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one day in august
「たーくとさーん?どこですかー?」
拓人さんの自室からも返事はない。1階のお店は本日は定休日で、フェイドラさんも私用があるとかで、おでかけしてしまった。故に、今日のランチは、私が作ることになっている。
そのランチタイム。
「たーくとさーん、お昼にしましょう」
どこかから返事が聞こえる。この家の中にいるのは間違いないな。でも、どこだ?
もう一度、3階への階段をあがっていくと、あれ?衣装などをしまってある部屋のドアが開いてる。もしかして、この部屋かしら?と思いながら、半分開いたドアの中を見てみる。
「拓人さん?」
「ごめーん、葉月さん……」
「なにがあったんですか?!」
思わず声をあげてしまった。
色々な衣装やら、道具やらを仕舞ってある、いわゆる「ウォークインクローゼット」の室内なんだけれど、その部屋の中いっぱいに、いろんなものが拡げられていたのだ。
「衣装とか私服を整理し始めたら、止まらなくなっちゃって……」
私服として着用しているものもあれば、きらびやかな衣装、かっちりしたタキシード、スーツ、靴の種類も様々で、ぱっと見た目でも10足以上はあるなぁ。あとは、彼自身の趣味のひとつでもある、帽子の類。これもそこそこの数が揃っている。
この家に暮らしてしばらく経つけれど、拓人さんの衣裳部屋って、あまり入ったことがない。まぁ、当たり前と言えば当たり前なんだけれどね。
「そ、それにしても……いろんなの、あるんだねー」
「まー、うたい手としては、それなりの年数やっているからね。いつの間にか、こんな感じよ」
などと話しをしてくれつつ、彼は手にしているものを少しずつより分けていく。
「私服と衣装は、あまり区別しているつもりはないけれど、やっぱりステージ用は、若干、目立つような感じねぇ」
いや、拓人さん、ふだんの服も、そこそこ目立ってますから……でも、男性用チャイナ服やチャンパオなど、中華系の服をさりげなく、ふだんから着ているからあまり気にならないといえば……う~む……どうなんだろう?
「ねぇ、拓人さん」
「なぁに?」
「なんで、中華系の服、好きなんですか?」
と、私が聞くと、彼は整理していた手を止めて、少し考えるようにして唸る。
「そうねぇ……なぜでしょうねぇ……自分でも、自然と手にしていたという感じかしら?自分が着ていて心地よい、気持ちがいいっていうの、大事だもの」
うん、確かにそれは言えてる。
考えてみれば、私もいつからか、エスニック系の服を着るようになっていた。これには、ひとつだけ、明確な理由がある。
「季節問わずに、着られる」
というものだ。
え?エスニック系の服って夏だけじゃないの?って言われたこともあるけれど、基本的に季節問わず着られるんだよ。薄手のものを重ね着するのが、エスニック系の基本なんだけれど、そのあたりを組み合わせる楽しさっていうのもあるし。
「あ、そうだ」
私がボケッと考えていると、拓人さんが、
「ね、ちょっとこれ、着てみて?葉月さんに一度、着て欲しかったのよね」
と、言って目の前に出してきた。
え、ちょっと待って……
「私の服って、基本的には男性でも女性でも着られるものが多いから、葉月さんも着られると思うの。あ、でもちょっとサイズがあわないかしら」
などと言いながら、あれこれと物色し始める。
「えーっと……これと、これね。ちょっと立って?えーっと……ほら、ちょっと、ブラウス脱いで……」
「わー!拓人さん、ちょっと待って!さすがに、ここで服を脱ぐっていうのは」
「私は気にしないわよ?」
「そういう問題じゃないです!」
一応、私、オンナ!
拓人さん、いくらジェンダーレスといっても、自意識は男性!
さすがに照れる……じゃなくて、恥ずかしいってば!
……ほかの人がいないからいいけれど、この会話、何にも知らない人が聞いたら、とんでもない内容だよ……
「これとこれ……あ、今度はこれ、着てみて」
「えー?これ、どう考えても、ステージ衣装としてしか使えないじゃないですか……うわ、派手。金色で、中国形式の龍の刺繍……スパンコールも派手だなぁ」
「これ、いつ買ったものだったかしらね~。確か、この帽子と組み合わせて…」
「いかにも、ディナーショー向きですよ、これ。いやいや、これは私には無理です……ちょっと強烈すぎます」
「そうねぇ……」
結局、拓人さんコーディネートによる、私の「お着替え」は、2時間近く続き……でも、最終的には、私も楽しくなっちゃったんだけれどね。
「うん、やっぱり似合う♪」
と、満足げな拓人さん。お着替えシリーズのラスト、彼が着せてくれたのは、パステルピンクの生地でできたアオザイ。正面には、鮮やかな刺繍……大きな蓮の花の刺繍が丁寧に入っている。
「綺麗……」
慣れた手つきで、髪も結ってくれてから、最後に、ピンク色の蓮の花を模した簪を飾ってくれた。
「はい!できあがり~♪ほら、鏡を見て」
と、肩を持ってくれながら、テレまくる私を全身が映る鏡のほうへ向けてくれた。
「黒髪がとっても綺麗だから、なおさら映えるのよねぇ、葉月さん」
と、ニッコニコの笑顔で彼が言ってくれる。
あれ?このアオザイ、どう考えても、拓人さんサイズじゃないよね?まさか、最初からこれ、私に着せようとしていたとか?
