トビラ

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トビラ

「あなたは今どこにいるの? ここにいるのは本当のあなたなの?」  それは、僕が出会った不思議な少女が消えゆく前に投げ掛けた言葉だった。  当時の僕は混乱していてその言葉の意味は分からなかったが、今ならしっかりと理解出来る。  今の僕がいるのはあの不思議な少女のおかげだったのだ。  夜空には眩いばかりに光り輝く幾千もの星が散りばめられていた。それは視界に広がる深い藍色の世界に絵筆で弾いたように存在していた。  小学校低学年の時であったと記憶している。僕は両親に連れられて都心から離れた場所にある山へ出掛けていた。幼いながらに世の中にこんなにも壮大で美しいものがあるのかと驚いた。  それからというものは子供向けの星の本から始まり、星に関する本を好んで読むようになっていった。おぼろげにも将来は天文学を学びたいと思うようになっていた。  中学生の頃、両親の仲がおかしくなった。元々とても仲が良いといった家族ではなかったが、イベントなどには積極的楽しむように行動する面もあり僕は両親が大好きだった。  そんな家族を壊さぬように、両親の仲を取り持つ為に僕なりには努力した。僕を経由される会話のトゲをなるべく取り除いて伝えたり、イベントごとには積極的に提案もした。  しかし、大雨により氾濫した濁流が何人たりとも寄せ付けないように、両親の空気感は僕如きの些細な抵抗などもろともしなかった。  中学を卒業する頃には僕の家族は壊れてしまい両親は離婚という決断を下し、父が僕らの前から去っていった。  僕はとてつもない無力感に襲われた。自分なりに努力したが、それは何の効果もなかったのだ。自分の非力さを感じたと同時に努力をする事への不信感が芽生えていった。  努力に対しての不信感は頭の片隅で燻ってはいるものの、興味のある天文学への一歩として大学へ入る為に勉強を頑張っていた。母は生活を支える為にパートを掛け持ちするなど頑張ってくれていた。  しかし、僕の世話やパートと頑張り続けてくれていた母が、その努力の為体調を崩し病院にかかりがちになってしまった。当然収入面の不安は大きくなり、僕は大学を行く事を諦めざるを得なくなる。  頑張っている姿を見ていたので母に対する恨み言は毛頭にもなかった。僕の心に影を落としたのは『努力』に対する裏切られたとも思える感情だった。  その後は努力する事がなくなった代わりに諦める事を覚えていった。努力をした所で何も成し遂げる事は出来ない。僕の口からは『どうせ』や『結局は』と言った言葉が頻繁に出るようになった。  いつしかあんなに好きだった夜空を見上げる事もなく下ばかり向いて過ごしていた。  ある夜の事だった。その夜は特に冷え込みが激しく都心でも珍しく雪が降るのではないかとニュースで報じられる程であった。  部屋のベッドで寝ていた僕は不意に目を覚ました。あまりにも冷え切った空気の感覚から、布団がはだけてしまったのかと思い、寝ぼけ眼で布団を探した。  しかし、どこを手で探ってみても布団は見当たらず、体を起こして辺りを見渡すとその景色に言葉を失った。  真っ暗闇に街灯があり、その光が薄暗く一部分を照らしている。暗くて詳しくは分からないが広さは学校の教室程度に感じられ、床や天井は黒いレンガで覆われ、その所々はひび割れていた。  その街灯に照らされている部分には二つの大きな扉がある。ごげ茶色の木製の扉で、床などと同様に古びているが荘厳な飾り彫がしてあり威厳を感じさせる。 「夢じゃないよ……」 ――!?  一気に血の気がひいた。それまで夢という事で納得させていた脳裏をいきなり鈍器で殴られたような感覚だった。 ――今の声はなんだ?  周りを見渡してみても音の主は確認できず気のせいだと気を落ち着かせる。しかし、鼓動は速く耳のすぐ近くで脈打っているかのようだった。 「分からないの? 私はいるよ……」  再び声が聞こえてくる。