聖暦1860年 5月

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聖暦1860年 5月

「くそっ、まだついて来てやがるっ!」 夕暮れの空を竜に乗って疾駆する俺の真後ろに、箒にまたがった敵の魔女が迫ってくる。 アルザス山脈の麓に集結した敵の兵力を偵察していた俺は、運悪く帰り道で敵に見つかってしまい、執拗な追撃を受けていた。 追手の顔は紺色の前髪で見え隠れしているため、ヤツがどのような表情なのかは分からないが、その声と箒の速さから余裕を持っていることだけは分かる。 まるで、逃げ回る鼠を相手に猫が遊んでるかのようだ。 箒はぐんぐんと距離を縮め、声が聞こえる頃には、俺と魔女の間は僅か数ヤードとなっていた。 (殺られるっ!) 愛竜 "ロビン" と共に死を覚悟したその時だった。 直後、まばゆいばかりの閃光が辺りを照らし、轟音が背後で炸裂した。敵の魔女が箒からまっさかさまに落ちていくのが見える。 「何だっ!?」 爆風でバランスを崩しかけ、俺はロビンを懸命に制御する。突然のことに思考が追いつかず、ようやく体勢を立て直していると、眼前を、黒いつば広帽をかぶり、漆黒の長い髪をなびかせた若い魔女が通り過ぎる。  一瞬合ったその瞳は、俺がいつも愛飲している紅茶のそれと同じ色であった。  そのマントには、青地に白いペガサスを描いた友軍── エストランド空軍の紋章がつけられていて、味方なのだとすぐに分かった。 (助かった……) 遠ざかってゆく味方の魔女を、竜に乗ったまま俺は最敬礼で見送った。
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