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その後何度か水島とは会っていたが、そのうち学校が冬休みに入った。連絡先は聞いていたが、休みの日に連絡を取りあう仲ではない。互いに何の音沙汰もないまま、短めの冬休みはあっという間に終わりを告げた。
休み明けに久々の屋上へ向かう足取りは、心なしか弾んでいた。今日の話題はなんだろうと、勢いよくドアを開ける。いつもはフェンスに背中を預けて座っている水島が、最初に出会った時のように、フェンスを握りしめて校庭を眺めていた。
屋上のドア付近の壁の陰には安定の死神が、すっかりストーカーと化している。人が来た気配を感じたのか、水島が後ろをゆっくりと振り返った。なんとなくいつもより元気がなさそうな顔つきだった。不思議に思ったが、片手を軽く上げて近付いていった。
「おう、久しぶりじゃん。まぁ教室では見かけてるけど」
「休み明けの屋上トークだね。……今日の話題は……」
水島は俺から目を逸らして、また校庭に視線を向けた。今日は座らないのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、水島の言葉を待った。クルッと身体を反転させて、水島はまた俺を見た。その顔は笑っていて、いつもと同じ表情に戻っていた。
「今日はねぇ、ちょっと重いテーマだよ。ズバリ! 自殺することが選択肢にある人間は幸せは不幸せか!」
「……おもっ! 想像よりも重い話だなぁ……難しいし。うーん、うーん……水島はどう思うの?」
この手の話は苦手だ。答えなんて出ないし。考えてもよく分からなかったから、俺はまず水島の意見が聞きたかった。
「重いよねぇ。この間テレビでね、動物虐待の特集を見たの。酷い、最低だと思った。ううん、そんな言葉じゃ済まないくらい……この子たちはこんな扱いをされても、自分で死を選ぶ選択肢すら与えられない。ひたすら地獄の日々に耐えるだけ……私なら、とっくに死を選んでる。だけど、自殺の選択肢が元々なかったら、生きるか死ぬか悩んで辛くなることもない。辛くても生きるしかない。ねぇ……一体どっちが幸せだと思う?」
水島は少し困ったような顔をしていて、俺には泣きそうにも見えた。俺もその手のニュースなら何度か見たことがある。虐待したやつ同じ目に合えばいいって本気で思った。だけど、許せないって思ったところで、俺は結局何もできていない。ただ可哀そうだと心を痛めてる偽善者なのかもしれない。水島の表情につられるように、俺の顔もかなり沈んでいたと思う。
「ごめんごめん。ちょっと気になっただけだから。こんな話できるの瀬田君だけだから、気になって聞いちゃった。忘れて! 話題変えよ!」
俺の表情に気付いたのか、水島が笑ってそう告げた。今日は座らないらしい。水島はフェンスを掴んでまたぼんやり校庭を眺めていた。そして、一羽の鳥を見つめて、「私も飛びたいな……」と聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。その背中が急に消えてしまいそうに見えて、背筋がゾッとした。
……もしかして。死神は普通の人間に付きまとってるわけじゃないのかもしれない。水島の様子を見て漠然とそう思った。「ちょっと待ってて」と水島に声をかけてから、俺はドアの壁に張り付いている死神に近付いていった。水島には姿が見えていないが、独り言を言っていると思われるのも嫌なので、水島に背中を向けるように死神と対峙した。
俺が急に近付いて来たもんだから、死神はオドオド、ソワソワしている。だけどそんなことに構っている余裕はない。
「お前さ、なんとなく水島に付きまとってるわけじゃないな? 死神が付きまとうのは、水島が……もしかして死にたいって少しでも思ってるからじゃないのか? そういう意思を持ってる人じゃないと死神は現れないんじゃないか?」
俺の言葉を聞いて、死神は俯いた。そうです、と言っているようなもんだ。喪失感や焦りが重なって、無性にイライラした。こいつに当たっても仕方ないのは分かってる。だけど。
「あいつのこと連れてったら許さない。お前のこと24時間付きまとって、絶対手出しさせないからな!」
八つ当たりだ。別にこいつが無理やり連れて行くことはないと、さっき知ったばかりなのに。
言わなきゃいけないのはもう一人。ショボンと項垂れる死神に背を向けて、俺は水島のところへ戻った。少し憤った顔をして戻ってくる俺を、水島は訝し気な顔で見ていた。
「瀬田君? どうしたの? あっちに誰かいた?」
「水島! お前は一人じゃ飛べない! 俺と一緒じゃないとダメだ。約束しろ! どうしても飛びたくなったら、俺が付き合ってやる! って言ってもな、飛行機とか気球とか、ギリギリスカイダイビングぐらいだけど……俺が水島の灯りになるから! 暗くなったらいつでも照らしてやるから。だから……何が言いたいかっていうと……その……」
言いたいことが定まらないまま、口に出してしまった。自分でも何を言ってるか全然分からない。だけど言ってるうちに泣きそうになって、どうにかしてあげたくて必死だった。
声は震えるし、言葉は最後まで続かなかった。俯いた俺に、水島が背を向けたのを気配で感じた。
あぁ、こんな言葉じゃやっぱりダメだよな……
「……瀬田君はさぁ、馬鹿だね。こんな私にそんな言葉……本当馬鹿……だけど、瀬田君に気付いてほしくて、いつも色んな質問してたのかな。私のこと知ってほしくて、助けてって無意識に。本当に助けてくれると思わなかったけど」
振り返った水島は泣きながら笑っていた。俺は間に合ったのだろうか。彼女の笑顔を見てそう思った。今まで見たことないくらい晴れやかな笑顔だった。
だけど、きっと俺一人では水島の異変には気付かなかっただろう。俺が水島を最初に気にかけたのは、恐らくあいつの存在があったからだ。俺はゆっくりと後ろを振り返った。
初めてあいつの全身を見た。いつも隠れていた死神が壁の陰から出てきていて驚いた。死神は俺を数秒見つめた後、小さく手を振って空へ飛んで行った。
あいつはこれから死神の世界に帰って怒られるんだろうな。どの世界でもミスしたやつには厳しい。だけど悪いな。水島は連れて行かせない。この先どんな強そうな死神が来たって、俺は怯むことなく立ち向かうだろう。
俺はRPGの勇者にはなれない。だけど、たった一人の勇者になれればそれでいいんだ。未だに泣き笑いしている水島を見つめて、心からそう思った。
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