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今日は終業式だった。
明日から夏休み。
他の子たちは夏休みを心待ちにしていただろうし、バイトだ旅行だ、友達とお出かけだとか盛り上がっていることだろう。
だが、私にとってみたら地獄のようだ。
この夏休みが明けたら、また意味もなくクラスメイトたちのイジメを受けることになる。
最初は些細なことだった。
道端に転がっていた石に躓き、田んぼにダイブしたところ、そこの田んぼ主がたまたまそこに居合わせたのが不運の始まりだろう。
最近、田んぼを誰かに荒らされる事件が頻発していて、頭を悩ませていたところに私が田んぼにダイブをしていた。
故意ではない。もちろん、事の経緯を話したが、信じてはくれなかった。
それくらい、見事なダイブだった。
制服はドロドロ、鞄も教科書も台無しだというのに、農家の人は決して許してはくれなかった。
父と母は私には存在しておらず、施設の人が飛んでやってきて、申し訳ないと必死に頭を下げていた。
私がわざとやったわけではないと説明しているのに、施設育ちだから仕方ない。と、施設の人に言われて、言葉を失ったのを今でも覚えている。
私、施設育ちだからやっても仕方ないと思われているの?
たしかに、ヤンチャしてる子も確かにいるが、ほとんどの子は良い子ばかりだ。
その施設も私が18になった時には出て行かなきゃいけないので、施設には私と16歳の女の子しかいない。
他の子たちは違う施設に移ったようだ。
あと2年しかここにいられない。
それまでに進路を決めて、自分1人で生きて行かねばならない。
そう、心細い気持ちでいた矢先の出来事だった。
あぁ、大人ってこんな簡単に見放すんだ。
私の両親は、若くして子を産んだから経済的理由で育てられないとのことで、私を施設に託したようだった。
この辺鄙な田舎で、養子縁組をする人もおらず、噂が蔓延るこの町で子供を引き取ることは、一生観察されて生きて行くことを意味するようで。
私は生まれてからずっと、施設で過ごしてきた。
もしかしたら、お父さんとお母さんが迎えに来てくれるかもしれない。
何度そう願ったか分からない。
愛情をいっぱいに注いでくれた園長先生は亡くなってしまい、若い施設の人が入れ替わり世話をしてくれるけれど、それは“仕事”としてであって、誰も私たちの心に寄り添うことなどなかった。
来ることのない名も知らぬ両親をひたすらに待って分かったのは、私を愛していないってこと。
誰かに必要とされて、無条件に愛を注がれているクラスメイトたちを見て、他愛のない会話に嘔吐した。
始まったばかりの新生活で、私はやってしまったのだ。
長い髪に絡んだ吐瀉物を見て、クラスメイトたちが引いていく空気。
心配してくれた女の子たちもいたが、日が経つにつれてその心配は、「気持ち悪い子」と陰口に変わっていた。
私がもっと愛想良くしていたら良かったのかもしれない。だけど、どうも馴染める気がしなかったのだ。
声をかけることも諦めて、黙々と1人で過ごしていくうちに、教科書が無くなったり、上履きが汚されていたり、ささやかいじめが始まった。
誰がやっているのかも分からない。
担任にいじめなのかわからないが、そういう嫌がらせを受けている。
そう伝えてみたけれど、「君がそう思ってるだけだろう」の一言で片付けられてしまう。
理不尽な世界。
それが当たり前の世界に私は生きてきたんだ。
今日だって、終業式だというのに、トイレに入ったところ、ドアの周りを瞬間接着剤で塞ぐという悪質な嫌がらせを受けていた。
中に私がいるということを知っての犯行なのは、明らかだった。
腐った牛乳の入ったものをわざわざ上から流し入れてくれたり、男子がさっき出したばかりの尿だ、精液だと避妊具を結んだそれも投げ入れられて、なんでこんなことをするのか意味がわからなくて。
意味がわからなさ過ぎて、悔しくて泣いていた時だ。
「死にたい、、、」
思い浮かんだその言葉が静かに響く。
薄暗い女子トイレに予冷が鳴った直後、静まり返ったそこに足音が聴こえてきたかと思えば、癖のあるツンとした香りがトイレ内に充満してきた。
どこかで嗅いだことのある臭い、、、またクラスメイトが新しい虐め?シンナーの臭いで頭おかしくさせようとしてる?
便器の蓋の上に体育座りしていたところ、目の前の扉が開いた。
突然明るくなった個室に、思わず目を細めた。
そこに立っていたのは、亜麻色の髪をした中性的な顔立ちの男の子がそこに立っている。
手には空になった除光液の容器を持っていた。
私を見るやいなや「出ておいで?」と除光液の入ったそれを床に置いて、手を差し伸べてくれる。
誰、この人。
全く知らない人すぎて、声も出ない。
不審の眼差しを送っていたのか、先輩は思い出したように、耳朶に優しい声音で呟く。
「2年の鳥羽 まほろ。久々に学校来たら凄いことする人たち見かけてびっくりした。
終業式、もう出れる格好じゃないし、家送ってあげるよ」
そんなことを口にして助けてくれた先輩を見て、噂に聞くあの先輩だと知った。
だけど、この嘔吐く臭いの中、いじめられているということや、牛乳まみれになった姿を見られたことに羞恥心が込み上げてきてしまう。
「結構です」
こんな綺麗な人が、なんで私なんかを助けてくれたのだろう。しかもあの噂の先輩。
本当に居たんだ。
綺麗で、優しい眼差しが逆に辛くなって、長い髪で顔を隠すように蹲った。
泣いていたところ見られたくない。
こんな情けない姿をカッコイイと噂されていたあの先輩に見られている。
恥ずかしい。
「死にたいって、、、さっき言ってたけど、本当に死にたいの?」
その優しくも冷えた声音に、思わず顔を上げた。
目の前に立っている彼は、赤茶色の瞳を細めて、細く白い腕が私の手を掴んで言った。
「じゃあ、死ぬ前に星を見に行こう?きっと、びっくりするよ」
それから死んでも遅くはないでしょ?
そう言って、先輩は私に蛇口に水色のホースを繋いだ口を向けて、水をぶっかけてきた。
あまりの衝撃に固まっていると、「その臭いだけでもとりあえず取って行こう?」と再び生ぬるい水を放水される。
体操服に着替えて、彼に引っ張られてここへ来たわけだ。
先輩から得た情報は、久々に学校に来たこと。
そして、道中話していた星のことだけだ。
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