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肆 婚約者のやる気スイッチ
「——ザカライア、貴方、なぜケーキを食べているの」
私の低い声に、目の前のザカライアは小動物のように怯え始めた。彼の両脇に座り、同じようにケーキをつついていたエイデンとリュカも、怒られるザカライアを横目に躊躇われたのか、気まずそうな表情で静かにフォークを皿の上に置いた。
「貴方は鳥のムネ肉と、豆と、ブロッコリーのみを食せばよろしい!」
「そんな無慈悲な!」
絶望する婚約者からケーキを取り上げて、首根っこを掴み、連…行は重たくて出来なかったので、無理矢理立たせてから屋敷の外へ連れ出した。
顔合わせの日から四日、私の公爵家滞在日数もあと二日しか残されていないというのに、私は婚約者から避けられ始めていた。理由は分かっている。ザカライアにダイエットを強要しているからだ。
「怖ぇ…俺、絶対に優しいご令嬢と婚約しよう」
「エディ兄さん、知ってる? 東洋大陸ではレイラみたいな子のことを、『鬼嫁』というらしいよ」
黙ってケーキを食べていればいいものを…なぜか私とザカライアの後をついてくる兄弟二人が、口々に失礼なことを言う。顔合わせのあと、父親にこってりと叱られた二人は、もうザカライアを馬鹿にするような言葉を口にすることは無かった。
数日も経てば、私の人となりを理解したエイデンとリュカは、すっかり私に対しての異性の興味を失ったようで、見た目だけは深窓令嬢の私とザカライアのやりとりを面白がりながら見守っていた。
「さぁ、今から走るわよ」
比較的体格の近いリュカに借りたシャツとパンツ姿で、私は長い黒髪を高い位置で結び直しながらザカライアに言う。令嬢在るまじき姿だが、始め驚いていた彼らはすっかり慣れたようで特に何も反応を示さなくなった。
「い、いやだよ!」
ザカライアは涙声で叫ぶ。
「昨日も頑張って運動したんだから、今日はご褒美にケーキくらい、いいじゃないか!」
と、彼は反発してくるが…我が婚約者よ、言いたいことはそれだけか。
「褒美とは、結果を残した者だけが受け取れるものよ」
私が冷たい目で見つめながら言うと、ザカライアは遂に涙を流して泣き始めた。
「いやだよぅ、レイラが怖いよぅ」
どうせこの涙は嘘泣きなので——この数日間で私もザカライアの人となりを理解したのだ——、私は静かに彼が落ち着くまで待つことにした。
「最初は俺たち三人に関心無さそうだったのに、なんで急にザカライアの世話を焼き始めたんだ?」
小さな嗚咽を上げながら泣くザカライアを仁王立ちで腕を組み見つめていると、エイデンが私の隣に立ち訊ねてきた。
「…貴方がそれを訊く?」
私は片眉を上げてエイデンを見ながら思わず笑った。彼は少し驚いたような顔をして、すぐにいつものふてぶてしい表情に戻ったが頬がほんのりと赤く染まっているように見える。
私もはじめは、私に好意的で尊重してくれる人なら、誰が婚約者になっても構わないと考えていた。けれど、お茶会で放ったエイデンの言葉が、私の育成専ゲーマー(自称)のゲーマー心をくすぐったのだ。そこまでいうならザカライアを世界一の婚約者に育ててやろうじゃないかと、数多の王子様を育成してきた私にかかれば、やってやれると。
——それに…。去年、私の代わりに打たれた少年の姿が脳裏に浮かぶ。
それに、ザカライアが馬鹿にされるのは、少しだけ悔しかった。
気が済んだのか、ピタリと泣き止んで私とエイデンをジッと見つめてくるザカライアに気付いた私は、彼に近付いた。
「気が済むまで泣いた? とりあえず、今日も屋敷の周りを五周走るわよ」
「…エディ兄さんと、笑って何を話していたの?」
おや? と思いザカライアの顔を覗き込む。婚約者となったその日に、私の命令でザカライアの前髪は短くなったので、よく見えるようになった紫の目を伺うと少し不満そうだ。どうやら婚約者として、一丁前に嫉妬しているらしい。
「気になる?」
「別に、僕の兄さんだし…」
ふふ、素直じゃないわね。
「…レイラは…エディ兄さんやルカには優しいのに、僕には全然優しくしてくれない…」
続けてブツブツと文句を呟くザカライアに私は呆れてしまった。エイデンやリュカには厳しいことを言わないから優しいというのは、短絡的すぎる。
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