恐怖に押し潰されそうになりながらもしっかりと目を見開き音の根源を探す。 「こっちだよ……」  不意に背後から声が聞こえ、振り返るとそこには少女が立っていた。印象的な大きな目をしており、髪は長くミステリアスな様相だった。身長は僕よりも低く雰囲気から察するに中学生であろうか。  見た目からは幼さが残るように感じられるが、身にまとっている雰囲気はそれとは違い、大人びているようにも見える。 「こんばんは。あなたは坂本浩(さかもとひろし)さん?」 「えっ……? そ、そうだけど。君は?」  少女はその大きな目を薄くして微笑んで、僕の方を見ていた。 「私? そうね、ケイ」 「ケイ? それが君の名前?」 「そうよ。あなたがここに来るのを待っていたの」 「待っていた? ここは一体どこなんだい? 僕は部屋で寝ていたと思うんだけど……」 「あなたは寝ていた……、そうね、寝ていたわ」  会話がうまく成り立たない。ケイと名乗るこの少女は一体どんな存在なんだろうか? 「ここはね、本当のあなたを探す部屋なの。今のあなたは本当のあなたじゃないわ」 「本当の僕?」 「あそこに二つの扉が見えるかしら? あの扉のどちらかを選ぶ事であなたの深層に向かっていけるわ」 「……、ちょっと言っている意味が分からないんだけど! 本当の僕って、今いるのが本当の僕じゃないか! 大体この場所――」 「――質問はなし。ここがどこだろうが、私が誰であろうかそんな事は関係ないわ。今、この瞬間が存在している。その事実だけで十分なはずよ」  暗闇が占拠するこの空間に僕とケイの言葉だけが響いている。彼女の言葉は耳通りが良くキレイな声をしているが、無味乾燥で感情が感じられない。 「まずはあの扉の近くに行ってみましょう」  そういうと扉の方へ歩いていった。その後についていく形で歩きながら考えていた。 ――『本当の僕』とは何を指してるのだろう? 今自分が感じている僕は僕じゃないのであれば誰だというのだろうか? なぜケイは本当の僕について知っていて、それを見つけようとしているのか?  意味の分からない事ばかりだった。考えながら歩いていた為、前を歩くケイが立ち止まった事にも気付かずいつの間にか追い越していた。  背後から声が聞こえ、ハッとして振り返るとケイが話しかけてきた。 「あなたは今考えていると思う……でも今はそんな事はどうでもいいのよ。これはあなたにとってチャンスなの。そのチャンスをくだらない考えで無駄にしないで……」 「チャンス?」 「そうよ、このまま偽りの自分で無駄に人生を過ごしていくなんて嫌でしょ?」 「偽りの自分? 君はまだそんな事を言うのか。そもそも――」 「――さぁ、扉の前まで来たわ」  そう言葉を遮られ、僕らは扉の前で立ち止まる。二つの扉の間に木製のプレートがあり、そこには文字が記載されている。また、どちらの扉の上方にも同様のプレートがあり、文字が記載されていた。 「扉の間と上にプレートがあるのが見えるわね? 扉の間にあるプレートがあなたに対する質問、その答えが上のプレートに書いてあるの。質問に対して自分の本当の気持ちに近い方の扉を選んで中へ入っていく事になっている……」  そう言われて扉の間にあるプレートの文字を確認する。 『あなたには夢がありますか?』  プレートにはそう記載されていた。 「これの答えの扉を開けばいいんだよね? 意外と簡単なんだな」 「そう……。 本当に簡単な質問かしら? そうであれば悩まず扉を開くといいわ」  何か嫌味っぽい言い方に聞こえるが、僕は気にせず片方の扉の方へ進んで行く。その扉の上方には『NO』の文字が書かれたプレートが張り付けられていた。  夢なんてものは持つだけ無駄だ。それは小説やドラマの中でしかありえない。自分の様なありふれた人間には無縁の言葉であった。 「僕は夢なんて持っていない。こっちの扉を開けるよ……」 「それがあなたの本心であれば、どうぞ……」 「扉を開けるとどうなっているの? もし間違えてしまったら?」 