予期せぬキス。

1/1
前へ
/7ページ
次へ

予期せぬキス。

長いまつ毛と浅黒い肌。 制服のシャツごしでもわかる、 鍛えられた胸筋に、 ちょっとだけハスキーな声。 それが、僕の恋人である川瀬由貴だ。 風邪をひいて学校を休んだ僕を見舞いに、 自宅を訪れた川瀬の告白がきっかけで 晴れて両思いになれて、数日。 進展を急ぐ僕だったが、 川瀬との接点は校内だけだった。 学校を挟んで反対方向にお互いの家があり、 一緒に帰れないことが最大のネックで、 放課後、クラスメイトとつるむ時間が 多分にある僕に対し、川瀬は週3日塾に通い、 塾の課題と受験勉強に追われる日々だった。 「勉強して、行きたい大学に行くんだ」 と休み時間もテキストを手放さない川瀬の 背中を見て、これは邪魔できないと早々に 諦めた。 「岸野、忙しい恋人を持って大変だな」 2人の関係を親友の佐橋だけには話していた。 今日も佐橋と同じ方向の電車に乗り、 途中のある駅で降りた。 目的は、お気に入りの喫茶店。 勉強のできない、 やんちゃな僕たちではあったが、 喫煙や飲酒と言った20歳未満が 禁止されている行為は一切せず、 放課後に週2回、 佐橋とクリームソーダを飲んで帰るのが 楽しみなのだ。 「せめてデートしたいよ。わがままかな?」 溜息をついた僕に、佐橋が苦笑いした。 「今の川瀬に言っても、ダメかもね」 「だよね‥‥」 「LINEとか、電話は?」 「勉強の邪魔したら悪いから、してない」 「あいつ、どこの大学受けるつもりなの」 「たぶん、T大」 「マジか。もしうちの学校から合格者が 出たら、奇跡だよ」 「そう。だから先生からも気に入られてる」 「ますます、近づけないよな‥‥」 クリームソーダを一口飲み、また息をつく。 「いっそ、川瀬と一緒に勉強したら? 岸野、本命の高校に落ちてうちの学校に 来たんだし、昔とった杵柄で勉強したら、 大学受かるかもよ」 「明日から頑張ります笑」 「ダメだ、こりゃ」 「はあ‥‥せっかく両思いになれたのに。 あいつ、忙しいくせに、何で僕に告白して きたんだろう」 「一度、自分の気持ちを伝えてみたら? たまにはデートしたい。電話やLINEしたい って」 最後の一口を飲み干し、佐橋が微笑む。 「岸野のそんな顔、見たくないなあ」 「ありがとう、話聞いてくれて。 うん、ダメ元で川瀬に話してみる」 喫茶店を出て、佐橋と再び電車に乗った。 数駅過ぎて、佐橋が電車を先に降りるのを 見届けてから、僕はスマホを取り出した。 教室の片隅でこっそり撮った、 川瀬とのツーショットの待ち受けを見て、 LINEの画面を開いた。 『川瀬、勉強お疲れ様。忙しいと思うけど、 僕とデートする時間を作ってくれない?』 そのたった2行のLINEでさえも、 電車を降りる15分で苦戦しながら書いた。 川瀬の負担になりたくないけど、会いたい。 そんな思いを込めて、送信ボタンを押した。 川瀬からの返信は、帰宅早々に来た。 『岸野、LINEありがとう。あと1週間弱で 夏休みだね。夏期講習の合間で良ければ、 会えるよ。一度、うちに来ない?』 最後の数文字にドキドキした。 何度も読み返し、息を吐いた。 川瀬の家に行ける。 川瀬の私生活を知ることができるという 喜びに、胸が熱くなった。 7月26日。夏休みが始まってすぐの早朝。 川瀬からLINEが来た。 『岸野。今日は夏期講習は休みです。 午前中に塾の課題も学校の宿題も 一段落させるので、午後から会わない?』 LINEを読んで、ベッドから飛び起きた。 『うん。何時でも大丈夫。川瀬に合わせる』 速攻で返信し、ベッドに腰掛けた。 またスマホが震え、川瀬のLINEが続く。 『じゃあ、岸野の家からは遠いけど、 13時にK駅の改札でいい?