act.1 出会いは突然に

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昨夜は結局門限には間に合わなくて、母親からグチグチと嫌味を言われてしまった。こちらの話など聞く耳を持たず一方的に喋り続ける母の姿を思い出し、理人はげんなりする。  元々、母親にとって子供は自分の虚勢を張るだけの道具に過ぎない。スポーツも勉強も上位に居て当たり前。出来なければ叱られる。そこにどんな理由があったって関係ない。勝つことが全てで、負けることは許されない。  反論や反抗をするそぶりを見せればすぐにヒステリックにキレだして、余計に面倒くさい事になるのは目に見えている。だから、何も言わず黙ってただひたすら嵐が過ぎ去るのを待つ。  それが鬼塚家の日常であり、理人も物心ついた時からずっとそうやって生きてきた。  親父は元々育児にはノータッチで真面目な仕事人間。いつも帰りは遅く、家にいる事の方が珍しい。  父親は恐らく人間に、というか家族に興味が無いのだろう。ここ数年は会話らしい会話なんてしたことが無い。最後に会ったのはいつだっただろうか?   まぁ、どうでもいい。考えるのは面倒くさいし、時間の無駄だ。  家は安息の地でも何でもなくて、ただ食事をして、風呂に入って眠るだけの場所。  心が休まるところなんて何処にもない……。  玄関を出ると、眩い光が差し込んでくる。 じりじりと照り付ける太陽が肌を焼いて、むせ返るような草木の匂いが鼻腔を満たした。蝉のけたたましい鳴き声が夏の到来を告げ、今年の夏は例年よりも暑くなるだろうと予想させる。 いつもと変わらない朝の光景に小さく溜息をつきつつ、満員電車に乗り込み学校へと向かう。  蒸れた汗のにおいに混じって女性特有のキツイ香水の香りが漂ってきて思わず顔をしかめた。 (朝っぱらから最悪だ……)  混み合う車内でぎゅうぎゅうに押しつぶされながら、理人はチッと舌打ちを一つ。 「あ、あれ? リヒト君!」 「あ?」  爽やかな声に名を呼ばれしかめっ面をしながら振り向く。  そこには、昨日助けたケンジが涼しげな顔で立っていた。  昨日は薄暗くてよく見えなかったが、全体的に可愛らしい顔立ちをしている。大きな瞳に柔らかそうな髪。  一見すると女の子のように華奢に見えるが、意外としっかりしているのか身長も高く、肩幅もある。中性的な容姿のせいで、制服を着ていなきゃ性別がわかりにくいだろう。  そんなケンジは理人を見つけると、にこっと微笑んだ。 「おはよう! 同じ電車だったんだね。なんだか嬉しいなぁ」 「あぁ。今日は朝練が無いんだ」  理人は短く答えて、ふいっと顔を背ける。理人は元々人付き合いが苦手だし、初対面の相手と話すのは特に苦痛だった。  昨日、家に送って行った時に少し話しただけの間柄なのに馴れなれしく話しかけてくるこいつの気が知れない。一体何を考えているのか……。どうにも調子が狂う。  しかし、そんな理人の態度を気に留めることもなくケンジは楽しそうに言葉を続けた。 「そっか、ねぇ部活って何やってるの?」 「……テニスだけど」 「へぇ! テニスってウチの学校結構有名じゃない? 凄いね。今度観に行ってもいい?」  無邪気に目を輝かせ、期待に満ちた目で見つめられて思わず返答に詰まる。 「……好きにしろ」 「本当!? やったぁ!」  理人のぶっきらぼうな返事に、ケンジはさらに嬉しそうに笑った。何がそんなに嬉しいんだろうか。理解に苦しむ。 「リヒト君ってカッコいいよねぇ……。昨夜思い出したんだけど、この間のテスト1位だったでしょう? 校内に張り出されてるの見た気がする。それに、喧嘩も強くて、スポーツも出来るなんて凄すぎるよ」  ケンジはうっとりとした顔で理人を見つめながら、熱っぽく語る。その瞳はキラキラと輝き、まるで恋する乙女のようだ。  こんな風に正面から素直に褒められたりするのは慣れていない。理人は何も言えずに黙り込んだ。  だが、ケンジのおしゃべりは止まらない。次から次へとよくポンポンと言葉が出るなぁと感心していると、最寄りの駅に着き、乗客達が一斉に降りていく。  その流れに乗って理人達もホームに降り改札へと向かう。 「あれ? めっずらしー、ケンジが男と話してんじゃん」 「ホントだ。アイツ、蓮のペットじゃなかったっけか?」  好奇に満ちた視線と、冷ややかな笑いを含んだ声が聞こえてきて、ケンジの表情が一瞬にして凍り付いた。 (蓮のペット? 何の話だ?)  聞き捨てならない単語が出てきて理人は思わず眉をひそめる。 「案外、そこの男に乗り換えたんじゃねぇの?」 「……」  卑下た笑い声が耳に届き、不快感が増した。ぎろりと睨み付けてやると、目が合った男子生徒がヒィイッとなんだか情けない声を上げる。 「……くだらねぇ。行くぞ」 「えっ……」  理人が手を引くと、ケンジは戸惑ったように目をしばたかせた。 「ああいうのは無視しとけばいいんだ。反応するからつけ上がるんだ。相手は宇宙語喋ってると思えばいい」 「宇宙語って……ぷっ、アハハッ、何それ」  ケンジはきょとんとした顔をしていたが、やがて可笑しそうに吹き出した。 「ふはっ、リヒト君って面白いね」 「あ? 何処がだよ! 嫌な言葉なんて耳に入れるだけ損だろうが」 「……うん、そうだね」  何処か切なげに、だが、何か吹っ切れたような清々しい笑顔を浮かべながらケンジは呟いた。  学校に到着し、昇降口の前で別れる。去り際に「……ありがとう」と囁かれたが、敢えて気付かない振りをして教室へと向かった。
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