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間話 アヒル公子、の兄
「やあ、エイデン。今日は君の弟はいないのか?」
王妃様が息子のために定期的に開くお茶会は、楽しくなかった。
「…すぐに母と一緒に来ると思いますよ、レオンハーツ王子」
俺がそう答えると、目の前の王子は意地の悪い笑みを浮かべては、「アヒル公子も来るのか、だったら今日も一緒に遊んでやらなくてはならないな?」と後ろに取り巻く令息たちへ大きく振り返った。
くすくすと大きくなる嘲笑の声。俺は俯いて握り拳をつくり、グッと耐えるしかなかった。
俺の弟、ザカライアは『アヒル公子』という酷いあだ名を、この王子に付けられた。白鳥の一族の中に、不出来な『アヒル』が混ざっていると、王子がそういって付けた。
ヴァンヘルシュタイン公爵家に代々生まれる子供たちは、大変見目麗しく才能溢れる特別な子供なのだと言われている。類を見ず、俺も、もう一人の弟のリュカも、いつも『さすがは公爵家の息子』だと周りから褒められて育った。でも…。
「エディ兄さん、母上と…ザック兄さんが来たよ」
いつの間にか隣に立っていたリュカが声をかけてきた。顔を上げると、弟のザカライアと目が合った。
俺たちを見つけたザカライアは顔を明るくさせ、こちらへと駆けて来る。そのふくよかな体が揺れるので、周りの子供たちがまたさらに嘲笑う。令息も令嬢も、歪に口端を上げては、侮蔑な目でザカライアを見ていた。
「あっ!」
ザカライアが盛大に転んだ。驚いて見れば、ザカライアの足元で片足を出して笑う王子の取り巻きが立っていた。ザカライアは足を引っ掛かけられたのだ。
俺の視界はかあっと赤くなる。——なんて、卑怯で、陰湿で、汚い。俺の中で王子への罵倒が溢れていく。
転んだザカライアに手を貸そうと近付くと、ザカライアは救われたような顔をして俺を見上げた。
——俺はお前たちの兄だから、弟を守る義務がある。もし虐められたら俺に言えよ、俺がそいつを懲らしめてやるからな!
——うん、エディ兄さん!
——ルカの気に入らないやつ、エディ兄さんがやっつけてくれるの?
かつて、俺たち三兄弟はいつも一緒にいた。まだ世間の目に触れておらず、誰からも評価されない、優しい人だけがいる世界の中で、俺たちはいつも笑って過ごしていた。俺を、英雄でも見るかのような弟たちの輝く目を思い出していた。
目の前の、俺に縋るようなザカライアの目に虫唾が走った。
お前が、太っていなければ。
お前が、もっと努力すれば。
お前が、俺やリュカのように優れていれば。
お前が! 恥ずかしくない弟なら、こんな恥もかかずに済んだのに!
「……っ!」
俺は、ザカライアを恥ずかしい弟だと思っているのか? 自分の本音を目の当たりにして、俺はもっともっと苦しくなった。
俺は結局、転んだザカライアに手を貸すことは無かった。ザカライアの顔が見れなくて顔を逸らすと、縋っていた瞳は悲しみを帯びて、そして一人で立ち上がると、トボトボとどこかへ姿を消した。
「……兄さん、格好悪い…」
小さくなっていくザカライアの背中を見つめながら、かつての輝きを失った目でリュカが呟いた。きっと、その『兄さん』には俺も含まれているのだろう。
✳︎
ヴァンヘルシュタイン公爵家で大きなお茶会を開いた。その日は、レオンハーツ王子がたまたま体調を崩し来れなくなったと聞いて、俺は安堵していた。
王子さえいなければ、ただの令息令嬢たちが公子であるザカライアを嗤うことなど出来る筈がない。きっと今日のお茶会は楽しいものとなる。
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