。ぼくは恐縮して正座をする。タカ叔父はその風体で多少お客さんの視線を集めていたけど、まあ、時期的におかしな格好ではないはずだ。ただちょっとサングラスが似合いすぎているだけで。
お茶と一緒に鰻の骨で作ったお茶請けのお菓子が出された。ぼくはそれをぽりぽりと音をたてて食べる。座敷を見渡した。畳も綺麗だったし、窓ガラスも曇っていない。テーブルも座布団も綺麗だった。掃除が行き届いていて気持ちのいい店だ。
「ここ高そうだね」
「ウナギは高いところで食べた方がいい」
「ふうん」
ぼくはタカ叔父が祖母にお小遣いを渡すところを思い浮かべて、そしてしばらく忘れていたメグミのことを思い出した。
あの財布の中身は、やはりメグミの仕業だろうか?そうだろうなあ、きっと。
ぼくはもうほとぼりが冷めた気がしていたので、何とはなしにそれを話した。
タカ叔父はあっけに取られたように、ぼくの顔を見る。
「何それ。金取られたの?」
「うん、多分。やっぱりそうかな?」
「そうかなって……。それで百万もやるって、それ、何て言うか知ってる?一般的に、世間的に、常識的に」
「なに?」
「盗人に追い銭」
「ああ、なるほど」
「しかも追い銭、高っ」
「でも彼女じゃないかもしれないよ?」
「そう思ってるのかよ?」
「ううん。多分、彼女かも……」
「だろうな。それってさ、まさか金目当てだったのか」
「そんな事は、ないと思うよ」
「相手は女優だぞ?よく考えな」
「あ、そうか、女優だったんだ。でも、そんなに悪い子じゃないよ、きっと」
「男が寝てる間に金抜く女が良い子なの?」
「単純にそうは思えないんだよ、だって」
「複雑にどう思うんだよ」
「例えば、ぼくのためとか」
「お前の?」
「ぼく、あの時は本当にそのまま帰るつもりだったんだよ。でも、結局、そういう事になっちゃって、やっぱり、自制できなかったのはぼくだもん。なんか、悪いことしたなって」
「罪悪感」
「そう。だから、彼女は、そうすることで」
「お前の罪悪感を和らげてくれたってか」
「うん」
「すっげえ、お前、良い奴」
「うわ、なに、そのすごくバカにした言い方」
「バーカ」
「うっ」
ぼくは口を閉じる。タカ叔父はすっかり子供みたいになっていた。
そしてサングラスをはずしてポケットに入れる。大人に戻ってタカ叔父は言った。
「だったらさ、仔猫ちゃんが金目当てでお前に近付いたんだと思ってろよ」
「え?」
「でなきゃ意味ねえだろう」
「どういうこと?」
「あの子は金が欲しくてお前をそそのかしたんだよ。お前がそう思ってないと、意味ないじゃん」
「……よく判らない」
「まあ、別にいいけど。俺には関係ないし」
せいろ蒸しが二人分運ばれてきた。
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