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「……春人、泣かないで」
私は彼に向かってそう言う。しかし、私の声は、もう彼には届かない。
それもそのはずだ。だって私は、卒業式の一週間後に、交通事故で死んだのだから。
あの日私は、中学校に訪れていた。忘れ物があることに気づいたからだ。
別に、離任式の時か受験結果の報告の時にでも持って帰れば良かったのだけど、大事なものだから早く手元に持ってきたいと、私は取りに行った。
家のお手伝いをして貯めたお金で買った、英語の辞書。受験勉強で付箋だらけになったそれを取りに、私は中学校に向かった。でも、私は結局、中学には辿り着けなかった。
「ヒデェよな。飲酒運転の車が、普通に歩道を歩いてた咲良の方に突っ込んでくるなんて……」
……そうだったんだ。私は中学校に行って辞書を手に取った記憶がないから、きっと家を出てすぐに事故に遭ったんだと思った。
それにしても運が悪いんだな、と、私は自分を憐れんだ。あの日辞書を取りに行かなければ、私は今も生きていたかもしれないのに。
ふと、自分の着ている服を見る。黒のセーラー服と膝丈のスカートに、白いスカーフ。中学の制服だ。
何で今まで、気づかなかったのか……。
何で自分だけがあの頃に取り残されたままだと、気づけなかったのだろうか。
ー『二十歳になったら、この桜の木の下で会おう!』
何で言い出しっぺの私が、その約束を守らないで、春人のことを泣かせているのか。
最低だ。最低だ。私。
「春人」
私は、春人を抱き締めた。
「ごめんね。約束守れなくてごめんね」
視界が、濁ってくる。
私なんか、泣く資格なんてない。それがわかっているのに、どうしても涙を止めることが出来なかった。
私はここにいるのに、ここにいない。姿を見て、温もりを感じることが出来ないなら、ここにいる意味がない。
私は、自分が嫌いになりそうだった。いや、もう既に、嫌いだった。
そんな私の心を表すように、身を凍らすような冷たい風が横切る。私は春人が冷えてしまわぬように、彼を強く抱き締め続けた。
意味はないと、ただの自己満足だと、知っているのに。
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