第一話 壺の中の店

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第一話 壺の中の店

第一話 閉ざされたシャッターに囲まれた大きな道路。その入り口にはレトロなデザインで「奥月商店街」の文字がある。 そう、ここは奥月町一の商店街であった場所だ。昭和の後期までは地元の住民で賑わっていたが、平成に入り再開発が進むと、客足は遠退き、ここだけ取り残されてしまった。 今でも経営しているのは数件の甘味処と総菜屋とパン屋と雑貨屋、そして骨董屋である私の店だけである。 客観的に見れば廃れた商店街であるのだが、昔ながらの常連は今でもこの場所をささえ続けており、完全につぶれることはない。 彼らにとってここは世界の全てであり、外に出るという発想はないのだ。 こういうのを井の中の蛙と言ったりするが、この先が括れたような奇妙な形の商店街に置き換えるならば、 壺の中の宴である。 ここまで書いてから骨董屋の主人、鋤田源三は手記を閉じた。私は数年前に仕事を退職し、それまで集めていた骨董品を並べたくなった。 ずっと前から寂れていた奥月商店街は地価が安かったため、空き家となっていた喫茶店を改造し、骨董屋にしたのである。 店の名前は「数奇屋」。 名前の鋤田から取ったものだ。しかし商売をする気は毛頭ない。ただ美術品として眺めたい、あわよくば他人にも見てほしいという単なる自己満足だ。 故に私は商品に値札をつけない。 当然そんなこと生計を立てられるはずもなく、貯金は減る一方なので、アルバイトをしつつ、エッセイでも書き、印税で食っていこうと思った。 あとはまあ、わずかな年金か。 ここに置いた小さな手記こそがエッセイの原稿である。 私は店をぐるりと見回した。 物には一つ一つ物語があるのだと思う。 一般的に、それは外側から見ることが出来ない。 それらを限界まで溜め込んだものが骨董品なのだ。ずっと使い続けていると罅が割れることがあるが、それはその骨董品の中に秘められた物語が溢れ出したものなのだと考える。 一般的にはそれを経年劣化と呼び、補修するものなのだが、私にしてみればそんなことは芸術の湧きでる穴に栓をするようなもので愚かしい行為だと思う。 だから私の店は常に軋んでいる。 部屋の真ん中に置かれた小さな机と椅子。ここが私の仕事場だ。 それをぐるっと環繞する棚には壺、古銭、仏像に始まり、絵画、着物などもしまわれている。 この中にいると時折海に溺れたような感覚に陥る。 さしずめ芸術の海である。 しばらくその海の中に浸っていると突然海の水を溢したように光が差し込んだ。 扉が開いたのである。 立て付けの悪い横引きの扉をガタガタ開ける音が聞こえる。 その光の出元を目で追っていくと、そこにはヒョロヒョロとして弱そうな青年が申し訳なさそうに立っていた。身長は高そうだが猫背のうえに体が少し傾いているため、ひどく小さく見えた。 手には大事そうに小さな箱を抱えている。 客が来たのだ。
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