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――急ぐ用事はなにもない。
(平日は事務所の掃除をするだけ。客は来ないし、電話も鳴らない。郵便物は大人しくポストで留守番してくれる。……いなくても変わんない)
傘を持つ手に力を込めて見上げた信号。色が変わると人の波が流れ出す。
濡れた街路樹の新緑、春を寿ぐ花々は恵みの雨にその色を滲ませる。
寄り道に思いついた場所は商店街の入口に見える――赤い鳥居。
「――――」
傘を傾けて仰ぎ見た鮮やかな朱色。思案するような顔で周囲をうかがう。
(お参りしておいたほうがいいのかな)
ふっとよぎったのは義母の顔。
新しい家族のためにサキができることはそう多くないだろう。
(困った時の神頼み、っていうしね)
言い訳がましく心の中でつぶやいて鳥居をくぐった。
社殿へと伸びる参道、線香ではなく草と雨の匂いが満ちた境内に人の姿はごくわずか。参道を進むと社殿の前で宝珠を加えた一対の狐が出迎える。
ここは枝垂桜の老木が自慢の稲荷神社だ。
(さすがにすっかり葉桜だけど)
ご利益は縁結びと商売繁盛、もちろん学業成就だって守備範囲。
手水舎で手を清めて、春の名残が浮かぶ水溜まりを踏んで境内を進む。
願い事をしたためた絵馬を一瞥して、賽銭を入れて手を合わせた。
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