プロローグ

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プロローグ

 タカ叔父は、親戚の間ではあまり評判の良くない叔父さんだ。  若い頃には定職に就かない長い期間があったし、身内の結婚式に正装して来たことはないし、お天気屋でデリカシーがないというのが大体の理由らしかった。  でも、ぼくはタカ叔父が好きだ。彼は決してデリカシーがない訳ではないと思っている。ぼくに言わせれば、身内の間では一等情のある人だ。  いつもお金を持ってなくて、ぼくの家に無心に来ることはよくあった。父は誰とでも上手くやっていく術を持っている人だけど、唯一の弟であるタカ叔父に対してはいい加減に接していたわけじゃない。ぼくと同じで父もタカ叔父を好いていた。だから無心の用だろうとそうでなかろうと、父は叔父を温かく家に向かい入れた。説教はよくしていたけど、仲は良かった。タカ叔父も多分心おきなく付き合える身内は、ぼくの家くらいだったのだと思う。叔父には他の兄姉達は嫌みったらしく感じるのではないだろうか。なぜかと言えばぼくがそう思うからだけど。他の伯父伯母たちは、ぼくには余計な贅沢に見えることを自慢げに話す癖があった。みんながそれを羨ましく感じると思い込んでいるようだった。自分で稼いでやってる贅沢なんだから別にいいんだけど、ぼくにはそれはちっとも贅沢にも羨ましくも感じなかったから、そういうのは何だかうっとうしかった。  タカ叔父だって自慢話をしたことはある。  でもそれは他の親戚の話とは違って、ぼくには羨ましい話だったので好きだった。例えば十二弦ギターを弾きこなせることや、幾つかはピアノで弾ける曲があるということ。あとは気象予報士の資格を持っていることなどだ。タカ叔父は家に来るたびに楽しい話を聞かせてくれた。  そのタカ叔父は、三十を過ぎてやっと定職にありついた。多少の借金をして、彼はバーの経営を始めた。この辺りから、ぼくとタカ叔父の関わりは一層深くなってくる。  ぼくは大学生だけど、あまり勉強をしていない。大学に入る前は確かに猛勉強をしたような気はする。おかげでぼくは志望校に一発合格できたんだけど、何故だかそれからの勉強は身に入らない。いったいぼくは何のために大学に入ったのだろうか。今でも時々ふと疑問に思うが、まあ、猛勉強した時間を無駄だとは思わないでおこうと思う。それではあまりに虚しいし、多分無駄ではなかった。高校までの学問の総仕上げとして、少しは頭に残っている。それをこれからの人生に活かすか活かさないかはぼく次第だ。それで、そんな勉強をしない大学生のぼくが一番身を入れてやっていることは何かと言えば、アルバイトだ。こんなのはきっとありきたりな話だろう。そう。ぼくはありきたりの普通の若造だった。  ぼくは大学に入ってすぐ、開業して一年ほど経っていたタカ叔父のバーでアルバイトを始めた。カウンターに十席しかない小さな店だけど、一人で客の相手をするのは少しきつかったようで、ぼくがバイトを探していると言う話を聞きつけ、タカ叔父の方から誘ってきたのだ。ぼくはもちろん快諾した。行ってみると店はとても繁盛しているようだった。  営業時間は午後六時から午前一時まで。店休日は土日祝。ぼくはそれまでバーなんて行ったことがなかったので何とも思っていなかったけど、今考えれば営業時間は他の店よりかなり短い方かもしれない。ぼくが今までに行ったことのある店を思い浮かべると、大抵は七時くらいから開店して、閉店は翌四時とか五時が多いようだ。タカ叔父は自分一人で切り盛りしていたし、自分が食べていければいいや、という感じなのだろう。でも店は客が多くて、ぼくも結構な給料をもらえた。そこそこは稼いでいたのか、それとも副業があるのか。今でもいまいち判然としない所があるが、当初は、ぼくはそんな経営のことまで考えてはなかった。とりあえず目の前の仕事とそれで得る収入が楽しみだった。それでぼくは学校のバイトをしている仲間のうちでも、なかなか高収入の部類に入っていた。  そういう状態というのを友人たちはよく心得ていて、ぼくはよく昼飯なんかを奢らされていた。中でも劇団に所属していた友人は貧乏で、そいつにはぼくの方からパンや牛乳を差し入れしてやるくらいだ。なんでも劇団の維持が大変らしく団員達は身銭を切って演劇に打ち込んでいるそうだった。ぼくの方は一人暮らしをしているわけでもなく、単にアルバイトに憧れて始めたものだったので、自分の収入で人に奢ることはそれほど苦ではなかった。ぼくの家では高校まではアルバイト禁止と言われていたので、それまでその経験がなかったのだ。  おそらくぼくが一番援助していた劇団員の友人の名は岡村修二という。この岡村に誘われて、ぼくはよく奴の演劇仲間と飲みに行った。二十歳未満なので酒はその場に行っても飲みはしなかったが、岡村の方は結構慣れた風に飲んでいた。もちろん岡村の分の払いはぼくの受け持ちだった。ほとんどその為に奴はぼくを誘うのだ。それで「飲まなきゃ損」くらいに思っていたのかもしれない。  自分のいる劇団だけでの飲み事もあれば、他の劇団との交流会みたいな事もよくあった。その中で部外者はぼくくらいだった。けどぼくは岡村の財布としていろんな場に連れまわされた。そんなぼくをお人好しと言う人もいたし、ぼくと岡村の仲を勘ぐる連中もいた。その大半は面白がってだったが、もちろんぼくと岡村との間には友人という関係と感情以外のものはない。自分でも、多分ぼくは根がお人好しなのだろうと思う。  岡村の演劇仲間には女の子も多かった。ぼくはそんな彼女たちから割りに人気があった。演劇関係者ではないくせに映画は好きでよく見ていることや、岡村の財布代わりを甘んじて引き受けている姿が気前が良かったり、金回りが良かったり見えたせいだと思う。本当の理由は定かではないが、意外に自分が女の子に受けがいいことに気付いたのはなかなかに明るいニュースだった。  ぼくはそれまで女の子と付き合ったことはなかったし、自分が受けがいいなんて思ったこともなかった。中学時代にも高校時代にも好きになった子はいたけど、いつも気持ちは言い出せないまま時は過ぎていった。そんな時いつもぼくは、タカ叔父くらい自分が格好良ければなと、溜め息をついたものだ。  そんなぼくが、少なくとも女の子から気持ち悪がられたり、積極的に嫌われたりしないタイプのようだと気付いた時は、少し未来が広くなった気がした。岡村にはだいぶ投資したけど、それに気付いたことは何よりの配当だったと言えるだろう。  運命の日を迎えるまで、ぼくの日常はこんな感じだった。
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