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東京から瀬名の実家がある神奈川迄約1時間半。一刻も早く彼に会いたかったが、到着したころにはすっかり夜も更けてしまっており、流石に非常識な真似は出来ないと近くのホテルに宿泊することにした。
まさか以前、東雲に依頼した瀬名の身辺調査をした資料がこんな所で役に立つなんて思わなかった。
引っ越しをする際、もう必要ないかと思い捨ててしまおうかとも思ったのだが捨てずにとっておいて正解だったようだ。
もっとも、彼が実家に居る保証なんて何処にもないのだけれど……。
瀬名は許してくれるだろうか? いや、その前に会ってくれるかどうかすら怪しい。
もう顔も見たくないと言われるかもしれない。……それでもいい。自分が彼に会いたいんだ。
こんな所まで押しかけて来て、迷惑だと言うかもしれない。
だけど、やっぱり諦められない。
自分はあまり物や人に執着しない方だと思っていた。それなのに今、自分は彼を追ってこんな所まで来てしまっている。
瀬名と過ごした時間はどれも濃密で大切なものだった。
一緒に居るだけで楽しくて、嬉しくて、幸せで……あんなに誰かを愛しいと思ったことは無い。
瀬名さえ傍に居てくれればいい。他には何も要らない。
過去に戻ってやり直せたらどれだけいいだろうか。そんな事を考えてもどうしようも無いのに、つい考えてしまう。
明日の為にも早く寝なければいけないのに、全く眠気が起きず理人は小さくため息をつくと、ベランダへと出た。
窓を開けると、ザァーッと激しい雨音が耳に飛び込んでくる。
雨は嫌いだ。特にこういう強い雨は嫌い。雨が降ると、いつも嫌な事ばかり思い出してしまう。
そう言えば、瀬名が事故に遭ったあの日も、雨が降っていた。
「理人さん」
雨音に混じって瀬名の声が聞こえたような気がした。そんなわけがないのに。こんな所に瀬名が居るわけがないじゃないか。
幻聴に振り回されるなんてどうかしている。
ふと下を見ると、黒い傘を差した男が上を見上げていた。雨のせいでよく見えないが、その男はどこか寂しそうな表情を浮かべていて、まるで迷子の子供のように見えた。
「……っ、理人……さん?」
その瞬間、その男の唇が自分の名前を呼んだような気がして、理人の心臓が大きく跳ねる。
身を乗り出して確認しようとしたが、黒傘の男はもう上を見上げてはいなかった。そのまま踵を返すと瀬名の自宅がある方角へと向かって歩いていく。
「……ッ」
居ても経ってもいられずに理人は財布とルームキーだけ持ってホテルを飛び出した。
周囲を探してみたが男の姿は何処にも見当たらず、がっくりと肩を落とす。
もしかしたら本当に幻覚を見たのかもしれない。でも、確かに彼は自分の名前を呼んでいたようにも思う。
さっきの男は、会いたい思いが作り出した幻だったのだろうか? そう考えるとなんだか無性に悲しかった。
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