肆 二人の転生者

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  ✳︎ 「…あー、レイ。つまり、私が言いたいことはひとつ」  ザカライアに無理はしないでと心配されたが、あの高度から着水した割には怪我ひとつなく、むしろよく眠り休んだ後のように体が軽いので、私はいつも通りの朝の時間に食堂へと向かった。そこには既に父と母がいて、食事を共にすることになった。 「晴れてデビュタントを済ませたレイは、シュテルンベルク小侯爵となったので、学園は何年かかってもいいから、最後まで通い卒業しなさい」  突然、何を神妙そうな顔をして当たり前のことを言っているのだと、怪訝な顔で父を見ていると、母が嬉しそうな笑顔で「いつお祖母ちゃんになるのか、楽しみだわっ」と、無邪気に言っていた。……そういう意味か…!  私は火が出るほど熱くなった顔で「…もちろんです、お父様…」と俯いて、小声で答えた。  その後は、私が助けられてからどうなったかという説明を受けた。私はよく覚えていないのだが、その場に居合わせたザカライアとガブリエルの証言から、キャロライン・ハーパー伯爵令嬢はデビュタント・パーティーのあの日、自殺を図ろうとベランダから飛び降りたところ、私がとっさに彼女の腕を掴んでしまい、そのまま引き摺り込まれるように、彼女と共に冬の冷たい湖に落ちてしまったとのことだった。  私は指輪のおかげなのか、すぐに発見されて奇跡的に助かったが、キャロライン・ハーパーは着水時の当たりどころが悪かったらしく全身打撲が死因として、帰らぬ人となった。  『ワタプリ』のヒロインであるはずのキャロラインは、最近ではあまり良い噂を聞かなかった。実際に、オリヴィアを自殺に追い込んだし、レオンハーツからザカライアへ乗り換えようと、愛しの婚約者を襲った経歴があるため、あまり好きではない人物だが、亡くなったと聞くと、心が痛んだ。彼女とはよく話した記憶もあるのだが、事故の弊害か所々が曖昧で、どんな会話をしたのか覚えていなかった。  ヒロインは、ゲームでは明らかにされていない、何か心に闇を抱えていたのだろうか…?  今となっては分からない。だから、これ以上考えることをやめた。  デビュタントを終えてから、ザカライアがシュテルンベルク侯爵邸に引っ越してきた。魔道具作りや単純に遊びに来ていたりなどで毎日我が家で見かけていたので、あまり特別感はないのだが、夜、星や月を共に見上げる時間は特別な時間だと思った。 「レイちゃん、月が綺麗ですね」 「今夜は新月ですけど、また一緒に見ましょう」  とても、大切な時間だ。  一度婚前交渉をしたら、二度も三度も変わらないと主張して攻め込んでくるザカライアと、必死の抵抗をする私の攻防が毎晩繰り広げられていた。八割方ザカライアに白い旗があがる勝敗率となっている。だめだ、このままだと学生のうちに一児の母となってしまう。それはだめだ。 「ザッくん、せめて避妊しよう?」  と、せめてもの抵抗を私は諦めずに行った結果、「そう、だよね。レイちゃんは学園だけじゃなくて商会もあるし……その代わり、卒業したら覚悟してね?」と、何やら最後に不穏な言葉があったが、何とか納得して貰えたので良かった。  父がザカライアを連れて視察に出かけることが増えた。転移ポータルを利用しているので、遅くなっても翌日には帰ってくるのだが、ザカライアは毎回疲れ切って帰ってくる。  心配になった私は父に「ザッくんに父の補佐をさせるのは、まだ早いのでは?」と提言してみたが、父は何でもないような顔をして「未来のシュテルンベルク侯爵の素地を整えてあげることも、私の大事な仕事だからね」と、言われ一蹴された。 「私の愛娘の夫になるんだ、立派な補佐となって娘を支えて貰わないと」  父の愛の深さに感動したが、やはり、学業と魔道具開発の合間にやっと出来た、貴重な休暇を全て補佐業務に充てるのは酷だと思う…。  でも、父の気持ちも蔑ろにしたくないし…と考えていたら、最近、奥さんと息子を王都に呼び一緒に暮らせるようになって幸せいっぱいのアッシュから「どうやら、ご主人様はレイラお嬢様をいよいよ奪われてしまう危機感から、ザカライア様にせめてもの嫌がらせとして視察に連れ回しているらしいです」と、密告が入り、私は父に断固猛反対して、視察の同行回数を減らさせた。  何かと慌ただしくも穏やかで幸せな日々は過ぎていく。  私たちは毎日、未来を選んで進んでいくのだ。そして成長して、子供から大人になる。  ——ねぇ、私、幸せだよ。誰に向けての思いなのか、自分でもやっぱり分からないけれど、でも時々、ぐっと胸が締め付けられる時がある。その度に私は、そう思うんだ。誰かに伝えたかった言葉を、心の中で何度も、呟いている——。
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