迎えに行きます』 『よろしくお願いします』 付き合い始めてから、初めて校外で会える。 嬉しくて、またベッドに倒れ込んだ。 「それまで宿題、やっておくか」 家を出るのが11時半とすれば、 それまでは相当できるはず。 俄然やる気になり、顔を洗いに部屋を出た。 夏休みの宿題を終わらせた僕は、 お気に入りのブランドTシャツを着て 11時半に自宅を出発した。 学校の最寄駅を越え、 川瀬の指定したK駅までの1時間半の 道のりは、恋する立場からすれば、 長いようであっと言う間だった。 待ち合わせ場所に時間通り着くと、 既に川瀬が待っていた。 「岸野」 「川瀬」 お互いの名前を呼んで、見つめ合う。 川瀬の手を握りたかったが、 人が多くいる場所柄、それは止めた。 それでも私服の川瀬が眩しくて、 隣を歩くのがとても恥ずかしかった。 だから、 「岸野、遠いところまでありがとう」 と川瀬に優しく微笑まれたのに、 「あ、うん。K駅、初めて降りたよ」 とどうでもいいことを答えてしまった。 「お昼は、まだ?」 「うん。川瀬と一緒に食べようかと」 「親が、焼きそば作ってくれたよ。 飲み物だけコンビニで買おう」 「何か気を遣わせて悪いな」 「大丈夫。それに」 そこで言葉を切った川瀬は、 僕の右手の小指に触れた。 「明日までうちの親、いないから。 岸野さえ良ければ、ゆっくりしよう」 驚きのあまり、その場で固まった。 「川瀬、それって、あの」 期待していたことが現実になると思い、 言葉に詰まったが。 川瀬は微笑みをたたえたまま、 「明日は10時から夏期講習なんだけど、 それまで一緒にいられるよ」 と言った。 何だ、深い意味はないのか。 内心、拍子抜けしたところはあったが、 こうして会えるだけで幸せだと思い直した。 指を繋いだまま川瀬を見つめると、 川瀬は少し頬を赤くしながら、 僕の耳元に顔を寄せ、囁いた。 「大好きだよ」 「か、川瀬」 このタイミングでそんな言葉、反則だ。 繋いだ指先から、 川瀬の体温が伝わってきて目眩がしていた。 日頃、自慰ばかりしていて、 頭が猿化している僕だったが、 川瀬に性欲の対象としてだけではなく、 純粋に恋心を傾けていたから、 こういう川瀬の些細な言動にも、 敏感に心を揺さぶられていく。 川瀬と過ごす明日まで神経がもつか、 やや不安になった。 「風邪、治って良かったね」 2人掛けのソファに、並んで座った。 「うん。おかげさまで」 甘やかに光る川瀬の瞳に出逢い、 動揺を隠せず、言葉少なに返事をした。 「あ、勉強は順調?」 取り繕うようにそう言うと、 「うん。毎日、頑張ってるよー」 とあっさり返され、会話は途切れた。 再び、指先は川瀬と繋がっている。 あれほどセックスしたいと騒いでいた 自分が、いざ川瀬と向き合うとこんなに 緊張するのかというくらい緊張していて、 まともに川瀬と目を合わせることが できなくなっていた。 「岸野、大丈夫?震えてるけど」 川瀬に顔を覗き込まれ、僅かに首を振った。 「だ、大丈夫‥‥」 「嘘だよ、大丈夫じゃないよ」 次の瞬間、僕は川瀬の腕の中にいた。 「川瀬、あのっ」 抱きしめられて慌てる僕に、 川瀬は微笑みながら腕の力を強めた。 「ふふっ、いい匂い」 僕の首筋に唇を寄せ、何度もキスしてくる。 まさか、初めてのキスが首筋とは。 川瀬の背中に腕をゆるゆると回すと、 「岸野、まだ緊張してる?」 と訊かれたので、 「う、うん‥‥」 川瀬と視線を合わせたまま、頷いた。 「でも、岸野と最後までしたい。ダメ?」 川瀬も僕と同じことを考えていた。 そのことに意外さを感じ、言い淀んだ。 「川瀬、えっと」 僕の返事は、川瀬の強引なキスで かき消された。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加