「不安になっているの? あなたはさっき簡単な質問だと言ったわ。間違えた時の事を聞くなんておかしくない? あなたは自分の事を良く分かっているんでしょ?」 ――なんだよ、その言い方は。まるで揚げ足取りじゃないか。僕はただどうなるのか聞いただけなのに……。  ムッとしてドアノブを勢いよくひねった。 『ガチャリ』  扉が開かれると中からは今までの暗闇とは違い、空気の澄んだ暗闇が現れた。それは部屋の中とは感じられず、もっと広大な空間である様に感じた。その暗闇の先に三人分の人影が見えた。 「父さん! 僕はこんなキレイな星空は見た事がないよ! 手を伸ばせば星を集められそうだよ!」 「こんなに喜ぶなんて連れてきた甲斐があったな! 父さんと母さんはお前にこの星空をどうしても見せたかったんだ。こんなに広い夜空にいくつもの星が煌めいているだろ? これはこの世界と同じなんだ」 「星空と世界が一緒?」 「この世界には多くの人がいるわよね? その多くの人達一人一人がこの星空の一つ一つの様に輝いているのよ! だから、きっとあなたもこの星の一つの様にキラキラした人間になれるのよ」 「何か自分が興味を持った事を突き詰めていくといいぞ。夢を持つんだ。そうすればきっとその気持ちがキラキラした毎日を届けてくれるさ!」 「そっかぁ。僕はこの星空がすごく好きだから星について調べる人になりたいな!」 「おっ! いいな! 本当にここへ連れてきて良かったよ!」  親子の会話が終わると、スゥっと目の前の景色は色あせ、先程までと同様の暗闇が現れてきた。 ――今の映像は何なんだ? そして、今の会話には聞き覚えがある。そう、僕がかつて両親とした会話だ。 「あなたは『NO』の扉を選んだけど本当にそうだったのかしら? 今流れた映像のあなたは夢を見つけていたわね? それは今は持っていないの?」 「いつの話だと思っているんだよ? 十年くらい前の話だぞ。まだまだ、現実を知らない子供の頃の話だ。今はそんなバカげた事は考えていないよ……」  確かに当時は星について興味を持っていたし、将来は天文学を学びたいと考えていた。今見てもその星空は素晴らしく、胸がドキドキするような感覚が蘇る。僕は今でも星が好きだ。 「昔はあったのに、今は無くなった……。無くなったきっかけが何かあるんだろうけど、どうせくだらない事なんでしょうね」 「くだらない事? 何を根拠にそんな事をいうんだ! 僕の何を知っているというんだ?」 「あなたの事は知っているわ……。まぁ知っていなくても大体想像もつくしね」 「適当な事を言うな!」  僕の声が渇いた空気に響き渡った。暗闇はその声を吸い取り、また静寂をもたらした。 「熱くならないでよ。熱くなるって事は多かれ少なかれ私の言っている事が引っかかっているのかもね……。まぁいいわ。次の扉へ向かいましょう」 ――ケイの言う事が図星だから声が大きくなっている? それはどの言葉だろうか? いや違う、僕という人間を勝手に決めつけられている事にイラつきを覚えているんだ。 扉の前に着くと今回もプレートがあり、そこには『努力は報われるのか?』と書かれていた。 ――なんだこの質問は? 努力が報われる? そんなのは綺麗ごとだ。  僕はかつて両親が不仲になった時に、改善させようと努力した事があった。結局その努力は身を結ばす、僕は努力に不信感を持った。 「さぁ……、あなたの答えを教えて」 「……」  僕は何も言わずに『NO』の扉を引いた。扉の向こうには見覚えのある部屋が映し出されていた。それは僕が――僕らがかつて住んでいたマンションの部屋だった。  部屋の中ではダイニングテーブルを挟んで下を向いて座っている両親がいた。お互い目を合わせる事もなく、目はひどく沈んだ色をしていた。  僕は両親のこの表情をある時期から度々見るようになっていた。それは、不仲になっていった時期だった。 「あなた……、ごめんなさい。私がしっかりしていないせいでこんな事になってしまって……」 「いや、それは違うよ……。君のせいなんかじゃない。