7「酒は酔い良い」

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茹蛸とまで言うと過剰かもしれないけれど、それでもそう言えるほどに顔が赤い。 もしかして、飲酒のペースもお互いに結構早かったし、酔っているのだろうか。 ついさっきまで酔っていて気分が地に足がついていないというか、雲の上でも歩いているような気分だったが急に地上へ叩き落される。 恥の感情も消え失せて、今はもはや彼の体調のみが心配要素だった。 「大丈夫? 顔、すごい赤いけど。酔った?」 水もらおうかと心配なこともあって少し矢継ぎ早に問いかけると、彼は赤い顔をしたまま小さく何度も首を振る。 ふるふると揺れる前髪が昔の彼を想起させ、ぐっと思わず言葉が詰まる。何をやっているのかと思いたくなるほどに心臓辺りが痛くなって、そこを抑えながら「そっか」と蚊でも鳴きそうな小さい声を漏らしながら身を引いた。 彼は顔を赤くしたまま視線を外し、私は私でその彼の態度に気が急かされているような気分になって落ち着かない。 無意識で飲み干したカクテルのお代わりを頼み、それからは気まずさをアルコールで溶かすことに必死だった。 「じゃあ、また現場で」 気づけば彼がマスクをつけていて、駅の前に私はいた。何をしていたのかあやふやな記憶の中では、多分何か取り留めもないことを話して歩いていたような気がする。 うん、と頷いて軽く手を振ると、度の入っていない眼鏡のグラスの奥で目が緩く歪む。彼はタクシーらしい。 そりゃあそうだと思いつつ、身を翻した彼があまりにも遠い人のようになってしまった感覚にため息を吐いた。 その時、あの香水。彼が着けていた香水が燻るように香った気がして、馬鹿みたいだなと小さく笑う。 「香水のこと、聞いちゃえばよかった」 聞けるはずも聞くはずもないのにそんなことを呟き、改札を通った。
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