リア充社員の災難

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リア充社員の災難

「嘘だろ」 3月31日木曜日。 会社のメールアドレスに届いた、 人事異動の辞令に衝撃を受け、 思わず口走った。 『川瀬由貴 4月1日付で、第三営業部 求人広告チームへ配置転換する』 求人広告チーム。 それは会社の中で、 いちばん地味で規模の小さな部署。 元々うちは求人広告から始まった会社だが、 今となっては過去の産物といっても いいくらいの窓際部署だと言われていた。 街の至る所で目にする、様々な形の広告の 多くを牛耳ってきた部署で働き続けてきた 俺にとって、その辞令はあまりにも 受け入れがたいものだった。 「うわ、川瀬。お前、何やったんだよ」 顔面蒼白になっている俺に気づき、 隣の席の同僚が俺のパソコンを覗きこんで、 驚きの声を上げた。 「ばか、何もしてねえよ」 そのやり取りを聞いて、 周りの奴らもどんどん俺の席に集まって来る。 「何があったんだ」 「見ろよ、求人広告チーム配属だって」 「かわいそうに」 「川瀬・・・出世の道は、閉ざされたな」 「ご愁傷様」 パソコンの画面を確認した奴らは、 憐みの表情を作りながらそれぞれの思いを 口にして、離れていく。 他人事だと思うな、明日は我が身だぞと 口の中で呟いた後、小さくため息をついてから 席を立った。 迷わず向かった先は、 直属の上司・神部哲也の座る席。 「神部さん、お話があるんですが」 俺がそう切り出すと、 神部さんは予測の範囲だとばかりに、 ノートパソコンを素早く閉じてうなずいた。 「いいよ。じゃあ、休憩室に行こうか」 入社以来、この人の下で働いてきた。 相手がこの人だからこそ、 信じて貪欲に頑張って来たというのに。 いつも通りのスマートな物腰と 爽やかな微笑みが、今は少しだけ恨めしく 思えた。 フロアの隣にある休憩室には、 業務開始時刻を少し過ぎたばかりと いうこともあり、俺と神部さん以外は 誰もいなかった。 11階の窓から見える青空は、 こんな心境でなければさぞかしすっきり 見えるのだろうが、俺としては突然の、 それも信頼している上司から見捨てられた ゆえの人事異動にショックを隠しきれずに いた。 「神部さん。どうして、俺なんですか。 求人広告チームって、どういう事ですか」 開口一番、 核心に迫る俺をそっと宥めるように、 神部さんは傍らの自動販売機で缶コーヒーを 買ってくれた。 手渡され、軽く頭を下げると、 神部さんは微笑みを絶やすことなく、 口を開いた。 「川瀬が、適任だと思った。俺は決してお前を 出世させたくなくて、手放す訳ではないよ」 「適任って、その意味がよく判りません」 「まあまあ、そう噛みつくな。お前が思う程、 求人広告は窓際部署じゃない。 実際、同業他社の総アクセス数ランキングでは ベスト10に入るし、常時1700本は掲載されてる。 つまりそれだけユーザーに注目されているし、 クライアントもついている。 売上が低いのは、単価が安いからだ。 誤解するな。とりあえず、基本データを 頭に入れておけ」 「はい」 基本掲載契約が2週間、掲載料金は税抜4万円。 サイトの総アクセス数が、1日平均25〜50万 程度だと聞いたことがある。 「俺はお前だから任せることにしたんだ。 あまり甘く考えて入るようなことは しないでくれよ」 「甘く考えて入るようなこと、ですか」 言葉の意味が判らず聞き返した俺に、 神部さんは苦笑いをしながら、答えた。 「お前の今までの経験や価値観が、 役に立たない可能性があるって事だ」 「・・・怖いですね」 「規模は小さいが、1人1人にかかる責任は 重大だし、生半可な気持ちで仕事してる奴は 誰もいない。取材と原稿を上げる事に ものすごくプライドを持ってやってる奴ら ばかりだから、その辺の奴が新しく配属 されても太刀打ちできない。 だからお前に白羽の矢が立ったという訳だ。 ぜひ営業の要として、頑張ってほしい」 「見込まれましたね、俺」 ぎこちなく笑ってから、コーヒーを飲んだ。 「顔合わせは嫌でも明日になればできるが、 サイトは必ず今日中にチェックしておけよ」 「もちろんです。早速、敵情視察もしてきます」 「おいおい、明日から自分の味方にしなきゃ ならないメンバーだぞ」 「冗談ですよ」 声を立てて笑おうとしたが、 笑顔は凍りついたままだったかも知れない。 神部さんと一緒に休憩室を後にし、 フロアに戻った俺は、すぐにまた席を立った。 どんなメンバーが俺の同僚になるのか、 純粋に確かめたかった。 フロアを出る前に、誰にも気づかれないように そっと振り返る。 愛想笑いをしながら調子よく電話をする者。 パソコンに向かって、 キーボードを打ち続ける者。 さっきまで話していた同じ部署の仲間との 距離が、とても遠く感じた。 6階にある求人広告チームは、 すぐに見つかった。 廊下とフロアを隔てる硝子戸を開いて、 わずか数歩。 天井からぶら下がる「求人広告チーム」の プレートは、今にも崩れ落ちそうに 古ぼけて見えた。 その下に机を並べているメンバーは、6名。 原稿書きに集中しているのだろう、 キーボードを叩く音だけが淡々と響いている。 予想以上にこじんまりとした場所を 目の当たりにして、茫然とした。 「・・・何か、御用ですか」 その時、俺の姿に気づいた細身の眼鏡男が、 ゆらりと身体を揺らしながら席を立った。 「あ、いや。明日から、この部署に配属される ので様子を見に」 不意に、言葉はそこで途切れた。 