間話 アヒル公子、の兄

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 そんな俺の期待は打ち砕かれた。王子がいなくても、ザカライアは嗤われたのだ。ザカライアはどこにいても浮いてしまう存在だった。 「ぷっ、ぷくくっ、今の何ですか、ザカライア様! 『ぷぎっ』って、叩かれて『ぷぎっ』と鳴く貴族なんていませんよ!」  ザカライアが見知らぬ令嬢を庇いに前に飛び出した時は驚いた。弟は立派な行いをした筈なのに、サイモンの誘導もあって、今日もザカライアは嘲笑の渦に晒される。  弟が俯いた。赤く染まった首が見えた。ザカライアは、今辱めを受けているんだ。兄として、弟を助けにいかなければいけない、のに…足が動かない。声も出なかった。  あの嘲笑の中に飛び込んでいく勇気が、俺には無かった。痛い、胸が痛いよ。  俺は今日も、ザカライアに手を差し伸べてやれなかった…。 「庇って頂きありがとうございます。主催者である公爵家で唯一、貴方だけが私を助けて下さいました」  そうよく通る声ではっきりと申したのは、シュテルンベルク侯爵令嬢だった。俺が差し出せなかった手を、そしてその手を掴む弟を、俺は眩しそうに目を細めて見つめた。  彼女は、ザカライアを嗤わなかった。それどころか、周りの子供たちの陰に隠れて様子を伺う俺やリュカのことを、咎めている様子だった。 「……あの日から、恥ずかしいのは、俺の方だ…!」  あの日、ザカライアから顔を逸らしたこと、あの日、リュカの落胆した言葉を聞き流したこと、今日、また同じ過ちを俺は…。誰にも聞こえないような呟きを、涙とともに落とした。   ✳︎ 「レイちゃん、あのね——」 「ザッくん、いい加減にここを———」  彼女がザカライアの婚約者となって数日後、弟と婚約者の呼び合う名前に異変が起きた。 「…『レイちゃん』? 『ザッくん』?」  俺は訝しむ目で二人を見た。 「あ、だめだよエディ兄さん。『レイちゃん』は僕だけに許された呼び名なんだ」  いつも湿っぽいザカライアが明るい。得意げにさえなっている。 「僕もレイラのこと、レイって呼びたいなぁ」  リュカが話に割り込んできた。こいつ…鬼嫁だのなんだのと言って、結構レイラのことを気に入っているよな。 「もちろんいいわよ。…そうね、リュカは弟だから『レイ姉さん』と呼んでくれてもいいわ」  すんなりと愛称呼びを許すレイラに、俺は驚いて目を向けると、すぐに彼女と目が合った。そのエメラルド色の瞳が、ジッと俺を見る。その度に俺の胸が騒つくのは何故だ。 「…エイデンも呼びたければどうぞ」 「え?」  俺もいいの? 「だったら私も愛称で呼ぶべき? ルカと、『エディ兄さん』?」  レイラに兄呼ばわりされるのは…何だか気が進まないが、でもザカライアと結婚すれば、将来、俺の妹になるわけだしな…と、悩んでいるとリュカが不満そうな声で言った。 「いやだよ、姉さんだなんて。確かにザック兄さんと婚約しているのかもしれないけれど、将来レイが誰と結婚するのかなんて、まだ分からないでしょ」  ザカライアはショックを受けたような顔をして、すぐにリュカに警戒の眼差しを向けていた。  リュカのやつ、まさかレイラを…? 「……俺も、俺も普通にエディでいい。兄になるかまだ分かんねぇしな」  俺も便乗してそう言うと、ザカライアは青い顔でふるふると体を震わせながら、俺たちとレイラの間に立ち塞がった。  レイラを背中に庇うように両手を広げているものだから、俺は思わず吹き出して笑ってしまった。 「なんだよ、ザック。それでレイを守ってるつもりか?」 「普通に隙だらけだよね、ザック兄さん」  リュカも珍しく、楽しげな声色だった。 「…ちょっとそこの三兄弟、勉強を見て欲しいんじゃなかったの? 集中しないなら、もうやめるけど」  年下の女の子に勉強を見てもらうのはどうかと思ったが、レイラはそんな事を言ってられない程、秀才だった。 「あ、はい…」  俺たちは改めて、自分たちのノートに向かい合う。 「…レイ、お前は凄いやつだな」 「急にどうしたの? 分からない問題でもあった?」 「いや、そうじゃなくて……中には手を差し伸べる勇気がねぇ奴もいるっていうのに、お前は本当にすごい奴だし、俺もそうなりたい」  これから毎日楽しくなるだろう。  きっと今回は、期待を裏切られることはないと確信している。
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