誰が悪いとかそういう問題じゃないよ」 「そんな事ないわ! あなただって本当はそう思っているんでしょ! 私が悪いんだって!」 「やめないか!」 「うっうっうっ……」  すると場面が切り替わり、別の日の映像になる。クリスマスツリーが飾ってある所を見ると昔僕が提案したクリスマスパーティーの様だった。僕は既に寝ているのか、先程の様にダイニングテーブルを挟んだ二人がいた。 「浩が折角提案してくれたクリスマスパーティーも上手く楽しめなかったわ。やっぱりダメね、私……」 「まぁ、俺だってそうさ。君だけじゃない。浩はすごく頑張ってくれている。それが伝わってきて申し訳ない気持ちになる……」 「本当にそうね……、あの子は本当にいい子だわ。それに比べて私たちは……」 「俺たちは距離を置いた方がいいかもしれないな……」 「そうね、(めぐみ)が産まれる事なく旅立った事実を二人でいると忘れられない気がするわ……」 「そうだな……、残念だが……」 ――僕の努力は伝わっていた? それに恵って?  僕が頑張っていた事なんて伝わっていないと思っていた。どんなに努力しても僕の気持ちなんて伝わらないと、そして努力を信じなくなった。それが伝わっていたというのか。 「恵……、思いやりを持ってそれを周りに与えられる様な子になるように。そう願ってつけようとした名前……。この子が産まれてくれていたら私たち家族にもっと幸せを――」 「――そういう事は言うんじゃない……。恵だって好きでこうなったわけじゃ……」 「ごめんなさい……」  その言葉を最後に景色が切り替わり例の暗闇の部屋に戻っていった。 「どうだった? あなたは努力は報われないと思って『NO』の扉を開いた」 「あぁ、そうだね……」 「でも、あなたの努力はご両親に伝わっていたんじゃないの?」  確かに両親に僕の努力は伝わっていたのかも知れない。 「……、そうかもしれないね。でも結果としては両親は離婚を選んだ。つまり、僕の努力は身を結ばなかったという事じゃないか」 「まだそんな事言ってるんだ……」 「それより恵って言うのは誰なんだ? 話の流れからして母さんは妊娠していたって事だよな? つまり僕の弟か妹になるはずだった……」  ケイは一瞬目元を緩ませた様に見えたがすぐに表情を戻して歩き出した。 「待ってくれ! 君は何か知っているんだろ? 頼むから教えてくれ! 今僕は何をやっているんだ? 今まで見てきた映像はなんなんだ?」 「……。最初から説明しているじゃない。本当のあなたを見付けるのよ」 「だから、その説明じゃ分からない! ここには君と僕しかいないんだ! 君が教えてくれなきゃ何も分からないよ!」  ケイは僕の言葉を聞いてもそれ以上は何も言う素振りは見せずに歩いていく。答えが手に入らない僕は、その後をついていくしかなかった。  三度扉の前に辿り着く。プレートには『諦める事は必要だ』と書かれていた。 ――諦める事? 僕は諦めてきた事は多い。一番は家庭の事情により進学を諦めた事だ。諦める事は必要に決まってるじゃないか。そうでなければ僕は今まで……。 「さぁ、最後の扉よ。あなたはどちらを選ぶかしら?」 「選ぶ扉は決まってるよ。答えは『YES』だ。逆に『YES』じゃなければ困るよ。僕は今まで諦めてきたんだ」  そう言って『YES』の扉のドアノブに手をかけようとした。その時突如背後から空気を切り裂く様な鋭く大きな声が聞こえた。 「いい加減にして!」 ――!!  声の鋭さに驚き背後を振り返ると、今まで平静を保っていたケイが鋭い表情しながら立ち尽くしていた。眉を吊り上げ、その印象的な大きな目も吊り上がって見えた。 「あなた、本当にそんな選択でいいの? 夢を持っていなくて、努力も信じられず、諦める事ばかり! それがあなたの本当の気持なの?」 「しょうがないじゃないか! これが今の僕なんだ! 今映像で見ただろ? これまでの経験が僕をこうしたんだ!」 「あなたをそうさせた? よく言うわね。これはあなたが自分の意思で選んできた結果よ。今のあなたはあなたが自分で作り上げたのよ!」 