《揺蕩のシズカ》

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「……ん、だいたい、記憶が戻ってきたみたい。助けてくれて、ありがとうございました。それで市村サンは、あたしを持ち帰ったってことですか」  言うと、彼は引き出しの中から革製の名刺入れを取り出して微笑んだ。 「うーん、持ち帰ったと言うより、まともに歩ける状態ではありませんでしたからね。宿を取るのもどうかと思いましたし、誰かに連絡しようにもあなたの携帯を(のぞ)き見るしかなくて、仕方なく自宅のベッドで寝かすことにしようかと。神に誓って、何もしていません。あなたみたいにきれいな人を前にすると、僕は萎縮して、あっちの方がだめなんですよ」  結構なハンサムなのに、可愛いことを言う。でも、どうせ男の恥じらいなんか最初だけだ。慣れてくれば女に対して征服的になるものだろう。 「あたし、水の女なんですけど。しかも色んな男と寝てるの。(けが)らわしいでしょう。助けてくれたんなら、身体で返すことだってできるよ。()たないって言うなら、勃つまでサービスしてあげることだって余裕。宿代だと思ってそうすれば?」  威圧的に言った。あたしは男なんか信じない。見せかけの優しさなんか()()が出る。むしろオスの本能に従って暴力的になってくれた方が信じられるってもんだ。 「……哀しいですね」  市村は、歯痒そうに目を(すが)めた。 「本当はそんなこと言うような人じゃないのに、たくさん傷ついてきたんですね。あなたは身体を重ねても苦痛にしか感じない。違いますか?」  言われ、ちょっとカチンときた。 「綺麗ごとなんか聞きたくねーんだよ。男は結局、女の身体が目当てだろ。ヤラせてやるって言ってんだから素直に受けりゃいいじゃんか」  すると市村は、何を思ったか、床に膝をつき、正座をして見せた。 「ぼくは過去、女性から大きな傷を受けましてね。そしてあなたは現在、男性から大きな傷を受けているようだ。互いに人を信じられないなら、ぼくらは友達になれるんじゃないでしょうか? ぼくは昨夜寝ずに考えました。あなたの背景や、あなたの境遇や、あなたの心のことを。身体を合わさずに、親友としていられませんかね。ぼくは、あなたのような人だからこそ、友情を結べそうな気がするんです」  と言い、彼はぐっと拳を握りしめた。 「かつての傷が原因で、ぼくは勃起障害(ED)になってしまいました。だからあなたを抱きたくても抱けないんです。治るかどうかも正直分かりません。でもだからこそ、ぼくはその意味であなたを傷つけることはありません。なので、男女の関係よりも、もっと大事な心の関係を結べると思ったんです」
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