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「あのね、ザカライア、貴方が知らないことを教えてあげるわ。世の中には『愛のムチ』という言葉があるのよ」
「あ、あいのむち…?」
ザカライアのつぶらな瞳がパチパチと瞬いた。
「その人のためを思って叱責するという意味よ。なぜ私が貴方の食事制限をするのか、運動を強いるのか、それは全てザカライアに痩せてほしいから。貴方は自分に自信が無さすぎるから、まずは外見からでも自信を持って欲しくて」
私がそこまで言うと、ザカライアは驚いた表情で私を見つめていた。私はそんな婚約者にニコリと笑いかける。
「兄と弟があれだけ美形なんだもの、ザカライアも美男子になると私は確信してるわ」
すると恥ずかしそうに頬を染めてザカライアはもじもじした後、すぐに顔を曇らせた。
「…そんなこと、あるはずない…だって僕はヴァンヘルシュタイン公爵家の『出来損ない』だよ…?」
ふむ。私の婚約者は見た目より、この卑屈な性格をどうにかするほうが先のようね。
「今日も走るなら、俺も一緒に走る」
エイデンがやって来た。剣の練習が楽しいお年頃なエイデンは、体力作りにと毎回私たちと一緒に走っていた。リュカは後ろの方でメイドに何やら命じて椅子を持ってこさせていたので、参加はせずに見学するつもりなのだろう。
「いいわ、一緒に走りましょう」
私が頷くとエイデンは嬉しそうに笑う。ザカライアは寂しそうな表情で俯いた。
四周目に差し掛かったところで、ザカライアが躓き転んでしまった。
「大丈夫か、ザック!」
意外にも、ザカライアを嫌っていると思われたエイデンが、いち早く彼の元へと駆け付けた。
二周目あたりから、私とエイデンに段々と遅れを取っていたザカライアは、思うように足を動かせず、もつれ転倒してしまったのだろう。
私もエイデンの後にザカライアの元へと駆け寄ると、ザカライアは四つん這いになったまま、右手で土を握り締めていた。
私はそっと彼の肩に手を置いて、まずはその場から立たせる。ザカライアは素直に立ち上がってくれたが、顔は俯いたままだ。
「…ごめん、ザックに合わせてもう少しスピードを落とすべきだったな」
エイデンが申し訳なさそうな顔で言った。
「ザカライア、少し休憩にしましょうか」
私が気遣ってそう声をかけると、ザカライアは小さな声で「………い」と何やら呟いた。
「え?」
「もういい…やめる…。レイラみたいな綺麗な子には、僕よりも…何でも出来て格好良いエディ兄さんの方がお似合いなんだ…! だから僕、レイラの婚約者をやめるっ」
あろうことか、ザカライアは私の婚約者の辞退を申し出たのだ。
「ザカライア」
私が非難めいた厳しい声で呼ぶと、ビクリと肩を揺らして縮こまる。けれど私は、ザカライアの言葉に腹が立っていたので、一歩詰めては婚約者を下から睨みつけた。
「私を振るつもり?」
「うぅ…」
睨み付ける私と怯えるザカライアを、エイデンは焦る表情で見つめていた。
「私の婚約者を辞退して、本当にいいの?」
私はそっとザカライアの手を取った。ザカライアは私に握られた手を見つめて、そしてギュッと強く目を瞑り、私の手を振り払いながら叫ぶ。
「もう放っておいてよ!」
「あっ…!」
ザカライアの巨体に拒絶された私は、突き飛ばされたように勢いよく地面に尻もちをついてしまった。
「痛っ…」
「レイラ!」
手のひらに痛みが走ると思ったら、地面に手を付いた拍子に擦り傷がついてしまったようだ。
エイデンがしゃがんで私の手の傷を確認する。手のひらの砂を優しく払いながら「水で傷口を洗おう」と言った。
「あ、あ…レイラ…」
そんな私たちのやり取りを見下ろすザカライアの様子が何だかおかしい。
「う、ぼ、僕のせいで…」
ザカライアは顔を青くさせ、大粒の涙をボロボロと零しては、怯えたように体を震わせている。
「ザカライア、怪我は大した事ないから、大丈ぶ…」
と、話の途中で突然、ザカライアが私の体を抱きかかえた。
「…え?」
何が起こったのか、すぐに理解出来なかった。
「僕の大切なレイラが怪我を! 僕のせいだぁ!」
気付けば、発狂したように泣き叫ぶザカライアは、私を横抱きにした状態で屋敷内をドスドスと駆け回っていた。
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