「あ、あの……拓人さん、これ、このアオザイ……」
「あら、バレた?」
と、ちらと舌を出して、悪戯がバレた少年のような顔をする。こんな表情の彼は初めてかもしれない。
「でも、衣装の整理をしていたのは本当のことよ」
そう言いながら、私の黒髪にそっと、手を添えてくれる。細くて白い指が、優しく私を撫でてくれる。
「8月、葉月さんのお誕生月ね。おめでとう」
「え……っ!?」
誕生日……あれ?私、拓人さんに話したこと、あったっけ?
というか……
私は自分の誕生日を知らないのだ。
ただ……名前が「葉月」なので、8月に関係しているんだろうなっていう、ぼんやりとした考えはあったけれど、本当の誕生日、知らない。ずっと過ごしていた養護施設でも、8月の誕生会は祝ってもらっていたけれど……
言葉もなく……拓人さんの顔を、鏡越しに見る。
ニコッと笑った彼は、頷いてくれる。
「あなたは、名前の通り、8月生まれよ」
「やっぱり、そうなんだ」
「ええ。あなたのご両親が名づけてくれた、大事な名前」
私が知らない、私の両親。なぜか、時々、拓人さんが話してくれる、私の両親のこと。
それは、彼が私の両親のことを知っているということだ。実際、いつか話しをしてくれたっけ……
私の両親という人たちが、拓人さんを保護してくれたっていうこと。いつか、私も会える時がくるのかな……来てくれるといいな……と、最近、時々、思うことも増えた。
「このアオザイは、あなたのご両親と私からのお誕生日プレゼントとして、受け取ってくれるとうれしいわ」
優しい言葉、優しい声に、グッと奥歯を噛みしめてしまう。あ、ダメ、目頭が熱くなってきちゃった。
「私はあなたを護る……過去も、現在も……未来も」
過去も、現在も、未来も……?
言葉の意味を聞こうとしたときだった。
彼は私の頬に顔を寄せて……軽く、頬にキスしてくれたのだ。
「え?」
一瞬のことだったけれど、でも、確かに……その感触はあった。
鏡の中の、拓人さんと私。
潤んだ目のままで、鏡に映る私と彼を見る。
ワインレッドの瞳は、優しく私を見ている……いつもの通り。
いや、ちょっと違う?え、なんだろう、この気持ち。
「あの…たく、と……さん?」
大きな手で、私のアタマを抱き寄せてくれてから、彼は、
「大好きよ、ずっと……この先も気持ちは変わらない」
と、呟いた。その声が、とても心地よくて。
過去も、現在も、未来も。
不思議な言葉だけれど、でも、それがなぜか、しっくりくるのだ。まるで、それが「当たり前のように」感じられるのだ。
なぜ?どうして?
ぽろぽろと涙がこぼれてくる
こんな時間を共有できる人ができる……なんて、考えてもいなかった。
ずっと、縁がないことだと思っていたことを、ひとつずつ、叶えてくれるのが、拓人さん。
この先も、きっと……
拓人さんのほうへ、私も身体を寄せて……顔を上げる。
メガネの向こうのワインレッドの瞳が、とても綺麗。
どんなことがあっても、私はこの人と一緒に歩いて行く。
「ありがとう、ござい、ます……これ、大事にします……ホントに嬉しい」
「ところで、最初に私を探していたみたいだったけれど……なにか用事、あったのかしら」
「あ!そうですよ!お昼!」
すっかり忘れていたけれど、本当はお昼にしようって探していたことを唐突に思い出した。
拓人さんのペースにノせられて、楽しんでいた私も私だけれど、でも、ま、いいか。
あ、でも、その前に、このアオザイ、着替えなきゃ。
大事なもの……大好きな人から、そして……覚えがないけれど、私の両親という人たちからの……初めての「誕生日プレゼント」。
「あのー、拓人さん、着替えたいんですけれど……」
おそるおそる、声に出して、ちょっとだけ上目遣いで拓人さんを見ると、フッと笑顔になって、
「ごめんなさいね。じゃ、先に2階に行っているわ」
と、言ってから、再び、私の頬に軽くキスしてくれる。ホントにさりげなく、自然な動きだった。
真っ赤になりつつ、ドアの向こうへ出ていく彼を見送り……
だけど、改めて、着せてもらったアオザイを見て、すごく嬉しくなって、ギュッと自分自身を抱きしめてしまった。
「大事に着る……ありがとう……」
ちなみに、この日のお昼…というか、ほぼ、夕食になっちゃったけれど……は、『リュフトヒェン』の常連さんからいただいた、おいしい三輪素麺。
湯がいて、しっかりぬめりを取って、氷水でキリッと冷やした素麺を、ガラスの器に盛り付ける。薬味は、九条ねぎ、ミョウガ、生姜、ゆず、大葉と色々揃えて、味を変えて楽しめるようにした。
暑い夏の日、冷たい素麺は本当においしい。
「素麺の具材って色々あるのよね。変わり種だと、トマトスープのつけ汁とかもあるみたい。あとは、豚バラ肉となすをごま油で炒めて、それをしょうゆメインのつけ汁の具材にするっていうの」
「あ、それ、おいしそうですね。あとで調べてみよう」
「素麺って、意外と食べ飽きちゃうところがあるから、具材とかつけ汁で工夫する人、多いみたいね」
などと話しをしながら……ホント、こういうの、シアワセ。
8月のある日の……一場面。
(了)
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