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「こんなものが食えるか!」
唐突に、パパはちゃぶ台をひっくり返す。
「なにすんだよパパ!?」
僕は慌ててそう尋ねる。
「俺はイカリングが大嫌いだと言っとったはずだ。それを、それを……うおおおおお!」
パパはもう一度力任せにちゃぶ台をひっくり返す。もちろん台はもとの位置に戻ったわけだが、乗っていた昼食はすっかりちらかってしまっている。
振り向くと、台所で真っ赤なふくれっ面をするママ。
「なにすんのよう! 人が愛情を込めて作ったご飯を。ママは、ママはとっても怒りんぐよ!」
「なにくだらんことを! 俺の方が怒りんぐに決まっている!」
そんな発端で、パパとママが喧嘩を始める。
「まあまあ、パパもママも、落ち着いて話し合おうよ」
僕は穏やかにそう言うが、二人とも全然取り合ってくれない。
むしろ、二人して僕を睨みつけ、ガミガミと吠えまくる。
「シローは黙ってろ! だいたい本当はお前なんかほしくなかったんだぞ」
「そうよ、せっかくペットに犬を買おうと思ってペットショップに通ってたのに。シローがお腹の中に現れるから。子供なんかできちゃったら犬も飼えないじゃない」
「ママがすねて大変だったんだぞ。犬をどうしても飼いたいってな」
「そう、それでせめて名前だけも犬のように、って」
「シローってまさかシロ、ってことだったのか……嘘だろ、おい」
衝撃の事実。
けっ、と玄関先でパパが唾を吐くと、ママはまつげを引っ張って、あっかんべえを返す。
僕が一人で落ち込んでいる間に、パパは家から出て行った。
「ゆるさないゆるさない」
そのあとママは、まだ怒りがおさまらないようで、家の中をうろうろと猿のようにさまよいめぐっては、パパの悪口を壁に書きまくっていた。
しかし、それもしばらくのうち。
ママはしゅんと痩せ細り、力尽きたようにちゃぶ台の上にへたと座り込む。
「ママ、大丈夫?」
僕は居心地が悪い思いで、恐る恐るママに声をかける。すると、
「……変なかっこして」
は?
「変なかっこしてママを笑わせて」
と、意地の悪いことを突き付けてくる。
僕は困った。正直、人を笑わせるのは苦手だった。いい考えが思い付かない。
とりあえず転がっていた箸を鼻の穴に突っ込んで、ほっぺに渦巻きマークを書いてみた。だが、たいして面白くなかったようで、ママはきわめて、そう、きわめて冷めたい目を僕に向けてくる。
とてもつらい。あわてて、転がっていたべつの箸を口でくわえて、その上でどんぶりを回してみた。
やはり、ママは笑わない。それどころか、北風にさらされているかのように、ぶるぶると震えてさえいる。
(シローってほんとつまんねーな。それでもパパとママの子かよ。いったいどんな教育されてんだ?)
小声でそんなことまでつぶやいている。しっかり聞こえているぞママ! だいたいあんたらが日常生活でボケまくっているから、つっこみの性分になってしまったんじゃないか!
