運命の日 3

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 その後。  言葉の通り、中野貴金属店は、社名を中野貴金属株式会社と変え、独自の研究も進めていき、白金細線の国産化に成功。工業部門でも大きな発展を遂げる。  パリの訴訟でもルグランの悪行は認められ、フランス出店の夢も現実となった。  けれど。  再び戦争の気配が近づくと、日本の宝飾界は「暗黒の時」を迎えることになる。    昭和13年には、金や白金の一般使用が禁止され、その二年後には宝飾品の製造販売が全面的に禁止されてしまうように―――。    戦後もGHQにより、貴金属の接収が続いた。  接収された貴金属類は日本銀行地下室に収蔵され、中野貴金属ではしばらくの間、製造などできなかった。  GHQに接収されていた貴金属類が全て戻ってきたのは、昭和30年代に入ってからだった。
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