運命の日 3

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 震災で巨額な損失を被った中野貴金属店。  焼けずに残った金庫内の財産と、アメリカから持ち帰った僅かな商品で会社を立て直すのは本来不可能な話だったが、中野には、ソビエトから独占で輸入できる白金があった。  なにより、火災にあった工作機械の6割~7割程度が修理することで使用可能だったこともあり、翌月末からは仮工場が始動できたことも大きかった。 【営業開始廣告     大正十二年十一月吉日 中野貴金属店】  客から既にから現金を受け取っていて、納品するだけだった商品に関しては、再生産後、必ずお渡しすること、預かっていた修理品も、申し出があれば同等の新品でお返しすることを新聞に載せたら、たちまち話題になった。
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