僕はそう叫びたかったが、ここはぐっとこらえて、話題を変えることにした。逆切れしてしまっては、向こうの思うつぼだ。
「ねえママ、ママはさ、いったいパパのどんなところが好きなの?」
そのネタふりに、ママはあっけなく食いついた。目をきらきらさせながら話し始める。
「なんて言うか、ね、解放感があるの。パパといるときってね、あたしとても解放された気分になるのよ」
「そういやあ、たしかにママはパパといるときが一番はじけているよね」
「でしょう? あたしはさ、あんまり人と気が合うってことが少ないの。いつも最初から自分の思ったように言いたいことを言えない。だって、言ってしまったらすぐに変人あつかいされちゃうんだもん。少しずつ自分を出していこうとはするんだけど、あるところまできちゃったらどうしても自分を抑えなきゃならないの。あんたにわかる? この苦しみが? 世渡り上手でお利口さんのシロー君にはわかるまい! 自分を抑えることが当たり前だとぬかすマゾヒストのあんたには!」
なぜ、怒る? しかし僕は言葉を返せない。最後の言葉には反論しておきたい気分だったが、ママの細い眉は、鬼の角ように逆立っている。
「でもね、パパと出会えたのよ」
そうかと思うと、すぐに少女のように瞳の中に星空を浮かべ、ママはうっとりと両手を胸の真ん中で結んだ。
「運命だと思った。赤信号にも気付かずに新しいギャグを考えながらゆっくりと歩いているパパを見たとき、脳天に稲妻のような衝撃が走ったわ。
この人は私と同じ感性を持った人だ、この人ならきっと、私のことをわかってくれる、理解してくれる、って。私も赤信号だったていうのを忘れて、パパにかけよったのよ。
『こういうのはどうかしら? 十二時に自由に痔! 一時にイチジクさしましょう!』
……思わず浮かんだ一発ギャグ、それを叫びながらね」
ちょっとハテナマークが頭にかぶさった。
どのへんが運命の出会いなんだ?
ママの勢いは止まらない。
「ママはパパといるときは何にも束縛されないわ。心のすべてを解放できる。ママはねえ、ママはねえ、パパのことが、パパのことが、大好きなの!」
ママは、天井に向かって絶叫した。
その顔は熟れたトマトのように真っ赤になって、蒸気でほてっていた。
振り向くと、パパが扉の後ろに立っていた。
表情はしかめつらしいままだったが、パパも、ママと同じように顔を赤く上気させていた。
パパの様子をうかがっていたら、すぐにストーブの上にのせたアイスクリームのように、その表情はくにゃくにゃにとろけていく。
「ママ!」
「パパ!」
パパは、ママのそばへかけよる。
ママも、両手を広げてパパの胸にになだれ込む。
「ママ! ママママママママママママ!」
「パパ! パパパパパパパパパパパパ!」
二人は抱き合って唇を重ねる。
息子の目の前だぞこの野郎。おもいっきり恥ずかしいじゃないか……。
そう思いながらも、僕は二人から顔を背けられない。
勢いよく、お互いの口を吸っている二人。頬をすぼめ、まるでソーメンでもすすっているかのようだ。
あんなにゆるさないゆるさないと言っておきながら、結局、今回の喧嘩で、両親は今まで以上に愛を深め合った。終わってみれば、何か僕一人で慌てていたような気がする。喧嘩するほど仲が良い証拠なのだった。
二人を見つめながら、僕はほっと安堵の息をもらした。
こうしてみると、やっぱりお似合いの夫婦だな。
そう思った矢先。
ママの瞳が、恐怖に見開かれた。
パパの体を両手で突き飛ばすママ。
離れ離れになった二人の唇の間から、勢いよくミートスパゲティーの具が飛び出す。
「なに? なんなのよ、このスパゲティーは!」
「いや、さっき飛び出したときに食べてきたんだ。お昼抜いたから」
「なによそれ! ミートスパゲティーって言ったら、あたしの大の苦手な食べ物じゃない!まさか、パパ知らなかったの?」
ママの唇が、怒りに震え始めた。
「そんなに毛嫌いするなよ、食べてみたら美味しいぞ」
パパは優しい声でそう言ったが、僕にはママの答えはすぐ読めた。
「こんなものが食えるか〜!」
おいおい。もしかしてふりだしですか。
夫婦げんかは犬も食わぬというが。
犬から名前をとった実の息子にだって食えたもんじゃないなと思っていると、
「シロー、うまくない」「それじゃ、おちない」と夫婦そろって指摘してきた。
「本当はなあ、作者はシローは人間ではなく犬だというオチを考えていたんだぞ」「叙述トリックってやつよ。作者はどうしてもホラーかミステリにしたかったの」
と、とんでもないことを口にする。
「しかしなぁ」「メタはねえ」
ここで、ぼくら家族三人は、読者であるあなたに顔を向けた。
「こんな結末はゆるされない?」
(完)
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