屍が、ふたつ。

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「彼女を殺した犯人は……お前だ、ヒルヤマ。」 俺に指差された男…ヒルヤマが、目を見開く。周りの人達は、そんな彼を信じられないといった目で見つめているのがわかる。 「ええっ…そんな……。」 大学生の女性が、口を覆う。 そんな中、ヒルヤマのわなわなと震えた唇が、言葉を紡いだ。 「…私という証拠があるのかね?」 俺は微笑んでみせた。 「それはお前自身が一番よくわかっているだろう?」 「…何のことかな。」 「実は、被害者の死体の下の床に、お前の名前が書かれていたのを見つけたんだが。」 かつかつ、と履いていた革靴で床を叩く。 その革靴の下には、血文字ではっきり、こう記されている。 『ヒルヤマ』 「どうだ?これでお前が犯人だという証拠になるだろう。」 誰も、何も、言わない。 静寂があたりを支配する。 「違う…ちがう…、」 ヒルヤマが頭を抱えて、酩酊したかのように一・二歩後ろに下がる。 「お前は彼女…被害者を殺害した後、彼女がもう死んでいると思い込み、その場を立ち去った。…だが、実際被害者は死んでいなかった。最後の力を振り絞って、ダイイングメッセージを遺したんだろう。」 「そんなはずは、ない…っ。」 男が叫ぶ。 「脈も呼吸も、ちゃんと止まっていたっ!俺はそれを確認してその場を立ち去った!…そのダイイングメッセージとやらは、お前の創さ…っ!?」 話す途中で気づいたのか、男が言い淀む。 「語るに落ちた、な?」 俺は微笑む。 「そうだ。被害者の女性はダイイングメッセージなどのこしていない。このダイイングメッセージは、俺がさっき描いた。」 「犯人しか言い得ないその台詞…これで周りの人達にもわかっただろう。…犯人はお前だと。」 犯人の男が肩を落とす。遠くからのパトカーの音を背に、俺は悠々と部屋を後にした。 「あのっ…ま、待ってくださいっっ!!」 後ろから声がかかり、俺は振り返る。 さっきの女子大学生だった。 ボブの髪が風で乱れるのを、左手で押さえながら駆け寄ってくる。 俺の目の前で立ち止まり、何かを決意したような表情で俺の顔を見つめる。 「貴方はもしかして、あの推理を外したことがないといわれる名探偵、「逢坂一郎』ですか……っ?!」 「ああ。」 俺が首肯すると、彼女が目を見開く。 「…名探偵…ホントに、いたんだ。」 彼女の目が、心なしか潤んでいるように見えた。 その顔を見て、俺の頭の隅で、何か引っかかった。 (…俺は前に、この人に会ったことがあった…か……?) これを運命と言うのかもしれない。 そんなことを考えた俺の目の前で、彼女は、にこっと笑った。向日葵の咲いたような、明るく可愛らしい笑みだった。 それから、彼女は、その笑みを崩さずに、囁いた。 「ありがとう。…ここに、来てくれて。」 それから、彼女は体を投げ出すようにして、倒れ込んできた。 慌ててささえようとして、体に力が入らないことに気づく。 俺は自分の体を見下ろした。 胸から花が咲いたように、ナイフが突き刺さっている。 じわり。と、シャツに赤いシミが滲む。 彼女が素早く俺から離れる。 彼女と言う支えがなくなったことで、俺はそのまま崩れ落ちた。 頬に冷たい土の感触。 体を起こそうとついた右手は、虚しく土をひっかくだけだった。 彼女の手にナイフが握られていて、そのナイフの切っ先から、血の滴が滴ったのを見て、ようやく何があったか理解した。 刺されたのだ。彼女に。 地面に赤い水溜まりが広がっていく。 霞む視界の中、見上げた彼女は、一粒、涙をこぼした。 「お母さんの、かたき…とれたよ。」 その泣き顔に、その声に、記憶が引きずられた。 あ ああ あ こ の  ひ  と   は  俺の視界が真っ黒に染まった。 クリスマスの前日。 雪の積もった道に、街灯が当たって夜道全体が白く輝いていたのを、何故か今でも鮮明に覚えている。 「おとうさん。わたしにはサンタさんの『ぷぜれんと』、くれるかなぁ?」 私は弾んだ声で父にそう尋ねた。 繋いだ手をたどるように、父を見上げた。 「…ああ。お前はいい子だから。」 「プレゼント」も、きっともらえるさ。 父はそう言って、幼いわたしの頭を撫でた。 その顔は、笑っていたのに、泣きそうに歪んでいたような、気がした。 次の日。クリスマスの日。 「ぷぜれんと』があったよと報告するため、両親の寝室の扉を勢いよく開けたわたしが見たのは、 赤く染まる部屋。 項垂れて、ぴくりともうごかない父。 泣きそうな母の顔。 母の手に握られた、赤い部屋の中で唯一浮き上がって見える便箋。 窓の外の雪景色と相まって、クリスマスカラーに染まった世界。 「おとうさん?起きて…ねぇ、『ぷぜれんと』もらったんだよ。 おとうさん? ねぇ、起きてよ…ねぇ……。」 その数日後、家に変な人が現れた。 その人は探偵、と名乗って、名刺を母に渡した。それから、静かに断定した。 「旦那さんは、自殺ですね。」 母は泣き崩れた。私をぎゅう、と抱きしめた手は、氷みたいに冷たかった。 それから。私たちは借金を負うことになった。 母は女手一つでわたしを育てた。 わたしを学校に行かせるために。借金を返すために。 朝は工場で働き、夜はレストランで働き、休日にはコンビニのバイト。くるくると働きまわる母の小柄な背中を見て、わたしは育った。そんな母も、わたしの大学入学を見届けて、死んだ。母は最後に、あのクリスマスの日に起こった全てをおしえてくれた。 白い手紙は、遺書だった。 父は、事業が失敗し、多大な借金を負っていた。 だから父は自殺を他殺に見せ、死んだのだと。 そうして借金を負うわたし達を、生命保険によって救おうとしていたんだと。 でも、あの探偵のせいで保険が降りなかったのだと。 父の命は、無駄になったのだと。 そして、こう言い残した。 「あの男を…探偵を、」 お前の父の命を無駄にしたあいつを。 私達の人生を滅茶苦茶に歪ませたあいつを。 ころして、と。 母の手に最後まで握られていたのは、あの探偵の渡した名刺だった。 「逢坂一郎」 彼を見つけなくては。 ああ!わたしは何と運がいいのだろう! 何と、恵まれているのだろう! 復讐の相手が現れるとは! 目の前に!両親の敵が! 私はナイフを手に取った。犯人が被害者を殺す時に使われたナイフを。乾いた血がまだ赤黒くこびりつく、それを。 それから、そのナイフを後ろ手に隠して、部屋を立ち去る探偵の、後を追った。 ああ。ホントの、本当に。 ありがとう。…ここに、来てくれて。 ありがとう。…私に、殺されてくれて。
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