彼の眼鏡の奥の瞳の鋭さに、 一瞬で射すくめられた。全身を緊張が走る。 「忙しいと思うんで、また来ます」 いつもの俺らしくなく、 愛想笑いも浮かべることができずに、 その場を立ち去ろうとした時。 背後から容赦なく、彼の言葉が突き刺さった。 「リア充のあなたに、求人広告の重要性が 理解できるんですか?」 振り返ると、 もう彼は俺と話していたなんて 微塵も感じさせることなく、 席についてパソコンに向かっていた。 自分の身にいったい何が降りかかったのか。 凛とした彼の横顔を見ながら、 動揺の余り浅くなった呼吸を整え、 フロアを後にした。 エレベーターを待ちながら、 もう一度彼の顔を思い出す。 青白く、繊細な顔立ち。 そのくせ、眼力だけは強烈で。 タダ者じゃないと思った。 いろんなタイプの人と接してきて、 それなりにうまく世の中を渡って来たと 自負してきた。 しかし、それは思いあがりだったようだ。 たった一言で相手の痛いところを突いて、 相手に自覚を促す。 そんな言葉に力を持つ男と、 俺はこれから一緒に働くのか。 じとじとと、 背中に汗がにじみ始めているのが判った。 (神部さんの言った通り、これは舐めて かかる訳にはいかない) 関わったのはほんの一瞬だが、 今までのいい加減な生き方は、 彼には通用しないと予感し始めていた。 フロアに戻り会社のホームページを開くと、 部署別に立ちあげているホームページの リンクを探した。 求人広告部門が独自に運営しているサイト 『ホワイトナビ』は、一般事務や営業事務の 俗に言う「ホワイトカラー」職を対象にした 求人サイトだと思っていたが、 TOPページに並ぶ一覧を確認すると、 意外にも幅広い職種が並んでいて、 営業職・クリエイティブ職はもちろんだが、 変わったところでは工事の現場監督、 養豚場の飼育係、パティシエや芸能事務所の マネージャーなんかもあった。 キャッチコピーをクリックすれば、 ボディコピーが開く仕組みになっている。 入社以来、見ることはなかったそのサイトを ブックマークして、新着コーナーのいちばん 上から開きはじめた。 勘違い野郎が見よう見まねでキャッチコピーを 書くと、奇をてらって過激な事を書こうと しがちだが、すぐにサイトに上がっている コピーはそんなものとはまるで違っている事に 気がついた。 他のものとは一線を画すような、 思わずはっとさせられる表現ばかりが並ぶ。 所詮求人広告、似通う表現が続くだろうと 思っていたが、見事に予想は裏切られた。 何本も心惹かれるキャッチコピーを クリックし、開いた先にあるボディコピーを 丁寧に読んでいく。 そこには、何一つ同じ表現はない内容の ドラマが展開されていた。 広告の性質上、多くの人の目に触れ影響を 与えるため、表現のデフォルメはあっても、 嘘は書けない。 すごく些細な事を膨らませ、 相当な苦労のもと文字数を稼いでいるものも 中にはあったが、それでも着眼点の鋭さ、 発想の転換の仕方には脱帽させられた。 たった1200文字の原稿だが、 一本を書きあげるために費やすエネルギーは 半端じゃないと痛感した。 慌ただしく昼食を済ませ、 再び貪るようにパソコンを睨み続ける俺に、 時折同僚たちの冷やかしが飛んでくる。 「なーんか、川瀬さん怖いわぁ」 「いつも以上に仕事に燃えてらっしゃる みたいよ。あ、萌えてるの間違いか」 つまらねえ事、言ってんじゃねえよ。 心の中で吐き捨てるように言ってから、 気になるフレーズをノートに書き込んでいく。 どれくらい時間が経ったのか、 突然自分の目の前に銀紙に包まれた チョコレートが数個置かれた。 「そんなに根を詰めるな、川瀬」という 声とともに。 顔を上げると、神部さんが笑顔で立っていた。 「初めて見ました、このサイト・・・ ヤバイです、こんなところで働くんですか」 思わず弱気な言葉を口にしてしまった自分に、 驚いた。 「知る人ぞ知る過酷な現場で、戦ってこい。 お前ならできる」 「はい・・・」 「とりあえず、少し休憩しろ。定時まで 持たないぞ」 神部さんはそう言って、 親指で俺にフロアから出ろという ジェスチャーをした。 2度目の休憩室での会話は、 あの強烈な言葉の主についてだった。 『リア充のあなたに、求人広告の重要性が 理解できるんですか?』 彼とのやり取りを説明すると、 神部さんは苦笑いをした。 「ああ・・・たぶん、それは岸野だな」 「岸野、っていうんですか」 「岸野葵、求人広告チームのエースだ」 「やっぱり・・・」 タダ者ではないと思ったのは、間違い じゃなかった。 初対面の人間に向かっての、あの言葉に あの態度。 よっぽど自信がなければ言えないし、 できないだろう。 「お前よりも年下だが、相当のキレ者だ。 努力家だし、広告賞もとってる」 「本当ですか?俺、早速彼に嫌われたかも 知れません」 「リア充か、しかしあいつもよく言い放った ものだ」 「神部さん、他人事だと思ってそんな言いぐさ」 「すまん。まあ、そんなに堅くなるな。 大丈夫、実力があれば素直に認める奴だから」 「実力があれば、ですか」 正直あの瞳の持ち主に認めてもらうのは 難しいかも知れない。 自分がいかに何も知らずに、 知ることもせずに、 今日まで窓際部署だと笑い飛ばしていた事が、 恥ずかしかった。 入社して、7年目。 自分の人生の中で最も先行きが見えないと 感じる春になりそうだと思った。
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