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「珠莉さんは、自分を一度終わらせる、ということですか」
予想外の言葉だったけど、あたしは心を強くして否定した。
「終わらせないし、終わらないよ。あたしの話、聞いてくれる?」
市村サンが頷いてくれたので、ふうと息をつき、わずかに過去語りを始めた。
「高校のときにね、付き合っていた男に裏切られたの。まあ、簡単に言えば、相手には本命のカノジョがいて、あたしは遊びだったわけ。少し傷ついたけど、引きずったりしなかった。逆に見返してやろうって思った。そして、水の仕事に飛び込んだ」
ジャズの小刻みなピアノに乗せ、あたしは話を続けた。
「楽に稼げたし、色んな男を手玉にとれて、最初は楽しかった。でも、どんどん苦しくなっていった。キャバクラほど女を格付けする場所はないんだ。女は商品で、すなわちお金で、稼げないと人格さえ否定される。だから上位にいなければ自分を保てなかったし、上位にいることがプライドだった。一日も気を抜けない。あたしはどんどん辛くなっていった。そうして、より簡単に客を繋ぎとめるために汚いことをした。自分が見えてなかったんだ。いや、自分を見失ってた。本当の自分が何者か分からなくて、仕事と男と地位にばかり固執してた」
そう言ったとき、自然と胸の内側から、吐き出し切れないぐらいの感情が湧き上がってきた。
「市村サンがあたしを利用したいと言ったことも、女の醜さを見せてほしいと言ったことも、勃起障害だと聞いたことも、あなたの誠実さも優しさも、実を言うと、あたしは全部肯定的に捉えてた。本当のこと言うね。ほんとに、本当のこと言うね」
あたしは胸の中で想いを膨らませ、それを言葉に代えた。
「生まれて初めてなんだ。この人になら騙されてもいいって思ったのは。──あたしは、高校まで底辺の女だった。そして水の世界に入って、大きく道を踏み外してしまった。でも、踏み外した道をさ、崖を上って、草を掻き分けて、どうにか正しい道に戻ったらさ、それって終わったことにならないでしょ。あたしは確かに転落したけど、ちゃんとした道に戻れたら、ちゃんとした人生を歩き直せる。そのために大学に行きたいの。そうして、とことん男を遠ざけて、とことん市村サンのことを想って、信じて、たとえ結果、騙されちゃったとしても、あたしは絶対に終わらない。終わるわけがない。そう思ったんだよ」
言っていて、目に熱いものが溜まってきた。瞬きをすると溢れてしまいそうだ。決壊が近いから、一度ガッと手の甲で目をこすった。そして、より意気を込めて言った。
「市村サンを信じたい。認められたい。こうしている今も、頑張って気持ちを伝えたなって褒めてもらいたい。そのぐらい好きになったんだ。だから、気が向いたときでいいから、勉強を教えてほしいの。得意な教科は何もないし、むしろ全部だめだけど、来年の受験で必ずどこかに合格するから。あたしの人生、何も負けてないって、何も終わってなんかいないって証明させてほしいの。その後のことは、本当にもう、どうでもいいからさ……」
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