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唯一
今日もジェイは静かにソファに座っている。一見ただ座っているように見えるジェイ。だがその手は盛んに動いていた。目はピタッと画面に吸い付いて、熱き戦いを繰り広げている。
「ジェイ! 行ってくるぞ」
「はーい」
テトリスをやっている時のジェイはそばに来ない。
結構昔の話になるが、蓮は一度ジェイと手合わせした。話にならない、手も足も出ない。
「お前、手加減しろよ!」
「だめだよ、勝負なんだから!」
ジェイはこればかりは譲らない。唯一蓮に勝てる勝負だから。
「負けた、負けた! もうやらない!」
「ええ、もう一回やろうよ」
「やらない」
「……」
「……やらないけど」
「けど?」
「お前がどうやってるのか教えてくれ」
しょぼくれた顔が嬉々と蘇る。
「あのね、右側に次に落ちて来るテトリミノが出て来てるでしょ?」
「テトリミノ?」
「落ちて来る7種類の形のこと。ね、順番に並んでる。これね、一見ランダムに並んでるみたいだけど、配列テーブルにパターンがあるの。そのパターンを知っていれば、何度目かのパターンに嵌った時、その組み合わせが分かるんだ」
「それってずい分あるだんろ? それを全部覚えてるってことか?」
「うん」
記憶力が抜群に優れているジェイはこともなげに頷く。地図といい、こういったことといい、ジェイはデータを覚えるのが得意なのだ。
(だからこそ……日常の記憶が消えていくなんて切なくなる……)
蓮は思わず隣に座っているジェイをぎゅっと抱きしめた。
あれからずい分経ち、浜田が遊びに来てジェイのテトリスが本格的なものであることを知った。ゲーム上の名前は、『なんトリック』。『なごみ亭』の『な』。『蓮』の『ん』。Eccentric のトリックで組み合わせてある。
ジェイから、滅多に言わないお願い事が出る。
「あのね、今度の日曜ね、オンラインでテトリスの大会があるの。それに出たいから俺の予定、空けて欲しいんだけど。もうエントリーしてあるんだよ」
「なにも無いから構わないよ。大会って、お前大丈夫なのか?」
「うん! まだまだ届かないけどいつか一番上になってみせるんだ」
およそ欲というものを持っていないジェイの欲。なら応援してやりたい。
「どんな大会なんだ?」
「テトリス ザ・グランドマスターっていうの。普段のオンラインで強いってだけじゃ勝てるわけ無いんだけどやってみたいの」
「いいよ、やってみろよ。俺も見たい」
「ありがとう!」
そこからは休憩となると練習に余念がなくなった。ちょっとでも手が空くとテレビの前に陣取る。
「おい、もう寝るぞ」
「あとちょっとだけ……」
「10分経った」
「あと5分」
「5分経った」
「あと2分」
とうとう蓮は雷を落とした。
「聞きわけが無いなら日曜はテトリス禁止にする!」
「ごめんなさい!」
それが結局日曜まで繰り返された。
そして、いよいよ本番当日。興奮している様子に、「薬を飲んでおくか?」と心配をする蓮。
「だめだよ、判断力が鈍るから」
「けどお前興奮し過ぎだぞ」
「ゲームが始まったら大人しくするからお願い! 集中力が一番大事なんだよ」
蓮は仕方なく薬を飲ませるのを諦めた。
「お願い、静かに座っててね」
「分かった分かった」
蓮はちょっと離れたところに座った。
ガンガン積まれていくテトロミノ。相手から送られてくるのがグレーのテトロピース。半分以上それが増えると、もう蓮は気が気じゃない。声には出せないが、何度となく(もうだめだ!)と心で叫ぶ。だがジェイは冷静だ。一番上まで4列しか空きが無くてもそこから半分以下に挽回したりする。
(今、テトロミノってやつが引っ繰り返んなかったか?)
落ちてきたら下のテトロピースにくっついてしまうものだと思っている蓮は、くっつく寸前にくるくると回るテトロミノに驚く。
(いや、その隙間、命とりだろう!)
そう思うのに、それがくるッと回ることで隙間が埋まり一気に消えていく。
一回戦が終わる。
「勝ったよ、蓮!」
「お前、あのTの字が逆さになったテトロミノ、どうやってひっくり返すんだ?」
「どうやってって……いつの間にかそういうことが出来るようになったから分かんないよ。あのね、隙間はわざと作ってるの。そこに逆さにしてはめ込んで列を消すと、得点が何倍かに跳ね上がるんだよ」
「わざと作るのか」
「うん」
「計算して?」
「次に何が来るか分かってるから。そこに差し込めるように隙間を作るんだ」
「差し込むのか……すごい技術だな!」
ジェイは蓮に褒められて嬉しそうだ。
「お前の段位は?」
少し恥ずかしそうな顔をする。
「段位はそんなに上じゃない……AAだよ」
「AA……段位ってどれくらいあるんだ?」
「えっとCから始まって、CC、CCC、Bマイナス、B、BB、BBB……S、SS、SSS」
「じゃ、お前の次の段位はAAAってことか」
「うん。まだまだ上があるってこと」
「テトリスの世界も厳しいんだな!」
「そうだよ。もっとずっと上があるんだよ!」
そう言うジェイはすごく嬉しそうだ。きっと挑戦するものに先があることが楽しいのだろう。
(この世界はジェイだけのものだ……そういうものがお前には少ない。大事にしてやらないとな)
ジェイだけの唯一の趣味。大切にしてやりたい。そう思った。
(『ジェイと蓮の愛情物語』その6「ジェイの言葉」より)
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