恋の芽生え。

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恋の芽生え。

こいつだけには、見られたくなかった。 僕のあられもない姿に絶句しているのは、 同じクラスの転校生で、 絶賛片想い中の相手である、川瀬由貴。 (終わった‥‥) 僕は激しく項垂れ、大きく息をついた。 高校生男子の性欲に、限界はない。 某底辺偏差値男子校の2年になったばかりの 僕も例外ではなく、 風が吹いても勃起するくらい敏感だった。 ちょっとかわいい子とすれ違えば、 「ヤリたい」と思っていたし、 1日も早く童貞を卒業したいと願っていた。 もちろんその対象は女の子で、 川瀬のような長身イケメンを範疇にする程、 飢えてはいなかった、はずだった。 でも。僕は目覚めてしまったのだ。 6月14日。 その日の3時間目は体育で、跳び箱の授業。 10段の跳び箱に挑戦することになったが、 不真面目なメンバーが揃う学校の授業で、 跳び箱をまともに跳ぶ奴なんているはずも なく、指導監督する役割の体育教師も、 ふざけすぎて怪我すんなよーと 笑っている始末だった。 転校してきたばかりの川瀬といえば、 目を惹く外見とは裏腹に、 その瞬間までひとりで大人しくしていて、 まさかこの授業でクラスの人気者に なるとは思いもしなかった。 クラスメイトが一通り跳んだ後、 川瀬の番になった。 「先生、本気で跳んでいいですか」 そう言って軽く手を上げ、 助走をつけた川瀬は、 それまでふざけて誰も跳ばなかった 10段をあっさり跳んだ。 「うわ、マジで跳んだ」 僕の横で親友の佐橋が苦笑いし、 僕も笑って頷いた。 大抵の奴らは冷めた反応だったが、 川瀬はそれに目もくれず、 教師に跳び箱の高さを変えるように言った。 「え?あいつ、何するつもり?」 僕たちが息を呑んで川瀬の動向を見守る中、 跳び箱が11段になった。 まさか学校の跳び箱に11段目があるとは 思わなかったが、 数秒後、軽く助走をつけて跳び箱に向かった 川瀬は、またあっさり成功してみせた。 「すごい」 「川瀬、何者?!」 ようやく僕たちは、素直に反応し始めた。 その時、息を整えた川瀬が、 不意に僕に向かって手招きをした。 「えっ」 まさか、やれと言ってる訳じゃ‥‥。 今まで全く会話が成立したことのない、 長身イケメン転校生が、 中肉中背のどこにでもいそうな外見の僕に 注目する意味がわからない。 「岸野は無理だろう」 佐橋が僕に向かって、なあと同意を求める。 「違うよ。岸野。運ぶの手伝って」 そう言って、川瀬がすっかり上機嫌の 体育教師と倉庫に消えていく。 「え?12段を跳ぶつもりか?あいつ」 慌てて倉庫に向かうと、 川瀬と体育教師が12段目の跳び箱を 運びかけていた。 「川瀬、マジで何者」 そう川瀬に問いかけると、 「ただの真面目な、転校生」 と笑って返事が返ってくる。 それだけじゃないだろうと心の中で ツッコミを入れながら、 彼らに置いていかれないように、 そっと12段目の跳び箱の端を掴んだ僕は、 初めてじっくりと川瀬の横顔を見た。 (こいつ、今まで全然目立たなかったけど、 すごくイケメン、なんだよな。 ちょっと背が高すぎて俊敏さに欠けるかと 思ってたけど、こんな風に跳び箱バンバン 跳んじゃうし。授業の理解度も高くて、 何でこの学校に転校してきたんだ?って、 謎だった。実はハイスペックな奴?!) 長いまつ毛と浅黒い肌。 Tシャツごしでもわかる鍛えられた胸筋に、 ちょっとだけハスキーな声。 外見だけでも、充分に魅力的なのに。 もし12段が跳べたら、 こいつは絶対にクラスの人気者になる。 