「――! 何も知らないくせに好き勝手いうなよ! 大体君は何者なんだ!?」  ケイはその印象的な大きな瞳を閉じて大きく息を吐き出した。 「……。私は分かるのよ。ずっと見てきたから……。私の本当の名前は恵よ」 「恵! えっ、じゃあ君は僕の――」 「――それはいいのよ! そんな事は今は関係ない。今考えるべきはあなた自身の事なの!」 「で、でも……」  目の前にいる少女は産まれてくるはずだった僕の妹、会う事が叶わなかった僕の妹だった。 「でもじゃない! あなたは弱い! 全てが最後の扉の『YES』が物語っているわ! 諦めるなんて簡単に言わないで! 本当に全てをやり尽くしたの? わたしなんて、わたしなんて……」  ケイは膝から崩れ落ち、涙を流している。僕は混乱していた。今まで僕なりに頑張って来た。それを受けての今がある。それでは足りなかったのであろうか。十分今まで辛かったが、まだまだ頑張れというのだろうか。  やがて泣き崩れているケイの輪郭がぼやけてくる。その姿が消えそうになっていた。そして、消え去りそうな顔をこちらへ向けて言った。 「あなたは今どこにいるの? ここにいるのは本当のあなたなの?」  彼女は弱々しい声でそう呟いた。体はどんどん薄くなっていく。 「待ってくれ! 本当の僕はどんな奴なんだ? 教えてくれて!」  その言葉は彼女に届く事なく床に落ちていった。この世に存在する事すら許されずに天へ昇っていった彼女。その彼女が僕の前に現れて再び消えていった。 ――彼女は消えてしまう事を知っていたのだろうか? 知っていて、その短い時間を僕の為に使ってくれたのだろうか?  ケイがそこまでして僕に『本当の自分』を見つけさせる理由は分からない。しかし、その行動は自分を見直すきっかけには十分なり得た。  ケイが言っていた様に諦める事によって全てをうやむやにしている様な気がしてきた。  自分はこれだけ頑張ったけど無理だった、しょうがないから諦めるしかない。  自分の環境がこうだから頑張ってもしょうがない、諦めるしかない。  そうやっていつしか口癖は『どうせ』、『結局は』になってしまったのだ。  諦める事は逃げる事、簡単に感情を捨てるには最適な行動だった。しかし、本当にそれでいいのだろうか。本当に最適なんだろうか。 ――違う! そんなのが最適なはずがない。諦めずに自分自身に納得して行動をしなくては先には進めず、停滞していくだけだ!   そう考えるとケイの言っていた『ここにいるのは本当のあなたなの?』という言葉も理解できる。 今ここにいるのは本当の僕ではない。停滞して動く事が出来ていない、過去を引きずって歩いている僕だったのだ。  扉を振り返り、ドアノブに手をかける。もちろんその扉の上方には『NO』と書かれたプレートがある。  諦める事も時にはあるかも知れない。ただ、全力を出し切って自分に納得が出来た時だ。そうであれば、その諦めは前に進む為の諦めになる。諦めというよりは別の案を模索するといっていいだろう。つまり、諦める事は必要ではない。  僕は手に掛けたドアノブをひねり扉を引いた。扉の先に何が待っているかは分からない。ただ、いつかこの部屋から出た時には今まで諦めていた事に真摯に向き合ってみたいと思う。  それが『本当の自分』になる為の第一歩だから。  扉を開けると、僕はベッドの上にいた。今までの出来事が現実だったのか夢だったのかは分からない。しかし、そんな事はどうでも良かった。  僕は一歩を踏み出す為に母さんに言わなければわからない事があった。 「母さん、僕……、僕は大学に行きたいんだ。天文学を学びたいんだ!」 「あなたが行きたいなら行きなさい。心配しなくて大丈夫よ。お父さんもきっと協力してくれるわ」  そう言って母さんは優しい笑顔を見せてくれた。僕は夢への一歩を踏み出し、再び歩き始めた。  恵、ありがとう。僕は今ここにいるよ。
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