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ニラを出すな!
朝起きるとその匂い。ジェイが台所に立っているのは分かったが、蓮は目が覚めたとたんに顔をしかめた。
(なんでこの匂いが)
蓮はニラが大嫌いだ。ニラが出ると頭に血が上る。
なごみ亭のイベントにカレー祭りに続いて餃子祭りの提案を受け、取りやめた蓮。
「ニラをたくさん仕入れないと!」
源の一言で気持ちが冷え、イベントが一つ消えた。考えてみたら自分は餃子そのものを食べない。我ながら血迷ったとしか思えなかった。なのに今、台所から不吉な匂いが漂って来ている。
蓮がニラを食べられなくなったのは、小学4年生の時に猫が嫌いだった叔父が土産にと餃子を買って来てからだった。
元々この叔父が嫌いで堪らない。いつも日和見で、人を思いやることもしない男だ。この叔父のそばに行きたいと思ったことが無い。
「中華料理店で食べた餃子が美味かったからたくさん買ってきた」
母が食卓に出してくれた餃子からは始めは美味しそうな匂いがして、蓮はすぐに小皿に醤油を入れた。
テーブルを見ると”ラー油”がある。大人がみんな入れているのを見て、蓮はラー油を手にした。小皿に傾けるとたっぷりのラー油が皿に入る。誰も見ていなかった。
「いただきます」
口に入れて半分に千切る。……飲み込めなかった。あまりにも辛くて口の中はまるで火が付いたようだった。しかも、ニンニクの量が多いし、ニラがきつくて鼻につく。
「蓮司、中途半端な残し方をするんじゃない!」
叔父が蓮を叱る。だいたい前回来た時に猫を部屋に放り込まれて以来、蓮のことを快く思っていない。
蓮はまだ飲み込めないまま、小皿を遠くに押しやった。
「食べなさい! 好き嫌いを言うんじゃない!」
やっとの思いで飲み込むと、台所に走って水をコップ2杯も飲んだ。戻って来ると、叔父のお説教だ。
「食事の最中に席を立つとはなにごとだ! それに食べ残すなんて男のくせにみっともない!」
「そんなことで男にならなくってもいい、小さいことで怒り出すなんて叔父さんの方が男じゃないよ!」
蓮は小さい時から口が達者だった。直後、頬を叩かれたのは、蓮にとって屈辱以外のなにものでもない。残した半分も口に突っ込まれてしまった。
(あの次の日、学校で『臭い!』って言われたんだ)
ちゃんと歯磨きをして行ったにも関わらず、学校では悪ガキどもに囃し立てられた。挙句の果てに取っ組み合いをして職員室に呼び出された。
餃子にはいい思い出が全く無い。ニンニクその物は嫌いにはならなかったが、その後遺症でニラが食べられなくなった。あの頃の苦い思い出が鮮明に蘇ってしまう。
「ジェイ! ニラを何に使った!?」
「おはよう! なにって、味噌汁だけど。お母さんがニラの味噌汁が美味しいって教えてくれたんだ」
その顔にはどこか悪戯めいた表情が出ている。蓮は真っ直ぐそばに行くと、その頬を抓り上げた。
「それ、処分して換気扇を強くしろ! そんなもん、食いもんじゃない!」
ジェイは蓮の手を払いのけた。一生懸命頬を擦る。
「なんだよ! 俺がピーマンを嫌いだって言うのにはあんなに嫌がらせしたくせに! 真理恵さんがたくさんピーマン料理を出した時も助けてくれなかった!」
「お前のピーマン嫌いとはわけが違う、俺は本気で嫌いなんだ!」
「理不尽だよっ、俺も本気で嫌いだよ!」
そこからは盛大な夫婦喧嘩になってしまった。
「ねぇ、今度はなに? いつもよりケンカ酷いみたいだね、俺の仲裁要る?」
隣に立って包丁を握る源が(しょうがないな)という顔で聞いて来た。蓮はケンカの熱が冷めやらず、まだカッカとしている。
「要らん! 余計なことはしなくていい、仕事をやってくれ」
「……今の言い方は良くないんじゃないの? 俺だって頭に来る時はあるんだからさ!」
とうとう源まで巻き込んでのケンカに発展する。
冷静になってから、さすがに源には申し訳ないと思い頭を下げた。
「悪かった。俺が大人気なかった」
「いつものことだけどね! 大人気ないのは今日に限ったことじゃないよ!」
源はすっかりお冠で、蓮は何度も謝った。ジェイも怒ったまま口を利いてくれないから、今日は謝罪の一日だ。
(だからニラは嫌いなんだ!)
改めてその認識を深めた蓮だった。
(『ジェイと蓮の愛情物語』その4「朝の匂い」より)
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