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旅立ち
時移り。
「そっちどう?」
「ああ、もう済むよ」
ここ1ヶ月というもの、二人は長年住んだこの家を磨きに磨いた。単なる掃除ではない、別れを告げるためのこの家への精いっぱいの感謝だ。
「次の買い手さん、大家族だって言ってたよね」
「三世代同居だそうだ。多少の手入れはするだろうが、大切にしてくれると思うよ」
「うん……」
ジェイは寂しくて堪らない。本当はここを離れたくなかった、蓮との歴史が詰まり過ぎている……
「ジェイ、これからの生活に目を向けよう。きっと楽しくなる。そう思ってるだろう?」
「……思ってる。でも……この家とお別れするのは寂しいよ」
「俺もだ。だがこの別れは新しい俺たちの新しい旅立ちを意味してるんだよ」
「分かってるよ。ただ……こんな日が来るなんて思ってもいなかったから……」
そうだ、夢のような生活が待っている。喜びも期待も大きい。けれど、別れは別れだ。
「梅の木はもう根付いたんだよね?」
「大丈夫だと言っていた。俺たちより先に引っ越しだな」
哲平のお陰でこの庭に咲くことになった紅梅は、とっくに業者の手によって移植されている。来年の寒空をまたあの紅く可愛らしい花が染めてくれることだろう。
二人で陽だまりの縁側に座る。
菜園はそのままでいいと聞いている。新しい住人はこの庭を受け継ぎたいと申し出てくれた。だから紅梅以外は元のままでいい。紅梅には思い入れがあるから一緒に連れて行く。
「明日でこの縁側ともお別れだね」
「ジェイ。辛いか?」
「辛くないっていったら嘘になるよ」
「……そうだな」
「大丈夫……大丈夫だよ、もう荷物も全部用意したし。処分するものはとっくにしたし。俺、明日を楽しみにする。明日の今ごろはもう新しい生活が始まってるんだね」
今夜で最後になる布団は処分することになっている。明日はほんのわずかの手荷物を持てばいい。迎えが来るのは10時頃。
新生活が待っている。そこで新しい思い出を積み重ねていくのだ。
『こぼれ話』 完
作者より
ジェイシリーズを楽しんでくださってありがとうございます。
いただいたリクエストによって構成された『こぼれ話』ですが、最後のエピソード、(あれ?)と思われると思います。
スペシャルサンクスとして、ショートストーリーのご用意があります。
そこでジェイシリーズの全てが終わることになります。
読者さまへ
感謝を込めて。
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