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「私たち、すでに婚約者同士よ?」
私の心音が煩くて、すぐに『はい』と答えたかったけれど、欲張りな私はもっと、もどかしいくらい不器用に気持ちを伝えようとする貴方を見ていたかった。
「えっと…そうじゃ、なくて…親が選んだ婚約者とかじゃなくて…ちゃんと、僕の婚約者に…」
この、目の前で真っ赤な顔をして一生懸命に言葉を伝えようとしてくれる少年は誰だろう。私の、婚約者なのだ。
「だったら、今、改めて私から結婚を申し込むわ」
「え?」
頬を染めたまま驚く表情のザカライアに、私は心の底からの笑顔を向けた。
「だって貴方は、すでに素敵な男性だもの」
「っ…!」
私が不意打ちにそっと彼の頬にキスを落としたものだから、ザカライアの顔は更に、そして鎖骨あたりまで赤く染めて、瞳を潤ませていた。
「……抱きしめても、いいですか?」
私は答える代わりにザカライアの胸に体を預けた。忙しなく動くザカライアの鼓動に耳を傾けていると、ザカライアはそっと両手を上げて、優しく私の体を両腕の中に閉じ込める。
「もっと強く抱きしめても大丈夫よ」
「だって、レイちゃんの肩が細くて…壊れちゃいそうで…」
私は思わず、声を上げて笑った。
「壊れないように、私のことを守ってね」
「うん…僕が生涯、レイちゃんを守るよ」
駆け落ち逃避行中の私たちは、それから色々な話をしては昼食のサンドウィッチを食べて、そのまま眠ってしまった。そっと私たちにブランケットを掛けようとやって来たメイドの物音で目を覚まし、目が合い互いに固まった。
——こうして、私たちの短すぎる駆け落ち逃避劇は、人知れずすぐに幕を閉じることとなる。
その後、怒るリュカと呆れるエイデンから、たくさん小言を言われたが、私たちの手はずっと繋がれたままだった。
✳︎
日にちが経ち、三兄弟が王都へ帰る日となった。
「じゃあ、またねレイ!」
「ちゃんと飯食って、大きくなれよ!」
家族で見送る中、リュカとエイデンが車窓から顔を出して手を振った。そんな中、ザカライアは…。
「レイちゃん…レイちゃん…」
めそめそと泣いていた。
「ザック、寂しいのは分かるがまた会えるんだから、挨拶しろよ」
「そうだよ、ザック兄さん。数ヶ月後には僕の誕生会に来てくれるって言うし、すぐに会えるよ」
弟にまで慰められて…まったく、私の婚約者ったら。
「ザッくん、このままだと私の中の貴方の最後の表情が泣き顔になるけれど、いいの?」
私がそう言うと、ハッとした顔を上げたザカライアと窓越しに目が合った。
「…ダメだね、そんなの。レイちゃん、またね」
涙に濡れた顔で一生懸命に笑顔を浮かべるザカライアに、私は笑顔で手を振った。
公爵家の馬車が動き出す。
その瞬間、エイデンとリュカにはまた会う日が楽しみだと思ったのに、ザカライアに対しては、彼が泣いていた理由の感情を私も感じてしまった。
行ってしまう馬車。思わず、私の足が追いかけるように一歩踏み出す。
「——レイちゃん!」
見ると、馬車の車窓から身を乗り出すザカライアが見えた。
「君との最後の言葉が『またね』は嫌だったから…っ」
「危ないわよ、ザッくん!」
驚く私にザカライアは大きく手を振った。
「レイちゃん、大好きだよ!」
一瞬驚いたが、私は声をあげて笑った。
「わたしもよ!」
もう小さくなってしまった馬車に、私の返事が届いたか分からない。でも、手を振って、暫しの別れに涙を流す私を見られなくて良かったと思った。だって、私らしくないんだもの。
「行ってしまったなぁ、寂しくなるね」
「息子が出来たみたいで楽しい日々だったわ」
私を挟むように立つ父と母が言った。
「レイは、婚約者に愛されているね。さすがは私の愛娘!」
「レイちゃんは男を見る目がありますからね、私に似て」
父と母に肩を抱かれながら、私たちは馬車が去って行った道を、もう暫く見つめていた。
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