12段目の跳び箱をセッティングし、 緊張を張り付けた顔をした川瀬が、 また軽く助走をつけ、跳び箱に向かう。 僕たちは手拍子をし、川瀬を応援した。 そしてロイター板を踏み切った川瀬は、 鮮やかに跳び箱を飛び越し、着地を決めた。 「川瀬、かっこいい!」 満面の笑顔でいる川瀬の周りに、 クラスメイトたちが集まった。 僕は少し遅れて川瀬に近づいたので、 輪の外にいたが、何故か川瀬は僕に 微笑みかけ、また手招きした。 その瞬間、僕にはタブーがなくなった。 (川瀬のこと、好きだ‥‥) 初めて同性を好きになったと自覚したのだ。 自分のことを どこにでもいそうな外見と言ったが、 内面もこれと言って特筆すべきものはなく、 唯一、他人と比べて抜きん出ているものは、 自慰に対しての情熱だと思う。 僕は紛れもなく平成の半ばの生まれだが、 昭和生まれがチャレンジしてきたとされる ことは経験済だ。 例えば、 こんにゃくやカップラーメンのオナホとか。 人によっては気持ちいいと感じるのだろうが、 僕は食べ物を粗末にしたという感覚だけで、 ちっとも気持ち良くなかった。 (気持ち良い人、コツを教えてください) 今は専ら、10歳年上の近所に住む アダルトグッズ店の店長から、 アダルトグッズをもらったのを機に、 連日連夜、発動させている。 そのうち本物を、挿れられたいと思う。 女の子とのセックスは、いつか叶えばいい。 川瀬を好きになってから、そう変わった。 「‥‥はあっ、はあっ」 今夜も勉強そっちのけで、 大切な部分を指先で弾きながら、発動させる。 (川瀬‥‥川瀬‥‥) 僕の妄想の中で揺らめく川瀬は、 ここには書き表せないくらいの妖しさで、 僕を終始、誘惑している。 抱きしめられたい‥‥ 力強く、唇を奪われたい‥‥ 川瀬のをぶち込まれたい‥‥ 「ああっ」 そして、 前立腺の絶妙な刺激に耐えられず、 涙を流しながら果てるのだ。 7月12日。 期末テストが終わり、 夏休み目前のそんな日の朝。 「ヤバ‥‥熱あるじゃん」 身体がだるいと思い、 体温を測ってみたら、 体温計の数値は38℃を超していた。 夏風邪って、長引くっていうよな‥‥。 これから仕事に出かける母親に、 学校に連絡してもらい、 今日は1日休むことにした。 日頃平熱が低いから、 38℃強の熱はかなり堪えていたが、 コンビニにスポーツドリンクと すぐに食べられるものを調達しに 出かけようと、ベッドから起き上がる。 30分後。 買う物を買って、 またベッドに入った僕は、 風邪薬を飲み、目を閉じた。 しばらくして、夢を見始めた。 川瀬が、いやらしく微笑みながら、 僕のをいじくり回す夢だった。 (はあ、気持ちいい‥‥) 半分眠りつつ、 手は実際にパンツの中に伸びていく。 上がっていく息はそのままに、 タオルケットを蹴飛ばして下半身を さらけ出す。 誰もいない家で、 熱に浮かされながらするのは、 さぞかし気持ちいいだろう。 そんな軽い気持ちで始めたのが、 運の尽きだった。 アダルトグッズを発動させ、 いつものように鳴き声を抑えながら 大切な部分を扱いていたら、 ドアチャイムが鳴った。 傍らのデジタル時計を見ると、10時半。 こんな時間の来客は、 大抵ロクなものではない。 どうせ、営業か何かだろう。 無視を決め込むことにした。 スイッチを強にして、更に刺激を受ける。 ああ気持ちいい‥‥と目を閉じた次の瞬間。 「岸野?いるの?」 少しだけハスキーな声が、 ドアの向こうから聞こえた。 「えっ」 まさか。この声は。 「開けちゃダメだって!」 「岸野‥‥?!」 こいつだけには、見られたくなかった。 僕のあられもない姿に絶句しているのは、 間違いなく川瀬だった。 (終わった‥‥) 蹴飛ばしたため床に落ちてしまっている タオルケットを拾うこともできないまま、 アダルトグッズを握りしめ、 下半身丸出しの僕は激しく項垂れ、 大きく息をついた。 「勝手に家に上がっちゃって、ごめん。 声はかけたんだけど」 「あ、うん」 パンツは穿いたが、恥ずかしくて まだ川瀬を見ることが出来なかった。 「鍵はどうやって開けたの?」 ようやくそう言うと、川瀬は気まずそうに 「鍵、かかってなかったよ」 と答えた。 「まさか、岸野が、あの、してるとは、 思わなくて」 「いい、これ以上、気は遣うな」 たくさん疑問が浮かんでいた。 何故、川瀬がうちに来たんだろう? 佐橋くらい仲良しなら、 自分の具合を心配して来てくれることは あるかも知れないが、 川瀬とはまだそこまで仲良くない。 あと、誰にうちの場所を聞いた? 佐橋か?担任か? そもそもいったい何しにうちに来た? 見舞いにしては、 思い立ってから来るまでの時間が早すぎる。 学校に連絡してから2時間は経つが、 学校からうちまで1時間はかかるのだ。 「岸野、具合は大丈夫なの」 「まあ、熱はあるけど」 「今日、朝当番で職員室に行ったら、 担任が岸野のお母さんとかな、 電話で話してて、お休みだって聞いて、 いてもたってもいられなくて。 佐橋に岸野の家の住所聞いて、来たんだ」 「そうか」 疑問の3つのうちの2つは、 川瀬のこの言葉で、解決したが。 いてもたってもいられなくて、って何だ? そんな思いを抱き、川瀬を見つめると、 川瀬は僕を見つめ返して、こう言った。 「岸野のことが、好きなんだ」 「えっ」 突然の告白に、動揺した。 川瀬と両思いだなんて、信じられない。 「川瀬」 思わず、僕は川瀬の手を握る。 「い、いつから‥‥?」 「初めて、岸野に話しかけられた時から」 川瀬はそう微笑んで、僕の手を握り返した。 川瀬と初めて話したのは、 川瀬が転校生としてクラスに来た日。 キレイな顔立ちで品のある川瀬は、 やんちゃなクラスメイトにとっては おいそれと関われない存在だったが、 物怖じしないタイプの僕は、 5月中旬という時期外れに来た転校生に 興味津々だった。 「岸野です。川瀬、どこ中出身?」 「そうだったのか‥‥川瀬、あの時、 黙ってたから、てっきり、僕みたいな タイプは苦手なのかと」 「とんでもない!父の仕事の都合で、 兵庫県から引っ越してきたから、岸野が 話しかけてくれて嬉しかったよ。 岸野は、僕のこと‥‥どう思ってるの」 頬を赤らめた川瀬の姿が愛おしく、 僕は少し考えたあげく、答えた。 「初めて同性を好きになって驚いたけど、 こんな深く人を好きになったのは、 初めてなんだ。川瀬。僕と付き合って」 川瀬は更に顔を赤くして、僕を見つめた。 「ありがとう‥‥嬉しい。こちらこそ、 よろしくお願いします」 ああ。川瀬、お前とセックスしたい! 僕は夢にまで見た川瀬との結びつきを 現実のものとするために、 川瀬の手を更に強く握ったが。 次第に、視界が真っ白になっていく。 あれ‥‥どうしたんだろう。 「岸野、大丈夫?熱、上がってるんじゃ」 マジか。 そう言って笑うつもりが、言葉が出ない。 僕の額に手を乗せた川瀬が言った。 「岸野。超熱いよ。洗面所借りるよ。 タオル、水に浸してくる。あ、氷枕ある? 冷凍庫、開けてもいい?」 立ち上がり、部屋を出る川瀬の背中を 力なく見送り、僕は頭を振った。 川瀬、待って。僕とセックスしてくれ‥‥! 川瀬とのセックスが叶うのは、 それから約2週間後のことだった。
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