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混濁
結局その夜は一睡もできず、
ネガティブ過ぎる妄想に囚われたまま、
朝を迎えた。
しょぼしょぼする瞼を目薬で潤し、
朦朧とする意識のまま何となくテレビを
つけると、たまたまチャンネルが合っていた
情報番組が流れ始めた。
「!」
しばらくして、
僕はテレビの映像に釘づけになった。
一瞬だけだったが、
彼の姿が映し出されたのだ。
彼が決勝に残ったと連絡してきた
コント番組の番宣。
出場8組のうちの優勝候補のひとつと
紹介された彼のコンビ名を耳にし、
何とも言い難い感情が胸に広がった。
テレビを消し、傍らの携帯電話に
手を伸ばした。
携帯の待ち受け画面は、
満面の笑みで映る彼と、
ぎこちない笑みを浮かべる僕。
ほんの数日前に撮ったものなのに、
随分昔のことのような気がする。
「僕は君の活躍を、本当に応援しなきゃ
いけないのかな?」
心の中に巣くっていた正直な気持ちを
言葉にしたが、彼からの返事はなく。
これからもこんな風に、
彼が自分から遠ざかって行くことへの
不安を抱えるのだろうかと途方に暮れた。
夜、彼からメールが届いた。
『川瀬さん。昨夜は疲れていたんでしょうか。
あなたらしくなくて、心配しました。
来週金曜日が番組の決勝です。
それまでは集中したいので、
下北沢には帰りません。番組が終わったら、
連絡します。
少し間が空くけど、仕事頑張ってね♪』
いつもと変わらない調子のメールに読めたが、
下北沢には帰りません。
この言葉が心に引っ掛かり、
僕は1週間茫然と過ごした。
仕事は学生バイト2人と一緒なだけだし、
10年も同じことを続けていれば、
惰性で何とかこなすことができたが、
テレビCMの番宣を目にするのはどうしても
慣れなかった。
迂闊に彼の出るテレビ局にチャンネルを
合わせてしまう自分が悪いのだが、
たった15秒、30秒の枠とはいえ、
心の準備ができていない時に
彼の顔が一瞬でも差し込まれると
動揺してしまう。
どこか感情が高ぶったままなのだろう、
毎晩、大して飲めない酒を飲み意識を失う
ことでしか、身体の機能を休ませることが
できなかった。
たぶん、彼はいい線まで行くだろう。
運命の日、放送が開始される午後8時に
合わせて、1人で閉店準備を始めた。
僕の他に誰もいない店内、テレビは怖くて
つけられなかったが、時計の針が10分、
20分と進むにつれ、今度は違う怖さが
身体を駆け巡り始めていた。
今頃彼は相方さんとコントの真っ最中
なんだろうかとか、生放送であがってない
だろうかとか、そんな事ばかり頭をよぎる。
たまらなくなってテレビをつけると、
ちょうど彼らのコントが始まるところだった。
会場の審査員にものすごくウケていて、
彼もノリに乗って演じていることが見て取れた。
いつもなら心の底から笑う事ができるはずが、
やはり怖くて観ていられなかった。
テレビの音量を上げたり下げたりを
繰り返しながら、数十分テレビの前で
立ち尽くし、やがて彼らともう1組が優勝を
争うことが判ると、テレビはそのままに
店を飛び出した。
それでも数軒先にある彼が働いている
カラオケボックスに、自然と足が向いていた。
案の定、入口そばにあるTVモニターは
彼の出る番組が映し出され、
制服のスタッフも含めて十数人の男女が
騒いでいた。
「あ、店長さん。良かったらどうぞ」
彼繋がりで顔見知りになったスタッフの
男の子に微笑まれ、ふらふらと中に入った。
突き付けられる現実を見たくなくて
飛び出してきたというのに、
結局僕は彼が準優勝の目録を手にした
瞬間を見届ける羽目になった。
ライトの下で、
彼の笑顔は今まで見た事がないくらい
輝いていた。
それが、
ブレイクという名の悪夢の始まりだった。
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