表紙

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 三歳なのに、あの子はクリスマスを知らなかった。  白い泡沫を搾り続けたイブの夜、俺の我慢は限界に達した。売上金だけを回収に来るメディアで顔の知られたパティシエとは名ばかりのオーナーを殴り飛ばし、奴隷解放宣言をした。自分で作ったケーキを勝手に一箱貰い、勢いのまま店先の大きなクリスマスツリーを盗んだ。  徒歩で家に帰り着く頃には体力は残り少なく、エレベーターの無い老朽化したマンションの四階まで片手の支えだけで担ぎ昇るのは至難の業で、案の定の如く手を滑らせ(もみ)の木は破壊された。  玄関は開いていて、あいつのハイヒールは無かった。あの子は夜更けだというのに起きていて、生まれて初めのツリーに畏怖の瞳孔の変化を見せた。  破損を修復する俺に纏い付きながら、幼な子なりのアイデアを出す。結果出来上がった物は原型から程遠い「まるで血色の悪いサルのようなキリスト」と揶揄されたフレスコ画のツリー版だった。  ケーキを箱から出すと、ツリーに負けず劣らずの悲惨な形状だった。けれど味は同じだ。俺らは手掴みで頬張った。  腹を満たしたあの子は片手を生クリームだらけにしたまま寝息を立てていた。俺は安酒を数杯呷り、職場でやらかした煽りの熱を落ち着かせた。ツリーに靴下をぶら下げて、その中に買っておいた珍しいミニカーの箱を入れサンタクロースの真似事を試みた。  いつの間にか俺も眠っていた。クリスマスらしい煌びやかに光る夢が瞼を照らした。けれど天使が降臨する訳じゃなく、焦げた臭いの現実感が襲ってきた。割れた電飾からの発火がツリーとカーテンを燃やしていた。俺は咄嗟に寝てるあの子を安全な場所に移し、交換期限の過ぎた消火器をツリーにぶち撒けた。炭酸水素ナトリウムの白い粉は壁面を雪の世界に変えた。  目を覚ました三歳児と俺が見たホワイトライトな風景が、その夜一番のクリスマスらしさだった。
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